第46話 自由に向かって
ついに脱出作戦開始日の朝がきた。
明け方に海から湧きあがった霧が東から西へ移動し、街をすっかり覆い尽くしている。
俺たちは既にナーヴォザスの隠れ家を後にして、サンドラットが道具を隠していた廃屋の前まで来ている。セシリーナとリサは廃屋の中に入って服の準備を整えているところだ。
「はぁーー!」と俺は冷たい空気で深呼吸し、頭から煩悩を追い払う。いかん、いかん、気を引き締めねば! と頬を叩く。
朝方、目が覚めた俺はもう少しで大爆発だった。
一枚しかない布団をリサが丸め取って、自分だけミノムシぬくぬく状態になっていたのだ。セシリーナは全裸、俺はパンツ一丁である。そのせいで、俺とセシリーナはちょっと体が冷えたらしい。
二人していつの間にか温もりを求めて抱き合っていたのである。目を開いた瞬間、俺の顔はその天国のような美乳の谷間に埋まっていた。しかも俺の左手は彼女の腰に手を回し、右手はなんと彼女の左足の太ももを大胆に抱きかかえて、その指に吸い尽くような滑らかな素肌を撫で回していた。
「うわっ!」と驚いた俺の声でセシリーナが目を開け、見る見るうちに真っ赤になった。
「きゃあああ!」と叫んで俺を突き飛ばしたのはいいが、彼女は全裸だ。かえって全身丸見えだ! そのあまりにも美しい全裸姿を俺は目に焼き付けたのである。
「サンドラット……」
俺は廃屋から少し離れた所に立つ彼に声をかけた。
「ん?」
サンドラットは彼女が去った朝霧に沈む道をずっと見つめている。
「やっぱりメロイアさんは一緒に行かないのか? 大丈夫か?」
だいぶ長いこと二人は話し合っていたようだが、メロイアの姿は既にそこにはない。
「ああ、メロイアは楽団の仲間と共にここに残るそうだ。別れの言葉はきちんと伝えたぜ。なぁにこれで最後じゃないさ。きっとまた会える、絶対にな」
サンドラットは腹の俗紋を撫で、彼なりのふんぎりをつけたようだ。
「ここに残って囚人都市を昔のような街にする夢を追うのか……、強い人だなメロイアさんは」
「ああ、だから、俺も彼女に負けていられない。俺もこの監獄を出て、俺の成すべきことを成す……。前に話したよな? 俺は裏切り者に報いを受けさせ、そして東の大陸に戻るぜ!」
ぐっと握った拳に決意が見える。
サンドラットはあまり詳しく語らなかったが、彼がこの大陸に来た理由を聞いたことがある。彼は大事な人を裏切り者の男に殺されたらしい、そいつを倒し、奪われた一族の宝を取り戻すために、その男を追って終戦直後のこの大陸に渡ってきたのだ。
「カーイーン、準備できたよーー。ほら見てーー、どう?」
リサが元気な声で駆けてくると目の前でくるんと回転して見せた。スカートがふわっと花のように広がった。
「うん、かわいいぞ。さすがセシリーナ、上手なもんだよ。裁縫でも商売できそうだよな」
「あら、お世辞が上手ですね」
リサの後から現れたセシリーナがくすっと笑った。その仕草に胸がときめく。やはり素敵すぎる! それと同時に思わず今朝の光景を思い出した。あの胸の感触、至福だった。
「さて、そろそろ出発しょうぜ!」
サンドラットが荷物を背負った。
ーーーーーーーーーー
俺たち4人は人目に付かないように大きな瓦礫が多い旧貴族街を抜け、北へ移動をするコースを選んだ。ちょっと遠回りになるが巡回兵の数も少ない。
前を行くのはサンドラット、セシリーナ、間にリサ王女を挟んで、後衛が俺である。
サンドラットは一体どうやって手に入れたのか、軽装皮鎧を着ている。元王国の鎧に手を加えたものらしい。
リサは耐久性のある布で作られた女性冒険者向けの衣装だ。元々貴族用の服らしく気品のあるかわいいデザインになっている。これは穴熊族の大人用なのだが、リサの体格に合うようセシリーナが縫いなおしたものだ。
セシリーナは弓兵の指揮官用装備である。身体のラインが美しく見える。女性用のミニスカートのデザインがかわいらしく、白い太ももが強調されてなんだか艶めかしい。当然ながら一番似合っている。
俺の装備は……まあ、通り過ぎる人の蔑んだ目が痛い程度の装備だ。例の金ぴかアーマーなのだが、目立ちすぎると言うのでセシリーナがベッド脇の棚におかれていたヌルヌルする油みたいな液体を塗って上から砂をまぶしてある。股間もっこりアーマーを目にした途端、誰もが関わっちゃいけないという感じでささっと道を譲る。
全員ぼろ切れをフード替りに被って顔を隠し、リサ以外はみんな荷物を背負っている。
廃屋群の路地を人目に付かないように早足で進んでいくと、前を行くサンドラットが路地の角で急に口に指を立て、制止した。
見ると、両側に石塀の残る一本道に帝国兵の2人組の姿がある。こっちに向かってくるようだ。
「やるぞ……打合せどおりに、いいな?」
サンドラットが小声で言った。
「わかった」
「わかってるわ」
「俺が右で、カイン、お前が左だ。いいな?」
「よし」
俺は骨棍棒を手に取る。
