10 動き出す歯車たち

第153話 カインの夢とシュトルテネーゼ

 その地下室は妙な機械で一杯だった。


 一定のリズムで唸りを上げる大きな計測器の前を白衣の服を着た連中が動き回っている。


 「この男で間違いないな?」

 「はっ、半覚醒状態とは言えミレニアムが彼女自身の暗黒術で見つけ出した男です、間違うはずがありませぬ」

 「よし、始めよう」


 沈みゆく意識……

 俺は上も下もない空間を漂っていた。


 これは夢だろうか、カラフルな景色が見える。俺は自分自身がそこにいることに気づく。これは夢、それとも前世の記憶なのか……


 深く、深く、俺は心の奥底へ沈んでいった……



 ◇◆◇


 ーーーー下から何かがシュトルテネーゼ王女に迫った。

 髪飾りがちぎれ跳び、美しい金髪がなびいた。


 毒々しい血の色をした花が開いたような、あれは肉食植物の口腔? 食われるっ!

 不意に崩れ落ちた崖、馬から投げ出された脳裏に走馬灯がよぎる。お父様の言うとおりこれは罠だった。

 

 たとえ祖父同士が定めた許嫁と言っても、開戦間近の敵国の王子からこのタイミングでの秘密裏の会談など、最初から罠だったのだ。戦争を回避するという淡い夢を見ることは罪だったのか……


 既に前後を走っていた護衛の騎士たちの姿はない。

 怪物に急襲され、崖から落ち、下で待ち受けているあの肉食植物の餌になる定めなのだ。


 「姫っ! 手を!」

 不意に溌溂とした声が諦めかかった私の耳に飛び込んだ。


 目を開く。

 そこに崖を跳び越す灰色の馬の背から手を伸ばす者がいた。素顔をさらした凛々しい表情、護衛の若き騎士の一人だろうか。


 言葉はない。

 だが、その手が彼の手を掴んでいた。

 彼の指に敵国の王家の指輪が光った。


 一瞬の風が二人を吹き抜けた。

 


 ーーーー美しい庭園に私は佇んでいた。

 「シュトルテネーゼ、ここにいたか」

 「お父様!」

 声に振り返った目に映ったのは、頭に包帯を巻いた父王と血まみれの近衛騎士たちである。


 その背後に彼がいた。

 憎むべき敵国の王子、国を滅ぼした男の息子、そして自分の命の恩人でもある婚約者……。

 どうして、貴方はそんなふうに平然としていられるのです? いや違う、彼は悲痛な心情を隠している。


 「シュトルテネーゼ、最後にお前に会えてうれしいぞ。良く生き延びてくれたな」

 父王が優しく抱きしめ、私は涙をこらえきれない。


 「最後……なのですか?」

 「うむ、邪神の正体を見抜けず召喚し、神と信仰した結果がこれだ。国を失い、多くの民を死地に追いやった。世界を滅びに向かわせた愚かな王として最後の務めを果たさねばならぬ」

 「父上……」

 「こうしてお前に会えたのも、エクスト王子の計らいがあってのことだ。刑場に向かう途中にここへ回ってくれたのだ」


 「セイスル王、お時間です」

 エクスト王子の傍らの騎士が告げた。

 


 ーーーーーーーーーーー


 巨大な邪神が大地を焼き尽くし、地上から無数の生命が滅亡していった。この世界の最後の希望、神竜の使い手として前線に立ち続けた私を最後まで支えたのはエクスト一人だった。


 「シュトルテネーゼ姫! このままでは神竜まで呪いに染まってしまいます。ここは一旦退却を!」

 彼が聖なる盾で私を守っている。


 「いいえ、邪神はあと一柱、こちらの神竜は三柱です。勝てます!」

 私は神竜を信じる。その青白い炎が邪神の最後の抵抗を跳ねのける。最後にシュトルテネーゼが選んだ神官服はまるで純白のウエディングドレスだ。


 「やったのか?」

 「くっ、エクスト様! 逃げてください! これは、この力は!」

 

 邪神の最後の力だ。

 敵を我に置き換える。

 「シュトルテネーゼ! もうやめろ! 君が!」

 純白のウエディングドレスが漆黒に変わっていく。

 神竜が次々と黒い血を吐いて苦しみ出した。


 思い出せ、父を殺したのは誰だ……。邪神がささやく。

 「違う、違います!」

 シュトルテネーゼが叫ぶ。わかっている。父王を処刑したのはネクスト王子だ。彼が父の首を刎ねたのだ。

 

 憎め、憎むのだ……邪神がその処刑のシーンを見せる。父の首を切り落とし、邪悪な笑みを浮かべるエクスト。


 違う、違う、違う! エクスト様はそんな顔をしなかった。

 憎め、恨め……、わしの最後の呪いだ。


 「シュトルテネーゼ! ダメだ!」

 

 エクストは彼女を守るための聖なる盾を発動しているため動けない。


 広大な無人の大地と化した地上で黒き力に染まった竜が吠え、ついに邪神の最後の一片をかみ砕いた。


 その瞬間、世界に満ちていた邪悪な気配が霧散した。


 「シュトルテネーゼ!」

 聖なる盾を収め、駆け寄ったエクストの前でシュトルテネーゼがにやりと笑った。その邪悪な笑み。エクストを睨む目は深い憎しみと恨みの色に染まっていた。


 「エクスト、我が父、我が国の仇めッ!」

 シュトルテネーゼが放った短剣の切っ先がエクストの頬を裂いた。

 「やめろ!」

 「死ねっ、裏切り者!」

 シュトルテネーゼは気が触れたように短剣を振り回し、襲い掛かってくる。


 「シュトルテネーゼ!」


 (エクスト様、邪神の呪いです。身体の自由を奪われました。奴は私を使って神竜まで使役するつもりです。お願いです。これ以上の災厄をもたらさないため、私をここで殺してください!)


