第81話 ージャシアとエチアー

 天を突く狼の遠吠えが開戦の合図だった。

 一斉に人間くずれが襲いかかってきた。


 「さあ頭を押さえるぞ」

 「行くぞ!」

 「やるんだぜ!」

 チームリーダーたちは、群れを統率していると思われる獣化の人間くずれに向かって突撃する。


 「楽しませてもらうんだぜ!」

 ジャシアは、ど真ん中、ラスボスらしい銀狼に向かって攻めかかった。


 その手にはいつの間にか両刃の大剣が握られている。刃の束付近がノコギリのようになっている獣人一族に伝わる宝剣、通称 ”骨牙” である。見た目が骨になった獣の牙のようだ、という理由で昔の獣人王が名付けたという。獣人族の王の墓所、その迷宮の奥から勝手に持ってきたものである。


 「よそ見している暇はねえぜ! こっちは殺す気でやるんだぜ!」と叫んで振り下ろしたジャシアの大剣が、地面を裂いて土煙が上がった。


 なにっ? あの一刀を避けた? 

 銀狼の姿を即座に探す瞳に影が落ちた。


 「上かよっ!」

 ジャシアはその鋭い前足の爪をかろうじて剣で弾いたが、右肩が裂けて血が滲んだ。


 「やるじゃねえか!! こいつはおもしれえ!」


 狼が着地して吠えると、すぐに二匹の獣化が姿を見せた。こいつが呼んだのだ。巧みに部下の獣化を操る奴だということがわかる。


 ジャシアの左右を獣化の人間くずれが取り囲む。元はひ弱な人間であっても獣化すると獣人族以上の力を発揮する厄介な敵だ。

 ジャシアは尻尾を揺らし、タイミングをとりながらその気配を伺った。


 飛びかかってくる二匹を叩き斬るが、模擬戦闘魔法が闘技場全体に展開しているらしく、獣化は一刀両断されず、吹き飛んだだけだ。模擬戦で死にはしないというのは本当のようだ。


 大剣を振り切った、その一瞬の隙を突いて、狼が踏み込んできた! ジャシアが身を逸らすと狼は突然二本足の姿に変容し、人型になって爪を突きつけてくる。


 「こいつ! 変身するんだぜ!」

 危ういところで背面に飛んで、攻撃をかわし、ジャシアはその少女をにらんで唇を噛んだ。


 その二人の攻防を見た獣天ズモーが「ほう?」と感嘆の声を上げた。あの銀狼が戦っている。これまではどんなにけしかけても群れの中に身を隠すばかりで積極的に戦ったところなど見たことが無い。奴にとっての攻撃とは消極的に仲間を利用するものかと思っていたのだが、どうやら違っていたようだ。


 「やるじゃねえか!」

 「あなた、あなたの身体から大事な人の気配がする!」

 「なんだい? そりゃあ!」

 ジャシアが振う大剣を少女は一瞬で狼の姿になってかわす。


 目の前で、獣の姿から半人間のような姿へと自在に姿を変えて戦うので攻撃のタイミングや間合いがコロコロ変わってかなりやりにくい相手だ。

 「お前、名は?」

 「?」

 ジャシアはその鋭い爪の一撃をかろうじて剣で止めた。危なかった。もう少し踏み込んでいたらやられていた。


 「名前くらいあるだろうぜ。もと人間だったらな!」

 「な、名前……」

 「名前すら覚えていないのかよ!」

 ぎりぎりと押し込まれてくる。


 「名前……名前は、エチア、ーーーー私はエチア・クレシュデ・カッチェルン」


 「!」

 その名前聞き覚えがある。脳裏ですべてが一つにつながった。これがカインが探していた少女か! しかもその名前、元カッツエ国の貴族なのかもしれない。


 カッツエ攻防戦の最終局面、撤退する軍の殿しんがりを全うして散った男がいた。

 最後にジェシアが討ちとった騎士団長の初老の男、あの貴族が騎士たちからカッチェルン様と慕われていたことを、ちらりと思い出した。


 その娘、それとも孫? ……それを救えと?

 これが因果というのかい! ジャシアはニヤリと微笑んだ。


 「なるほど、あんたがカインが言っていたエチアかい! 目を覚ませ! その首輪は真に心が強い者なら、少しの間、支配から抜け出せるはずだぜ」


 「カ、カイン……」

 その言葉を聞いて、エチアが激しく動揺したのがわかるが、エチアの攻撃は止まらない。左右の爪の連続攻撃にジャシアが壁際まで押し込まれる。


 闘技場の中ではあちこちで似たような光景がみられる。

 手練れの傭兵チームたちは集団で攻防を展開して生き残っているが、若手のチームは早々に壊滅して倒れている。獣天の言う通り死んではいないようだが。


 「私は、エチア……。あなたは?」


 「俺はジャシア、カインの妾なんだぜ」

 その言葉にエチアの瞳に光が宿った。


 ブオオオオオーーーーーー!!

