第60話 <<御前会議2 ー東の大陸 サティナ姫ー>>


 「ひ、姫様! な、何を!」

 「誰か、姫を止めよ!」


 その声に侍従のソチフォばあやが小走りにサティナに近づいて太ももを露わにする寸前でドレスのすそを下げた。


 「ばあや、あの分からず屋にこの婚約紋を見せてやるわ!」

 サティナは足を押さえているばあやを見た。


 この世界では、結婚したり婚約したりすると体のどこかに誓いの紋が浮かぶ。男は下半身に現れ、女は太ももに現れることが多く、紋を通じて相手の生死すらわかるのだ。


 「ここには多くの目があります。御身の太ももを晒すなどいけません。肌をお見せしてよい殿方はただお一人でしょう」

 ソチフォばあやの声には強さがあった。


 その言葉に姫は急におとなしくなった。


 ソチフォばあやは姫がどれほどカインを好きなのか知っている。


 イケメンが多い貴族の基準から言えば、飛びぬけて眉目秀麗びもくしゅうれいというわけではない。二重まぶたの目は少し大きくパッチリしているし、鼻筋は通っているが小顔なので一見すると女に見間違いそうな男だ。

 しかし、彼と会っている時にしか見せない姫の表情がある。姫が作り笑いでない心からの笑顔を自然に見せる数少ない人物が彼だ。


 二人の出会いは、眠る姫のベッドに酔ったカインが全裸で潜り込むという最悪なものだったが、王女という肩苦しい仮面を脱ぎ捨てて、自然体でいることができる、優しい心を互いに通わせる事ができる相手というのはかけがえがないものだ。

 たとえ、どんなに顔がイマイチで、姫を守る勇敢な騎士でなくても良い。それだけに、カインの消息について姫がどれほど胸を痛めているかもわかっている。


 「ごめんなさい、宰相に私の婚約紋が生きていることを見せてやろうと思っただけよ。宰相、あのお方はちゃんと生きております。もしかすると、どこか見知らぬ場所をさまよい、私の助けを待っているのかもしれません」


 トン、と王がしゃくで床を突いた。


 一瞬で静寂と張り詰めた空気が戻る。

 ダナクシーと姫が王を見上げる。


 「話がずれておる。もう良い。姫の考えは分かった。姫よ、今回の作戦への参加を許可する。今回の討伐隊は全部で3つの軍を編成する。王国軍12軍団の4分の1に相当する大編成である。近衛部隊を率いてその第3軍に別働隊として参加するとよい。姫の警護については近衛兵たちに任せる」


 これは王の決定である。

 誰も異論を言う事などできない。


 「ありがとうございます、父上! 王命に従い、我が近衛騎士団は別働隊として第3軍と共に出陣いたします」

 サティナ姫は王に対し、ドレス姿のまま騎士の礼をもって敬礼する。その颯爽とした姿に周囲からため息が聞こえた。


 「姫をよろしく頼んだぞ、カルレッタ将軍」

 王は居並ぶ騎士たちの最前列に立つ人物に言った。


 「はっ。かしこまりました」

 第3軍の長に任命された将軍カルレッタが頭を下げて拝礼した。


 宰相ダナクシーは、合図を送るように書記官に視線を送った。

 壁際に控えていた書記官が素早く走り寄り、宰相に何かを手渡す。


 「さあ、これが命令書である、受け取りなさい」

 ダナクシーが宰相として姫に配属命令を記した木札を手渡した。


 サティナは恭しくその木札を手にした。


 「姫様、第3軍の出発は明後日でございます。ですから、今夜の舞踏会だけは主賓として参加なさってくださいませんか? リナル国からの国賓も来ております」

 ダナクシーは、木札を姫の手にのせたまま、こっそり耳打ちした。


 リナル国は大砂漠の向こう側にある小国の一つで、旧公国から分かれた国の中では比較的大きい国である。旧公国諸国連合には直接参加していないが、経済圏はほぼ一体化している。

