第79話 クリスの露払い2

 「はい、そっち。はい、あっち。こっちは駄目です」


 街道沿いに立つ道標を兼ねた石柱の上で、指揮者のように両手を動かしながら、クリスの元気の良い声が響き渡った。


 クリスはカインたちが他の人と会わないように、やってくる商人や旅人たちを他の道に誘導していた。


 クリスにとって一般市民の意識に干渉することなど息をするより簡単だ。商人たちは気付かぬまま自分で道を決めたつもりで次々と脇街道に進んでいく。これでカインたちは人目につかず移動できるはずだ。


 「これで全部かな? ふむふむ」

 クリスは手をかざして遠くを見渡しながらうなずいた。


 「我ながら良い仕事をした」と自分の仕事に満足して、石柱から飛び下りると、道端の切株にハンカチを広げて腰かける。


 これで当面はロッデバル街道を進むカイン様たちに近づく者はいないだろう。

 常にカイン様たちの進むところは無人だし、危険な魔獣もいない。野営地の準備も万端、バッチリだ。

 余った食料を次の旅人のために置いて行くヒンヤリした冷気を出す魔導石製の石室いしむろにも、不自然でないようにさり気なく十分な食料を配置しておいた。旅人が自由に使って良い丸太小屋がある野営地ではその清掃も完璧だ。これぞメイドのお仕事!


 「さて、ちょっと休憩、ティータイム」

 クリスはどこから出したのか、優雅に紅茶をすすり、お菓子を食べ始めた。


 「うう~ん、とろける~~っ、ほっぺが落ちる~~っ」

 デッケ・サーカ一番のお店の焼き菓子だ。その味はかなり気にいっている。紙袋から次々と取り出して、ぱりぱりと音を立てて食べる。イリスの話によれば次の田舎町にもお菓子の名店があるらしい。それが今から楽しみだ。


 クリスが静かに紅茶を飲んでいると、ふいに道端の草むらがガサガサと揺れ始めた。


 「ん?」


 「おおっ、見よ、兄さん! 食い物だぞ!」

 甘い匂いに誘われたのか、クリスの前に鼠顔の亜人が顔を出した。そこにいる事はずっと前からわかっていたが、敵意がないし、特に害がある獣でもないので知らんぷりしていたのだ。


 「バカッ、顔をひっこめないか! アレは神の使いかもしれんのだぞ、族長一族に属する者にして一族と司祭を守る槍兵たる弟よ」

 「我の見立てでは、違うと思うぞ、族長一族に属する者にして一族を守る兵の長たる兄さん」


 鼠顔の亜人、野族だろう。このあたりに出てくることは滅多にないが、この西の大森林の奥に野族が住み着いていると言う話は聞いたことがある。


 「野族が、何か、用?」

 

 「うわっ、こいつ、我らの言葉を! しかも我らが帰属せし尊なる一族の名を知っておる!」

 「この良い香り、やはり道に迷って腹ペコで死にかけた我らを救いに天から舞い降りた神ではないか?」


 「なに? このお菓子を、食べたいの?」

 

 「「く、くれると言うのか!」」

 尻尾をピンと立てて二人の目が光った。大人のオスなのだろうが涎を流してお菓子を見つめる様子は、二本足で立つ服を着たハムスターのようで意外に愛らしいかもしれない。


 「こっちで良ければ、袋ごと、やる。だから、邪魔しないで」

 クリスはもう一つの袋を何もない空中から取り出した。袋の中から取り出して見せたのは丸く黄色いスポンジのお菓子だ。


 「い、今のを見たか? 突然袋を出した。やはり、神か!」

 「そ、それは我らの神を模したお菓子であるか! やはりこの方は星神様のお使いに違いない。ーーーーわかった、邪魔はしないぞ、なあ兄さん」

 「おう、我が一族に連なる弟よ」


 「はい、どうぞ」

 「おお、神よ、恩に着る! 司祭様を守りし槍である我と、我が尊なる集団はこの恩、けして忘れぬぞ!」


 チューと野族は恭しく頭を下げた後、袋をクリスの手から奪取するとあっと言う間にちょろちょろと走って森の奥に消えてしまった。ちょっと無礼な感じもするが、あれが野族流なのだろう。


