第129話 <<赤き魔女との邂逅 ー東の大陸 サティナ姫ー>>
砂塵の中に廃墟の街が霞み、多くの壊れた建物が砂に飲まれている。所々に見える小さな石塔のようなものは石を積んだ墓だろう。
日は上っているはずだが、夜明け前から風が強まって視界が悪く、敵の姿を確認できないが、向こうも条件は同じだ。
マルガが手を上げると、左右から騎士が奥に見える大きな建物に接近し始めた。
「古い聖堂なのね、あそこに居ると思う?」
サティナは隣のマルガに尋ねた。
「突入して見ないとわかりませんね」
「ブルッサの隊が少し早いようね。そろそろ反応があるはずよ」
大きな旧聖堂は周囲の建物がほとんど倒壊している中で未だに威容を誇っている。屋根は抜け落ちているが重厚な造りの石壁がそそり立っている。
その旧聖堂の長方形の窓が光った。
「始まった! 我々も行くぞ!」
「はっ! 突入だ!」
マルガが背後の騎士たちに声をかけた。
ブルッサたちが瓦礫を盾にしながら接近する。瓦礫の周囲に次々と矢が突き立ち、粉塵が上った。
ブルッサたちも瓦礫の影から矢を放って応戦した。
旧聖堂に近い瓦礫から敵兵が姿を見せた。兵と言っても人間ではない、鎧を着た毛むくじゃらの大猿のような異形の兵だ。素手だが爪が長く、おそらくまともに食らえば人間の首など一撃で吹っ飛ぶだろう。
「恐れるな! 敵の数は少ない! 囲んで倒せ!」
「ハッ!」
ブルッサの声に騎士たちが応え、建物の左右で激しい戦闘が始まった。
マルガたちも、サティナを先頭に正面扉を目がけて走る。
旧聖堂は正面側には窓が無い。敵の意識が左右に向いている今がチャンスだ。
サティナたちが身を隠すことができる最後の瓦礫を越えたその時、大きな木扉が開いた。
3体の黒い影が滑るように扉の中から外に出てきた。間違いない、あれは暗殺者として迎賓館を襲撃した奴の同類である。つまり誘拐に関与した奴だ。
「来るわ! 警戒するのよ!」
サティナは大剣を抜いて身構えた。3体の影のうち1体がサティナの前で分かれ、凶悪な気配を放つ2つの影がサティナに迫った。
「動きが速い! マルガ! 左のタータムたちの方へ1匹行った。そっちを任せる」
「了解しました」
マルガが長槍を手に姫の側から離れて左へ駆けて行く。
サティナは目の片隅でその動きを確認しながら、大剣で正面から来た攻撃の軌道を逸らした。
「お前たちの相手はこっちよ!」
サティナは纏わりつく2体の影をひきつれ、聖堂前の広場を走った。騎士マッドスと3人の騎士がサティナの支援に駆けてくるが、彼らの攻撃をいとも簡単に擦りぬけ、影はサティナの背後に回り込む。
「やるじゃないの」
二つの黒い影は同時に両手に歪な曲鎌を出現させた。四本の邪悪な鎌の攻撃は凄まじい。その連撃の速さに近衛騎士たちですら戦闘領域に踏み込むことができない。
ドメナス王国最強の魔法騎士であるサティナ姫だけがその動きに対処可能なのだ。
「グクフフフ……」
一瞬、左右に大きく離れた影がサティナの前後に滑り込んだ。前方の鎌を弾き返した直後、背後から死角を狙って飛び込んできた影の鎌が振り上がった!
