第63話 甘い果実亭
俺たちがちょっと早めの夕食を取るために入ったのは街角にある古い食堂だった。
店のドアに下げられた「甘い果実亭」と彫られた看板がひっきりなしに揺れている。中では焼けた香草の香りや独特のスパイスの香りが漂い、蜥蜴人の給仕がせわしなく出来立ての料理を運んでいる。
俺のおごりだ、何でも食べろ! とカッコよく言いたいがこの中で一番貧乏なのがこの俺だ。
「カイン、好きな物を食べてね。お金はあるから」
俺の引きつった顔を見て何か察したのかオリナが微笑んだ。
「メニューを見ても何なのかわからないな」
「筆記体のメニューは俺も読めない。分かるのは金額だけだな」
「わたしもーー。この文字は習ってないーーっ!」
「そうなんですね。それじゃあ、適当に頼むわね? いいかしら?」
三人はただうなずく。
やがて料理が次々と運ばれてきた。
こっちに来て初めて食べる豪華な料理。さすがはセシリーナのチョイス、どれを食べてもうまい、うますぎる!
「うまーい!」
リサがガツガツと食べている。その様子はとてもお姫様には見えない。残念な子になっている。
「これ、美味しい。こんど真似してみようかな」
わざわざ俺の隣に椅子を持ってきたオリナが上品に口をつけた。
俺は骨付き肉を掴んで食べる。肉が大きいので口のまわりは油だらけだ。食い方があったのかもしれん。上品さのかけらもない。これで貴族なのだから笑わせる。
他の人から見たら、俺とオリナはできの悪い兄貴とできの良い妹くらいに見えるだろう。
「おいおいカイン、たった今、聞いてきたんだが、この店、こっちの道路側が食堂で、向こう側の奥のホールが酒場らしいぜ。酒場の看板娘がなんでもかなりの美女らしい。後で声をかけてみないか?」
そう言ってにやにやしながらサンドラットはパンに肉詰めを挟んだものを齧る。
壁で仕切られた店の奥の方をきょろきょろ見てみるが、ここからだと飲んだくれの野郎の後ろ姿しか見えない。その話にはちょっと興味をそそられるが、オリナの視線が険しくなった。
「そう言えば、さっきの買い取り額は凄かったな」
サンドラットがオリナに言う。
オリナは黙ったまま、ちょっとすました顔つきで微笑んだ。
「何のことだ?」
わかっていないのは俺だけだ。
「金剛石化サンゴだよ。あれは宝石並みなんだぜ。王侯貴族が権威を示すための印綬や錫杖の材料に使われる代物なんだ。東の大陸でも貿易が閉鎖される前はわずかに入ってきていたんだけどな」
「知らなかった。俺が商人になったのは貿易閉鎖後だから」
「まあ、無理もない、めったに見られない物だしな」
「凄いなセシリーナ。あ、今はオリナか。それで、一体いくらで売れたんだ? やっぱり4千ルシドか?」
「いいえ、違うわ」
オリナは自慢気に指を振った。
「4万ルシッダよ。ルシッダ大金貨で20枚」
「おう! そうだな。やっぱりそのくらいはするよな」
サンドラットがぐいっとグラスを呷った。
「俺は中央大陸の通貨価値が良くわからん。ルシッダって? 初めて聞いた単位なんだが」
「なーんも知らないのな。お前」
サンドラットが肩をすくめた。
「カイン、ルシッダはルシドの10倍よ」
「なんだ10倍か。ーーーーそれって? ちょ、ちょっと待て!」
「……4万の10倍なんだから。ええーつ、40万ルシド!」
気の弱い男だったら泡を吹いて倒れるくらいの衝撃だ。
むむむむ……妻が40万ルシドも稼いだというのに俺はたった150ルシドか。
ふんむ! と鼻息荒く俺は立ち上がる。
「何? どうしたの?」
「ちょっとここで待ってろ。俺ももう少し稼いでくる」
「おいおい、無理はするなよ」
サンドラットはそう言ってグラスを飲み干して立ち上がると、酒場にたむろする野郎共の背中越しに、「おーい。お姐さん、食堂にいるんだが、こっちにもメアール酒をくれ!」と大声で叫んだ。
「はーい」
「了解」
「わかりました」
若々しい給仕たちの声が店の奥から響いた。
その声に俺が足を止めてしまうほど。声だけでもかなりの美女に違いないと断言できる。用事が住んだら後で行ってみようと心に誓って俺は外に出た。
ーーーーーーーーー
通りに出ると、吹きすさぶ風にあおられて塵が舞う中、これから決闘に赴く男のように歩き出す。
俺は緑色の木の葉が描かれた薬屋のドアを開けた。
カランと乾いた鐘の音とともに店内に満ちている懐かしい匂いが鼻をくすぐる。棚には小分けした袋やビンがたくさん並んでおり、天井からつるされたドライフラワーが隙間風に揺れた。