 以前に夜会で意気投合して以来、仲の良い友人になった三つ年上のフォロンシア王女とは今も文通している。もっと大きな国の国賓も来ているはずだが、あえてその小国の名を出すあたり、宰相も良く調べているものだ。


 「わかりました。これ以上、無理は言いませんわ。安心してください」

 サティナは札を貰い、颯爽と一礼して、騎士団の末尾に加わった。その一挙手一投足が注目を浴びるにふさわしい凛々しさだ。


 「第一軍総指揮官ガルナン伯、第二軍指揮官リーガ伯、第三軍指揮官カルレッタ将軍、各軍ただちに出撃の準備に入れ!」

 王が立ち上がり、下知を下した。


 「会議はこれまでだ! 解散せよ!」

 王の指示を受け、ダナクシーが宣言した。



 ◇◆◇


 回廊に出ると、ソチフォばあやが青い顔をしたまま待っていた。


 「姫様、なぜあんな無茶をなさったのです?」


 ソチフォばあやが足早に隣に来て、姫を見上げた。

 幼い頃より側に控えてきたばあやだ。最近一段と背が縮んだような気がするが、姫の身長が伸びたせいかもしれない。


 「早く騎士としても一人前になりたいだけですよ」

 「どうしてでございますか? 騎士などになって、あんな危ない剣を振りまわさなくても十分に姫として幸せになれますのに」


 婚約者のカインがいなくなって、王城で毎日心配ばかりしているよりは良いのかもしれないが、それでも姫を危険な場所にはやりたくない。


 まだまだ未成熟ながら既に比類ないほど美しい姫に育っている。どんな男であろうと姫の魅力に抗う者ことができる者などいないだろう。


 婚約者の男、カインには戻ってきて欲しいと願ってはいるものの、王家の血筋を絶やさないという義務がある以上、酷な話だが万が一カインが永遠に帰ってこない場合も考えておく必要がある。


 「そうかもね。でも、そのせいでもあるわ。ばあや、私は幸せになりたいのよ」

 サティナ姫はちょっといたずらっぽく口元を緩めた。


 「?」

 「知っての通り、王位や私の体目当ての男共は次々と湧いてきます。例えば、今日は何通の申し出がありましたか?」


 「今朝届いた結婚申し込みは17通でございます。中には西の大陸のさる王家の名もございました」


 「その方たちは私自身、私の中身を見て結婚を申し込んできているわけじゃない。でもカインは違う。カインは私の中に潜む闇にも気づいている。光が強ければ、闇もまた強くなる。カインは、それに気づいているけど何も言わない。危ない奴だ、くらいには思っているかもしれないけれど」


 「姫様、闇だなどと。そんな事はありません」

 「そうね」

 サティナは優しく笑った。これ以上、ばあやを不安がらせても仕方がない。表向きは高度な光術師だが、その生来の闇巫女の血の危うさを知っているのはごく少数の身内だけなのだ。


 幼い時に、母に無断で闇術を行使してあやうく王宮を消滅しかけたこともある。たまたま気配に気づいた母が術に干渉して中和したから事なきを得た。

 だが、闇術の恐ろしさは物理的な攻撃力ではない、人を蝕む精神攻撃が凶悪なのである。それを無意識に行使しないように蓋をするのはかなりの鍛錬を要する。むしろ闇術師は闇の力に取り込まれ、邪悪な存在に堕ちるか破滅する者の方が多いのである。

 しかも、サティナ姫の闇の力は、魔族でも保有者が稀と言う暗黒術に近いレベルにまで到達していた。このまま成人して暗黒術の師に学べば、暗黒術師にもなれるほどの器とすら言われている。


