第82話 ロッデバル街道の夜

 だいぶ急ぎ足で街道を進んできたが、今日も他の旅人や隊商には会わなかった。やはり今は帝国が軍道として作った帝国新道の方が賑やかだというのは本当なのだろう。


 月明かりの高原はまるで湖か海のように草が波打っている。


 俺たちは旅人の休息地である自然の岩場に囲まれた野営地で夜を迎えていた。

 野営地は森から離れているが、ロッデバル街道付近も最近は野獣が多くなっているため、念のため今日は交代で見張りをすることにしたのだ。


 「雨が少ない土地だと聞いてはいたけど、高原に入ってらからさっぱり雨が降らないよな」


 高原の草は多くが乾燥に強い種類だ。

 草がサワサワと音を立てて揺れる。暗がりに何か居るような気がしてくる。


 「大丈夫、異常なし。この高原を抜けると、いよいよシズル大原か……これまでの土地とはだいぶ違いそうだな」


 中央大陸一の穀倉地帯であるシズル大原は、大戦で多くの国が滅んだが、未だに多くの都市が繁栄しているという。街から村に至るまで徹底的に破壊され灰燼に帰したスーゴ高原一帯の南部戦線地域の惨状さんじょうとは比べものにならない。


 中でも、六大神を祀る大神殿を中心に発展し、シズル大原最大の国の王都がおかれていたオミュズイという街が一番大きく、神殿が魔王軍の駐屯地として接収された今でも経済の中心地として栄えているらしい。


 「たしか、オミュズイはジャシアが次の任務地だとか言っていた街だよな」

 俺は、積極的で攻撃的で、激しい炎のように情熱的なあの獣人美女を思い出した。あんな見た目と奔放さで誤解されがちだが、実際のところ彼女は本当にいい女だった。


 ちょっと意識したせいか、闇の中でジャシアの妾紋が淡く浮かぶ。それを見るとすぐ分かる。彼女は元気にしているらしい。


 「またどこかでばったり会うんだろうな、そんな気がする」

 俺は満月の浮かぶ星空を見上げた。


 シズル大原の東には山が海に沈んで出来たという天然の良港が集まる海辺の街が連なっており、シズル大原を越えてさらに北に進めば、北の大門と呼ばれる大峡谷の向こうに大戦以前からの魔族の領土が広がる。


 シズル大原の西には大河の源流になっているアパカ山脈を有する山岳地帯と大森林が広がる。そこが目的地だ。その辺りの国々は小さく、占領する価値もないため完全には帝国の版図には入っておらず、表向きは属国という立場を取っているという。


 「あれ?」

 その時、俺は妙に周囲が静かになったことに気づいた。風の音も虫の鳴き声も消えた。


 「!」

 月下に立つ麗人がこちらを見ている。

 一目でわかる、あれは人外の存在だ。声を上げようとするが、声が出ない。心臓の鼓動だけが響く。


 その美しい女性は月を掴むかのように片手を天に伸ばした。

 言葉ではない、思念が俺の耳にささやいた。


 (……まだ目覚めないか?)

 その時、脳裏に別の人格の記憶が鮮やかに見えた。それは別世界の王女の人生のようだった。それはまるで自分が体験してきたもののように思える。

 (これは?)

 (お前、そして私の前世……。自由になるため欠片たるお前が必要……)

 (欠片? 必要? 何のことだ?)

 (救済……。眠り続けている限り……、その日は訪れない。……いずれその時、恐れずに開放してほしい)

 (その時?)

 (それは間もなく……じきに分かる……)

 脳裏で光が映像を見せる。巨大な青い鱗が蠢く。両手を広げる腕に見知らぬ男が包まれている。

 (遠い未来、そこにつながる道を……)

 (待ってくれ! 貴女は一体!)

