第80話 ージャシアと銀狼ー

 「ふあ~~~~ぁ、ヒマなんだぜ」

 ジャシアは胡坐をかいて、退屈そうにさっきから地べたに座っている。丸めた尻尾の毛づくろいをするのにも飽きたらしい。


 ジャシアたち傭兵はオミュズイの街の郊外にある闘技場に集められていた。時間厳守と言ったくせに、招集時間が過ぎても何も起こらないし、誰も出てこないのだ。


 「今さらこんな所で何をさせる気ですかね?」

 ジャシアの傭兵チームの男、ドック。大斧使いで筋骨隆々の偉丈夫だ。

 「さあな」

 旧ネメ国時代に建てられた歴史ある闘技場は現在は帝国軍の管理下に置かれ、主に新米兵士の鍛錬場として使われている。

 

 ジャシアの周りに集まっているチームメンバーの男たち4人は、新たに買い入れたラージシールドの持ち手を調整しながら、時折周囲を見回している。


 「見てください、隊長、あいつらも来てます」

 「ああ、あっちにもライバルがいるんだぜ」


 ジャシアのチームは壁際の日陰に座って武器や防具の手入れをしながら、集まった傭兵の顔ぶれを値踏みしている。メンバーの女たちは少し離れた所で弓の調整をしている。


 他の傭兵チームの面々も良く知っている奴らばかりだ。先の大戦では傭兵は最も危険な戦場に送り込まれた。その地獄を生き延びた歴戦の兵士といって良いメンツがここに大勢集まっている。


 「でも、隊長、あれは何です? 見てくれだけ派手な連中もいますよ」とジャシアのすぐ隣に座っていたザブラが眉をひそめた。


 闘技場の中央で大きな顔をして立ち話をしている若い連中がいる。最近帝都を中心に活躍している新進気鋭の傭兵チームだろう。リーダーの男はイケメンだ。しかし、その思いあがった態度には嫌気がさす。


 どれだけ女にモテモテなのか知らないが、あんなのは中身がない、カインに比べたらお粗末そのものだ。少しも食指が動かない。男を知り尽くしたジャシアの目は誤魔化せないのだ。


 「気にするんじゃないぜ、実力だけがこの世界でモノを言うんだぜ。結局、本物以外は生き残れないんだぜ」


 あの若さだ。本当の戦争というものを知らない奴らだ。彼らが調子に乗って傭兵稼業を冒険者の延長みたいに考えているとすれば、どこかで大けがをするだろう。


 何が始まるか分からないこの状況で、炎天下の中ずっと大声で立ち話をしたり、これ見よがしに武技を見せあったりして無駄に体力を消耗しているようなバカたちだ。

 賢い傭兵チームほどわずかな日陰を見つけて体力を温存している。


 やがて、ざわざわと人が動く気配がした。


 ジャシアたちが休んでいる場所のちょうど真上だ。貴賓席エリアの一番下の観覧席に帝国兵らが入ってきた。


 自分たちをここへ呼んだのが誰なのか、一斉に注目が集まる。

 帝国兵に続いて、逞しい獣人兵が現れ通路の左右に立ち並んだ。一糸乱れぬ佇まいである。その通路の中央を威風堂々と巨漢の獣人が姿を見せた。


 「ちっ、奴かよ」

 ジャシアはそいつを見て唇を噛んだ。

 ザブラは「誰ですかい?」とは聞かない、ジャシアの表情からあれが昔の男だと言うことだけ知れれば十分だ。


 「傭兵ども! 今日はお前たちに我が新鋭特殊部隊の戦闘訓練に付き合ってもらうぞ! 報酬はいつもの倍を出そう!」

 現れた筋肉隆々の獣人の男が叫んだ。


 報酬アップの話を聞いて、うおおお! と盛り上がる奴らを尻目にジャシアは無言でその男を睨んでいる。


 獣天ズモー、獣人族の軍団と多くの魔獣を従わせ、魔王一天衆にまで昇りつめた獣人族随一の戦士である。

 奴のスキル、獣人王の咆哮を聞いた獣人や魔獣はその支配下に置かれてしまう。奴はそのスキルを使って、魔王も一目置くほどの強大な軍隊を有していた。


 「戦闘訓練って、相手は誰なんだぜ? わざわざ傭兵を呼んで、ご自慢の獣兵は使わないのか?」

 陽光の元に姿を見せたジャシアがそいつを見上げた。


 「ほう、これはジャシアか。久しいな。あっちの方面ではだいぶご活躍のようだが、あれから肝心の剣の腕は上達したのか?」

 ズモーはジャシアの顔を見るなり笑みを浮かべた。


 「ああ、たぶん、あんたが思っている以上にね。それに、男の”剣”を操るのは得意中の得意なんだぜ。あんたのも久しぶりに操ってやろうかい? 今なら本当に天国に行けるかもしれないぜ」とにらむ。


 「笑えん冗談だな」

 ズモーは眉をひそめた。


 奴がジャシアに武芸を教えた男だ。

 奴の屋敷にジャシアの両親が仕えていたこともあって一緒に育った。幼い頃は兄のように慕ったものだ。


 だが、両親が事故で死に、成人して二人が良い仲になったことがバレたとき、彼の親はジャシアを牢に閉じ込め、「身の程をわきまえろ」「あれほど教えてもまだ足りなかったか!」と激しくジャシアを鞭打ち続けた。


