第62話 仇の名はサンドラット

 何があったのか。

 バゼッタの顔色が明らかに変わったのが分かる。


 「なんと言った? サ、サンドラット……?」


 「ん? どうかしたか?」


 「そうか! てめえがサンドラットか! よくものこのことこの街に戻って来やがったな。今度は何だ? また砂漠の秘宝が何とかって言うんじゃないだろうな?」


 「おいおい、何のことだ? 俺はお前とは初対面のはずだが?」


 「古道具屋のババス。その名前を忘れたとは言わさねぇ! この野郎っ!」

 叫び声とともにバゼッタが飛びかかった。


 その拳は目が覚める速さ!

 かわすのは無理! 誰もがそう思った。


 だが、バゼッタの攻撃は空を切った。サンドラッドはバゼッタの拳を紙一重でかわす。


 「……ぐっ!」

 と息を吐くバゼッタの脇腹には逆にサンドラットの拳が深く食い込んでいる。


 「ぐあっ!」

 バゼッタの口から苦痛の声が漏れる。しかしその目の殺意は消えていない。

 「いきなり何だってんだ、坊主!」

 サンドラットは素早くバゼッタの腕を抱え込み投げ飛ばす。


 「チッ!」

 バゼッタが宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられる。しかし、彼は素早く地面に両腕を突くと、その身体をしなやかに回転させた。


 直後、目にも止まらぬ速さで強烈な回し蹴りがサンドラットを襲った。


 「おっと! しつこいガキだな!!」

 サンドラットは両腕を交差して、その足蹴りを真正面から受け止める。しかし、その威力は予想外だった。


 「バカがっ! 甘めえんだよ!」

 「!」

 ただでさえ強烈な一撃に魔力がのっている。


 風魔法の一種か。疾風をまとって威力が倍増した足を振り切って、バゼッタが砂煙を上げて目の前に着地する。


 その凶悪な蹴りはサンドラットのガードを崩し、そのまま押し切ってサンドラットを蹴り倒していた。


 「サンドラット! ぐひゃあ!」

 吹き飛ぶサンドラットを背後から庇ったカインか情け無い声をあげ、二人は激しく路上に転がった。


 「カイン! サンドラットさん!」

 オリナが叫んだ。


 「大丈夫かよ、サンドラッド? おい、やめろ! 俺たちが何をしたというんだ?」


 意外にも立ち上がったのはサンドラッドよりも俺の方が早かった。サンドラッドは軽い脳震盪を起こしたようだ。


 俺はとっさに骨棍棒を手にとると、バゼッタとサンドラットの間に立ちふさがって身構える。


 「やめとけ……カイン……こいつは、”サンドラット”って奴に話があるらしいぜ」

 サンドラットが額を叩き、滲んだ唇の血をぬぐった。

 

