第45話 脱獄の前夜

 俺はボロボロになりながらも、ようやくナーヴォザスの隠れ家に戻ってくることができた。


 街中で帝国兵の動きがやたらと活発になっており、他の囚人にまぎれながら移動してきたのだが、広場を行き交う兵が多く、気づかれずに入口の蓋を上げるのが難しかった。幸い武器を積んだ馬車が荷崩れを起こしたのでその隙に潜り込めた。


 「やっともどったよ」

 「わーーい! カインが帰ってきたよ!」

 リサが瞳を輝かせ、大喜びでぴょんと俺に抱きついてきた。


 「おいおい、そんなにくっついたら、歩けないよ」

 目がきらきらしている。何だかちょっと見ないだけで大人びてきたような気がするのは気のせいだろうか。


 「お帰りなさい。カイン、無事だったのね」


 セシリーナが出向かえた。俺の顔を見て、ちょっと安心したような表情を浮かべ、髪をかきあげて耳を出す。

 その仕草に俺は見蕩れてしまう。本当に彼女は美しい。闇術師の襲撃や爆撃で死を意識したからなのか余計にそう思う。


 「ごめん、遅くなってしまった。いろんな奴らから襲撃されてね」

 「ええっ、襲撃って? 怪我は? どこも怪我していない?」

 セシリーナが胸元で両手を組んで不安気に俺の体をきょろきょろ見た。


 「ああ、大丈夫だよ」

 「ああ、もう……。2日も帰って来ないから、心配してたんだからね。探しに行こうかと相談していたのよ」

 ふいにセシリーナが俺の背中に腕をまわして、ぎゅっと抱きしめた。

 

 「2日だって? そんなに経っていたのか」

 あの深夜の爆撃演習に巻き込まれたせいで丸1日気絶していたらしい。


 「そうよ、こんなに心配させて……カインったら……」

 力強い鼓動を確認するようにセシリーナが俺の胸に顔を埋めた。彼女の髪の良い匂いで満たされる。その表情がかわいいし、紅色の唇も艶めかしい!


 「ずるーい、私も抱っこする!」

 二人の周囲をリサがぷんぷんしながらとび跳ねた。


 「いやぁーー、見せ付けてくれるねえ! ふうっ、熱い熱い!」

 ふいにセシリーナの背後で男の声がした。

 

 「!」

 「よう!」

 壁にもたれかかって、サンドラットが手を振る。

 「サンドラット! 無事だったか! というか、どうしてここにいるんだ?」


 「色々あったのさ。囚人仲間に帝国の犬が紛れ込んでいたらしくてね、俺の脱獄計画がバレた。仲間と密談しているときに踏み込まれたんだ。見張り役が最初に斬られて、帝国兵の侵入に気づくのが遅れてね。仲間はちりぢりになって逃げたが、かなりやられたよ、無事なのは何人なのか……。メロイアは参集に遅れてその場に居合わせなかったので大丈夫だと思うが」


 「よく助かったな」


 「路地裏に追い詰められ、逃げ場がなくなったときに、地面の蓋が開いて、セシリーナ嬢に助けられたってわけだ」


 「セシリーナ、こいつが俺が探していたサンドラットだとすぐわかったのか?」


 「奥の隠し通路の先を調べていたら、兵士が誰かを追跡しているのがわかったの。もしかしたらカインかもって。それで、先回りして待っていたら、そこにこの人が来たのよ。どうして彼がサンドラットだとわかったかは簡単よ」

 そういって、サンドラットの腹を指差した。


 「ほら、説明してくれたとおり、カインと同じ妖精族の婚約紋じゃない? これを持つ男はサンドラットさんだけでしょ?」

 さすができる女は違う。


 「お見事。一目で分かったのか? 凄いなセシリーナは」

 俺はセシリーナを抱いたまま微笑んだ。


 「ちょっと、顔が近いわ。恥ずかしい」

 と言いつつ、少しうれしそうだ。


 「カー、イー、ン!」


 ぷんすかと頬を膨らませたリサ王女がズボンのすそを引っ張った。俺はすぐにリサ王女を抱っこしてベッドに座った。リサは俺の首に細い腕をまわして頬づりして喜んでいる。


 「ところで、二人に緊急の話があるんだ」

 俺はリサの頬ずり攻撃を受けながら二人を見た。

 「どうした?」

 「どうしたの?」


 「偶然この街からの抜け道を見つけた。海岸に出られる通風口だ。ただし、そこに入る穴が間もなく水没する。通れるのは、せいぜい明日の正午頃までだと思うんだ」


 「なんだって! そりゃあ本当かよ?」

 サンドラットが血相を変えた。ずっと脱獄を考えて来た男だ。その反応は当然だろう。


 「もちろん。でも、問題は少しある。通風口が開口しているのが海に面した断崖の途中なんだ」

 「詳しく話してくれ」

 「ああ」

 俺は今までの経過と見つけた竪穴と通風口について説明した。さらに木炭で地図や絵を床に描きながら詳細を伝える。


 「鉄格子は2本外せれば外に出られると思うぜ。残った4本の鉄格子に縄を結んで、それで海岸まで滑り下りればいい。縄梯子は不要だぜ、降りるだけだからな。その程度の長さのロープならあちこちに隠してある縄を繋げば何とかなる、いけるぜ」