 「何を言う、しっかりしろ!」

 エクストはその手を押さえ、涙した。

 (早く、早く、殺して! 神竜も穢れました。私があなたを殺す前に!)

 ハッ! と見上げる空に神竜だったものの巨大な足が振り上がっていた。エクストを踏みつぶす気だ。


 「エクスト!」

 「シュトルテネーゼ!」

 彼女は手にした短剣に力を込めた。それを払いのけようとした時、短剣が光った。

 

 「!」

 「これで良いのです……」

 短剣は彼女の胸を貫いていた。エクストの力を利用して自らを刺したのだ。


 「ば、ばかなことを! まだ間に合うはずだったのだ!」


 (ありがとう、エクスト様……)

 「こんな、こんな終わりはいやだ、いやだ!」

 

 巨大な影が二人の頭上に落ちた。

 「お前か、時空裂の青竜……お前が希望だったのにな……」 

 そこには半狂乱になった竜の姿がある。突然の契約者の死に混乱したのか、無数の時空の乱れを周囲に発現しながら、その足は直下に落ちた。


 (どこまでも君を探す、そして世界中を敵に回しても必ず君の魂を救い出す、約束だ)

 死んだシュトルテネーゼを抱いたままエクストは最後に微笑した。



 ◇◆◇



 誰かが呼ぶ声がして、ふいに何かが胸を貫き、俺を引き裂いた。

 痛い、苦しい。

 心臓の鼓動だけが響く。


 (気をしっかり持つのです。自我が失われてしまいます)

 その声が俺を光の方へ導いて行く。


 俺の中で眠っていた何かが引きはがされていくのを感じる。


 感覚的に魂が分離されたのだとわかる。


 元々二つだったものが一つの容器に入っていただけだ。それが元に戻っただけである。


 この状態では性別など関係がないはずなのだが、鏡写しに立つもう一人の俺は女のようだ。そんな気がした。


 (君は誰だ?)

 (あなたは誰です?)


 (俺は、カイン。ミスタル国の下級貴族の長男だ)

 (私は、シュトルテネーゼ。聖ホルストイ帝国の王女です)


 (君が俺の中にいたのか?)

 (我が一族の血脈たるあなたの古き血が、私をこの世界に呼び寄せたのでしょう?)


 (呼び寄せた?)

 (ええ、私は色々な異世界と時空を旅することになった魂、この世界に来たのもおそらくはエクスト様の魂に呼ばれたため……)

 

 (誰だ? それは)

 (私を最初に殺した仇にして、私が永遠に愛する人……)


 (君は……)

 (あなたは……)


 その時、急に機械音が呪文のように大きく響き出し、俺の中に眠っていたその魂は光の向こう側へと吸い込まれるように上昇していった。


 『ミレニアムへの融合成功、欠損精神体の充足率100%に達しました。シリアルナンバー1000を完全起動します』人が発した言葉ではない。ただそんな意味の言葉だと感覚で分かっただけだ。


 (成功です。彼女が覚醒します……)

 (……様に連絡を、急げ)


 (この男の残滓はどうする? こいつ、崩壊しなかったようだぞ)

 (残りかすとは言え、中々に強い魂じゃないか。これは例の箱の蓋にちょうど良いのではないか?)

 (おお、そうだな蓋だ。これに耐えたのだ。蓋にいい)


 その瞬間、魂の俺は急速に落下を始めていた。


 足元がざわりとする。見下ろすと真下に黒い口を開けた禍々しい箱が見える。

 今あそこに吸い込まれたらおそらく二度と出られない、そんな気がする。


 俺はなぜか素っ裸で、必死に抵抗して箱の蓋にしがみついた。


 うわわあっ……吸い込まれる!

 少しでも油断すると飲み込まれそうだ。

 箱の中からは禍々しい気配と苦悶の声が響いてくる。これはやばい箱だ。


 (よし、うまく蓋に張り付いた。こいつがそこで最後の瞬間まで意識を保っているようなら成功だな。ーー蓋を閉じろ)


 俺の足元で蓋がスライドして閉じていった。吸い込まれることはなくなったが、手足が蓋にくっついて引き剥がせない。


 (ああ、準備は整った。既に出発している……に連絡を入れろ、準備完了、御魂箱は満ちたと)

 遠くでそんな会話が聞こえた。

 

 「誰か! 助けてくれ!」

 俺は叫びつつも、妙な夢だと醒めた目でそれを見下ろす第三者の自分もいるのだった。

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