 そして俺を脇に押しのけ、そいつを見上げる。その目はむしろこの状態を楽しんでいるかのようだ。


 「サンドラッドめ、てめえが親父さんを狂わせたってことぐらい知ってるんだぜ!! 舐めやがって!」

 指をポキポキと鳴らしながらバゼッタが近づく。


 「親父さんだと?」

 「しらばっくれる気かよっ!」

 またも拳に回転する風をまとわせ、バゼッタが狂犬のように殴りかかった。


 「ちっ! 話くらい聞け!」

 サンドラットは素早く地面に片手をつき、両脚を回転させ、思い切りバゼッタの足を払った。


 「うわっ!」

 「喧嘩慣れしているつもりだろうが、まだまだ素人なんだよ! 魔法で意表をつかれなきゃなんて事ない!」


 そう言うと、サンドラットは体勢を崩して倒れ込むバゼッタを素早く捕まえ、身を入れ替えた。

 そして、すかさず倒れたバゼッタに馬乗りになり、首を締め上げ、あっと言う間にバゼッタを地面に組み伏せてしまった。


 「く、くそうっ! てめぇ!!」

 必死にもがくバゼッタだったが、全く振りほどく事が出来ない。

 このあたり、サンドラットの方が一枚も二枚も上手だ。場数を踏んでいる男の動きと言ってよい。

 これでもしサンドラットが短剣を抜いていたら、今頃バゼッタは首を掻き切られて死んでいる。


 「お頭!」

 背後にいたバゼッタの仲間が武器を抜いた。


 「お、お前らは、動くな! これは俺とこいつのサシの勝負だ、邪魔するんじゃねえ!!」

 仲間が助けに入ろうとするのを苦しそうな息を吐きながらバゼッタが止めた。


 「サンドラット! なぜ、一息に殺さねえ? 親父さんを狂わせ、虫けらのように殺したお前が!!」


 「それだ、一体何の話だ? 聞かせろ。おっと動くなよ」

 サンドラットは抑えている腕に力を込めた。


 「サンドラット、お前とあの赤い魔女がグルになって親父さんを連れて行ったんだろうがよ! 忘れたとは言わせねえ!」


 「赤い魔女だって? 何のことだ?」


 「しらばっくれるんじゃねぇ! 親父さんは、この街一番の目利きの古道具屋だったんだ! 思い出したか! 親父さんは孤児だった俺たちの飯代を稼ぐため、お前らの呼び出しに応じて! …………帰ってきた時には廃人、狂い死にしたんだぞ!」


 「そうか、なるほどな……」

 サンドラットが手を緩めると、バゼッタは束縛を逃れた。


 「だから、てめえ、ここで親父さんの仇を取らせてもらう!」

 バゼッタは首を押さえて咳き込んでたが、その目にギラつく闘争心はまったく消えていない。それどころか一度負けて放されたことが自尊心を傷つけたのか。手負いの狼のような表情だ。


 バゼッタは背中に手を回し、腰のベルトに差していた鋭い短剣を手に取った。


 「お前はそいつを見たのか? サンドラットと名乗った男を? それは本当にこの俺だったか?」

 サンドラットは無防備に両手を広げると、刃物をチラつかせるバゼッタの瞳を見つめた。


 お互いの目に濁りはない。

 こ、こいつ…………

 拳を交えた男同士だけが感じる魂の共鳴とでも言うべき感覚がバゼッタの憎しみに染まった心にわずかな疑問を与えた。


 サンドラットの目と立ち振る舞いに違和感を覚えた自分を否定するかのように、バゼッタは突然「ハイダン、ここへ来い!」と苛立ちの混じった声で叫んだ。


 「はぁはぁ……、何でしょうか? お頭……」

 すぐにもっさりとした小太りの少年が走ってきた。たいした距離でもなかっただろうに額にはじんわりと脂汗が浮き出ている。


 「こいつを見ろ! こいつが親父さんを連れて行った男、サンドラットだな?」


 「お頭……」

 ハイダンは一目見るや汗を拭きふき首を横に振った。


 「こいつは全然違います……。親父さんを連れ出した男はもっと小柄で貧弱な奴でした」


 「小柄で貧弱…? まさか、そいつは……、ちっ! ありえる話だ」

 何か知っているのか、舌打ちしたサンドラットの目が険しくなった。


 「なんだよ! 人違いかよ! 紛らわしい名前を出しやがって! ……だが、勝手に勘違いしたのはこっちか! ああ、まったくすまなかったな。悪かった!」

 バゼッタはすぐに短剣を戻した。こいつはどうも即断即決するタイプらしい。おっちょこちょいとも言う。


 バゼッタはすぐに自分の騎乗する魔獣の手綱を手にした。

 「おっさん、この詫びは貸しにしといてくれ! 行くぞ、てめえら!!」

 

 「ちょっと待てバゼッタ!! その話をもう少し詳しく聞かせろ! お前が仇に思っている男、そいつは俺がずっと探している奴かもしれねえ!」

 サンドラットが魔獣に乗ったバゼッタを呼び止めた。


 「あんたが探している?」

 「ああ、性根の腐った男だ、奴ならサンドラッドの名を騙ることもやりかねん」


 「奴が現れたのは数年前だ、親父さんは珍しい古美術品の鑑定を依頼されてどこかに連れ出された。返って来た時にはすっかり廃人になっていて、闇に恐怖しながら死んだ、それだけの話だ」