「いらっしゃいませ。何かご入り用ですか?」
カウンターで若い魔族の娘がにっこりと営業スマイル。
「ええと、薬草とか薬の買い取りはしているかい?」
俺はカウンターの隣にあるテーブルに視線を落とす。
秤が置いてあるので、たぶん大丈夫だろう。
「ああ、買い取り希望の方ですか? 今日はどんな薬草をお持ちですか?」
この子はなかなか良い感触だ。店員は二人、奥で薬棚を整頓している金髪の女性もいるがカウンターには出てこないようだ。
「色々持ってきたけど自前で使う分もあるからね……。今、不足している薬草はあるかい?」
「胃腸関係の効能があるものとか、滋養強壮の薬草とかでしょうか。こちらにどうぞ」
彼女はテーブルに仕分け用の箱を手際よく並べた。
それならと俺は背負い袋を開き、これまでヒマを見つけては採り溜めていた薬草の一部を取りだした。
「これが胃腸関係の薬草。こっちが滋養強壮用のもの。あ、あとこれはゲジ貝の干物」
「あらあら、珍しい薬草ですね。胃腸用のポンポ草ですね。これはなかなか貴重なんですよ。これがこれほど。こっちのポラポ草は南の方でないと自生しない草ですね。お客さん、南から来たんですか? あっちは街道も壊れてるし、旧王都なんて行ける人はいないはずですしね」
と俺をじろじろ見始めた。
まずい、南から来る人はいないのか。
もしかすると脱獄した奴と気付かれただろうか。
彼女は後ろの棚に手を伸ばすと、おもむろに太い反りかえった刀を取りだした。
その目が真剣だ。バ、バレたのか?
命の危険を察知して、俺は思わず後ずさりした。
「えいっつ!」
バン! と机のうえでゲジ貝の干物が一刀両断された。
彼女はその断面をよーく見た。
「乾燥具合は中の上というところでしょうか。これなら標準買い取り価格で大丈夫ですよ」
俺はほっと胸をなでおろした。バレたわけではなかったらしい。
「お客さん、査定額はこのくらいです。と指を2本立てる」
いくらの事かまるで分らない。
だが、ここで聞くといかにも素人丸出しになる。これでもナーナリアの薬屋の亭主なのだ。俺はニヤリと笑って指を3本。
「むむむ。そう来ますか。損しちゃうかも、無理して買い取りしなくても……」と腕組みして思案し始めた。
まずい、買い取りしてもらえなかったら何にもならない。
俺がどきどきしていると、彼女は顔を上げた。
「2.8ではどうですか?」
良かった買ってくれるらしい。
「わかった。それでいい」
俺はいかにも相場を知っているプロのような顔つきで決めた。
「それじゃあ、これが代金です」
そう言って俺に袋に入った硬貨を渡す。
「また、持ってきてくださいねーー」
笑顔で手を振られ、俺は店を出た。
俺は店を出るなり、ぐっと手を握りしめた。
ーーーーーーーーーー
その後ろ姿を窓ガラス越しにじっと眺める者がいた。
「あの男は気を付けた方が良いよ、ハベロ」
振り返ったのはカインが出ていくまで薬棚を整理していた知的な印象が強い若い女性だ。化粧気はまるでないが、金髪碧眼で目力があり顔立ちは整っている。
「えっ? リイカ、どうして?」
ハベロは買い取った薬草を箱に詰めている。
「あいつ、美しい女性であればあるほど虜にしてしまう危ない力を無意識に使っているし、本人は気づいていないかもしれないけど運勢の力が化け物よ。あんな男、見たことない。いつの間にか周りを巻き込んで台風の目になってるような男ですよ、あれ」
「あなた、また鑑定眼のスキルを使ったの? いくら中途半端な力しかないって言っても、そのうちプライバシー侵害で捕まるわよ? まあ、詐欺師に騙されるのを何度も未然に防いでもらったけどさ」
「相手のことや未来が少しでも分かれば、使いようによっては他人との交渉に役立つのよね」
リイカはまたも外を見た。
あの男の何を鑑定しているのか、あれほどリイカが気にする男は初めてかもしれない。
リイカはハベロの一つ歳下だが、目つきが多少鋭く、愛想笑いが下手でいつも睨んでいるように見えるせいなのか、顔立ちは美形だと思うが、軟派な男は決して近づいてこない。
今では弁が立つ頭の切れるお堅い才女として、この辺りでは知らない者はいないほどなのだが、残念ながら男の噂は一度も聞いたことがない。
男には興味がないと自ら宣言しているリイカが、あの男の立ち去る姿を食い入るように見ている。
「どうかしたの? 何がそんなに気になるの?」
珍しいことね、とハベロはリイカの後ろ姿を見た。
窓辺に立つ彼女は、まるで立ち去る恋人を名残り惜しそうに見つめる乙女のような雰囲気すら醸し出している。
