第275話 第二次スーゴ高原の戦いの始まり
ずらりと並ぶ魔王国の国旗が風に一斉にバタバタとはためく。
初日に新王国軍を恐怖に陥れた獣化部隊を本隊の前方中央に配し、陣の前方には威容を放つ魔獣部隊の戦車をずらりと並ばせ、新王国軍の奇襲を警戒している。
戦闘指揮車が威容を誇る討伐軍の中央司令部、その大テントに帝国軍幹部がずらりと集合していた。
魔王国の
本来はそこは魔王様の席であり、一天衆と言えど敬意を払って一壇下座に座るのが通例である。王家に忠誠を誓う大貴族たちの中には苦々しい表情を浮かべている者もいるが、その多くは服従の意を示している。貴天がその座にいることに対し、真正面から諫めた謹厳な大貴族は翌日から誰もその姿を見ていない。
壇上の貴天オズルを中央に、その前には鬼天、鳥天、獣天の3将が威風を放っている。
「ダニキア様、新王国軍の兵の配置は以上でございます」
鬼天ダニキア配下の鬼面の男は床に広げた地図を見ながら詳細な説明を終えた。
「うむ、ごくろうであったな。お前は次の作戦に備えろ」
鬼天ダニキアがうなずくと男は静かに退出した。
「さて、我々の対要塞陣地も完成し、敵軍の配置も把握できました。これでいつでも本格侵攻に移ることが可能でございます」
そう言って、鳥天ダンダは手元の報告書を閉じる。
「では次の報告だ。本日までの戦況を報告せよ!」
獅子の顔をした獣天ズモーは、後ろに控えていた貴族の一人に向かって言った。男は「はっ!」と声を上ずらせると資料を手に恐る恐る御前に進み出る。
「これまでの戦況でございます! ここ中央戦線では我が中央軍所属の獣化部隊が初日の夜襲で目覚ましい戦果を上げております。それ以降、新王国軍は要塞内に閉じこもり、こちらの挑発にも乗ってきません。夜目が効く我が獣化兵を警戒しているのか、前回のように夜襲を仕掛けてくることもなく、今のところ特に大きな動きはみられません。我が軍は厄兎大獣部隊の準備が整うまでの間、各部隊とも対要塞陣地内で待機中であります」
「うむ」
「次に大森林に向かった別動隊、西部方面の戦況であります! 先にご報告申し上げておりますが、残念ながら別動隊の西部方面軍は大森林内で奇襲を受け潰走! 戦死者こそわずかでありますが捕虜になった者が多数にのぼり、原隊に復帰した者は少数とのことであります」
そこで男はちらりと目を上げ、一天衆の顔色を伺う。
「良い、続けろ」
「はっ! 続いて東部方面軍ですが、船が足りず湖沼地帯を抜けるのに予想外に手間取っており、戦力の集中を欠いた状態が続いております。新王国軍はこちらの上陸予定地に既に防衛陣地を築いており、上陸を図った先鋒隊は大打撃を受けました。部隊は上陸作戦を中止し、一時的に湖上に退却しております。上陸直後に先陣を切った獣人将ズムル様が軽々しく一騎打ちに応じ、これに敗れたのが大敗の一因です」
「下がって良いぞ」
「はっ!」
男は震える足を引きずるように後へ下がった。
「ふむ、西も東もあまり芳しい状況とは言えませんな。オズル様。特に東部戦線で足止めを喰らっているのが痛い」
獣天ズモ―が苦い顔をしながら言った。
獣人将ズムルは獣天ズモーの副将とも言える勇猛で優秀な男だった。そのズムルを初戦で失ったのは痛い。あのズムルを屠るほどの剛の者が敵軍にいたこと自体が信じがたい、まさに予想外と言ってもいい。ズムルを欠いたことで東廻りであの要塞群の側面を突くことがより困難になったのは間違いない。
「聞けっ!!」
ドン! と重苦しい空気を断ち切るかのようにオズルが杖で床を突いた。
「これまでの敗北など大した問題ではない! 元々、新王国軍の力を東西に分散させるのが目的なのだ! 大局的に見れば我らの作戦どおりである。どのみちこの中央戦線での勝敗が全てが決する! 局所戦での敗北など気にするな。作戦は予定通りに進んでいると考えよ! 良いな!」
