第71話 ハベロの薬草店と厄介な客

 朝市の露店である。

 各地から集まってきた採れたての野菜や新鮮な魚等を並べるのに人々は忙しそうだ。

 昼前にはこれら食材はほとんど売り切れ、午後からは今度はガラクタ屋が店を並べ始めるらしい。


 俺の目的は出店ではない。薬草類を売るので行く場所は決まっている。


 緑の植物の看板が、日の光を浴びながら風に静かに揺れている。薄暗い露店と違い、健康的な明るい印象の石壁の店だ。


 カランと乾いた鐘の音を響かせる。


 「いらっしゃいませーーっ。あら、貴方は?」

 お洒落な植木鉢の薬草に水をやっていたハベロが顔を上げ、営業スマイルを浮かべた。


 「やあ、またきたよ。ハベロ」

 俺は少し仲良くなった店員のハベロ嬢に向けて片手を上げる。


 ハベロ嬢は魔族でセシリーナとは同じ種族らしい。

 耳が尖っていて手足に少し鱗が見える。もちろん独身だそうだ。奥にも金髪の店員さんがいるが、俺が顔を出すといつもそそくさと恥ずかしそうに隠れてしまう。


 「カインさんじゃないですか。また、何かご入り用ですか?」

 巻き髪に大きな赤いリボンが印象的で、決して物凄い美女というわけではないが普通にきれいな町娘である。看板娘なだけあって、ハベロに会うのが目的で通う常連もいるらしい。


 「ここに書かれたものを頼むよ」

 俺は頼まれた紙片を差しだした。


 「はい、見せてください、どれどれ」

 そして「あら、あら」と言って、俺の顔をじろじろと見る。


 「あれっ。何か、変なものが混じっていたかな? ごく普通の体力回復薬の材料だろ? 傷や病気を治す薬とかの」

 ハベロが微妙な表情を浮かべたのでちょっと不安になる。これでも多少は薬草の知識はあるんだけど。


 東の大陸とこっちでは採れる薬草が違うから、東の大陸で使う薬草の代用品をセシリーナから聞いた。

 もっともセシリーナは薬草の専門ではないから不安なところはあるが、薬だと思ったらできたのが猛毒だというような大きな過ちはないはずだ。


 「いえ、ちょっと変わった注文品が混じってるなと思いまして」

 「え? そうかい? どれだ」

 「ええと、このヴョキ葉とか、ジゾックの根皮とか、乾燥セイ根とか……。これってとっても精力が付くアレ用の薬用ですね。それとこっちのレシピだと女性用のものもできますけど?」

 ハベロは紙片を見直している。


 「体力回復とかスタミナ回復薬じゃないのか?」


 「ええジャンルから言えば回復系ですけど。……でも、言いにくいんですが、凄く限定的な用途での体力・スタミナ回復薬と、感覚の上昇効果になりますね」

 ぽっと恥ずかしそうにうつむいた。


 あ、それってまさか?


 「使い道はあの……ごにょごにょ……」

 「!」


 「ですから、夜、あれのときに……。副作用で男自身が無双状態になるってことです」

 ハベロ嬢は俺の耳元で薬の効能を小声で伝える。


 ぼっ! と俺も顔が赤くなる。

 そんなものを俺に買わせるな! といいたくなるのを我慢した。


 「うん、そういうことだ。大人だからな」

 俺は開き直った。


 「ただ今、ご準備します。リイカ! これを取りそろえてちょうだい」と小箱に紙を入れて奥の店員に渡すと、ハベロ嬢は赤い顔をして、急に俺と顔を合わせようとしなくなった。


 店内には俺が売りこんだ薬草や貝の干物が既に並べられて売られている。売り値は俺が売った値段の10倍以上、まあ、そんなものか。今後、セシリーナと薬草店を開いた時の参考にしよう。俺は薬草の平均的な価格を頭の中にメモした。


 カランと音がして、何人かの客が入ってくる。


 俺は気にも留めず商品を見回る。

 特に高額なのは、なんたらという魔獣の角を削ったものらしい。俺の腕ほどもある角は所々削られた跡があるが、立派に反りかえっており、先端が尖っている。

 はかり売り商品だが、ごくわずかの量でも目玉が飛び出すような金額がついている。どこかで手に入ればかなり良い儲けになりそうだ。俺は角の特徴を詳しく覚えるためそれを手にとった。