奴らにとってはいつもの巡回コースなのだろう、緊張感のない様子であくびまでしている。槍も穂先のカバーを付けたまま肩に乗っけて退屈そうに歩いてくる。
「今だッ!」
サンドラットが飛び出す。
「なんだ! 貴様ら!」
「反乱分子かッ!」
槍を持ち直すひますら与えず、サンドラットが斧の背で帝国兵の横っ面を殴る。頬まで兜が覆っているもののあれは痛そうだ。
「くそっ! 敵、襲撃だッ!」
慌てて笛を吹こうとするもう一人の後頭部に、骨棍棒が振り下ろされる……。
「もう倒したーーーー?」
リサがセシリーナと物陰から頭を出した。
「ああ、二人とも気絶させた、もう安心だよ」
「手際が良かったわよ、カイン」
セシリーナが伸びている巡視兵の手足を準備していた縄で縛り上げる。
「さて、この先が本番だぜ、今度はセシリーナもいつでも弓が使えるように準備しておいてくれよ」
サンドラットが戦斧をぎゅっと握りしめた。
それはナーヴォザスの置き土産だ。高品質な斧だったらしいが、穴熊族用なので人間のサンドラットが持つとスモールアックスにしか見えないのが残念だ。
「もちろん、私ならいつでもいけるわよ」
セシリーナは腰に短剣を下げているが素手である。軍用空間収納ウエストバック、通称ポシェットを持っているので、収納している弓矢を瞬時に取り出せる。
俺はエチアの思い出の骨棍棒をアーマーのベルトに戻した。この骨棍棒を吊り下げるベルト金具は着脱が簡単で、セシリーナのお手製だ。
「そんな汚い骨なんかさっさと捨てて、もっとマシな武器を見つけろよ」とサンドラットは笑っていたがそれはできない。これは俺とエチアの絆の証だ。それに剣や槍の俺の腕前はけして褒められたもんじゃない。ドメナス王の特命で無理やり通わされた騎士養成所の鬼の教官が「もう退所してくれ」と泣いたほどである。
「カイン、どうかした?」
手をつないでいるリサが何かを感じたのか、俺を見上げ、その愛らしい手に力を込めた。
「何でもないよ」
俺は微笑んでリサの頭を撫でた。
ーーーーエチアとの絆が永遠に失われたとは思いたくない。「何年でも待つから」とエチアは言っていた。例え彼女が獣になっていたとしても生きてさえいてくれれば、治療法はどこかにあるはずだ。根拠なんか全くない俺の望みだが、骨棍棒を握るたびにそれを思い出すことができる。たとえ、今は遠く離れることになったとしても、いずれ、きっと。
俺は重犯罪人地区のある方角の空を見上げる。リサも不思議そうにその空を振り返った。遠くの空にいつものように青い鳥の群れが旋回しているのが見えた。
赤い月の夜、あそこにいた銀狼、俺が危険に陥った時に聞こえてきた遠吠え、あれがエチアではなかったのか、今になってそんな風に思うのは俺の
「さあ行くぜ」
「カイン、行きましょうか」
セシリーナが優しく微笑んで手を差し伸べる。
そうだ、今はこの街から逃げ出さなければならない。自由を手に入れなければ何も始まらない。俺はその手を取ってリサと共に前に踏み出す。
ーーーーーーーーーー
やがて怪獣の背びれのように連なっていた廃墟街が急に途切れ、濃い霧が漂う荒野が目の前に広がった。
「ここまでは順調だな、やはりこの濃い霧のおかげかな」
「見ろよこの先だ。ほら、あれだ。瓦礫の先の荒野で蠢いている。あの影は魔獣だろうぜ」
「群れがいるわね」
「あれが魔獣なのーー?」
「リサは、野生の魔獣を見るのは初めてか? 危険な奴だからな、気をつけるんだよ」
「うん!」
爆撃地点になったこのエリアで繁殖している魔獣は、演習程度でいなくなったりしないらしい。本気で掃討しない限り、魔獣はどこかに逃げるだけで、静かになればまた舞い戻ってくる。
遠くに見えるはずの城壁は霧で見えず、脱獄には絶好の天候と言える。問題はここから瓦礫が散乱する荒野まで、しばらく遮蔽物がなく、ここを見通せる場所に帝国の移動監視塔が設置されている点だ。
「さて、セシリーナ、ちょっと手伝ってくれ。リサを背負ってしまおう」
俺はしゃがんで一旦荷物を地面に下ろした。サンドラットが準備した縄が入った布袋だ。俺個人の荷物なんかは元から無い。それを腹の方で抱える。
「わーい。おんぶだ、おんぶ!」
うれしそうにリサがぴょんと俺の背中に飛び乗った。
「落ちるなよ」
「落ちないもーん。カインから離れないもーん。くっつくもーん」
そう言ってぴたっと張り付く。
「じゃあ縛るからね」
セシリーナがサンドラットの背荷物から帯状の布切れを取りだすと器用にリサを縛る。
「リサ、苦しくないかな?」
「大丈夫だよーー」
「ちょっと我慢してね」
セシリーナがリサの背中に魔獣
サンドラットが空を見上げ、霧の向こうに視線を移した。どうやら行動開始の時間がきたらしい。
「動いたぞ! 行くぞ、頃あいだ。武器を取れ!」
「行こう!」
俺たちはサンドラットを先頭に廃屋の影から一斉に飛びだした。
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