 「ああ、食べたら、休憩……」

 クリスは野族なんかに関心はない。仕事の邪魔をしなければそれで良いのだ。


 足をぶらぶらさせている。さすがにここではお昼寝はできないが、あくまでマイペースだ。大きく伸びをして見上げると、頭の上には青空が広がり、高く鳥が飛翔している。のどかだ……。


 (さーて、もう一仕事やっちゃうぞ)

 のんびり休んでからクリスは切株から立った。




 ガラガラガラ…………!


 既に少し前からその音は聞こえていた。

 石畳を行く車輪の音だ。

 その目に馬車が進んでくるのが見えている。


 次の隊商はあれかー、と腕組みしてにらんだ時、その隊商が異常に慌てているのに気付いた。必死に走る2台の馬車の背後に大きな影が迫っていた。


 「あー、あれは、見た目が、嫌いな奴だ」

 クリスは口を両手で覆った。


 巨大な粘性の肉塊、手あたり次第に生物を捕食して食べる食肉植物の変異体だ。アメーバに似ているがあれでも植物の仲間なのだ。毒々しい紫色の斑点がかなり気持ち悪い。

 草原にはめったに出てこないが、森の奥から稀に獲物を追ってここまで来ることがある。もしかするとさっきの野族を追ってきた個体かもしれない。



 ーーーーーーーーーー


 「ひいっ! だめだ、追い付かれる! もうだめだ!」

 デッケ・サーカの商人バロザ・バサカは己の不運を呪った。


 せっかく条件の良い取引に成功したというのに、ここで死んでは……。


 バロザは娘を思い出した。

 娘の仕事ぶりを見ることももうないのか、珍しい薬草もたくさん仕入れてきたというのに。薬草店の看板娘になっている顔が浮かぶ。


 バリバリッ! と大きな音がして、破壊音と誰かの悲鳴が聞こえた。ハッと振り返ると後ろをついてきていたナボの馬車が馬もろとも食肉植物の体内に取り込まれていくのが見えた。

 

 「ナボっ!!」

 あっと言うまに消化されて、外に突き出していた馬の足や馬車の一部が地面に散乱する。


 死の恐怖は一瞬だ。


 あの体力自慢で陽気なナボが殺された?

 先月子どもが生まれたばかりで、あんなに張り切っていたのに。


 しかし、憐憫に浸る時間などない、次は自分の番なのだ。

 食肉植物が迫る。足も見えないのにその移動は馬より早い。

 もう逃げ切れない!

 食肉植物の粘液がボタボタと馬車の屋根に降りかかっている。


 「く、食われる!!」

 バロザはそれでも必死に馬に鞭打ち続け、ぐっと目を閉じた。

 そして、死の瞬間が訪れ…………


 「?」

 ばさばさと幌がなびく風の音がする、疾駆する馬車が小石を弾く。


 何かが起きた? バロザはまだ生きている事を知った。

 後ろからは恐ろしい食肉植物が追ってきているはずだ。


 だが、襲いかかってこない?


 「?」

 強張った表情で後ろを振り返ってみると、馬車の屋根の上に誰かが立っていた。そこには誰もいなかったはずだ。だが、その人はそこにいた。


 濃紺のメイド服、風にはためく同色のミニスカート。スタイル抜群の美しい少女。

 その横顔は一瞬でバロザの目をくぎ付けにした。この世のものとはとても思えない美貌は死の恐怖を忘れるほど神々しい。


 その突き出した手の平から丸く大きな漆黒の闇が広がり、食肉植物の突撃を押さえこんでいる。何をしているのか、理解が追いつかない。あの子があの凶悪なモンスターを?