 「そいつがサンドラットと名乗っていたんだな?」

 「ああそうだ! サンドラット…、ふざけた名前だぜ。どうせそいつもお前も、本当の名じゃねんだろ?」


 「間違いない、奴だ……」

 サンドラットが拳を握り締めた。

 奴が鑑定させようとした古美術品というのははおそらく”例の物”だ。狂い死にしたということは、奴は既に封印を解き、外に出したということだろう。


 「人違いとは言え、あんたら、この俺たちを前に良い度胸をしているぜ。もうちょっと話をと言いたいところだが……」

 そう言ってバゼッタはちらりと視線を移動させた。

 通りの向こうに集まってくる巡視兵の姿がある。


 「お頭、兵に見つかりました! こっちに来ます!」


 「ちっ、邪魔が入っちまった。この件はいずれまた今度なっ!」

 そう言うと、バゼッタは「ハッ!」と魔獣の腹を蹴った。

 魔獣が吠え、空気がビリビリと震える。

 リサは思わず耳を塞いで目をつむった。


 「じゃあな!」

 魔獣はその巨体に見合わず身軽に俺とサンドラットの頭上を飛び越し、次の細い路地を曲がって行く。

 後に続く魔獣の暴走集団を避け、俺たちは道の端に逃げた。目の前を砂煙を上げてそいつらが次々と通り過ぎていった。


 「待たぬか! 厄介者ども!」

 騎兵を先頭に現れた歩兵の一団が、その後を追って路地に駆けこんでいく。


 その足音が次第に遠ざかり、呆気に取られていた周囲の人々はようやく我に返った。


 「大丈夫! カイン、サンドラット!」

 オリナがリサを連れて駆け寄った。


 「ああ。大丈夫だった。玉も無事だった」

 俺は股間を押さえた。


 「今のは戦闘用の鎧犀よ。あんなのを街中で乗り回すなんて、非常識だわ!」

 「そうよ、危ないよ、ぷん!」


 「帝国の統治下の街でもあんな連中が好き勝手やっているんだな。細い路地裏をあんなでかい魔獣に乗って暴走するには結構な腕がいるだろうに。その技術をもっと別な所で活かせないのかよ」

