第48話 帝国軍の待ち伏せ
丘の向こう側に大規模な歩兵部隊が方陣を敷いていた。
一糸乱れぬ陣容はよく訓練された正規兵であることを示している。帝国軍だ。
「なぜだ?」
「遠くから見た時は何もいなかったはずだぜ。こいつらどこから現れたんだ?」
「遮蔽魔法をかけていたのよ。奴らは最初からこの付近に兵を配置していたんだわ。やっぱり帝国の情報網は甘くなかったってことなのね」とセシリーナが皮肉そうに笑みを浮かべた。
「この辺りを通るってわかっていた? 情報が漏れていたっていうのかよ、裏切り者がいたのか?」
サンドラットが歯ぎしりする。
「仲間には計画の中身までは伝えていなかったはずだろ? 裏切りはないんじゃないのか」
「甘いね、陽動地点から逆に通過しそうなポイントを絞ることだってできるぜ」
「動いたわよ!」
目の前の方陣が整然と左右に展開し始めた。
「なんて数だよ。俺たちを捕まえるためだけに、これだけの兵士を動かしたのか?」
敵兵は魔族槍兵だ。その数はざっと500人以上はいるだろうか。たった4人を捕まえるには過剰すぎる軍隊である。
「ちっ、やっぱりあいつね……。あの男は見栄っ張りで、王族の風上にもおけない最低のゲス野郎なのよ。そのくせ優秀な側近がいるから性質が悪い。多分、私たちの動きを予測したのよ」
陣の中央に姿を見せた男を睨んでセシリーナが唇を噛んだ。
「どうする、とっとと逃げるか?」
「後ろはダメよ。既に監視塔側からも槍兵部隊が出ているはずだわ、戻っても鉢合わせになるわ。逃げるなら北東だろうけど、結局は城壁で追い詰められることになるわね」
ーーーーーーーーーー
一団の先頭にピカピカ光る鎧を着た太めで大柄の魔族の男が出てきた。その豚のような下品な顔は、この間の……。奴を見たとたん急に尻の穴が痛くなってきた。
「ほう、これはこれは、クリスティリ―ナじゃないか? お前が裏切り者だったとはな!」
ゲ・ボンダが手に持った鞭をしならせながら、唇を舐めてにやついた。
セシリーナが俺を庇うように立って身構えた。
「裏切り者の処分は私に任されている。ぐふふふ……これは尋問する愉しみが増えたな、じっくりとその身体に聞いてやろうぞ。なあに心配無用であるぞ。わしは懇切丁寧な男なのだぞ」
そう言うと、両手の指を嫌らしく蠢かせてみせた。
「誰がお前のような奴に!」
セシリーナがいつになく怒りを露わにした。その雰囲気から、ただ単にそいつが嫌いというだけではなさそうだ。何か因縁があるのだろう。
「カイン、奴は権力を笠にきて、多くの女を無理やり妾にして囲っている最低な変態野郎よ。奴の聞くに堪えない変質行為のせいで、壊れて歪んでしまった女たちは重犯罪人地区に送り込まれて二度と帰って来なかった。そして私にずっと付きまとっているストーカーの覗き魔、色々と策を弄するゲス野郎よ」
やはりあいつは
コロニーで意識を取り戻した時、守るべき人は二度と失わないと誓ったのだ。俺は手にした骨棍棒をぐっと握り締めた。
「協力感謝するぞ、キメア。お主の情報通りだったな」
ゲ・ボンダの隣に現れた男を見て、俺はハッとした。鬼面の黒い男、奴だ。
「礼など不要、俺はあいつに用があるのだ」
鬼面の男が俺を指さす。
「セシリーナ、あの鬼の面の男のこと、何か知ってるか?」
「あれは魔王一天衆、鬼天配下の連中、暗殺や諜報のプロよ。奴がいるということは、ここに罠を張るように情報提供したのも奴でしょうね」
緊張した声が奴の実力を語っているようだ。
「囲んで捕らえよ! 女には傷をつけるな! 男は手足の一本や二本無くなっても良いぞ!」
ゲ・ボンダが鞭を振るった。
左右に広がっていた帝国兵が、地響きを上げながら、規律正しく展開して円形に俺たちを包囲していく。
ゲ・ボンダと鬼面の男はまずは高見の見物と決め込んだようだ。鬼面の男は俺に用があるとか言っておきながらゲ・ボンダの攻撃命令には何も言わない。ゲ・ボンダが王族だからか、それとも俺が殺されることはないと踏んでいるのか。
「カイン、手を私に」
セシリーナが俺の手を握り締めた。絶望的な包囲網が出来上がっていくのを見下ろしながら、その手は少し震えているようだ。
「セシリーナ、いざとなったらリサを頼むぞ」
「バカ、必ず一緒に逃げるって言いなさいよ」
その瞳が少し潤んでいる。俺はセシリーナの手を力強く握りしめた。
「大丈夫、こう見えて俺はやる時はやるぜ」
「カイン!」
「セシ……ん……」
セシリーナはふいに俺に抱きつき、見せつけるように濃厚な大人のキスをした。二人にとって初めての熱いキスだ。その時間は短くも永遠のように感じられた。
「カイン……」
「セシリーナ……」
見つめあう二人の顔が赤い。
「これは生きるって約束よ、この続きがしたかったら、必ず生きのびること、そうでしょ?」
すっと離れたセシリーナは少し頬を染めながらも、その瞳には強い決意の色が浮かんでいる。セシリーナの眷属紋がさらに華やかに変化していく感覚がする。
