4 デッケ・サーカの街

第61話 にぎわう街へ

 デッケ・サーカは旧王国に属していた当時から自治色の強い大都市であった。元々魔族のリゾート地としても有名だったこともあり、大戦では早々に帝国に降伏して難を逃れたらしい。そのせいか古い歴史の感じられる街並みに大戦の傷跡はまったく見られない。


 大勢の人々が良く手入れされた歴史を感じさせる石畳の道を行き交い、道沿いに立ち並ぶ商店や食堂も活況を呈している。


 人や馬車で賑わう街道はまっすぐに街の中心にある大きな湖へと続いている。街は湖の周囲を囲んで広がり、家並みが湖に向かってすり鉢状に緩やかに下っている。

 

 「うわーーー、すごーーい人だ! 見て、湖もきれいだよ! おいしそうな良い匂いもする!」

 リサが子犬みたいに鼻をくんくんさせながら愛らしいまん丸な目で俺を見上げる。


 「本当にすごいにぎやかな街だな。リサの目が輝くのも無理ないなあ」

 リサの頭を撫でながら、俺は昔滞在した都の賑わいを思い出す。露店の賑わいと漂ってくる屋台の食べ物の匂い。大きな街特有の自由な雰囲気がある。


 「ここはこの辺りでも最大の都市だそうだからな。周辺の村や街からやってくる者も多いんだろうな。ほら、見たことのない民族衣装の者もちらほらいる」

 赤や黄色の羽根飾りを頭につけた男女や、虎柄の毛皮を腰に巻いている者もいる。


 「ねえ、宿屋は街の中央通りで探しましょうよ。リサがいるし、街はずれの安宿じゃあ治安的に不安があるわ」

 「中央通り? それって場所的に目立たないか? 帝国の目が怖いぞ」

 「大丈夫よ。昔と違って駐留兵は多くないし、これだけの人混みがあるんだから、寂しい街はずれよりもかえって目立たないから」

 「なるほどね、小石を隠すなら河原に隠せってやつだな?」

 「カインの故郷ではそんなふうに言うんだ」

 オリナの顔をしたセシリーナが両手を後ろ手に組んで横から俺の顔を覗きにくる。その仕草がかわいい。

 

 街はデッケ湖を囲む同心円状の道と放射状の道で幾何学状に区画されている。湖の対岸には運河が煌めいて見える。湖面にいくつも浮かんでいるのは色とりどりの小型の帆船だ。運河は東方の湖沼地帯へと続く船道にもなっている。


 「わーー、カイン、あれを見て! 変なの売ってる! 目玉のお化けみたい!」

 「あれは風船菓子だろうな」

 「じゃあ、あれは何っ? あ、あっちのは?」

 「危ないわよ、混んできたから手を離しちゃだめよ」

 オリナがその手を掴んだ。


 四人は人通りの絶えない緩い坂道の一つを下っていく。左右のちょっとした横道にまで多くの露店が出て雑貨や小物を売っており、立ち止まって交渉をしている人の姿も多い。

 中には不気味なトカゲの干物やうねうねと動く触手のような物を売り場一杯に並べている怪しい店まである。


 「ほら、あれが帝国軍の監視塔よ。なるべくあれには近づかないようにしましょう」

 オリナの指差した方角に、伝統的な街並みにそぐわない厳つい雰囲気の円塔が突っ立っている。その外観はまるで街に寄生した菌類のよう。どことなく生物的で何か異質な感じがする。


 「そうだな。別に用も無いし、目を付けられると碌なことにならないからな」


 「監視塔は、ざっと見渡して10か所くらいあるか? あれで、あの塔一つに何人くらいの兵が詰めているんだ?」

 少し前を行くサンドラットがリサの手を引くオリナの方を振り返った。


 オリナとリサは、ちょっと年の離れたお姉ちゃんが人混みで迷子にならないように妹の手を引いているように見える。フードを深く被っているのでリサの素顔、その幼女にしては美人過ぎる顔は見えない。


 「そうね、最大で30名、今は通常配備だからそこまではいないかな。たぶん10名くらいじゃない?」


 「だとすると、この街の塔にいる兵は全部で100人くらいか。思ったより多くないな」

 俺はほっとした。


 囚人都市の兵数に比べれば全然大したことがない。塔以外の駐屯地にどのくらいの兵がいるか分からないが、指名手配が回っていたとしても、この大都市の雑踏の中で俺たちを見つけるのはそう簡単ではないだろう。


 「あっ、ほっとしたでしょ? その油断がダメよ。カイン」

 オリナが人差し指を突き出し、口を尖らせる。


 「数は同じ100人でもね、装備や熟練度が違えば戦力としては大きく変わるわ。ほら、塔の上を良く見てよ。弓兵じゃないでしょ?」

 「うん、確かに違うな。灰色のフードを被った連中がいる」

 「弓は持っていないようだ。あいつらは?」

 サンドラットが目を細めた。


 「きっと魔術師よ。弓兵より厄介なんだからね。もしかすると常時、街中に監視の使い魔を放っているかもしれないわ。それに地上部隊だって見回りしてるわよ」


 「使い魔? そんな事もできるのか? 俺は魔術とか全然知らないからな。そういえばドメナスの騎士養成所の同期にそんな技を使える奴がいた気がするな」

 通信士課程といったか、才能のある者だけが通っていた教室があったっけ。ドメナス王国で特殊な教練を受けていた仲間がいたことを急に思い出した。


 「監視のための使い魔程度なら、ちょっと魔力の強い魔族なら誰でも使える初級魔法ね。私は覚えなかったけど……。まあ、見たり聞いたりすることに特化した覗き魔みたいな単純な使い魔だから、それ自体に危険は少ないわ」


