第130話 閑話 ー出撃前夜ー

 「まったくもう、なんだというのでしょう?」

 リィルは少し怒っていた。


 「私は、どこからどうみても大人の女じゃないですか」

 リィルは、クリスとの久しぶりの再会を祝って今夜飲むための酒を買おうとしたのだが、店主に大人だとどうしても信じてもらえなかったのである。


 以前のリィルなら実力行使して、大人だと認めさせるところだったが、面倒事はおこさないようアリスにきつく言われている。


 どこかで良い酒が手に入らないものか。クリスはお菓子好きだが、酒もいける口だということも聞いている。


 「クリス様、きっと素敵な夜にして差し上げます」

 リィルは暗黒術の使い手であるクリスに心酔している。


 クリスが一番リィルを可愛がっているせいである。

 アリスも基本的には優しいがクリスのように事を教えてくれることもない。

 もっとも姉妹の中で一番優等生的なアリスが、クリスのように少々悪い事やイカガワシイ事を教えるはずもないのだ。


 リィルは大通りの店は諦めることにした。

 こういう事に融通が効くのは、大抵は裏通りの店だ。少々治安が悪いがお金さえ払えばどうにでもなる店も多い。


 狭く汚い路地に入ると、柄の悪い男があちこちで目を光らせていた。

 リィルはフードを深く被って侮られないように慎重に歩くが、その体格や身長の低さは隠しようが無い。

 子どもが迷い込んだとしか思わない馬鹿者がいても仕方が無いのである。


 いつの間にかリィルは屈強な男たちに囲まれていた。


 「えへへへへ……、お嬢ちゃん。どこへ行くんだい? なあ、俺たちとちょっと良い所に行かないか?」

 見るからに真っ当な生き方をしていないと分かる男たちである。腰の剥き出しの短剣がキラリと光るのがわざとらしい。はっきり言って三流以下である。


 「なんですか? ナンパですか? 折角ですが、私にも好みというものがありますよ」

 フードに隠れているが視線が鋭い。


 「なんだと、こいつ!」

 「兄貴、生意気な餓鬼ですぜ!」

 「少し痛い目に遭わせてやりましょう!」

 男たちがベルトに刺していたナイフを手に取った。


 「餓鬼?」

 ぴくっとリィルの頬が動いた。


 「大人しく俺たちに着いてくれば怪我をしないぜ」

 男がナイフをチラつかせる。


 リィルの肩がカタカタと震えている。

 恐ろしさに震えているのだろう。男たちがニヤついてその肩に手を触れようとした。


 「あはははは……!」

 男たちはビクッと手をひっこめた。


 怯えているはずの少女が大笑いをしている。恐ろしさのあまり気が狂ったわけではあるまい。なぜ、この状況で笑う?


 「本当の殺し合いをした事もないくせに良く吠えますね。良いでしょう。お相手しますよ。私を餓鬼呼ばわりしたこと、大いに反省してもらいます」

 フードを脱ぎ、リィルが怖い顔で微笑んだ。



 ーーーーーーーーーー


 「ぎゃあーーーー!」

 男が股間に強烈な蹴りを喰らって泡を吹いた。


 「逃げろっ! こいつ、本当にヤバい奴だ!」

 二人の男たちが青ざめ、後ずさりした。


 「もう終わりですか? 根性なしですね」

 リィルがぽきぽきと指の節を鳴らす。

 その足元には腹や股間を抱えて呻いている男たちが四人。


 いつものように6人で取り囲んで優位のはずだったのに、襲った途端にからむ相手を間違えたとわかった。見た目はかわいい少女なのに、中身は悪鬼羅刹か、という獰猛な奴だった。


 すばしっこい動きと、容赦ない金的蹴りやパンチに噛みつき!

