第24話 美しきセシリーナ

 彼女は魚のように口をパクパクさせると、混乱した表情で顔を真っ赤にして俺の手を払いのけた。


 そしてタオルで美乳を隠しながら、壁際に逃げて半身を起こす。


 「う、美しい…………」


 それがあまりにも美しい。もうそれしか言葉がない。


 いやいや、あり得ないほど美しくてかわいいーーっ! 思わず脳がバグった。


 なんてこった。相手は魔族なのに胸が熱く、鼓動が早い。もうだめだ、この気持ちに蓋ができそうもない。まともに彼女の顔が見れない。


 うーっと狼のような声を発して彼女は俺をにらむ。


 さて、どうしたものか。

 俺は片手で顔を覆って指の隙間から彼女を見る。


 このままにしておくわけにもいかない。かと言って俺の実力からして再び彼女を気絶させるのは到底無理だろう。


 これから神殿に忍び込もうと言う時に、「見なかったことにして逃がしてくれ」と頼む訳にもいかない。

 縛っておくにしても、それこそロープも何もない。


 こんな時、無慈悲な帝国兵なら相手を殺すかもしれない。だが戦争でもないのに人を傷つけるなど俺には絶対に無理だ。


 まして彼女はあまりにも美人すぎるし優しそうだ。


 それに実のところ、俺の心は既に彼女の魅力の虜になっている。もう「好き」としか言えない。


 目が合った瞬間から一目惚れ状態が続いている。この感じは、いつ以来だろう。甘酢っぱい思いがこみ上げてくる。


 「お、お前は……さっきの変態の痴漢男……」


 おお、しかも滑らかな共通語!

 ちょっと感動した。

 魔族が使う共通語はイントネーションに妙なクセがある者が多いが、彼女は高い教養があるらしい。

 

 さて、どう話を切り出そうか? だが、動揺しまくりでまともな思考ができない。ぷっつんと回路が切れている。



 「動くな! お前の命は俺が握っているのだ!」

 ーーーーうわぁ、我ながら、一目惚れの相手に最低の発言である。


 しかも、そんな訳ないのである。

 はったりに過ぎないのだが、俺は掴みかかるように両手を前に出し、いかにも怪しげに指を上下に動かした。うひひひ……って感じである。


 その指使いを見た彼女がドン引きしている。


 なんとか誤魔化して、ここから逃げる方法も考えねばならない。しかも、できれば嫌われたくはない、などと邪心がささやいでいる。


 「呪いの発作で動けないうちに私を殺さなかったの? 後悔するわよ」

 そう言ってさらに胸を隠す。でも呪いって何の話だろう。

 彼女は不審な目つきで俺をにらんでいる。特に手の動きが気になるらしい。


 そこで、ふと俺は気づいた。


 この指づかい……。


 まるで「胸を揉ませろ、へへへ……」、と迫っている変質者のような仕草ではないか。


 指がぱたと止まる。


 ーーーーーーーーーー


 「お前、ただの痴漢でないわね。たしか変態とかいう奴ね」


 「違います」


 「まさか、あいつの手先なの? まだ数日あるのに、もうこんな強行手段にでた? どこかに仲間がいるの?」


 「あいつ? 誰のことか知らんが、多分違うぞ」


 急に不安そうな表情を見せた彼女が辺りをさっと見回すが、すぐに他に人の気配はないと分かったようだ。


 「それもそうか、あいつが人間を使うわけがないか……」

 どうやら何かあるらしいが、今はそれを考えている余裕はない。


 「強そうには見えないし、武器も持ってない。あ、さては魔法を使うの? 拘束や麻痺の魔法? それとも洗脳?」

 彼女はそう言ってまた険しい顔でにらんだ。


 「うわっ、美しい!」

 いかん、またも心の声が漏れた。


 神がかっている。美しすぎる! エロすぎる! スケベ心が覚醒してしまいそう!

 特にその透明な緑がかった綺麗な瞳に吸い込まれそうだ。これが邪悪な者の目だろうか? 魔族イコール邪悪という考えが揺らぐ。しかもその愛らしい赤い唇、魅力的すぎて怖いほどだ。


 「何を言って……、私をどうする気なの? これでも私は弓隊指揮官の一人。誇り高きクリスタル階級貴族のセシリーナ、拷問しても無駄ですよ。何も話さないわよ、この変態の反乱分子め!」


 あー、そうかと俺は納得した。身分が高い兵士なんかは宿舎が別だ。だから温浴場に彼女が来るところが見えなかったんだ。

 

 「んーーーー何か誤解している。俺は反乱分子じゃない。ここには、ただパンツの紐をもらうためにちょっと忍び込んだだけで……」


 「パ、パンツの紐ですって…………。うぎゃーーーーーー! やっぱり変態だっ! ーーーーこ、この変態め! あうっ!!」


 俺の姿をもう一度見た彼女は、突然、逃げようとバックして盛大に後頭部を壁に打った。


 つつつ……とかなり痛がっている。

 

 その反応、一体何がどうしたというのか。

 さっきのようにパンツが下がったわけでもないのに。まあ、こんな状況なのでかなり股間が張り切っている、やはりそのせいか?


 「そ、その紐は……」

 あわわわとセシリーナが口をパクパクさせて指差した。


 「これ? パンツの紐か? それとも武器を下げる紐か? どっちのことだ?」


 「両方ともよ! この変態!」

  急に顔が真っ赤になった。


 「何が? どうして変態なんだ。今はホレ、パンツはちゃんと履いてるぞ」

 俺は腰に両手を添えて、自慢げにもっこり股間を付きだした。


 「ば、ばか! 変なものを見せつけないで! その紐はね、用を足した後、きれいにふくための紐よ! 使用後は洗って干すものなの!」


 ははーん、俺は苦笑した。

 やっちまったぜ。

 魔族の文化では用を足したあとにこの幅広の紐で拭いて、それを洗うらしい。


 「ああ、そうか!」俺は閃いた。


 「それじゃあ、あの桶の中にあったのは使用したばかりというわけか!」

 

 バチン! と俺の頬を平手打ちが襲う。


 赤くなったセシリーナが睨む。

 誰が使ったものかはすぐに分かる。紐の端にちゃんとセシリーナ用と書いてある。


 だが、その平手打ちで俺の反射神経がへっぽこだとバレた。こいつ大した敵じゃないんじゃない? と彼女の目が語っている。


 セシリーナの視線が俺の背後に移動した。


 鏡に映っている俺の背後には棚がある。

 棚の上の籠に衣服が見える。

 セシリーナのものだろう。そこにギラリと輝く短剣が置いてある。あれが目的か。ーーーーじりじりとセシリーナが獲物を前にした肉食獣のように間を詰めてきた。


 まずいな。あれを取られたら、間違いなく俺など瞬殺だ。


 「さっきはよくも胸に触ったわね? それにその紐……こんな屈辱、もはや生かしておかないわよ」

 セシリーナの殺意が燃え盛る炎のように大きくなる。


 殺気がオーラとなって立ち上るようだ。

 流石は魔族、その気配は鳥肌を立たせる。


 だが、俺は別の意味で鳥肌が立った。


 その美しさ!


 美麗な顔立ちに、紺碧の輝きを帯びた黒髪と緑の瞳、赤い唇、ほんのり桃色に染まった白肌に抜群のプロポーション、まさに男の理想の遥か上を行く、絶世の美女の頂点に立つ美女。


 俺はこれから殺されるというのに思わず見惚れてしまう。

 噂で聞いたことのある吸血鬼の美女というのは、こんな感じなのかもしれない。だが、彼女は血色が良い滑らかな肌だ。その素肌には生命の輝きが溢れている。


 その頭の角までも同時に珊瑚色になっていく。


 「美しい。角も珊瑚みたいで本当に綺麗だ」

 なぜか殺されるという感じがしない。その姿に見惚れ、俺は思わずポツリとつぶやく。


 「つ、角ですって……」

 そう言って彼女は頭に手を伸ばした。


 ……その途端、急に殺気が引いていく。

 ……その顔が青ざめている。

 

 「ま、丸見え……。ーーーーうそ。み、見たわね? これを」

 突然、殺気がひっくり返って、激しい動揺に変わった。


 「かわいい角だね。あ、ごめん、魔族は初めてで。でも意外と柔らかくてびっくりしたよ」


 「人に見られた……。あ、ありえない。ありえない。ありえない。ありえない……」

 セシリーナは頭を抱えて豊かな髪で角を隠すように持ちあげ、ぶつぶつとつぶやく。


 「ありえな……、ん? ……柔らかい? ……今、柔らかいって言った?!」

 その美しい緑の瞳に戸惑いの色が浮かび、目が一杯に見開かれた。


 驚愕の事実に身体が震え、とっさに額に手をやり……。


 「終わった……、本当に終わったわ……」

 セシリーナはへなへなと床に両手をついて崩れた。


 「呪いで死ぬって、こんな終わり方なの?」


 「?」

 呪いってなんだ? と思ったが、セシリーナが手を離したためにタオルがはらりと床に広がって、目が釘付けだ。金縛り状態と言ってもいい。


 豊穣の女神の祝福を受けたようなあまりにも美乳すぎる胸が丸見え……。もう美し過ぎて、魅力的すぎて、俺の理性と股間に猛烈な一撃である。


 目のやり場に困ったふりをしていたが、しばらくすると、彼女はタオルを拾い上げて、決意したような表情で俺を見上げた。


 「……この責任、あなたに取ってもらうしかないわね」

 セシリーナはつぶやいた。

 責任……何か重々しい響きだ。俺を呼ぶのに「お前」から「あなた」に変わったのも気になる。


 「責任? 何がどうしたんだ? わけがわからんぞ」

 「これだから、人族は劣等と言われるのよ……常識も知らない」

 「魔族の常識なんて知るわけないだろ」


 ふうとセシリーナはため息をつく。その仕草がやけに色っぽい。


 「真なる魔族たる私たち一族にとって角は神聖なもの。人に見られないように帽子やリボンやパット等で隠すのがたしなみなのよ」


 あーあれか、俺は落ちていたリボンを思い出した。それと、あのたくさんあった小さなパットが角隠しなのだろうか。


 「あー。大丈夫、忘れるから。ほら、俺は人間だし。魔族のルールは適用されないんじゃ……」

 そう言いながら、ズボンの中からリボンを引っ張り出して手渡す。


 「そんなことあるわけないじゃない!」

 俺の手から生温かいリボンを奪取してセシリーナは叫んだ。


 「す、すまん」

 「角は魔力を操る重要な器官なのよ。魔族の女性が角を見せて良いのは結婚の相手だけ。それを、よりにもよってあなたは直にその手で触ったのよ。ありえないでしょ? もう、それがどれだけ恥ずかしいことか……」

 セシリーナは両手を頬に当ててもじもじしながら赤くなった。


 角が恥ずかしい? 魔族の感覚は意味不明だ。

 セシリーナは赤い顔をしながら、リボンを結んでその角を隠した。


 「それにね、もっともっと重要な事があるのよ!」

 「ま、まだ、何かあるのか? そういえば責任を取れとか言ってたな、そのことと関係があるのか?」


 「そうよ。ーーーーその、普段は人に見せない素肌に触った後、あなたがさらに角に触れたでしょ、だから、ごにょごにょ……」

 なぜか声が小さく、妙に歯切れが悪くなった。何かとてもまずいことなのだろうか?


 「何だ? はっきり言ってくれよ」


 「あなたのそれを見ればわかるでしょ……」

 セシリーナが俺の股間を指さした。

 おお、確かにそこはさっきから盛大に自己主張しているぞ。

 

 「まさか、俺の股間に用があるのか?」


 「バカっ!! 違うわよ、もっと上よ、へその下よ! ーーーー事故だったかもしれないけど、あんな手順を踏んで角に触れたりなんかしたから……、私は、あなたとの愛人関係を承諾したってことになっちゃうのよ!」


 「へっ? 愛人? 君が俺の?」


 「そうだって言ってるでしょ! ほら、自分の腹を見てみなさいよ。そういうことになっちゃうのよ!」


 セシリーナは自分の太腿の内側を片手で隠し、さらに顔を赤くして、俺の下腹に浮かんできた紋を指差した。

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