 「使い魔は見ればわかるものなのか?」

 「私なら気配でわかるわ。特殊な遮蔽術を使っていなければね」

 「じゃあ、気づいたら教えてくれ。カインや俺、人族の感覚じゃ気配まではわからない。たぶん気づいた時にはもう見つかっている」


 「任せてちょうだい」

 オリナは自信ありげに微笑んだ。


 出店が多い大通りは、魔族や蜥蜴人のような亜人の姿もあるが、とにかく人間が多い。

 帝国兵は2人一組で巡視しているようだ。特に誰かを探しているようなそぶりはない。俺たちが指名手配されているのか、あそこで死んだことになっているのかは不明だが、用心は欠かせない。


 特に露店を営んで顔がみんなに知られているサンドラットが一番危ないはずだが、彼は顔も隠さず堂々としている。


 「わー! あれは何? あっ、あれ可愛いーー!」

 リサがきょろきょろして歓声を上げている。リサはこんな街を見るのは初めてなので、その好奇心を押さえることはかなり難しい。


 「あっ、手を離しちゃだめよ、迷子になるわよ!」

 オリナはリサがどこかに行かないよう頑張っている。


 良い匂いが漂っている路地の一角。

 露店では肉を焼いたり、果実が皮を剥かれて売っていたりする。籠に入れられた美しい毛並みの愛らしい小動物や素敵な声でさえずる色とりどりの小鳥等のペットも売られている。

 日常用品や武器、美しいガラス細工、甘い菓子、何もかもがリサには新鮮だ。その目をキラキラと輝かせている。


 「見て見て、カイン、あそこの子犬! かわいい! 魔犬の子犬かな?」

 リサが道向かいの店を指さし、セシリーナの手を振りほどいて駆け出そうとした。

 「待って、リサ!」

 その時だ。通りの奥から不意に「うわああ……!」と喧騒が湧き上がって、人混みが乱れた。


 「危ないぞ!」

 「逃げろ! またあいつらが来た!」


 「バゼッタたちだ!」

 「急げ! 壊される前に片付けろ!」

 急に道から人々が逃げ、店が慌てて入口を閉じ始める。


 「なんだ?」

 「何がおきてる?」

 路上に取り残された俺たちの方に、何かが砂煙を上げて迫ってくる。


 それが魔獣の群れだと分かった時には、先頭はもう目の前だった。


 「危ないっ!」

 とっさにオリナがリサを抱えて避ける。サンドラットは軽やかに路肩へ逃げる。


 俺は……道の真ん中でコケる!


 ゲャオウウ! と魔獣が吠え、砂煙が上がった!


 ズドン! と俺が開いた両足の間、つまり俺の股間に魔獣の太い前足が落ちる!


 「ひぇええ! なんだ!」


 「貴様! 危ねえだろうが!」

 大きな魔獣に乗ったまま片手に槍を持ち、荒々しく髪を後ろで束ねた若い男が俺をにらんで吠えた。


 背後に付き従う男たちもどう見てもまともな連中ではない。みな頭にとさかのような羽飾りを付けて、目の周りに派手な紅化粧をしている。まるで化粧を失敗した酒場女のようだ。


 ガッ! ガッ!

 見たこともない魔獣が蹄で俺の股間の地面を蹴る。一本角のごつごつした頑丈そうな体躯の四足魔獣だが、魔馬と同じように騎乗用の魔獣らしい。


 「早くどかねぇか! 薄ノロ野郎!」


 「おおおお! 危ねえ!」

 俺は思わずそのままの姿勢でカサカサと真後ろに後退する。あの太い脚で股間を踏まれたら死んでしまう。


 「バカが! 脇にどけろってんだ! 邪魔だろうがよ! それとも踏み潰されてぇのか?」

 そいつは俺に槍先を向ける。


 「おい! 勝手を言うんじゃねえ! 人が多い通りを暴走して来たのは、お前たちだろうが!」

 サンドラットが俺の前に立ちふさがって、そいつの槍を掴んだ。


 「何だ! 貴様、そいつの仲間か?」

 「かしらに対して生意気な口を! 痛い目をみてえのか!」

 背後の男たちが魔獣から下り始める。


 「ほう? やるじゃねえか?」

 若い男は口元を歪める。サンドラッドが掴んだ槍がびくともしない。


 サンドラットは身じろぎもせずそいつらの動きを見ている。その唇の端が少し上がっている。おもしれえ、そんな風に思っている顔だ。おいおい、騒ぎは起こすなよ、と内心思いつつ俺も立ち上がった。


 「待て! お前らは手を出すな! ーーーーお前、いい面構えだぜ、気に入った。俺はバゼッタ、お前の名前は?」

 男は殺気だった仲間を制しながらニヤリと笑った。

 こいつサンドラットと同類か? 似た者同士だと何か通い合うものがあるのだろうか。


 「俺か? 俺の名はサンドラットだ」


 「な、なんだと?」

 その言葉を聞いた途端、笑みを浮かべていた男の目つきが急に危険な色に変わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る