「姫っ!」
身体が動かない、瞳には姫の背に鎌を振り下ろす影が映る。間に合わない! 騎士マッドスたちの前でサティナを引き裂く鎌が最上段から振り下ろされる。
「!」
その影の背後から強襲したサティナの大剣が、2体の影をまとめて吹き飛ばした。
影に背中を裂かれたかに見えたサティナ姫は、一瞬でその影の背後に回り込んでいたのだ。
姫らしい、何らかの術を発動したのだろう。いつ見ても姫の使う術には驚かさせる。流石は魔法騎士である。
「姫! ご無事ですか!」
マッドスたちが姫を守ろうとその前に立った。
「心配ないわ。今よ、闇の者に対する麻痺が効いているうちに奴らにとどめを!」
「はっ!」
マッドスたちは長剣の刃を光術の呪札で拭くと、地面からようやく立ちあがろうとした黒い影を両断した。
悲鳴も無く、切り裂かれた黒い影がぼろ切れのように風に舞い、消滅した。
襲撃を受けたあと準備した呪札の効果が確認できた。これなら光術が使えない騎士でもやれる。
サティナと騎士たちは見つめあってうなずいた。
「中に突入よ!」
サティナ姫が教会の扉の前に立った。
教会の左右では剣撃の音が未だに続いている。
重厚な扉の前でマッドスはその取っ手に手をかけた。
「行くぞ! 3、2、1、突入!」
バンと扉を開けて、一気に騎士たちが内部に突入した。
サティナ姫もその後に続く。少し遅れ、マルガがタータムたちと合流して扉をくぐった。
教会の中に入ると。外に向かって弓で攻撃していた影たちがこちらに気づいた。
「中にいるのは全部で5体! 殲滅して奥の部屋を調べろ! 通信士、外のブルッサたちに我々が突入したことを伝達しろ」
マルガが叫んだ。
騎士たちは光術を付与させた剣を手に、黒い影に向かって猛然と突進していった。
影は即座に弓を捨て鎌を手にした。その判断は極めて早い。
狭い迎賓館と違って、空間が広いだけに騎士の長剣や槍は有利だ。サティナ姫は流れるように大剣を振い、即座に2体の影を叩き斬った。
反対側の壁際でも1体の影をバルカットが叩きつぶした。
敵はあとわずか。
その時だ。
不意に異質な気配を感じて、マルガが中央の祭壇を見上げた。同時にサティナ姫も祭壇を見て立ち止まった。
「あはははは………!」
女の高笑いが響いた。
祭壇の上だ。
そこにやたらと露出度の高い、真っ赤な服を着た美女が立っていた。
肌は透き通るほど白く、唇はやけに赤い。派手目の化粧が夜の蝶のように妖艶である。
「お前は、何者だ!」
サティナ姫が大剣でその顔を指し示した。
「それは、こちらのセリフよ。お前のような魔法騎士がこの国にもいるとは知らなかった。おかげで計画は練り直しが必要そうだわ。楽しくなりそうね」
「お前は誰だと聞いている!」
サティナは美女をにらんだ。
「私か? お前たちのような虫けらごときに名乗る名はないわ」
「虫けらですって? その尊大な態度とお前から感じるこの強大な魔力、お前は魔族ね?」
「だとしたら?」
女が微笑んだと思った瞬間、マルガたちの視界からサティナの姿が消えた。
次の瞬間、金属音が響いた。
サティナが美女に斬りかかり、美女は
マルガは背中に嫌な汗を感じた。
あの女、攻撃を受ける前は確かに素手だったはずだ。しかし、いつの間にか手にした槍でサティナの一撃を片手で受け止め、しかも微動だにしていない。
魔力で力を強化しているのだろうが、サティナ姫のあの一撃を
耐えるとは、見かけと違ってこいつは強敵だ。
美女が槍を横なぎに振うと、サティナは後方に跳んでマルガたちの前に着地した。
「へぇーー、そんな手も使うのね。意外とやるじゃない、人間のくせにね」
と言うその頬に、一筋の血が流れた。
頬の傷を手で拭い、美女が笑みを浮かべた。
投擲剣が美女の背後の床に突き立っている。サティナが後退しながら放ったのだ。
「少しだけ遊んでやりましょう。我が召喚に応えよ! ニロネリアが命じる。闇から出て我が敵を払え! 闇術、死人騎士団我が前に!」
女が両手を天に向けると、周囲の様子が一変した。
禍々しい気配が教会を中心に渦を巻く。
「姫、これはヤバそうです」
マルガが姫の元に駆け寄った。
「来るわ。気を抜かないで。通信士! 外のブルッサたちに注意喚起を!」
「姫! 何か来ます!」
騎士ケビルが叫んだ。
教会の床から赤黒い肉塊がもこもこと起き上がる。それはすぐに人の姿に変わっていく。腐肉に覆われた騎士の集団である。
「外の墓地でも大量の死人が発生したとのことです」
通信士が叫ぶ。