 その瞬間、大戦中に聞き慣らされ、意識下に深く刻まれた忌々しい重低音のラッパが鳴った。

 人間くずれの攻撃がぱたりと停まり、目の前で一瞬で狼に戻ったエチアが高々と吠えた。

  

 「それまで!」と獣天ズモーが叫んだ。


 「おい! エチア!」

 ジャシアが銀狼を呼ぶが、エチアは振り返りもしないでゲートに向かって歩き出していた。既に人の意識はないらしい。命令に逆らえぬ隷属の首輪の力だろう。


 「ちっ!」とジャシアが睨むのを上から見下ろし、獣天が満足そうにうなずいた。


 「面白いものが見られたものだ。あの獣化の姫がお前には反応するとはな! あれが我らの命令に従うようになれば獣化人間部隊の運用も目途が立つ。良い傾向だ。今後はあれとお前をセットで使うのが良いのかもしれんな」

 獣天は顎髭を撫でた。


 「勝手なことを言ってるぜ!」

 獣天の言い成りになるつもりはさらさらない。だが、あれがカインが探していた娘だと分かった以上、このまま放置もできない。


 「人間くずれたちを引き上げらせろ! 柵を開けろ!」

 獣天の指示で闘技場の柵が開いて人間くずれたちが姿を消し、闘技場には満身創痍の傭兵たちだけが残った。



 ーーーーーーーーーー


 深夜、獣姫の檻を密かに訪れた者がいる。

 気配に気づいて床に寝そべっていた銀狼が目を開き、牙を剥いて威嚇した。 


 「私だ、ジャシアだぜ。今夜は満月だ、隷属の首輪の効力が落ちているはずだ、話がしたいんだぜ」


 「昼間の方、カインのお妾の方ね! カインは無事なの?」

 月光の中、完全に人間の姿になった裸の少女が振り返った。これはかわいい。これから成長すればかなりの美人になるだろう。

 カインの奴、あいつは女運が良すぎるんだぜ……。少し嫉妬を覚えながらもカインを思い出すと胸が高鳴る。


 「俺が囚人都市で別れた時は元気いっぱいだったぜ」

 「よかった……。ところでジャシアさんはどうしてそんなに気にかけてくれるのです? カインのお妾さんと言ってましたっけ?」

 「ああ、愛妾と言って良いんだぜ。カインがあんたを気にかけて、何とか助け出す、獣化の病を治してやりたいってずっと相談していたんだぜ」

 「ああ、カイン!」

 「あんたもカインが好きなんだな?」

 「もちろんです! この獣化の病さえなければ……」

 エチアは胸の前で指を組んで祈るように瞳を閉じた。

 

 「でも、いくら妾でも不思議です。あなたからはカインの気配を感じます。だからあなたの匂いを嗅いだ時、闘技場で急に人の意識が目覚めて反応したんですよ。囚人都市で捕らえられて以来、人の心は眠っていたのに!」

 「カインの気配? ああ、わかった。ここだろ?」

 そう言ってジャシアは下腹部を撫でた。

 「?」

 「ここにはカインの子がいるんだぜ!」

 ジャシアは自慢気に太ももの妾紋を見せながら微笑む。


 「こ、子どもですか? まさか妊娠しているの? カインの子を?」

 「うん、カインにたっぷり仕込まれて、もうばっちりなんだぜ!」

 エチアが、うわーーーーっ羨ましいという顔をした。


 「じゃあ、カインと暮らしたんですね?」

 「ああ、そうなんだぜ。一週間だけだけどな。カインの夜は凄いんだぜ。彼の妻になるなら覚悟しときな、あいつほど女を幸せにする男はいないんだぜ。持続力も技術も凄いし、そもそも何もかもが規格外、天国なんだぜ」

 「ええーー? そうなんですか? 天国なんですか?」

 エチアは両頬を押さえて赤くなった。その様子は女から見てもかなりかわいい。守ってやりたくなるタイプだ。

 これが狼に変身するとあれほど強いのだから女は見かけによらない。

 

 「あんたと会うのは今日が初めてだが、なんとなく気が合うんだぜ」

 「わたしもです。まるでお姉さんみたいな感じです」

 エチアは微笑んだ。


 「少し、話をしよう」

 ジャシアは壁にもたれ掛かって床に腰を落とした。 

 「はい」

 

 


 「ーーーーそうか、そんな事があったのか」

 ジャシアは、エチアが捕まってからどんな扱いを受けて来たかを聞いて、帝国の計画の一端を理解した。


 帝国はエチアを実験動物程度にしか思っていないのだ。この街の基地に怪しげな科学者が出入りする禁忌区域があることは知っていたが、そこには多くの魔獣が閉じ込められ様々な実験が行われているらしい。


 通常は実験後に処分されるが、エチアは人間くずれを支配する能力に目を付けられ、人間くずれを使った新たな特殊部隊をつくる要として利用されることになったらしい。

 以前、鬼面のキメアと会話した時の奴の話しぶりからするとカインを利用して手なずける計画もあったのかもしれないが、その代わりとしてエチアを支配するのに利用されたのが、忌まわしき隷属の首輪というわけだ。隷属の首輪はそれをはめた者が死なない限りは解除できない。


 「女みたいな顔つきだが、あいつ、見慣れてくるとカッコいいんだぜ。脱ぐと意外に筋肉質で逞しいし」

 「わかります! カインは素敵なんです!」

 二人は月明りの下でカイン談義に花を咲かせた。


 「カインは、あんたの病を治してやるって思ってるぜ、だから今は絶え忍ぶんだ。あいつなら必ず助けに来るぜ」

 「はい。でも、そんな方法があるのかしら?」


 「俺が聞いた感じだと、治療方法はあるらしいんだぜ」

 「そうなんですか?」


 「ああ、だから今は生き延びろ。それだけを考えてな」

 「はい」

 エチアは花のように可憐に笑った。

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