第44話 ージャシアと鬼面の男ー
◇◆◇
ガラガラガラ…………
石畳の上を騎馬を引き連れた無骨な軍用馬車が疾駆していた。
「ジャシア隊長、まもなく関門です!」
御者を務めていた女兵士サーリラが窓を開ける。
「ダブローの奴が手形を持っている、先行させるんだぜ」
馬車の中の大きなベッドに寝そべっていたほとんど全裸のジャシアが肩から落ちかかった薄布を押さえる。
「はっ!」
獣人の美女ジャシアが率いる傭兵部隊の馬車の前に、石畳の道を塞ぐようにそびえる大きな門が見えて来る。
後ろにいた騎馬の男が加速して、馬車を追い抜き前に出た。
帝国軍道の関門の一つである。これで一体何か所の関門を通過しただろうか。だが、既にここはシズル大原の中央に近い。囚人都市から船で東岸の港湾都市に着き、西に進んで目的地の街には予定通りまもなく到着する。
帝国軍道とは人族の国々が造った旧街道とは別に、街と街とを直線的に結ぶ経路で新設された新道だ。
現在は、東岸と帝都を結ぶこの東西路以外に、南北路として帝都方面からスーゴ高原の有名な段丘の下まで開通している。
その名のとおり軍の移動や物資運搬が最優先される道だが、一般の商人や旅人が通ることもできる。
兵が常時巡回しているため快適性と安全性は抜群だ。ただし、旧街道に比べて関門の数が非常に多く、すねに傷のある者は利用しない。
やがて兵士に止められた馬車の荷物検査が始まった。厳格な検査を指図しているのは若い女騎士である。ソニアとかいう美人だが融通の効かない奴で、以前ジャシアと揉めたことがある。
検査には少し時間がかかるため、傭兵部隊のみんなは道のわきにある広場に車座になって休憩に入った。
「ジャシア隊長、どちらへ? 今お茶が入りましたぜ」
ザブラがカップを手にしている。傭兵部隊所属の男4人のうちの一人だ。
こいつはどうも隊長に好意を抱いているようだが、さっぱり相手にされていないな、と女兵士カーラが上目遣いにその様子を見て、静かにお茶をすすった。
「今はいい、馬車に乗ってばかりいると体が鈍っちまう。ちょっとその辺をぶらついてくるぜ」
ザブラに声をかけられたジャシアが振り返りもしないで手を振った。その美しい後ろ姿を鼻の下を伸ばしてザブラが見送る。
「ああ、隊長は最近、ますます美しくなられた……」
ザブラがお茶をこぼしているのにも気づかないでつぶやいた。
隊長の歩く姿勢は見事だ。尻尾を振りながらお尻が左右に揺れる様は男心を掴んで離さない。
女から見ても、あのカインとかいう男を知ってからの隊長は、その腰つきといい、胸の膨らみといい、あらゆる点で色気が増している。表情もどことなく優しくなって女としての魅力が数段アップしている。恋は女を変えるというのは獣人にも通じるものだったらしい。
性に奔放な隊長だが同じ傭兵部隊の男には身体を許したことはない。もっとも本気を出した彼女と床を共にすれば、あまりの激しさと気持ちよさで大概は一晩ももたずに心臓麻痺で死ぬので、大事な仲間は殺したくないということなのだろう。
それにもう隊長は身も心もあの男に奪われている。囚人都市を離れて以来、あれほど男好きだった隊長が遊び半分でも他の男を床に招かなくなった。窓辺に肘をついて夕日を眺め、切ないため息をつく様子はまるで初恋に胸を痛める乙女だ。
それに毎晩、寝言であの男の名を呼ぶくらいにゾッコンなのだ。もはやザブラの入る余地は微塵もないのである。
道を歩くジャシアがいた。
その道沿いの大木の陰、黒い影が浮かんだ。気配は無かったはずだ。ジャシアの獣人特有の鋭敏な感覚でも捉えられなかった。
驚いたが、そんなことは顔に出さず、ジャシアはその男に近づいていく。
「こっちだ」
男が目配せし、二人は大木の影に移動する。
「接触は街に到着してからだと思っていたぜ。こんな所で呼び出すとはな、怪しまれるぜ」
ジャシアは鬼の面をつけた黒服の魔族を睨んだ。
「大丈夫だ、それはお前が心配することではない。ところで約束の物はもってきたか? うまく採取したのだろうな?」
こいつは魔王一天衆である鬼天配下の男だ。
名前は教えられていないが、かなり危険な男だと言うことはわかる。
「ああ、これだぜ」
ジャシアは魔道具で凍らせていた木箱の中身を見せた。霜のついた小さなカプセルがいくつか並んでいる。男はその一つをつまんだ。
「これが、あの重犯罪人地区で変異しなかった男の体液か」
「そんなもん、何に使うんだ?」
ジャシアの問いに男は唇を歪めた。少し笑ったのだろう。この男がジャシアにカインの居場所を伝え、これを採取してくるように指示したのだ。
「お前がそれを知ってどうする?」
「体を張って苦労して採取したんだぞ、聞くくらいいいだろうぜ?」
「ふん、まあよかろう。我が主は耐性のある者を探している。獣化に耐える力を持つ、古き血の者だ。これはその研究の役に立つのだ。これで研究は飛躍的に進むだろう」