「はははは…………! お前たちを片づけるのはこいつらの仕事よ。私はもっと楽しいことをするから、それじゃあね」
女は妖艶に微笑み、舞踏会で踊る令嬢のように回転したかと思うと一瞬でその姿が消えた。
「逃げたか。あの術は見たことがないわ」
「それどころじゃありませんよ。姫、どうするんです? この大群の、死人の群れ」
マルガは顔をひきつらせている。
外から伝わる気配もヤバそうだ。
「囲まれる前に一旦、外のブルッサたちと合流するわよ! 私が合図したら走って!」
死人騎士たちがじりじりと近づいてくる。
「3、2,1、今よ!」
サティナが右手を空に向けた。
目もくらむ強烈な光の球が出現した。
「今だ!」
「急げ!」
マルガたちが教会の外へ飛び出す。
教会の外はおびただしい死人の群れで溢れていた。
ブルッサたちの一団が応戦しているが、多勢に無勢だ。
サティナたちは入り口前にいた死人の群れをなぎ払って走り、ブルッサたちに合流した。
「姫! ご無事でしたか。この死人の群れは一体どこから出てきたのですか?」
ブルッサは襲いくる死人を叩き斬りながら言った。
「こいつらは闇術で召喚された死人よ。教会の中に首魁がいたのだけど逃げられたわ」
「そうですか。それでどうします? 一旦逃げますか?」
「逃げましょう! これではきりがありません! 姫!」
マルガも応戦しながら叫んでいる。
「少しの間、時間稼ぎをして頂戴。できるわね? マルガ」
「何かやるんですね? わかりました。姫にお任せします。ブルッサ、姫の所に死人を近づけるな! 少しの間、姫が集中できる時間を作るんだ!」
「わかった! 円陣だ! 姫を守れ!」
ブルッサの一声で騎士団が動く。
円陣の中央で両手を組んでサティナ姫が何かを祈り始めた。
途端にサティナの周りの空気が翳り、ざわりとする冷たい気配が広がった。
ブルッサたちはぞっとした。これはいつものサティナ姫の光術ではない。何かおぞましい力を感じる。
「マルガ副官、これは?」
「マッドス、姫を信じろ! 今は敵を近づけさせるな!」
そうだ、誰がなんと言おうと、今は姫を信じて守るだけだ。マルガは剣を振るう。腐った肉片が飛び散る。
死人騎士は生きていた時は剣術を学んだ者なのだろうが、再生したばかりの関節がこわばっているので動きはにぶい。だが、関節が慣れてくれば厄介な敵になる感じがする。時間が立つほど死人騎士たちの動きが良くなってくるようだ。
砂塵が一瞬止むと、満身創痍のブルッサたちは周囲の状況に息を飲んだ。
騎士団が円陣をくむ周囲に夥しい死人の群れが取り巻いている。おそらく数万人はいるだろう。砂丘の向こう側まで死人が蠢いているのだ。
「なんという災厄を! あの女め、奴は一体何ものなのだ!」
マルガは叫んだ。
「マルガ副長! こいつらが街へ向かったら、魔獣以上の被害になります! へたをしたら国が滅ぶでしょう!」
タータムが叫んだ。
「既に逃げ場もない! 姫を信じて戦え!」
マルガが死人の頭から剣を引き抜きながら叫んだ。
その時だ、突如、背後に紫色の光が出現し、影を作った。
続けて黒い寒々しい闇が円陣の中央から湧きあがると大きく膨れる。
何が起きているか理解が追い付かない。
ただ、その中心はサティナ姫だということだけがわかる。
「みんな! 目を閉じなさい!」
ふいに脳裏にサティナ姫の声が響く。
「はっ!」
騎士たちはその声に何の疑問もなく従った。
突然、冷たい氷のような風が背後から吹き抜けた。
サティナ姫を中心に外側に向かって噴き出した渦の勢いは徐々に強まり、やがて立っていられないほどになる。
これ以上は耐えられない! と誰もが思った瞬間。
「?」
唐突にそれは終わった。
頭上の暗雲が消え、温かい日の光が差し込む。
ポンとマルガの肩が叩かれた。
目を開くと微笑むサティナ姫がいた。
「終わったわよ」
「え?」
目をパチパチして周囲を見渡すが、砂の台地が広がるばかりである。目の前で襲い掛かってきたはずの死人がいない。
いや、それどころか周囲にあれほどの大群をなしていた死人が一体もいない。
ブルッサたちも驚嘆している。
「姫、一体何が……、あれをどこにやったんです? あの死人の群れは、まさか幻だったのですか?」
マルガは再び旧聖堂に向かって歩くサティナ姫の後を追った。
「幻ね、そうね、幻だったってことでいいじゃない?」
そう言ってサティナが笑った。
本当はどうなのか、マルガにはさっぱりわからない。
マルガはマッドスたちに命じて、旧聖堂の内部をくまなく調べさせた。
「やはり、誰もいないようです。ラメラ嬢もここにはいません」
