第47話 走れ! 走れ! 走れ!

 「走れ!」

 俺たちが駆け出したのとほとんど同時に、西の方向で叫びが上がった。おそらくメロイアたちが陽動を始めてくれたのだ。


 一番近い移動監視塔の上には、その騒ぎに気づいて叫ぶ2人の帝国兵の姿が見えた。良いタイミングだった。そのおかげで俺たちは兵士に気づかれることなく、肉食獣の牙のような瓦礫が林立する荒れ地に駆け込むことができた。


 だが、まだ安心はできない。すぐに魔獣が俺たちに気づいた。予想はついていたが、こいつらは気配を察知するのが早い。


 ザザザザッと前方で砂煙が上がった。


 頭に鶏のとさかみたいなのが生えた奴が雄で、つるっとしたのが雌か。見るからに気持ち悪いオレンジ色のダンダラ模様で毒を持ってるぞとアピールしている大蜥蜴が、群れをなして俺たちの行く手を遮った。


 「くるぞ、サンドラット!」

 「毒腺には気を付けろ! ちょっとでも目に入ると失明するぞ!」

 失明! それはヤバい!


 サンドラットが斧を構えた。接近戦になる! と心臓が速くなったが、それよりも早くセシリーナが動いていた。

 「まかせて!」と髪をなびかせて前に出たその横顔が目が覚めるほど美しい。


 シュン、シュン、と風切り音を残し、セシリーナが放った矢が次々と毒蜥蜴を射抜いた。額を射抜かれ、赤黒い腹を見せて転がった蜥蜴を尻目に俺たちは素早く瓦礫の裏に滑りこんだ。


 「お見事! あの群れを瞬殺とは恐れ入ったぜ。ほらよ」

 そう言いながら、サンドラットは右手を差し出した。

 「!」

 セシリーナの目が大きくなるのがわかった。


 サンドラットの右手にはセシリーナが撃った矢が何本か握られている。どうやら走りながら死んだ蜥蜴から矢を回収してきたらしい。一体いつの間に……俺はリサを背負った全力疾走で精一杯だったというのに。


 「へぇ~? ずいぶん手際が良い人ね。それは盗賊スキルの一種なの? 小さな頃から盗みでもしてたのかしら?」

 矢を受け取りながら、セシリーナはサンドラットの手の早さに感心しているようだ。


 「まあ似たようなスキルさ。ああ、そう言えばその矢は毒矢状態になっているから取り扱いには気をつけろよ」

 違うとも言わず、サンドラットがニヤリと笑った。


 サンドラットはあまり自分の事は話さない男だ。

 大砂漠の北に暮らす遊牧民の出らしいが、遊牧民には略奪行為が当たり前の盗賊みたいな奴らも多いという噂だ。もしかすると彼はそんな一族に生まれた男なのかもしれない。


 「たしかにこれはもう毒矢ね。有効に使うわ」

 セシリーナはしげしげと矢じりを眺め、右手に魔力を込めると毒を封じる魔法をかけたようだった。


 「はぁはぁ……あの状態で回収してきたとは、さすがだな」

 俺は額に浮かんだ汗を拭った。背中に密着しているリサが気持ち悪く感じないかというくらい背中にも汗びっしょりである。


 「なーに、俺は生まれつき貧乏性なだけさ」

 サンドラットはニヤリと笑った。

 

 「すごいよーー! セシリーナ、弓が上手! 絵本に出てくる森の妖精みたいだった!」

 リサが背中で足をバタバタさせる。


 セシリーナもサンドラとも二人ともまだ汗一つかいていない。息を切らしているのは俺だけだ。いくらリサを背負っているとはいえ不甲斐ないのだ。


 「カイン、ここからだと良く見えないけど、目的地の竪穴は水が流れていくあの先なのね?」

 進路を確認していたセシリーナが振り返った。

 「ああそうだよ。ちょっとまだ距離があるし、監視の目があるから最短距離を一気に走り抜けるのは危険だろうな。瓦礫に隠れながら進もう」


 「よし、じゃあ、次はあそこだな?」

 サンドラットが指さした先に二人はうなづき、再び一斉に走る。


 魔獣はいない。大丈夫、行けるぞ!

 そう思った時だ。シュンと何かが俺の頬を掠めた。


 「!」

 前を走るサンドラットの足元に矢が突き立った。


 「監視塔から撃ってきた! 見つかったわ!」

 セシリーナが振り返って叫んだ。

 シュン、シュンといくつもの矢が監視塔の方向から飛んでくる。これに当たる訳にはいかない! そう思った途端にリサに直撃! いや、助かった。リサの背中にはさんでいた獣皮の端に矢が当たって弾けたようだ。


 「やばいぞ! 瓦礫に飛びこめ!」

 サンドラットが叫んで、俺たちは同時に監視塔から死角になっている瓦礫の裏に飛び込んだ。


 「リサ、大丈夫か?」

 「うん、平気だよ」

 「ちょっと矢がかすめたみたいね。でもこれは厚い皮だから大丈夫よ。心配しないでね、この距離の矢なんか跳ね返すから」

 セシリーナがリサの不安を打ち消すように優しく微笑みながら、その頭を撫でた。


 「うん、リサ、カインと一緒だから平気だよ!」

 本当は怖いのだろうが、リサの笑顔も愛らしい。


 カツン、カツンと矢が瓦礫に当たる音がしていたが、やがて静かになった。


 「矢を温存したようね。今度、飛び出せば、間違いなく矢を当ててくるわよ。もう風の状況は把握したでしょうし、この霧にもなれてきたはずよ、魔法による補正を使ってくるわ」