 (千年紀………)


 「!」

 はっと気が付くと、夢を見ていたのか、幻だったのか、そこにはただ草原が広がるだけだ。


 「ぐわーー」と背後から大きなイビキが聞こえた。

 その主であるサンドラットが呑気に火の反対側で横になっている。屋外だからイビキはさほど響かない。手前では、リサとセシリーナが一緒に眠っており、周辺には何の異常も見られない。


 やはり、今のはただの幻覚だったらしい。眠すぎるのが原因だろうか。立ったまま夢を見たのだ。


 「そろそろたき火に戻るか」

 俺は欠伸を噛み殺した。

 見張りの交代時間だ。サンドラットを叩き起こさねば。こんな時、周囲に敵の接近を感知する魔法が使える者がいればいいのだが、セシリーナもその系統の魔法は使えないという。どこかで周囲を見張る魔導具を手に入れられれば良いのかもしれない。


 ふわぁ〜と眠気に負けて大きな口を開けた時、チン! と音を立てて俺の金ぴか股間アーマーが揺れた。


 「ん? なんだ?」

 見ると、足元にぶつかってきた大きなバッタが落ちている。蛍光バッタとか言う奴だ。メスが夜に淡い金色に光ってオスを誘うらしい。月明かりで光っていた股間アーマーの金属に惹かれたのか?


 ふいに、ドドドド……と草むらが揺れたように見えた。


 黒い槍のように集団で飛び出したのはバッタだ!

 「まずい!」

 どんくさい動きで逃げなければ! と動揺した俺の股間にそいつらが突撃してきた。


 チンチンチンチン!


 股間に次々と衝撃が入る。

 「痛っ! 痛っ!」

 たかがバッタでも連打は痛い!


 最後の一匹、とびきり大型の奴が俺の股間に狙いを付けて飛び込んできた。タイミング悪くアーマーが揺れて生じた隙間に、そいつがもろに直撃した!


 ち~~~~ん……


 「ぐえーー!」

 俺は股間を押さえてうずくまる。


 蛍光バッタは光が見えなくなった途端、何事もなかったかのように集団でぴょこぴょこと草むらに戻って行った。


 「ぐおおお……」

 やはり、この金ぴかアーマーは呪いの一品なんじゃないだろうか?


 「おい、たまりん! いるんだろ」

 俺の声に反応して、頭上にほわーとなぜかいつもより淡い光が現れた。

 「何で今日はそんなに霞んでるんだ?」

 「いえ、今みたいにー、バッタに飛び込んでこられるのもイヤですしーー」


 「やはり見ていたな?」

 「いやですねーー、見守っていたんですよ、なま温かーーい目でーー」


 「バッタが体当たりしてもお前は痛くないだろ」

 「姿が歪むのがイヤなんです。これでも私は完璧な球体、完璧な金玉なんですから」

 ーーまあ、いまさらだ。


 「今夜は服を着たままでシタねー、座ったままセシリーナ様を抱っこしてーー。背もたれた木をあんなにゆするから、かわいそうにリスが二匹で巣穴から逃げていきましたよーー」


 「よ、余計な事はいい!」

 「見どころについて、もっと話たかったのに……」


 「なあ、俺のこのアーマー、呪われていないか?」


 この股間アーマー、アーマーのくせに今まであまり守られた気がしない。むしろこいつが原因でいつも股間に余計なダメージを受けている気がする。俺は股間アーマーを外して、たまりんに見せた。


 「あー。呪いと言うか。何と言うかーー」

 たまりんにしては珍しくはっきりしない言い方だ。


 「はっきり言え、やっぱり呪いのアイテムなのか?」


 「これはー、元々祭壇に祀られるような神聖な防具ですーー。実用品じゃないですねーー。その神聖なものをー、あなたは、その不浄で欲望の塊みたいな所に密着させているからねーー、怒っているんですよーー」


 「ふーーん、呪いというより神罰的なやつか?」

 「そんな感じですかねー。神とまではいかないから、精霊罰ですかーー?」」


 「精霊が憑いていたのか? このアーマー」


 「うーん、髭面の熊みたいなーー、脾精霊ひせいれいがーー」

 「穴熊族の脾精霊だな、きっと。ナーヴォザスの奴、自由に持っていけとか言っておいて、やっぱりこれ、ロクでもない代物じゃないか」

 こうなったらいっそ捨ててしまうか?


 「あっ、その顔! さては捨てようと考えましたねーー。それは止めた方がいい。既にあなたの股間に憑いていますからーー、無理に引き離すと一定間隔で金的を足で蹴っ飛ばされるような痛みが永遠にーー」


 「ふむ、捨てるのは止めておくべきだな」


 「穴熊族の神殿で解呪してーー、祭壇に奉納すれば、その精霊罰から解放されますよーー」

 おお、いい事を聞いた。


 「じゃあ、穴熊族の神殿に行けばいいんだな?」


 「そうでーーす」

 たまりんが自慢気にピカピカ光った。

 うーむ、またひとつやらねばならない事が増えてしまったようだ。

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