ケビルが走ってきて伝えた。
「連れて逃げたか、元々別に移送させていたのか。あの女。闇術を使う魔族。ニロネリアと言っていたわね。心当たりはある?」
マルガは首を振った。
「そもそも魔族などめったにお目にかかれません。一体どこから来たのか。ニロネリアという名前については、通信士が王都の者に調べるよう依頼しております」
「姫、手掛かりがありました。これを見てください!」
タータムがマッドスと一緒に戻ってきた。
その手に紙切れを持っている。
「これは何ですか?」
マルガが目を細める。
「どこかの街の地図の一部のようです」
「誰か、分かる者はいますか?」
「見せてください」
ブルッサがそう言って覗き込んだ。
「これは……東マンド国の王都の地名が書かれています。この地図はおそらく王都ノスブラッドの一部ではないかと思われます」
「やはり東マンド国の手の者?」
サティナはブルッサを見た。
「東マンド国では、国王が長く病の床についており、次の王位を巡って争いが起きていると聞きます。その不穏な動きと今回の一連の騒動が繋がっていると見て間違いないでしょう」
ブルッサは答えた。
「厄介ですね。あの闇術使いの魔族がその争いに加担しているとすれば、かなり面倒な事になりそうです。いずれにしてもここにラメラ嬢はいないようです。一旦、都に戻ってラマンド国王と相談しましょう」
「それが良いわ」
そう言ってサティナ姫は壊れた屋根の上から覗き込んでる黒い鳥をにらんだ。
ーーーーーーーーーー
「ちっ、何なのよ。あの小娘」
魔王二天の一人、赤い魔女ニロネリアは唇を噛んだ。
馬車は砂塵を上げて突き進む。
黒塗りの豪奢な馬車を引くのは2頭の骸骨馬だ。
支配していた死人騎士の気配が一瞬で消滅した。あの墓地の規模からすれば数万の死人が復活したはずだった。
部下が後を付けられたことに気づき、逆にそれを利用して邪魔者を死人の罠に嵌めて抹殺、そのまま死人の群れをラマンド国内に侵攻させ、その国力を低下させる予定だったのだ。
突然現れた死人の群れに対し、王家に忠誠を誓う騎士団が前線に出てくるはずだった。当然、戦争準備はしていないから貴族たちの兵は出てこられない。騎士団もろくな準備もできないまま戦うはめになる。
そうして一番最初に国王に忠誠を誓う騎士団の中核を滅ぼせば、後は腐った貴族連中をうまく金や色仕掛けで踊らせれば良いだけだったのだ。
だが、死人の反応が消えたということは浄化させられたと考えるべきだろう。
ニロネリアは唇を噛んで、無意識に胸に下げた宝珠に触れた。
黒々とした霞が脳内に広がり、思考が冷徹な影に支配される。
「あの大群を浄化できるほどの聖魔法の使い手がいたとは思えないが……」
死人の群れを地上から消し去るには聖魔法か高次の光術で浄化するか、あるいは自分と同じ闇術で元の死骸に戻すしかない。
自分に匹敵する術使いが人族にいるとは思えないが、自分を傷つけたあの少女の存在が気がかりだった。やはりあの魔法騎士が何かしたのだろうか?
「本当に、何者なのよ、あいつ」
ニロネリアはイラつく自分に腹が立ってくる。死人の気配が消えた事に驚いてすぐに使い魔の黒鳥を放ったがそれすらも帰って来ないのだ。
「ニロネリア様、ノスブラッドの都が見えてきました。馬と外装の擬態を開始します」
御者の泥鬼族のノンムマートが言った。
「やってちょうだい。……それにしても、いつ見てもみすぼらしい街だわね。都と言うのもおこがましいわ」
不満をぶつけるように言葉を吐きだして、ニロネリアは窓の景色を眺める。
遠くに灰色の街が見えている。
魔王国の漆黒の都の美しさに比べること自体に無理があるのだ。下等な人族の都などこの程度で丁度良いと言うべきだろう。
ガタンと馬車が揺れる。
ニロネリアの対面席に横たわる少女は眠ったままだ。
「これの利用価値はまだある。あの馬鹿な男の元へ急ぐのよ」
ニロネリアは足を組んで妖艶に微笑んだ。
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お読みいただき、ありがとうございます!
ちょっと宣伝です。
『帝都ダ・アウロゼの何でも屋騒動記―― 恋する魔女は魔法嫌い』の第6章 『魔女と幽霊とお姫様――黒い淑女と三羽の白うさぎ』の話が、赤い魔女ニロネリアに関係するお話になっています。
よろしかったら、お読みください。
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