 サンドラットが任せておけ、という感じで胸を叩いた。


 「鉄格子はこの街の構造のものなら簡単に外せると思うわ」

 「たぶん、神殿の排水溝の鉄格子と同じだと思う。見てきた感じだとね」

 「だったら問題ないわ」

 セシリーナが俺の目を見てうなずく。


 「リサは俺がおんぶしよう。きっちり背中に縛る丈夫な紐も必要だな」

 「大丈夫、紐も前々から準備している物がある。俺が持っていく」

 さすがサンドラットだ、やはり頼りになる。


 「それと問題がもう一つ、街の警備が厳重になって、その穴のある荒野の周辺に移動監視塔が運び込まれていたんだ。見た限り、穴のある地点を視認できるのは5か所くらい。位置的に考えて城壁からの監視の目は心配ないと思う」


 「5か所か、多いな……。監視塔が配置されたってことは、一帯が立ち入り禁止区域になったんだろうぜ」

 「きっと私たちの逃亡防止が目的ね、荒野から北の正門方向への人の動きを監視するつもりよ」


 サンドラットは顎を撫でて考えている。


 「立入り禁止になるのか、それで野次馬やモドキたちが演習地に入ってくるのを阻止しようとして一騒動起きていたんだな」

 派手な音を響かせた演習跡を見に来ていたらしい野次馬と兵士がもめ合っているのを、帰って来る途中に何度か目撃したのだ。


 「ああ、それだな! それがいいぜ」

 サンドラットが手を打った。

 「陽動作戦ね? でもできるの?」


 「レジスタンス活動をしている仲間に連絡を取ろう。俺たちが穴にたどりつくまで魔物やモドキを誘導して、監視塔の兵士の目をそっちに惹きつけてもらおうぜ」


 「仲間か、ーーーーでも情報が漏れている可能性があるぞ」

 俺は3姉妹に襲撃された件を話した。

 3姉妹と戦ったと言った瞬間、セシリーナは驚愕のあまり声も出ない。俺が無事にあの姉妹から逃げ切ったことが信じられないらしい。どうやって戦ったか、途中からその詳細を言わなかったのは、下半身丸出しになったことをセシリーナに言うとなんだかまずい気がしたからだ。


 「そうか、では相手を限定して、目的は伝えず、いついつこんな行動を取ってくれと指示しよう」


 「どうやって連絡する?」


 「直接連絡は今は無理だ。暗号文を出す。なあ、セシリーナ嬢、あっちの右奥の通路が外の下水とつながっていたんだよな?」


 俺が3姉妹の襲撃から逃れたという話を聞いてから、俺の挙動を確かめるようにじっと睨んでいたセシリーナが我に返った。

 「えっ、ええ、そうですけど。途中で崩れていて通り抜けられないわよ」


 「俺たちには抜けられなくても、方法はあるさ」

 そう言うと、サンドラットは貴重な紙を使って何枚かのメモを書いた。


 「ちょっと行ってくるぜ」

 ニヤッと笑うと奥の通路に入って行った。


 「ーーーー何をする気でしょう?」

 「なにか考えがあるんだろ。少し待とうか」


 「カイン、今のうちに服を全部脱いで。だいぶ汚れているから身体を拭いてあげる。明日の朝、着る服はここに置いておくわ、あ、パンツまで脱がなくていいから!」


 「そ、そうか? ありがとうな」

 俺は上半身裸にパンツ一丁になって再びリサを膝に乗せる。


 セシリーナが濡れた布で背中を拭いてくれた。なんだか背後でこっそり魔法を使っている気がする。あちこち触って、じろじろ見ている気がするのは、俺が3姉妹の術であやつられていないか確認しているのかもしれない。

 確かに俺が精神操作されていて、脱出路を見つけたと言って全員おびき出して一網打尽にする、ということも考えられるからだ。


 「カインはもういなくなっちゃ嫌だよ。好きなんだからね、ずーーっと一緒なんだよ、カインはリサと結婚するんだよ!」

 リサがぴとっと俺の胸にくっついて、つぶらな瞳で俺をじっと見上げた。


 「わかったよ。リサはずっと俺と一緒だよ」

 いつものリサの口癖みたいなものだ。俺はリサを安心させるためににっこりと笑い、その頭を撫でた。


 「嬉しーーい! カイン、絶対の絶対、約束よ! 結婚しようね!」

 俺の膝の上ですりすりと身体を密着させていたリサが、ふいに俺の頬を両手で挟んでキスをした。まさかの大人顔負けの口づけである。


 「うわぁ、リサ、大胆だわ」

 背中を拭きながらセシリーナも驚く。でも目が笑っているのは、その様子がかわいいからだろう。


 しかし、その精一杯のキスと言葉の重みに気づいた者は、その時は誰もいなかった。結婚宣言と同時に体の密着とキスをしたのである。

 このとき俺の下半身に重要な婚約紋が生じた。

 しかし、王女の秘めたる思いであるがゆえに、その紋は一瞬で透明紋となり見えなくなり、気づいた者はいなかった。14歳の心でキスをしたリサだけが深い絆が結ばれたことを知って微笑んだ。