 そして…………。

 その場違いなメイド服の少女が手のひらを閉じた。

 それだけである。


 「あ!」

 食肉植物は、まるで最初から存在していなかったかのようにかき消えていた。


 何もいない石畳が後方に流れていく……。


 激しい音を響かせ、馬車は走る。

 驚きに満ちた目が何もいなくなった後方から、再び屋根の上に移った。


 「幻覚だったのだろうか。まさか」

 そこには誰もいないのだ……。


 いや、屋根の上に何かある。

 袋? いや、あれは!

 バロザは手綱を引き、馬車を強引に急停車した。勢いがついて簡単には止まり切らない馬車が、馬体を前方へ押しやり、馬が悲鳴を上げていなないた。


 痛がる馬を気遣う間もなく、慌てて屋根に上がったバロザの目に見知った男の姿が映った。気を失っているが、間違いなくナボである。胸が上下している。


 生きている!

 彼はモンスターに喰われていなかった!


 「おおお、あれはきっと女神さまだ! 女神さまに救われた、我らは救われたのだ!」


 バロザは思わず胸元に下げたアプデェロア神の飾りを掴んだ。工芸が盛んなダブライドという街で造られた宝石付きの骨董品である。高価だったが、大いなる加護があるというので娘のために買ってきたものだ。


 「こ、これのおかげかもしれない! おお、女神さま! あれはきっと女神アプデェロアさまだったに違いない! おお! アプデェロアさま!!」

 バロザは手を組んで、涙を流して祈った。



 ーーーーーーーーーー


 荒れ果てた古い村の跡の真中にクリスは立っていた。


 「ちょっと消化不良、今のは、美味しくなかった」

 ちょっと考えていたがポンと手を叩く。


 「そうだ、不要物、なら捨てちゃえば、いいよね」

 パチンと指を鳴らすと、クリスを中心に地を這うように濃い白い霧が立ち込め始めた。


 (結界展開完了を確認。不要物を廃棄する!)

 蛇人族の言葉で念じると、どどどど! と目の前に肉の塊が落ちてきた。


 さっきの食肉植物の脂ぎった死骸と、それに巻き込まれて暗黒空間の中で死んだばかりの帝国兵五人の死骸である。


 張り巡らせておいた結界の中で白い霧が所々で部分的に集まる。ゆらゆらと揺れる何かが瞬時に暗黒界の毒を無効化していく。


 「結界を解除するのは手間、どうせ数日で消える、はず」

 クリスは無駄な事はしない主義なのだ。


 「これは、売れるな」

 クリスは帝国兵の鎧や宝石等をひょいひょいと拾い集め、収納していく。やがて身ぐるみ剥がされ農夫の格好に戻った脂まみれの死骸だけが残った。


 「ほっておいても、獣が処分してくれる。これでもう危険はない。キャンプ地の準備も終わったし、先に進む。お姉さま、多分、もう待ってる。美味しいお菓子も待ってる、はず」

 自分の仕事に満足気な様子でクリスは遠くを見ると、一瞬で風のように姿を消した。




 ーーーーそして、誰もいなくなってしばらく経った時、死骸だったはずの手がぴくりと動いた。


 むくり、むくりと5人の人間くずれによく似た奴らが脂だらけの食肉植物の死骸の中から起き上がり始める。


 「うーーーー」

 「あーーーー」


 ねちょ……と足元に脂を滴らせながらいびつに体を揺らして動き出す。白い靄の中、そいつらは本能的に人の多い街を目指して歩き始めた。


 死骸が立ち去ると霧があたりを覆い尽くす。


 そこに放置された食肉植物の死骸は強烈な異臭を放ち出し、その腐った匂いが死骸あさりを呼び集めた。


 四方から集まってきた無数の黒い群れに食肉植物の死骸はみるみる喰われて行く。


 強い雄に率いられ、栄養を満たした雌は産卵のために瓦礫に潜み、雌のいない若い雄の群れはさらに餌を求めて腐った死骸の匂いを追って南へ移動を開始した……。

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