 さすがに元弓隊の隊長だっただけの事はある、詳しいなと感心したが、聞いてうれしい情報ではない。


 「弓兵だから、私の部隊だった兵士も混じっているんでしょうね。ちょっと待ってね」

 そう言ってちょっと身を乗り出す。


 「危ないぞ」

 俺は思わずセシリーナの腰のベルトを引っ張った。直後、彼女の頭上を矢がかすめた。


 「これですよ」

 セシリーナの手に矢が握られていた。


 「この形式と型番、間違いない。帝制三式魔導弓の汎用矢、監視塔に配置されたのはヤクンの班ね。彼女は狙撃手じゃないし、密集攻撃の部隊だから狙撃の腕は平均レベルよ。そうね、この距離なら5本中3発くらいあててくる程度かな?」

 平均の腕でも当ててくるのか、しかも5本中3本ってかなりの確率じゃないのか、とぞっとした。


 「動きはないわね……」

 「きっと俺たちが動くのを狙っているんだろうな、どうする?」


 「近道は、あっちの瓦礫なんだが」とサンドラットが指差した。


 「あそこに真っすぐ向かうと側面から間違いなく射られる。ちょっと遠周りだけど、矢の射程から遠ざかるルートはどう? ほら、あっち。あそこに見える瓦礫から右に回り込んで行けば瓦礫を次々遮蔽物に仕えるわ」

 セシリーナは奥の瓦礫を指さした。確かに爆撃でも倒れなかった分厚い石塀が点々と残っている。


 「よし、それで行こう、ぐずぐずしていると槍兵が出て来る。そうなると厄介だぜ」

 「カイン、今度は私が最後尾を行くわ! リサを守らなきゃ」

 「わかった、頼むよ」


 今度はサンドラット、俺、セシリーナの順で瓦礫を飛び出すと、すぐに矢が飛んできて俺の頭の真上ぎりぎりを掠めた。


 ひやっとした。今のは俺が少しどんくさかったのが幸いしたようだ。サンドラットの移動速度を見て俺を射たのだろう。サンドラットのように素早く、足が速かったら、頭を射抜かれていたかもしれない。


 パシ、パシと背後で音がし始めた。

 セシリーナが弓を鞭のように使って飛んでくる矢を次々と叩き落としている。


 「こっちだ! こっちへ滑りこめ!」

 サンドラットが足からざざっと砂けむりを上げた。


 風に乗った砂けむりは後方の俺たちを少しの間隠す効果がある。俺はリサを背負っているので頭から転がりこんだ。ドガガガガッ! と体が激しく上下に揺れる。この胸あてと股間アーマー、こいつがむしろ痛くて邪魔だ。


 最後にセシリーナが華麗に走り込んできた。

 さすがのサンドラットも少し息が荒くなっているが、俺はたった今、股間に荒っぽい連続打撃を受け、あそこを押さえて悶えている。これは男にしか分からない痛みだ。


 「カイン、大丈夫? 痛いのー?」

 「声も出ない……。で、でも、大丈夫だからね」

 俺は引きつった笑いをリサに向けた。こんなことくらいで子どもを心配させてどうするか。


 「向こうは矢を射るのを止めたわね」

 セシリーナは息が乱れた様子もなく、すぐに瓦礫の端から監視塔の方を見て警戒態勢に入っている。


 「はぁ、はぁ、……凄いなセシリーナ嬢は、たいしたもんだぜ」

 サンドラットが息を吐き、ようやく復活してきた俺の肩に手を置いた。汗びっしょりで少しやつれた表情の俺はただうなずくだけだ。


 「美人だとは思っていたが、戦闘技術もスタミナも半端ないな。魔族の女ってこんなにレベル高いのか。いいよなカイン、お前が羨ましい」

 サンドラットは俺の肩をポンポンと叩いた。


 「タイミング的にそろそろ歩兵が出てくる頃か。矢の射程はこの辺が限界でしょうしね」


 「いよいよ来るか。だが、奴らは俺たちがどこに向かっているかわかっていない。城門を目指していると思って城壁側に兵を集めて待ち伏せしているかもしれないぜ?」


 「その可能性は大いにあるな」

 サンドラットの読みどおりなら、追っ手の人数は少ないかもしれない。こんな時、軍ではどう対応するのだろう。セシリーナは既にわかっていて胸の内で何か対策を考えているのかもしれなかった。


 「おっ、やはり弓兵の姿が消えたぞ、何か仕掛けてくる気らしい」

 サンドラットが監視塔の方を見た。


 「よし、矢が飛んでこない今のうちに真っすぐ穴へ、地下に向かうぞ」

 俺は気力を振り絞って立ち上がった。


 「行きましょう」

 「行こう」

 

 やはりだ。監視塔側から矢は飛んでこない。城壁側は霞んで良く見えないが帝国兵の動きはないように見える。


 「走れ、走れ、走れ!」

 俺たちは一気に竪穴目指して突き進んだ。


 「帝国兵の追撃がないな!」

 「ああ、ここまでくればどの監視塔からも射程外だぜ」


 地下室のある円塔跡まで、あと2街区の距離に迫った。

 目の前の丘状に崩れた瓦礫の山を越えれば、竪穴はすぐそこだ。ここまでくればもう大丈夫だろう。


 「行けるぞ!」

 高揚感が四人を包み込み、互いに目配せして微笑む。

 いよいよなのだ。


 「この先だ、この丘さえ越えれば、もう目の前だ!」


 「外に出られるの?」リサが俺の背中で言った。

 「ああ、じきにリサに外の景色を見せてやるからな!」

 そう言って、息を切らせて丘を駆けあがった俺たちが見たものは…………


 「!」


 ギラリと銀色に光る無数のはがね

 何百という鋭利な槍先が陽光を反射している。


 「嘘だろ! ……待ち伏せだと?」


 俺の背後でサンドラットとセシリーナがその光景に息を飲んだ。

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