 男たちは少女を捕まえることはおろか、その身体に触れることすらできない。


 あっと言う間に四人が沈んだ。

 彼らだって数々の場数を踏んできた腕っぷしには自信がある連中だったのだ。

 中でも大湿地の裏社会では知らない者がいないほど悪名高いならず者、沼牛殺しのドボンが真っ先に股間を押さえて失神したのが恐怖だ。


 「こ、こんな化け物、相手してられるか!」

 ダッと男が逃げだした。

 「あっ、待て!」


 「逃がすと思っているんですか?」

 踏み留まった男の前でリィルはニヤリと笑った。


 「!」

 走り出した男はふいに何かの気配に総毛だって、空を見上げた。その瞬間、くるくると回転する棒切れがその目に映った。

 危ない、と認識した時には、顔面に激突した。


 「ぎゃあーーー!」

 男は額を押さえて転げ回る。

 あの少女は男の逃亡コースを予測して道端に落ちていた棒を放り投げていたのだ。それが回転しながらブーメランのように戻ってきて命中した。


 「あわわわわ……」

 一人残った大柄の男は図体に見合わず震えていた。


 「さてと……」

 リィルがゆっくりと近づき、男は建物の壁際まで追い込まれ、腰が抜けたようだ。


 「く、来るな、化け物!」

 「ひどいですね、声をかけて来たのはあなたたちですよ?」

 「く、来るなっ!」

 男が砂を掴んで投げた。


 「!」

 その程度の目くらまし……

 と思ったリィルの視界が暗くなった。

 「見たか! これを待っていたんだ!」

 叫ぶや、男が猛然とダッシュし、頭から袋を被ったリィルを抱きかかえた。警戒心の強い沼鹿を罠にかける時の仕掛けである。


 壁際まで逃げたのは二階から袋を落とす仲間の所までリィルを誘導するためだったのだ。落ちてくる大袋の気配に気づかれないように、気を反らすため砂を投げたのだ。


 「こ、このっ!」

 リィルは暴れるが、巨漢の男に抱きしめられて逃げられない。

 「この女め……」

 しかも先に倒していた男たちが復活し始めた。


 袋の中で暴れるリィルを三人の男が見下ろした。

 「こいつ、どうしてやろうか?」

 「いいもんがある、こいつを打ち込めば少しは大人しくなるだろうぜ」

 ドボンが腰袋から禍々しい蛇の頭を模した器具を取り出した。

 口を開くと鋭い牙から毒液が垂れる。

 「そいつはヤバくないか?」


 「かまわん、さっきのお礼だ、俺の痛みを知るが良い」

 ドボンは袋から出ているリィルの片足を強引に掴んだ。

 その顔に野卑な笑みが浮かぶ。

 激痛を与える毒だ。

 命に係わる毒ではないが、あまりにも痛いため、痛みの緩和薬をちらつかせれば意のままにならない者はいない。


 「ぐへへへへ……」

 ドボンが器具をリィルの素足に近づける。


 「軽魔弾!」

 ふいに声がした。

 「!」

 その声に振り返った男たちが一斉に腹に白い光の弾をくらって吹き飛んだ。


 「大丈夫ですか!」

 袋の結び目が解かれ、リィルは顔を出した。

 そこに銀髪の美少女がいた。

 「やつらは?」

 「悪漢はみんな伸びているよ、大丈夫」

 周囲を見渡すと、男共が白目を剥いて倒れている。


 「助かったのです。油断しました」

 「立てますか?」

 「大丈夫、立てるのです。……あなたは? さっきの魔法とその銀髪、湿地の魔女ですか? それにしてはどこかで見たことがあるような?」

 リィルは目を細めた。


 「あっ!」

 ふいに少女は髪の毛を押さえた。

 すると瞬く間に銀色に光り輝く髪はごく普通のブロンドに変った。


 「あれ? やっぱりあなたは工房で見かけた?」

 「しーーっ、これは内緒なんです。誰にも言わないでください」

 クラベルが唇に指をあてた。




 ーーーーーーーーーー


 「クリス様、さあどうぞ」

 リィルが甲斐甲斐しくクリスのカップに酒を注ぐ。


 「ありがとう」

 クリスは足を組んだまま色っぽく微笑んだ。

 「さあ、ぐぐっとどうぞ。めったに手に入らない極上ものなのです」


 「気が効く。リィル、かわいい」

 そう言いながら。むぎゅうとその胸にカインの腕を抱き締めた。誰にも見えない角度で、カインの手を足で挟んで、わざと太股に触れさせている。

 馬鹿みたいに顔を赤くしたカインが口をぱくぱくさせる隣でクリスがうっとりと微笑んだ。


 「おい、リィル、俺には何か無いのかよ」

 カインが気を反らすべく言った。


 「カイン、まさか貴方も飲んだの? 本当に?」

 眠ったリサを部屋に置いて戻ってきたセシリーナが驚く。


 「違いますよ。セシリーナ様。カイン様がさっきから飲んでいるのは果実水ですよ。リサ様と一緒です」

 アリスが手にしたボトルの中身を見せた。


 「ちょっと目を離して戻ってきたら、カインの顔が赤いからびっくりしたのよ」

 セシリーナがクリスと反対側のカインの隣に座る。


 「下衆なのですよ。カインは。見てくださいセシリーナ様。クリス様の胸がさっきから当たっているから、見境なしに発情しているだけなのです」

 リィルが指差す。


 確かにカインの左手を掴んだクリスは自分の胸に腕を押しつけている。カインの鼻の下が長いようだ。


 セシリーナの目が冷たい。


 クリスは姿を見せたと思ったら、カインに対してかなり積極的に攻めてくる。かなり強引なところもあるが、もはや本気で惚れているということを隠そうともしない。以前、カインが迂闊にも真正面から攻めてこいみたいな事を言ったせいなのだが、セシリーナはそんな事は知らないのだ。