 俺は、下半身がそんな大事になったとは露ほども知らず、キスが終わったあとも呑気にそのまま上機嫌になって甘えるリサを抱っこしていたのである。


 「終わったぜ。連絡した。脱出は明日早朝に実行だ。おおっと! なんだよ? カイン、ずいぶん大胆な格好だな」

 戻ってきたサンドラットがパンツ一丁でリサを抱っこしている俺を見て、ちょっとひいた。


 「体を拭いてもらっていたんだ。それで、連絡できたのか? でもどうやって?」


 「今さら隠しても仕方がないか。ちゅーちゅー連絡網だ」

 「?」

 「何だそれ?」


 「仲間が隠れ家で飼いならしているネズミだよ。誰かが口笛で呼ぶと餌がもらえると思ってどんなに離れていても集まってくる。そいつの首に伝言を付けて離すと自分たちのねぐらに戻り、仲間の元に暗号が届くのさ」


 「凄いな、よく考えたもんだ」

 「まあな。さて、今準備できるのはここまでだ。明日は早く起きて準備しよう、もう休んだ方がいいぜ」


 「そうだな。急な話だが千載一遇のチャンスだ。明日はよろしく頼む。それでサンドラット、お前の寝床は……」と視線をめぐらす。


 「私はカインと寝る! だって、もうじき妻だもん!」リサがひしと俺にしがみついてくる。

 「リサ、もちろん私もカインと寝ます! ベッドは二つしかないんですから」セシリーナが俺の腕を掴んで張り合う。


 「くっそー。お前、妖精神官の妻がいるくせに、モテまくりかよ、羨ましすぎるぜ」

 サンドラットがぎりぎりと歯を噛みしめながら、急ごしらえのベッドに一人さびしく横たわる。


 俺は右手にリサ、左手にセシリーナである。


 ーーーーまずい、寝返りが打てない。


 特にセシリーナはまたも布団の中で服を脱いで全裸になったようだ。それが魔族の習慣なのか、俺を誘っているのかわからない。


 ぴったり俺に背中をくっつけてくる。すべすべでしっとりと吸い付くような柔肌。俺はパンツ一丁である。これは俺の国だったらもはや結婚しなければ罪になるほどの状態。


 俺は天井を見ながら腹の上で指を組んだ。下手に腕を下ろすと、手がちょうどセシリーナのおしりの辺りから太ももの辺りを撫で回してしまう。それはかなりヤバい。ここにはリサもサンドラットもいるのだ。


 この状況……誘惑に打ち勝つのがかなり厳しい。鼻息が荒くなって妙なところがやたらに張り切り出す。マリアンナの指導やサティナの夜這いを耐え忍んだ経験が無ければ、とっくに狼になっているところ。というわけで右を見てみる。


 なんだかリサもとてもかわいい。

 話し方は子どもだが、眠っている顔には既に美少女の面影が。まずいサティナ姫の夜這い事件を思い出した。


 だめだ、だめだ。


 特にセシリーナの素肌の良い匂いが……もし、うかつにセシリーナの方を向いたら、もう大爆発しそう。理性が吹き飛ぶのは間違いない。我慢できそうにもない。


 ぎあゃっ! セシリーナが寝返りをうった!

 こっちを向いたのでますます危険。

 しかも、そのしなやかな手が俺の胸に乗る。もはや俺が彼女の抱き枕状態!


 今、手をおろせば一体彼女の身体のどこに触れてしまうのやら……妄想が悶々と渦巻く。


 ふうっと優しい吐息が、俺の耳に吹きかかってくる!

 うわっ! 本当に寝てるのかこれ?

 まさか、誘っていないよな? ウッソ! 足まで絡めてきた!


 俺の身体に彼女の美しい足が乗っている!

 神がかっている美女が全裸で、なんだぞ! 腕にはなんだか蕩けそうに柔らかな塊が押し付けられて……


 「むにゃむにゃ…………」


 やはり、寝てる。


 俺は天井を見上げ、嫌いだった政治学や哲学の難しい本の内容を思い出す。そうやって心頭滅却しながら、精神力を鍛え上げ、俺はなんとか一夜を明かすことにする。

 そんな横顔を彼女が薄目をあけて見ていることに俺は全然気づかない。

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