 「離してください!」

 急にハベロ嬢の声が聞こえて、俺は振り返った。


 カウンターのところで、男がハベロ嬢の手首を掴んでいる。


 「いやだなあ、僕はあなたに会いに来たんですよ。そろそろお返事をいただけませんか?」

 その男、魔族なのだろうが、少しウエーブかかった金髪の髪に涼しげな瞳、いわゆるイケメンだ。身なりも上品で金がかかっている。

 やや細い体格は、鍛えたこともない坊ちゃんだからなのか。

 男の隣には品の良いお付の爺が目を閉じて控えている。


 「私の妻になれば、ホダ家の名誉にかけて貴方にこんな貧しい生活はさせませんよ」

 男はハベロの顎に手を添えた。

 今にもキスしそうな勢いだ。


 「その手をお離しください、ナメンドナ様」

 ハベロは横を向いて、掴まれた手を無理やり解いた。

 「ハベロに何をするんです!」

 奥にいた店員が箒を手にして飛び出してきた。ハベロがリイカと呼んでいた女性で、初めて顔を見たが知的美人という感じだ。


 「何度声をかけられても、私にその気はありませんから!」


 ナメンドナの頬がひきつった。

 「いやだなあ、この僕にこんなお客が見ている前で、そんな事を言う」

 さっと乱れた髪型を直す。キザな奴だ。


 「手荒なことはしたくなかったんですが、どうしても断るというのであれば」

 ナメンドナは言葉を一旦止める。


 掴まれて青あざができた手首を押さえ、ハベロがその顔を睨む。「ここは私が」と箒を持ったリイカが勝気な目でハベロを守るように前に出た。


 「あなたが私と結婚せざるを得ない状況を作っても良いんですよ。私のここに服従紋を浮かべるような事をしてね。くくくく……」

 へその下を指差し、その顔に邪な笑みが浮かぶ。

 ハベロが追い詰められる様子を愉しもうとしているかのようだ。


 「ふふふ……いかがします、へぶっ!!」

 「おっと、すまん、手が滑った」


 俺の手から滑った例の角である。

 思ったより表面がツルツルで、思わず床に落としそうになったのを空中でキャッチ、しそこねて、角が飛んだ先が……。


 「ナメンドナ様!」

 お付の爺がくわっと目を開いてよろけた坊ちゃんを支えた。

 ナメンドナはケツに刺さった黒光りする角を見た。


 あれだけ恐ろしそうな事を言っておいて、ケツに角である。


 店の隅で様子を見ていた客が一斉に「ぷっ」と噴いた。

 箒を手にして睨んでいた才女のリイカまで笑いそうになったが、すぐに不覚、という感じで真面目な顔に戻った。だがダメだ、どう見ても今にも噴き出しそうだ。肩を震わせている。


 「き、貴様か! おのれよくも私の顔に泥を」

 「いや、顔じゃない。ケツだ」

 「貴様、劣等種族の人間のくせに、よくもこの高貴な僕に、セミ・クリスタル貴族のホダ家の僕に恥をかかせたな」

 怒り心頭である。


 「ナメンドナ様、落ちついてくだされ。見れば貧相な人間、貴方様のルックスに嫉妬なさった愚か者でしょう、こんなゴミくずみたいなものにお構いなさらぬように」

 爺の奴め、澄ました顔でひどいことを言う。


 「わかっておる」

 そう言って引きぬいた角を片手でカウンターに置く。

 「丸ごとお買い上げですか?」

 とハベロが抜けたことを言う。


 「払ってやれ、爺」

 ナメンドナがキザに格好をつけ前髪をかき上げた。物凄く高価なはずだが、爺は指決済で払って大事そうに角を抱える。


 「お前、名前はなんという? いや、やはりいい。人間の名など聞くに値しない。貴様、僕のルックスに嫉妬したのだな。そうだろう、そうだろう。そんな女みたいな顔でもてるはずないもんなあ。その点、僕は引く手あまただよ」