 「私、カイン、愛している。キスする」

 と愛らしい艶々の唇を突き出す。

 俺は咄嗟にクリスのキスを巧みにかわした。


 「ところで、その酒、かなり上等な代物だな? どこで手に入れたんだ?」

 これでも商人の端くれだ。上等な酒と安物の違いくらいは匂いで分かるのだ。これほどの高級酒を買うほどの金をリィルが持っていたとは思えないが……。


 「ふふっ、私を誰だと思っているんです。森の妖精族の可愛い美少女ですよ。私に惚れて貢物をする男くらいいくらでもいるのです」

 そう言うと、リィルは手をパンパンと叩いた。

 

 酒場の貸切部屋の扉が開いた。

 顔に青あざを作った男が3人そこにかしづいてる。まったく見知らぬ連中である。

 

 「お呼びですか? リィルの姉御」

 ぴくっとリィルの頬が動く。


 バコッと隣の男がそいつの頭を思い切り叩いた。


 「馬鹿野郎、呼び方が違う! お呼びでしょうか? リィルお嬢様」

 少々青い顔をして男が頭を下げた。


 「ふむ、酒が足りないようですね。もう一瓶持ってきなさい。あと、上等な燻製肉も大皿で頼みますよ」


 「え? 燻製肉は高くて……」

 バコッと隣の男がそいつの頭を叩く。


 「かしこまりました。少しお待ちください」

 「はい、私はちゃんと待っていますよ」


 リィルはなんだか怖い笑みを浮かべる。私からは逃げられないぞお前ら、という気配がビンビン伝わってくる。リィルは一体この男たちに何をしたのか。聞くのも怖い気がするので俺は目をつむった。


 「さて、ネルドルの指導で、丘舟部隊の仕上がりも順調だし、自警団は魔獣が街を襲ってくる前にこちらから仕掛けるつもりのようだ」

 俺は右手を顎に添えて真面目な顔をした。

 その左手は相変らずクリスに掴まっており、その太股を撫でさせられている。ちょっと指を大胆な方向へ動かしてやるとクリスの顔が少し赤くなって可愛い。


 「それで?」

 セシリーナがきつい目で俺を見た。俺の行為はバレているようだが左手をクリスの抱擁から抜き取るのはほぼ無理だ。俺の力ではびくともしない。撫でていないと強い力で締めあげられ、腕がぽきりと折られそうなのだ。言ってみれば、さっきの男共と俺は似たような立場なのだ。


 「まったくもう、クリス姉様もこんな男のどこが良いのやら」

 リィルがおつまみを口に頬り込みながらつぶやく。


 「明日早朝に自警団の先発隊が偵察に出る。丘舟部隊はその連絡を受けて出発するという手はずになっている。俺とセシリーナはネルドルの丘舟に乗船させてもらうことになった。俺は戦闘の指揮を補佐する」


 「私は弓で戦うことになったわ。アリスとクリスは状況を見て攻撃に参加するのよね?」

 「私たちもその舟にご一緒します。村から出撃するよりも、近くにいて状況を把握していた方がよろしいでしょう?」

 「そう、乗る」


 「わかった。それじゃあ、みんな頼んだぞ! 今回の戦いでは俺の骨棍棒はまったく役に立たない。その代わりと言っちゃなんだが、雑用なら何でも俺に任せておけ!」


 右手で握り拳を作って威勢良く言ったはいいが、セリフの中身はかなりカッコ悪い。


 「さすが、カインですね。立派な雑用係です」

 リィルが雑用にやたらと力を込めて言う。


 「雑用も立派な仕事です。雑用、頑張ってください!」

 アリスは慰めてくれているようだが、雑用雑用と言われるとなぜか傷つく気がする。


 俺がぎこちない笑みを浮かべた時、ドアが開いて、俺以上にぎこちない笑みを浮かべた男たちがちんまりとした燻製肉を小皿にのせて現れ、リィルの顔色をうかがった。

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