 少し遠い目をしたサティナに、ばあやは首を傾げた。


 「それにね、私の身分を意識することなく、いつも自然体でいてくれるのはカイン様ただお一人よ。カインの素晴らしいところはね、特別な所が何も無いということよ」


 それは、ただ単に鈍感で凡庸というか、馬鹿なだけでは……とソチフォばあやは思うが、カインの話をしていると姫の目が生き生きとしてキラキラ輝くので何も言えない。


 人を好きになることに小難しい理由は不要だろう。


 「カインが消息を絶って既に数か月、私はできるだけ早く自分の騎士団を一人前に成長させて、カインを助けに行けるように鍛えたいのよ」


 既に王命は下っている。危険な出陣を止めるよう姫を説得することは困難だろう。

 ソチフォばあやは姫の横顔を伺う。


 その顔に後悔や不安がなく、真っすぐ未来を見据えているような明るさがあることに安堵する。感情だけで突っ走っているわけでもなさそうだ。


 「姫様、近衛騎士団は、婚約破棄後の新たなお相手探しという意味もあって、貴族のおぼっちゃまが集められているとお聞きしております。そのような部隊で大丈夫でしょうか?」


 しばしの沈黙、二人は明るい日差しの差し込む回廊を進む。


 「そうね……だからこそ、その意識を変えてもらう必要がある。騎士として本気になってもらうため、あえて死地に飛びこませることになるわね。死を覚悟するような局面を生き抜き、仲間を助けたり、助けられたりした経験を積んでこそ、お父様のような本物の騎士になれるでしょう」

 サティナ姫は微笑んだ。


 「姫様は怖いことをお考えになりますね」


 「大丈夫、これは戦争じゃないもの。虫が相手よ。近衛騎士は大切な仲間になる。誰一人死なせない覚悟で、私も本気を出して挑むから」


 サティナの瞳は澄んで力強い輝きを放っている。カインの事を思うだけでこれほど生きる力が湧いてくるのだ。


 しかし、ドメナスの姫君が第一夫人で無いとは……。ソチフォばあやは、これが運命の巡りあわせなのか、とうなずくしかなかった。姫の婚約者にも既に2人の正妻がいて、彼女たちは姫ともかなり仲が良いが、順番からすればサティナ姫は第三夫人になるのである。ソチフォばあやにして見ればそれが悔しい。


 「それに、王宮を離れる理由が欲しかったのも事実よ」


 「どうしてでございますか? 退屈だからとか言わないでくださいませ」


 「そんな理由じゃないわ。今回の魔獣の駆除よりも怖いのは、王宮内で色々と画策している大貴族の連中よ」


 「先ごろとある中級貴族家が破産したことを除けば、派閥争いもこのところ鎮静化しているとお聞きしておりましたが? 何か新しい動きがありましたか?」

 女官たちの話では、このところ貴族に目立った動きはないと思っていたのだが、姫は何か知っているようだった。 


 「カインの行方不明以降、動きが活発になっているわ。密偵の話では、私を強引に妻にしてしまう計画を企てている大貴族もいるらしいわ。残念ながら証拠はつかめなかったのですけれどね。……あの脂ぎったでぶのガガバ侯が私をどんな目で見ているか知ってる?」


 「大貴族のガババ侯でございますか。あまり良い噂は聞かない方ですね。かなりの女好きで正妻らの他に屋敷に妾を30人以上も囲っているのに、毎週街に新しい女漁りに行くとか、変態的な行為を強いて悦に入っているとか、……女官の噂話ですが」


 「あんな変態ガマガエルの妻にはなりたくはないわ。規則正しい生活でこのまま王宮に閉じこもっていたら、奴が仕掛ける罠にいずれかかってしまうわ。でも私が騎士団に守られて王宮の外に出てしまえば、私に手を出すことはできなくなる。この計画は母上もご承知のことなのです」


 「では、カイン様のため、ご自身の操を守るため遠征に出ると言うことですね。なるほどわかりました。そういう事であれば、ばあやも頑張ってお手伝いさせてもらいましょう」

 ソチフォばあやは腕まくりをして、枯れ木のような細腕をのぞかせニヤリと笑った。


 「カイン、待ってて。必ず私が見つけ出すわ」

 これだけ探して見つからないのだ。かなり遠い場所にいるに違いない。もしかすると、砂漠やその北方の国のどこかにいるのではないのだろうか。カインを案じるサティナの鼓動が早くなった。


◇◆◇

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