 ナメンドナは両手を開いた。


 「さあ、ハベロ嬢も恥ずかしがらずに僕の胸に」

 「嫌です」

 体面を取り繕うとするナメンドナを袈裟がけに斬るセリフ。


 「バ、バカな、お前のような平民をこの僕が妻にしてやると言っているんだぞ」

 「貴方の噂は聞いています、愛情がない結婚は御免です。貴方と結婚するくらいなら」

 そう言って目が泳ぐ。


 ま、まてーー、そこは早まるなよ。

 俺はこれ以上事態が悪くなる前に、出口のドアに手をかける。


 「貴方と結婚するくらいなら、そこの人間と結婚した方がマシだわ!」

 ビシッ! と俺を指差す。


 逃げそこなった俺にナメンドナの敵意に満ちた視線が刺さる。

 「ほう、貴様はそれほどの男か? よっぽど多くの女に慕われているんだろうな?」

 ナメンドナの指が鋭く伸びた。


 指が伸びたのではない、爪がナイフのように伸びたのだ。流石は魔族。


 「お客様、私の後ろに!」

 箒を手にリイカが俺の前に立つ。

 「いけません、ここで無抵抗な者を殺せば、家名に傷がつきますぞ。穏便に、穏便に。そうですな、格の違いを見せつけて敗北させるのです」

 爺が男の後ろから声をかけた。

 そうだぞ、良い事を言った。爺の言うとおりだ。


 「大丈夫だ、リイカ」

 俺はうなずいて、リイカの肩に手を乗せた。なぜか、リイカはビクンとかなり驚いたようだ。


 どうせ俺には元々格などというものは無い。


 「何をうなずいている? さては僕を馬鹿にしているな。お前に格の違いをみせてやる」

 バッとナメンドナはへそを出した。

 いや、正確に言うとへその下の婚姻紋を見せたのだ。


 「見るがいい、婚姻紋は全部で4つ。どうだ! モテない男には羨ましいだろう。はっはっはっは……」

 「なにを言う、俺だって」

 俺もへそを出した。今回は間違ってチンまで晒すことはない。


 「むっ意外だ、妻が3人か。お前のような不細工な男に抱かれるなど、まあ、ろくな女ではあるまいな。悔しくも何ともないわ。はははは……」

 ナメンドナは腰に手を当てて高笑い。


 「ちょっと待て、お前の婚姻紋は5つに見えるんだが」

 俺が指差すと男の高笑いはぱたと止まった。


 「い、いや……何だ、これは……」

 何だか不自然にしどろもどろになってくる。


 「ナメンドナ様、いけませんぞ。意識すると紋が効果を発揮して居場所が知られてしまいますぞ」

 「爺! 嫌な事を言うな! あ!」

 青い顔をしたナメンドナの視線がガラス窓の向こうを見て瞳孔が開く。


 視線の向こうに土煙が上がっている。

 頬に冷や汗が伝う。


 ガラン! とひときわ大きな音がして扉が開き、土煙を巻き上げて茶色の塊がナメンドナに突進した。

 「危ない!」

 俺はリイカを庇いながら下がった。


 「見つけましたよ、ナメンドナ様ーーーーあ!」

 「ひっ、バスカルテ!」

 「ブヒ、昨夜もお逃げになって、ブヒ、夫の勤めを果たしてください。一週間は離れませんよ、ブヒ」

 あー、あれは穴熊族とも違うな。鼻が大きくて上向き、丸い目は白目がないので真っ黒だ。顎髭まで生えている。体格は酒樽みたいで手足は短い。


 「あれは泥豚族の貴族の方よ」

 こっそりとハベロが耳打ちする。

 あーあれがそうなのか。


 「性欲旺盛で子だくさんだから、養うのが大変そう」

 ハベロはつぶやく。


 「た、助けて! 爺!」

 「お覚悟を、半年もバスカルテ様の元に通っていなかったのです。そろそろ夫としては、子づくりしなければならない時期かと」


 「い、いやだー!」

 泣き叫ぶナメンドナはバスカルテに引きずられて出て言った。

 後に残った爺はハベロに謝罪の姿勢をとった。


 「坊ちゃんがご迷惑をおかけしました。これに懲りてくれればよろしいのですが」

 「いいの、いいの、かなり良い取引ができたから」

 ハベロはさっき売った角の儲けを頭の中で弾いている様子だ。


 爺は扉に向かったが、ふと振り返った。


 「ひとつ、坊ちゃんの名誉のために言い訳いたしますが、あのお方は坊ちゃんが言いよった相手ではなく、不幸な事故で肌と肌を触れ合ったが故に、結婚せざるを得なかった相手でございます。肌が触れ合えば結婚しなければならない、これは恐ろしい法なのでございます。貴方もお気をつけあれ」

 最後は呪いのように俺をびしっと指差して、爺は静かに出て言った。

 裸で抱き合えば結婚、というのはこっちでも同じだと言うことは妻になってからセシリーナに聞いた。つまり最初からセシリーナはそのつもりで全裸で俺の隣に寝ていたらしい。


 それにしてもまったく迷惑な奴らである。


 俺は遠ざかる哀れなナメンドナを窓から見送った。

 これから一週間、どんな地獄が待っているのか。考えただけで背筋が凍る。


 「あ、あの……離していただけるでしょうか?」

 俺の腕の中でささやくような声がした。

 「あっ!」

 我に返るとリイカという店員を抱きかかえたままだ。

 俺が慌てて手を離すと、彼女は顔を赤くして店の奥に逃げてしまった。

 

 「悪いことをしたかな?」

 「リイカですか? 大丈夫ですよ」

 「そうか?」

 「まあ、ゴタゴタがありましたが、カイン様のお薬の材料、ご準備できていますよ」

 カウンターの上に布袋が置かれた。


 「ありがとう、代金はこれで」と指印を用いる。

 支払いを確認すると、ハベロは俺の目を見た。


 「……それで、これが例の物です」

 カウンターの袋とは別に、小さな小袋をそっと俺の手に乗せた。


 周りの客に用心して俺の手に握らせる。

 何だか不正な物の取引をしているかのようだ。


 「……これでもう、夜はばっちりです。朝まで頑張れますよ。存分に励んでくださいね。ヌルヌル液もおまけで余分に入れておきました」

 ハベロ嬢は耳打ちした。


 頑張る何を? とは言えずに俺は小袋をこそっと袋に突っ込んだ。


 「ヌルヌル! 使い切ったら、ぜひまたいらしてくださいね!」

 後ろで手をふるハベロ嬢。


 そんな大声で言ったら、どんな物を買ったのかバレバレじゃないか。


 女たちが俺を見てひそひそと話をしている……。

 周りの目線を気にしながら、俺はそそくさとその場から離れた。

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