 奴はジャシアがボロキレのようになって川に捨てられても助けようともしなかった。奴は貴族、ジャシアは平民だ。甘い言葉で巧みにジャシアを誘ったのは貴族の単なる遊びに過ぎない。ジャシアの太ももに生まれた初めて現れた俗紋は妾紋にすらならなかった。所詮はそういう男だったのだ。


 「では、その上達ぶりを見せてもらおうか。お前たちの相手は、こいつらだ」

 獣天ズモーが指をパチンと鳴らすと、左右の獣人兵が旗を掲げた。


 それを合図に、目の前のゲートが開いていく。

 ゲートの奥から現れたそれを見た傭兵たちに動揺が走った。

 

 「なんだ、そいつらは!」

 「気を付けろ、危険なモンスターだぞ!」


 通路の暗闇の中から、獣化した人間くずれがぞろぞろと現れた。闘技場に溢れ出たその数は集まっていた傭兵の数に匹敵するほどだ。獣化型なら1匹に対して4人で攻撃するのがセオリーだ。それを考えると傭兵の数が少なすぎる。


 悲鳴が上がってさっそく逃げ出すチームもあるが、闘技場の外には出られない。


 「おれらを殺す気なんだな!」

 「くそっ! ここを出せ!」

 若い傭兵チームが節操なく鍵のかかった出口を叩いてわめいている。


 「ふん、傭兵の風上にもおけねえ奴らが混じっていやがる! おい、わかってるな、ライバルだからと言って足の引っ張り合いは無しだ! 今回ばかりは連携して対応するぞ!」

 「言われなくても!」

 さすがに古参の傭兵チームは冷静に状況を分析し始めている。


 「よく見てみろ、奴らは数匹毎にひとまとまりの動きをしている。集団毎にボスがいるんだ。戦いになったら、各チームのリーダーは突進し、最初に奴らの指揮系統を抑え込むぞ!」


 「わかった、頭を押さえるんだな!」

 各チームはその準備を始めた。


 「だ、そうだぜ? 俺は突進するんだぜ、お前たちは自力で生き延びるんだぜ」

 ジャシアは仲間を見回して楽しそうに笑う。


 「ふう、それっていつもの事じゃありませんか?」

 副官のカーラが肩をすくめた。

 「ちがいねえ! ちがいねえ!」

 体は小さいがすばしっこい男である盗賊職のコピオがうなずいた。


 ジャシアのチームメンバーはみな笑い出した。誰一人として臆病風に吹かれている者はいない。既に誰がどう動いてどう対処するか、何も言わずとも目で合図している。


 人間くずれと傭兵チームは互いに睨みあった。

 だが、大量の人間くずれを吐き出した地獄門はまだ閉じていない。


 ぐるるるる……

 やがて、低いうなり声が聞こえ、陽光に銀色の光が反射した。

 ゲートの暗闇の奥から最後に姿を見せたのは毛並みの美しい一匹の銀狼である。百戦練磨の傭兵の表情が翳るほどの危険な雰囲気が漂っている。


 「人間くずれの反応を見るからに、あの魔獣がこの人間くずれ共のボスですかね?」

 仲間の騎士ダブロ―がジャシアを見た。


 ジャシアは腕組みして銀狼に鋭い視線を送っていたが、「ザブラ、ドック、お前たちは左だ。コピオ、ダブローは右だ。男の意地を見せて女を守れ!」と指示を出した。


 「はっ!」

 男たちは背負っていたラージシールドを手に取った。


 「カーラ、サーリラ、ネラロアーナ、ベス、タイアイナ、お前たちは男の影から隙を見て槍で攻撃! いいかい、男の前には出るんじゃないんだぜ! あいつらの攻撃力を甘く見るな! 今回は全員で生き延びることだけを考えろ!」


 「はいっ!」と女たちが槍を構えた。


 「それにしてもあの首輪、隷属れいぞくの首輪なんだぜ」

 ジャシアは前に進み出た。


 「おい、ズモー! 我が一族が最も忌み嫌うあれを一族の長たる家のお前が使うのか!」

 隷属の首輪はかつて獣人族が魔族の奴隷として使役された時代につかわれた魔具である。獣人族にとっては最も唾棄だきすべき道具なのだ。それを獣人のズモーが使うとは。


 「北で鉱山をめぐった反乱の兆しがあるのだ。早急にこいつらが戦場で意のままに動くよう訓練するのが我があるじの命である。今は必要な処置だ」

 獣天はジャシアを見ようともしない。


 「あんな奴相手にできるか! 俺たちを捨て駒にする気か!」

 若い傭兵の一人が叫んだ。

 臆病者めと古参の傭兵たちは苦笑いを隠せない。


 「心配するな模擬戦である! 今回は殺さぬように術も展開し、奴らにもあらかじめ指示を加えておる! 戦闘不能になった者、戦闘継続の意思を無くした者には攻撃をしない、死ぬことはない!」


 「本当かね? どうでしょうね? 信じられませんね、隊長」

 「うむ、信じない方がいいんだぜ」

 「あ~あ、やっぱり本当にやるんですか? あれ一匹でも数人がかりの相手ですよ」

 「やるしかないんだぜ。みんなで協力すれば何とかなるんだぜ」


 「よし、始めろ!」

 獣天が掲げた手を振り下ろした。

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