「うそだよね? これって、あ、あいつと私の未来? 身体を重ねあって弾けて……。まさかあいつが私の運命の人だってこと…?」
「運命の人ですって? あの人が?」
ハベロのつぶやきに、突然振り返ったリイカの顔が急速に赤くなった。「聞かれてしまった! 恥ずかしい」みたいな顔だ。
長年の付き合いだが、堅物のリイカがそんな純情そうな表情を見せたのは初めてだった。
「きゃあああーーーー!」
リイカが顔を手で隠して、奥に逃げて行った。
ーーーーーーーーーー
「やった! 良い値で買ってもらったぜ。2.8って280ルシドじゃないよな」
俺は自信満々で皆が待つ食堂へ戻った。
オリナとリサはデザートを食べていた。
サンドラットはあの後何杯飲んだのか、酒の匂いをぷんぷんさせながらテーブルにうつ伏せてイビキをかいている。
「お帰りーー」と陽気なリサ。
「おかえりなさい」とやさしいオリナ。
「薬草を売ってきたぞ、見てみろ!」
俺は得意げにオリナの前に皮袋をドンと置く。どうだ、袋の膨らみ具合からしてサンドラットが儲けたのと同じくらいなはずだ。セシリーナの額には遠く及ばないだろうが少しは夫として面目を果たしただろう。
「頑張ってきたわね。見せてもらうわ」
そう言ってオリナは袋を開く。
俺は鼻息が荒い。
「2800ルドね。いい稼ぎじゃない、カイン」
オリナの顔でセシリーナが喜んだ。
ふふん、そうだろ、そうだろ。
「ん? ルド、ルドって何だ? ルシドじゃないのか?」
「えっ、それも知らなかった。ごめん。てっきり知ってるかと」と口元を押さえて目を丸くした。
「リサも知らなーい。これでしょ?」
リサが俺の皮袋から古銅色のかなり小さな豆粒のような硬貨を取り出した。
オリナは自分のポケットから黄銅色の小さな硬貨を出した。
「私のがルシド硬貨、リサが持ってるのがルド粒貨。ルドはルシドの半分の価値なの」
「は、半分だとー!」
俺はめまいがした。
あんなにカッコよくセシリーナの前に出したのに半額とは。
「そうすると俺の稼ぎは」
「2800ルドだから1400ルシドってところね」
「1400、さっきのと合わせて1650ルシド」
それでもサンドラットにすら負けている。
「仕方ないわよ。小さな店で薬草を売買する量は少しだから、大衆向けの薬草店の値段は基本ルドなのよ」
「うわーー、これはがっかりだ」
「そんなことないって。薬草で1日1400ルシド稼げたら立派に薬草店の店主が務まるわ。二人でお店を持って、貴方が私の元に帰って来るたびに集めてきた薬草を調合して、それを私が売って。いやだわ、これじゃあ結局ナーナリアさんと同じか」
そういって照れ笑いした。
そんな風に喜んでくれるならば、まあまあ悪い気はしない。
「硬貨をそのまま持ち運ぶと重いし危険だから、最低限だけ持つことにして、残りは
「何だそれ?」
俺には知らないことばかりだ。
「宝財所は宝やお金を預けておくことができるものよ。指先に専用印を刻印して登録すると、指先を使うだけで支払いができる魔族が作った仕組みよ」
「へえー。東の大陸ではそんなものなかったな。せいぜい手形くらいだ」
「大概こんな店でも登録できるはずだから、向こうのカウンターに行って聞いてみましょうか?」
「サンドラットは?」
「今は寝てるから後でいいわよ。危ないからリサは連れて行くわ」
酒場側のカウンターにはむさ苦しい男どもが集まって飲みながら騒いでいた。その中心にいるのは給仕の少女一人だ。
少女はカウンター越しにかけられる男たちの軟派な声を完全無視しててきぱきと壁の棚にグラスを片づけている。
おおっ、と俺もそのスタイルに釘付けになる。この街で見た女性ではダントツ一番だ。
後ろ姿を見ただけでもかなりキュートでかわいい美少女だとすぐに分かる。給仕服にエプロンをしてるが、足首がきゅっと細くて、ミニスカートに網タイツがエロい。
身長は魔族としてはやや小柄だが、人間の女性だったら平均だろう。その体つきはメリハリが適度でスタイルが良い。雰囲気や仕草から、なんとなく初々しさが伝わってくる。その弾むような若さがまたいい。
肩で切りそろえたショートカット、その先端を少し丸めた髪型が愛らしい。
オリナはカウンターに声をかけた。
「あのー。宝財所に登録したいんだけど」
「はい。お待ちを」
後ろを向いて棚にグラスを戻していた給仕が振り返った。
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