「はっ!」
「かしこまりました!」
集まった諸将たちは一斉に気合に満ちた声を発する。誰一人うつむいている者はいない。
「さて、貴族諸君! もう一度言い渡すが、今回はどの部隊も新兵が多く参加している。今はその教育を最優先させろ、勝手な抜け駆けは厳禁である。命令あるまで絶対に出陣してはならない! 血気にはやって抜け駆けする部隊があれば、誰であろうと容赦なく処断する! よいな、心せよ!」
オズルの言葉に一同は無言でうなずいた。
「では、ダニキア、作戦を伝えろ」
「はっ」
鬼天ダニキアがオズルの前に立ち、一同を見渡した。
「それでは作戦を伝える。これより数週間、鳥天ダンダの鳥人部隊は上空より敵要害およびその兵舎を攻撃! 火弾を放ってこれらを焼き払う! これにより敵の魔法防御網をズタズタに引き裂くのが目的である! そして魔法防御網に穴が開き次第、デッケ・サーカの街に対する空襲を開始する!」
「魔法防御が突破できれば、我が配下の暗殺者部隊を上空より敵の背後に侵入させ、敵要人の暗殺を実行する!
獣天ズモ―の獣人部隊は別に命令があるまで待機だ。新編成の獣化部隊は、鳥人部隊の攻撃が始まって3日後に陽動攻撃を開始する。これは厄兎大獣隊を射程まで接近させるための囮作戦であるが、敵要害への侵入、城壁の破壊も現場の判断で進める!
厄兎大獣が城壁に穴を開けるまで、各本隊は対要塞陣地内で待機! 前回の敗戦で新兵が多い、待機中に少しでも新兵を鍛えるのが目的だ! よいな!」
「はっ!」
貴族たちの顔に緊張が走る。
いよいよ本格的な対新王国討伐戦が始まる。
作戦の開始を前にテントの外では、既に鳥天ダンダ配下の鳥人部隊2千人が集合していた。
空を自由に飛べる鳥人と呼ばれる魔族は元々は高山に住む少数民族である。
手の指が長く伸びて、そこに羽膜が発達しており、高所から滑空して飛行する。平らな地面から飛び立つことができないのだけが短所だが一旦飛んでしまえば問題はない。
「鳥人部隊! 西の山に移動を開始! すでに工兵が滑空陣地を完成させておる! 鬼天配下の選ばれし者どもよ! 鳥人部隊の後に続いて移動開始だ!」
鳥天ダンダが命じると、部隊はゆっくりと移動を始める。
ついに決戦が開始される。
ー---貴天オズルは戦闘指揮車の高楼に登って自軍の動きを見下ろしていた。
「シュトルテネーゼ見ろ。これが我が軍、俺とお前の兵だ」
オズルは隣に立つ表情のない美女の肩を抱き寄せた。
シュトルテネーゼは人形のように虚ろな瞳にただ高原の景色を映している。いや、これは本当に人形である。本物のシュトルテネーゼは帝都の地下のカプセルの中で未だ夢を見ている。
「必ずお前を取り戻す。やっとこうして会えたんだ。今度こそこの呪われた運命の輪から二人で脱してやる。例えどんなことをしても、世界中の人々の怨嗟を一身に受けたとしても」
「……オズル様、帝都から例の準備が出来たとの連絡が先ほどありました」
執事のカルディが二人の背後に顔を出した。
「そうか、では直ちに取り掛かるように伝えろ」
「はっ」
「こたびの戦さを契機に一気に王宮内の勢力地図を塗り替えることになる。心してかかれよカルディ」
「はっ。新王国に一矢報うことで魔王国内で王族よりも頼りになるのはオズル様との声を高める。そしていざという時の主力兵として、新兵を育て、”その時”が来るまで温存しておくということですな?」
執事カルディが主人の横顔を見た。
「そういう事だが、あまり頭が切れすぎると身を滅ぼすぞ」
オズルはそう言って冷たく笑った。
ー---------
「おーい、エチアはいるか?」
ジャシアは月明りを背に天幕を開けた。