 サンドラットは奴らが去った通りを眺め、埃をはらった。ついさっきまでの怒りの気配は鳴りを潜めている。


 俺はサンドラットを見つめたが、例の男の説明はしてくれないようだ。誰にも立ち入られたくない理由があるんだろう。


 「おいおい、あんたら災難だったな。よく無事だったもんだ」

 店の窓から顔を出した男が話しかけてきた。

 やがて通りに人が戻り始め、露店の店主も再び道に店を広げる。


 「あいつらはバゼッタ団という連中で、いつも50人くらいでたむろしている不良どもだよ。これ以上関わりにならないように気を付けた方がいいぞ」

 「忠告ありがとうよ、おっさん」


 「良い旅を」


 「あっ、ちょっと待ってくれ」

 手を軽く降って背を向けかけた店の親父をサンドラットが呼び止めた。


 「親切ついでに教えてくれ、この辺りに何でも買い取りしてくれる古物屋はあるか? 信用できる店だ」

 「ん? ガラクタ屋か? なら、目の前にあるぞ」

 店の親父は通りの反対側を指差した。




 ーーーー胡散臭い目つきで老婆が俺たちを見上げた。地面に布を直に敷いて商品のガラクタを売っている。


 「なんだい? 何か欲しいのか? 欲しいのがあれば言いな」

 椅子に腰かけたまま、俺たちには興味なさそうに布で黄金色に光る金属の腕のような部品を磨いている。

 「へえ、あれは古代遺跡を守るメタルゴーレムの腕に違いないわ」とセシリーナが俺の後ろから覗いた。セシリーナの表情からそれが珍しいものだということが分かる。


 「ばあさん、さっそくだが買い取りはできるか?」

 サンドラットがしゃがみ込んで婆さんの顔を覗き込んだ。その屈託ない表情は相手の警戒を解くには十分だ。


 「何があるんだい?」

 老婆は目玉をぎょろりとサンドラットに向けた。


 「こんなのはどうだい? 星の祭壇で使う玉石だ、一式そろってるぜ」

 「ふーん、見せてみな」

 ばあさんは片手を差しだした。


 サンドラットが渡した石を色々な角度から眺める。

 「一式2000ルシドってとこだね」

 「そうかーー、厳しいな。じゃあ2500でどうだ?」

 じろりとサンドラットの顔を見る。


 「いや、これは2100だね」

 「2400では?」

 「いまどき星の祭壇を使うのは穴熊族くらいで、最近は取引にも来ないんだ。2200、それ以上は出せないね」

 そう言ってメタルゴーレムの腕を左右に振った。それ以上は無理だという意味だろう。


 「うーむ、仕方がない。2200ルシドで手を打とう」

 じゃらりとコインの入った袋がサンドラットの手に渡る。


 「次は俺だな」

 俺はコインを数えるサンドラットを押しのけた。

 「それで? お前は何を売りたいんだ?」

 メタルゴーレムの手で背中を掻きながら老婆はあまり興味なさそうに言う。


 「ザコ貝の殻はどうだ? ほら傷一つない貝殻が10枚もある」

 俺は背負い袋から取り出した紅色に輝く貝を見せた。

 これは東の大陸では芸術品の材料として高値で取引されている貴重品なのだ。


 「ザコか。150ルシドがいいとこじゃな」

 絶句。あまりにも安い。確かルシドって、東の大陸の通貨の倍くらいの価値なんだが、150ルシドでは晩飯だけで消えてしまう程度の金額だ。


 「こんなに程度の良いザコ貝だ、その3倍くらいの価値があるんじゃないか?」


 「欲しい者がおれば、じゃな。今は工芸品より必需品が求められておる。しかもそいつは工芸品ですらない。その材料に過ぎんのだからな。文句を言うなら120ルシドだ」


 おわっ、価値が下がった。


 「わ、わかった。150で良い」

 俺は慌てて手を打った。

 「ありがとうよ」

 にやりと老婆が笑う。ん? なにか騙されたような。

 ちゃりんと軽い音がして、俺の手の平に硬貨が数枚である。


 「次は私ね。おばあちゃん」

 オリナの笑顔。

 孫娘を見るような目でオリナとリサを見上げた。

 さっき、俺を胡散臭そうに見ていた目とは大違いだ。


 リサは店に並んだ用途不明のガラクタを見て喜んでいる。

 オリナは背負い袋から何やら取り出した。


 「これよ。金剛赤化サンゴ、3本あるわ。既に磨いてあるからすぐに使えるわよ」

 オリナが取り出したのは人の指くらいの淡桃色の棒状の物だ。


 「ほぅ」とばあさんの目つきが変わった。ずっと離さなかったメタルゴーレムの腕を地面に置いて、真剣な表情でポケットからルーペを取り出した。


 「ほうほう、珍しい。良い物を持ってるね。見せてみな」

 ばあさんが片目にルーペを近づける。


 「ふむふむ……」

 「どうです? 品質は良いと思いますけど」

 ばあさんは用心深く左右を伺った。

 「いくらで売りたいんじゃ?」

 物凄く小声である。


 「これくらいで、どう?」

 オリナは指を4本立てた。


 「ほう、そうか。その歳でよく相場を理解しているね。よほど親の教育が良かったんだねえ」

 そう言うとサンゴを懐に入れると、黙って椅子の下にある木箱を二つオリナの方に蹴って寄こした。


 「ありがとう」

 オリナは箱を開けると、その中身を背負い袋に詰めた。


 いったいいくらだったのだろう?

 4本だから、400ルシド、いや、あの様子だ、そんな額じゃないだろうな。まさかの4000ルシドか。

 そうだ、きっとそうに違いない。

 俺はオリナの得意そうな顔を見つめた。

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