ぷうーと背中で誰かがむくれる気配がして、リサが突然俺の尻を蹴っとばした。
「おい、おい、お熱いところすまねえが、来るぜ!」
サンドラットが斧を構えた。
なぜか包囲の中から数名が槍を手に近づいてきた。
いきなり一斉に襲い掛かってくるわけではなさそうだ。一体何を考えているのか。
「カイン、気をつけて。ここでこいつらに戦功を上げさせてやろうということよ。ゲ・ボンダお気に入りの取り巻き連中よ」
その中には俺のケツをこづいた魔族の顔がある。
「クリスティリーナ様とリサ王女以外は殺してしまえ! 行けえ! 男は殺せ!」
6人の帝国兵が槍を構え、いきなりバラバラに突進してきた。おいおい、お前たちの主人は殺せとは言ってないはずだぞ。
セシリーナが素早く弓を連射する。
その矢が先頭の2人に命中したが、先頭の1人は鎧で弾かれた。もう1人は首の隙間に突き刺さって血しぶきがあがって地面に倒れ込んだ。
「ウオーーーー!」
突進してきた槍先をサンドラットが身を翻してかわし、その背に戦斧を振り下ろした。
鎧が硬くて貫通はしないが、かなりの衝撃を受けて、そいつは地面に崩れ落ちる。
奴の槍攻撃は熟練された動きだったが、サンドラットが一枚上手だった。殺気も感じさせずに相手を倒している。砂漠の民は、昔から優秀な戦闘民族なのだ。
「馬鹿者! 少しは連携を考えないか! この機会をくださったゲ・ボンダ様の顔に泥を塗る気か!」
最後尾の兵が叫んだ。
「殺す、男、殺す!」
「クリスティリーナ様、ゲ・ボンダ様の妻に、なる」
「男、皆殺し」
4本の槍が今度は慎重に取り囲む。
それを見守る包囲網に動きは無い、こいつらにはこの余興を愉しむ余裕があるのだ。
正面に俺の尻を突いた奴がにじり寄り「いいな、一斉にかかるのだぞ、俺はこの
セシリーナは俺に背を預けて弓から短剣に持ちかえる。その正面には1人。サンドラットの前には2人の兵士がにじり寄る。
「死ねえ!」
槍の刺突が俺に迫った。
早い! 俺は骨棍棒で応戦したが全然間に合わない。
刺される! と思った瞬間、俺の背後からセシリーナが
「ぎゃあああああ!」
「げええええええ!」
俺の正面の兵1人と、サンドラットに襲いかかった2人の兵のうち1人が同時に悲鳴を上げた。
セシリーナは「生きたまま捕らえよ」と指示が出ている自分への攻撃は遅れる、と判断したのだろう、左右の相手に両手で同時に投擲武器を放ったのだ。
「おらよっ!」
間髪入れずサンドラットはもう一人の腹に斧をたたき込み、続けて肩の隙間に投擲武器が突き刺さってもがく男の顔面にひざ蹴りを入れていた。
「うおッ! おのれ!」
俺の正面の男は片目を失いながらも、飛びかかってきた。
「!」
俺はとっさに骨棍棒を振りかざした。いや、振りかざしたつもりだったが、俺の動きは彼らの基準からすればあまりにもどんくさかったらしい。
そのタイミングがずれた。
振りかざそうと急速上昇した棍棒の先が、勇敢に飛びかかった男の股間に…………、ちーん……哀れであった。
「残るはお前だけよ」
セシリーナが目の前の男をにらんだ。
「あわわわわ……」
股間を押さえて白目をむいた仲間の姿を見て、そいつはついに逃げ出した。
さすがのゲ・ボンダも額に手を当てている。部下がやらかしたという感じである。衆人監視の前でお気に入りの部下たちがあまりにも無様な負け方をした。
ゲ・ボンダのリーダーとしての資質すら問われかねない部下の失態、この微妙な雰囲気を一変させるには強気で行くしかないのだろう。ここで奴の顔色が変わった。
「茶番は終わりだ! 者ども! 包囲を狭めよ! 敵を圧し一息に片付けてしまえ!」
荒野に響き渡る一声。
「では、そろそろ俺も動いて良いな?」
鬼面の男がその隣で言った。
ザッザッと統制のとれた動きで兵士が行動を開始した。その包囲が次第に狭まってくる。幾重にも囲まれ、鼠一匹逃げ出す隙もない。
このままでは殺られる。
リサ王女は捕まって生贄として殺され、セシリーナも……。
ゲ・ボンダはゲスな笑みを浮かべ、セシリーナを舐めるように見ている。その脳裏にどんな妄想が渦巻いているのか。
「カイン、夢を見せてもらったぜ」
そう言いつつも、サンドラットはまだ諦めていない光を目に宿している。
「何か、何か方法はないか?」
「どこかを一点突破するしか活路はないぞ。囲まれないうちなら、相手をするのは十数人ってところだ」
「カイン、私が斬り込む。私を生きたまま捕らえる命令だから、私に気を取られるし、兵も攻撃をためらうでしょう。そこに隙が生まれる。そうしたら私に構わず、走り抜けてください」
ぎりっと短剣を握りしめ、セシリーナが覚悟を決めて前に飛び出す。
「待て! それはダメだ!」
だが、決意した彼女に俺の制止は届かなかった。
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