わらの敷かれたテントの中で可憐な全裸の美少女が目を開いた。そして犬が伸びをするように背筋を湾曲させて身を起こす。
「ジャシアさん、こんな時間に何かありましたか?」
こちらを振り返ったエチアだが、両手や尻尾、耳は狼のままだ。やはり完全に人間の姿に戻ることが次第に難しくなってきている。
「ちょっと様子を見にきたんだぜ、これ、一緒に食おうぜ」
そう言って手にした干し肉と酒を見せた。
「まぁ、どこから盗んできたんです?」
「人聞きが悪いんだぜ、大貴族の連中が呑気に酒宴なんかしていたんで、その厨房からちょっと拝借してきたんだぜ」
「ほら、やっぱり盗んできたんじゃありませんか」
「ははははは……、まあいいから食おうぜ。こっちにはロクな配給もないんだろ?」
獣化兵はあまり食事を必要としない。
いや、本当は食った方が良いのだが、荒れ地や砂漠でも長期間活動が可能なように肉体が変化している。
しかし、食事をとらず、食生活のリズムを失う事も人間性を失うことにつながって行く。帝国はあえて与える食事を制限することで獣化兵を人間とは違う存在にゆっくりと変えていくつもりらしい。
うん、まだ大丈夫そうだ。
ジャシアは、美味しそうに干し肉をかじるエチアを見て微笑んだ。この少女は強い。カインへの想いがこの少女を強くしている。獣化の病に負けまいという意思がある。
やはり凄い男なんだぜ。
ジャシアはカインを思い出し、そっと腹に手を置いた。
「ところで初日の奇襲戦で負傷した獣化兵たちの傷は癒えたのか? 重傷者もいたんだろ? あの時は一緒に出撃できなかったからな」
「ええ、私たちの回復力は知っているでしょう? みんな無事でしたよ」
「そうか……」
「それにしても今夜はどうしてわざわざ? 何か用事あるから来てくれたのでしょう?」
エチアの瞳はジャシアの考えを読み取るように鋭い。
「実はこれなんだぜ」
ジャシアは懐から魔導通信の記事を取り出した。
「これは?」
「一週間前の魔導通信なんだぜ。ここを見て欲しいんだぜ」
そう言ってジャシアが指さしたのは、”星姫様コンテスト、新たな星姫様爆誕!”という記事だ。
どうという事のないミスコンテストの結果を書いた記事なのだが……
「これがどうかしましたか?」
「この優勝したカミアという娘の所属を見てくれ」
「所属……カッイン商会? カッイン?」
「な、名前が似てるだろう? 伝手をつかってちょっと調べさせたんだ。そうしたら、これは極秘なんだが、ダニキア配下の者がそいつの仲間に討たれたらしくてな、ちょっとした騒動になったらしいんだぜ。
かたき討ちだと息巻く連中がいたらしいが、今は戦時中だから駄目だと止められたらしい。しかし、そいつらの情報網によるとカッインという名の男は、ボロい長靴ときったねェ骨棍棒が目印の変態なんだそうだ」
そう言ってジャシアがエチアの顔色をうかがった。
「!」
エチアは固まっている。
「もうわかっただろ?」
ジャシアがニヤリと笑う。
「まさか! 本当にカイン? カインがシズル大原まで来ていた? オミュズイのすぐ隣の街ですよ!」
「そうなんだぜ。ボロ長靴の変態なんて呼ばれる男は一人しか思い当たらないぜ。たぶんカッインがカインなんだ。あいつは生きている、そして今はシズル大原あたりをうろしてあちこちの街で薬屋に接触しまくっているそうなんだぜ」
「薬屋ですか?」
「ああ、おそらくあいつはお前の獣化の病を治す薬を探しているに違いないんだぜ。な、カインの居場所が分かったんだ。こんな所で戦争の手駒にされている場合じゃないんだぜ。隙をみて一緒に軍から逃げ出すぜ」
「ええ、カイン、私、カインのところに行きたい…………」
美しい月を見上げたエチアの頬を涙が伝った。
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