そういってジャシアから木箱を受けとり、袖下に入れた。
「獣化? そうか獣化の病か? 治療薬でも開発しているのか?」
「治療法は既に……いや、余計なことだ。報酬はこの数に見合った額をいつもの所に準備させておく。ところで数日分あるということは、この男はすぐには死ななかったということで良いのだな? 生き延びたか?」
「ああ、結局私では殺せなかったぜ」
「ふん、抱いた男を干し殺す、凄腕の暗殺者だというのは嘘だったようだな」
「お前の知ったこっちゃねえよ。こっちも調子が悪い時くらいあるぜ」
ジャシアは不敵に笑う。その頭の中では男の言った言葉を繰り返していた。こいつは治療法は既に、と言った。という事はカインが探している治療薬か治療方法は間違いなくどこかにあるのだ。
「ふっ、調子が悪いだと? まあ、そういうことにしておいてやるか、奴が生きているとすれば、こっちで確保しよう」
男はニヤリと笑ったようだ。
「捕まえて、カインを殺すのか?」
「いや、そのつもりだったが、少々事情が変わってきた。だが、それはお前には関係のないことだ」
「そうか」
「奴が心配か? ほだされたか?」
ジャシアはどきりとした。うっかり名前を言ってしまった。あそこは「奴」と言うべきだった。だが平静を装うしかない。
「何をバカなことを。私は最凶の
「最凶の夢魔か。そのくせに、妊娠したのは初めてか?」
「な、何を……誰が妊娠しているって?」
「うまく子どもができれば、赤子を研究機関に渡す、そういう約束もあったはずだな?」
「な、何の話だ?」
「お前たち獣人は妊娠をコントロールできる。お前は精子の入手だけでなく、莫大な恩賞金目当てで奴の子を身ごもっているはずだ? 違うか?」
「ちっ。どうしてそこまで知っている……」
「お前を監視しておかないと思ったか?」
そうか、裏切り者がいたのか。仲間だと思って油断していた。
ジャシアは奥歯を噛んだ。
「ああ、もちろん妊娠してるぜ。この私が大金を前に失敗するわけないだろ? まあうまくいって一年後だな。私ら獣人は体質的に妊娠し易いが、相手が違う種族だと安定せずにすぐ流れるからな。もしも無事に出産できたら、その時は研究機関に報告するぜ」
これは嘘だ。そんな体質なわけがない。
「ならば良いのだ。もしもうまく産まれた場合は、わかるな? くれぐれも約束を
そう言って男は忽然と消えた。
背筋を凍らせていた気配が一瞬でなくなった。
「くそっ、バレていたか」
鬼面の連中はやはり油断ならない。
このまま、数か月後に「いやぁ、やっぱり流れてしまったぜ」と報告して疑われなければ良いのだが……。
今はまだ子どもの成長は止めている。過酷な環境で進化した獣人は妊娠、出産をコントロールできる。産み育てられる条件が整うまで3年以上も受精卵が着床した直後の状態で保持することができるのだ。
だから、今はまだお腹を大きくせずに、1年以上たってから別の男の子どもだとでも言ってゆっくり育てれば良いのだ。
万が一、カインの子を出産したことがバレて、子どもが強引に研究機関に奪われる事態も想定される。だからこそ一度にたくさんの子を孕んだのだ。産まれてくる子どもの数を極秘にしておけば、守れる命もあるはずだ。
しかし、もうこのお腹の子どもたちは誰一人として奴らには渡すつもりなどない。カインに力強く抱かれて目覚めた。自分を妊娠させるまで抱くことのできる男が今までいなかったのも事実だが、あれほど優しく、そして激しく男に愛されたのは初めてだ。本当に心の底から彼の子を欲しいと望んだ自分がいる。
今ならわかる。そんなに愛した男の赤子を物のように売り渡すつもりだった自分がいかに愚かだったか。
カインは、バカが付くくらい本当に誠実な男だった。疑うことを知らない男は、これまで汚れて生きて来たジャシアには眩し過ぎた。
だからこそ、妾という不確かな関係で良い。今までの自分の所業を思い出すと彼の妻にしてほしいなどという高望みはしないほうが賢明だ。
どうしても、「身の程をわきまえろ」と鞭うたれていた幼少の頃を思い出してしまうのだ。
そして、その眩しい光を見せてくれたカインから授かった子は、誰にも渡したくない。
約束では一生遊んで暮らせるような金額を提示されていたのだが、今はもうそんな金などどうでもいい。
カインは女の幸せをくれた。男の胸の中で守られ目覚める喜びを教えてくれたのだ。帝国を裏切ってでもこの子たちは守りたい。
「もう奴らの実験に付き合うつもりはないぜ。どうせ正規兵じゃないんだ、こっちは傭兵稼業なんだぜ。またきっと再開できる。今度は自分の心に従って動くぜ、待ってろ、カイン」
ジャシアはそうつぶやいて愛しそうに腹を撫でた。その瞳には新たな決意が輝いていた。
◇◆◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます