第25話 美しきセシリーナ2

 ポウと俺の下半身の一部が熱くなっていった。


 「こ、これは……」

 俺のへその下に新たな俗紋が浮かんでいる。


 愛人関係を示す眷属紋だ。


 だが、こんな状況で生じた紋なのに形がいびつでない。これは良い傾向だ。本当に無理やりだったり、嫌悪感が強ければ紋は歪む。美しい円紋ということは、意外に脈あり? 


 なんだか一気に胸がときめいてきた。これが俺の呪いや加護の力かどうかなんて、もうどうでも良い。


 「ああ、もうどうしてこうなるのよ? 人族の眷属になるなんて、呪い? これも私の呪いのせいなの?」

 セシリーナは頭を抱えた。彼女の太腿にも同じような小さな紋が浮かんでいる。


 「呪いかどうか知らないが、なんか、ごめん」


 「信じられないけれど、貴方が私のマスターになった、つまり私はあなたの従者ということよ」


 「マスターに……じゃあ、俺は殺されたりしないで済むのか?」

 セシリーナは呆れた。


 「本当に何も知らないの? 今の状態なら、あなたが命令することに私は絶対服従よ。そもそもマスターを殺せる従者はいない。そんなのがいたら魔族の秩序は崩壊するわ。それに問題なのはあなたが人族だってことよ。今さらあなたを殺しても一旦人間の従者になったら一族の反逆者であることは変わらない。もう私は貴族から除名、爵位も消滅したのよ、これを見なさいよ」


 そう言ってセシリーナは前髪を上げて額を出した。


 そこに根元が繋がった三つの小さな線が膨れ上がっている。一本だけ青く二つは赤い。まるで花のような可憐な紋である。

 

 「かわいい紋だね」


 「バカでしょ! これは、人族の眷属になった裏切り者を示す呪いの屈辱紋よ! ……その顔、まさか知らないの? 青はその罪深さを示している。これが全部青くなった者は魔族として追放されるか、処刑されるのよ!」


 「なんと、そこまでするのか?」


 「真なる魔族の血を保つため、大戦中に貴族全員にかけられた大規模術よ。兵士や騎士は屈辱紋が現れただけで処分の対象になる。家柄は関係ない。誇り高き貴族とはみなされず貴族位も消失する。しかも、私にとってはこれは二つ目の呪い、どちらの呪いが先に作用しても、私はもう死ぬんだわ」

 

 「それが呪いなのか? 生き残る方法はないのか?」


 さっきから彼女は呪い呪いといっている。

 呪いが二つとか良くわからない点も多いが、俺のせいで彼女は殺されるかもしれないと聞いてなんだかすまない気持ちになる。

 そんなところが、貴族のぼんぼん育ちゆえだ。基本的に甘いのである。それに俺は美女には特に弱い。


 「私には寿命がまもなく尽きる呪いがかけられている。それに加えて今度は屈辱の呪いまでかかった。どっちにしても、もう無理よ、生きていけないわ」


 まったくこの大陸は呪いだらけだ。獣化の病も呪いのようなものだ。俺は少し腹立たしくなってきた。


 「何の抵抗もしないで、生きるためあがこうともしないで諦めるのが魔族流なのか? 俺たち、人族はそう簡単にはあきらめないぞ」


 おや、俺の言葉に一瞬彼女の何かが変わったようだ。俺をギッと睨んだ。お前が言うなという感じか? それとも人族に比べられたのが不満だったのか?

 でもそれでいい。憤慨が、生きる力を芽生えさせることもある。


 「魔族社会を捨ててまで、屈辱紋を隠して死の刻限が来るまであがいて逃げ回れと? 無駄よ、この世界は魔王様に支配されている。どこにも逃げ場所なんかない。たった一人で生き延びることなんかできるわけないでしょ……」


 「なら、俺と一緒に来るか? もう俺の眷属なんだろ?」


 「は? 何をばかげたことを。貴方は人族、私は魔族なのよ」

 思わず見つめあう二人。


 澄み切った彼女の緑の瞳に真面目な顔をした俺の顔が浮かんでいる。


 「まさか、あなた本気でそれを言ってるの……? あなたは魔族に逆らって収監された囚人でしょう? 私は魔族よ。魔族が憎くは無いの?」


 「魔族はどうか分からないが、今すぐ君を憎む理由はないな」


 マスターに対する強制的な精神操作で、来るか? と聞いただけなのに、俺と一緒に来いという命令に変換されたとすれば、それは俺の本位ではない。人を強制服従させて喜ぶ性癖はないのだ。しかし、今のところそのような精神操作は生じていないらしい。


 「馬鹿げている。でも魔族が簡単にあきらめる種族と思われるのも腹ただしいし。それにこのままここにいても、時間がない、いずれにしても奴が……」

 セシリーナの目の奥に今までと違う光が灯った気がした。


 「俺と一緒に生きるのは嫌か?」

 その言葉に彼女はじっと俺の顔を見た。


 どうも嫌われているわけではなさそうだ。俺という男を信頼してよいのか逡巡しゅんじゅんしているようだ。


 やがて彼女は静かに、自分自身を納得させるようにうなづいた。


 「わかったわ。今はそれしかなさそうだし。命が燃え尽きる瞬間まで一人の魔族としてその誇りをあなたに見せてやろうじゃないの。ーーーーこれは生きるために下した私自身の決断よ。あなたに精神支配されたわけではないからね」 

 それは強がりだ。内心はかなり不安だろう。だが、彼女は生きる道を選んだ。


 その表情には意志の輝きが見える。俺のマスターとしての強制力に従ったわけではない。でも、それで良いのだ。何でもかんでも精神操作の効果が出たら嫌だ。


 彼女が自分の意志で生きる道を選んでくれたなら、少しは俺も救われる。知らなかったとは言え、俺が不用意に角に触ったせいで一人の女性が処刑されるなど考えたくもない。


 「俺はカイン・マナ・アベルト。東の大陸から来た貴族だ。カインと呼んでくれていい」


 「私は魔族のクリスタル階級貴族であるボロロン家の次女にしてセ家の名を継ぐ者、セ・シリス・クリスティリーナ・カナル・ボロロン。母親がセ家なの」


 一文字魔族家か、元はかなりの上級貴族家だったのだろう。魔族の国では、ゲとかダとか一文字家名は歴代の王族に連なる一族に冠せられるらしい。セもおそらくそうなんだろう。これはエチアから聞いた知識だ。


 「クリスティリーナか、きれいな名前だね」


 「でも、そうね。私のことは普段はセシリーナと呼んで頂戴。間違っても人のいる所でクリスティリーナ、なんて本名を呼ばないように。そこは注意してね。そうでないと、貴方、死ぬことになるわよ」


 恐ろしいことを言う。名前に死の呪いの効果でもあるのだろうか。でも、最善の結果だ。彼女から逃げる必要が無くなったし、味方ができた。しかも一目惚れした相手なのだ。


 でも、クリスティリーナか、どこかで聞いたことのある名前だ。


 「あ!」

 急に思い出した。


 「街で帝国兵に痛めつけられていたときに、俺を助けてくれたよね?」

 「え?」

 「ほら、子どもが兵士に蹴られていた時に、駆け付けてきてくれただろ?」

 あの忘れられない美尻の女性だ。


 「あ! あの時の!」

 二人して互いに指さして驚いた。

 

 「あの時の人族ですか、こんな女風呂に忍び込むようには見えなかったんですけどね。でも、こんな時間に入浴していた私も悪いのかしら」

 「俺もまさか風呂に人が残っているとは思わなかったんだ、全員出てきたと思ってね」

 二人はしばし見つめあった。


 「ーーーーでも、ここまで侵入してくるなんて、相変わらず命知らずね。さてはまた何か人助けですか?」


 あの時の行動が俺という人間の性格を物語っている。そのおかげで、どうやら俺が根っからの変質者だという誤解は和らいだようだ。


 俺もあの時のセシリーナの優しさを知っている。こんな状態でなくても彼女は俺の心に温もりをくれた人だ。これはうれしすぎる。


 「ま、まあね……」俺は鼻を掻いた。


 「あなたは、打算がないというか何というか。今まで私の周りにはいなかったタイプの人ですね。人族っていうのは、みんなそうなんですか?」

 いつの間にか自分でも気づかぬうちにセシリーナは微笑んでいた。


 「いや、みんなというワケじゃないだろ? 俺がおかしいのかもしれない」


 目の前で照れながら頭を掻く男。

 このところ周囲にいた強欲な魔族ばかりが目についていた。隙あらばと陰湿な手をつかってくる者も多く、彼女を利用して金儲けを考える者も多かった。そして全身を舐めるように卑猥な目で盗み見する男も多かった。


 まあ、色目についてはこの人間も似たようなものか。と、その股間を見てふとおかしくなったが、これはセシリーナを目にした男の通常反応と言える。


 むしろこいつときたら、堂々と股間を大きく腫れあがらせている。普通は隠すんじゃないの? と思うが、妙なことに嫌な気はしない。


 むしろ、そのあっけらかんとした様子から、自分に素直なだけで裏表のない人間だと伝わってくる。

 見栄を張ったり、飾り立てたりせず、自分に対してありのままの姿を見せる男なんて今まで周りにいなかった。彼を見ていると、なぜか肩の力が抜けて、自然に呼吸ができる気がした。男の人の前でこんな気持ちになったのは初めてだ。


 「まあ、とにかく、なんだ。ーーーーセシリーナ。これからよろしく頼むよ」

 俺は手を差し出した。


 「ええと、よろしく。こうするのかしら?」

 セシリーナは少しうつむき加減で握手した。握手という行為自体が魔族には無いのか、男の手を掴むのが照れくさいのか。恥じらんだ彼女の手は少し小さく柔らかい。


 彼女は兵士、しかも隊長らしい。これからの事を思えば行動を共にするのは危険を伴うかもしれないが、俺の下半身は既に考えなしだ。


 人間でも魔族でもこんなにいい女は滅多にお目にかかれないし、俺の腹には愛人眷属であることを示す俗紋が既に現れている。マスターという立場になった以上、すぐに彼女が裏切る恐れは少ないはずだ。


 紋の効果はこの世界共通で、たとえ種族が違っても効果は同じだ。生きているうちに眷属紋を解消するには、互いに同意のうえ神殿で解呪の儀式が必要となる。

 かなり複雑で大規模な儀式になり、ひどく手間がかかるうえ上位紋になるほど解呪は難しいという。


 もっとも、彼女が説明したことが全て真実だとすればなのだが……。


 「?」

 俺を見るセシリーナの瞳は澄んでいて、嘘をついているような表情には見えない。


 「それで? これからどうするつもりなの?」

 「手伝ってもらいたいことがある。一緒に逃げるなら、今さら罪が一つ二つ増えても問題ないと思うが、どうだろう?」


 「マスターの命令は断れないとさっき説明したでしょ? 私に何をさせようと言うの?」

 セシリーナは着替えを準備しながら頬を膨らませた。


 「命令じゃないんだけどな。まあいいか。実はね、神殿に忍び込んであるものを持ちだしたいんだ。それを手伝ってくれないか?」

 「はぁ? あなたは馬鹿なの? 馬鹿なんだわ」

 セシリーナは目を丸くした。


 「元神殿は魔王様直々の結界が張られている。誰も入れないし出られない。私たち、一般の帝国兵ですら簡単には入れない場所よ。何を馬鹿なことを考えてるの、だから人間って生き物は愚かなのよ…………」

 そう言いながら頭の赤いリボンを整え直して器用に角を隠す。

 

 「やっぱりダメか?」

 「ふぅ、仕方ない人ですね。わかりましたよ。協力しますよ」


 「ありがとう、セシリーナ」


 「じゃあ、準備するから、こっちを見ないでね」

 そう言って、セシリーナは着替え始めた。


 その間に俺は洗面台の下から皮製の靴下を見つけた。大柄なサイズで俺にはぴったりだ。


 そして、鏡に映るセシリーナはただでさえ卒倒するほどきれいだったが、そのインナーは上下ともかなり大胆だった。生唾ものである。

 レースの布地で、特にそのハーフバックショーツがセクシーすぎて鼻血ものだ。スタイルが抜群に良すぎる。美乳すぎる。その魅惑のお尻が誘っているように見えて堪らない。

 うわっ、しかも、床に落ちたタオルを拾うため、その恰好でお尻をこっちに突き出して屈んだ! 

 これはもう想定外! 神秘の景色だ!


 ぐおおっ!

 これはまずい!

 つうっと赤いものが鼻から……


 「何をしてるんです? なんかあやしい。ーーさては、覗きましたね?」


 鼻を手で押さえて屈んでいる俺の後ろに、いつの間にか腕組みしたセシリーナが仁王立ちしていた。

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