第70話 懲りない誘惑者

 「今日は帰さない。お前はもう俺のものだ。……ああ、王子様! ベッドに押し倒されて彼女は上目遣いで甘いキスをねだる。月明りの下、二人の熱い夜……。王子の指先は彼女の若草……」

 と、そこまで読んだ時、コンコンとドアをノックする音がして俺はリサに読み聞かせていた本から目を上げる。


 夜、寝る前に本を読んでやるよ、と言ったらリサが持ってきたのがこれ。でも絵本と言うにはちょっと問題ありじゃない?

 たかがおとぎ話だと思って読み始めてみると中身はかなり大人向けの恋愛小説!

 声を出して読み聞かせるのが段々と恥ずかしくなってきたところだ。

 

 「カインいいわ、私が出るから」

 隣で寝転んで流行のファッション誌を見ていたセシリーナが立ち上がり、ベッドが大きく揺れる。


 「カイン! 続き! 続きを読んで!」

 リサが膝の上で飛び跳ねる。

 でも、ページの先をパラパラと見たら、何だこれ? やっぱり大人向き過ぎないか? 次の挿絵なんか大人でも刺激的だぞ、これ。


 「カイン、クリスさんですよ」

 「約束だから、来たよ」

 応対したセシリーナの向こうから愛らしい顔がひょっこりとのぞく。パッと明るい大きな瞳がとても印象的な美少女。俺の顔を見るなり頬が染まり、そのたわわに揺れる胸をときめかせる。


 「ああ、そうだった。リサ、本はお終いな。クリスと大事な話があるんだ」


 「こちらへどうぞ、クリス」

 セシリーナがロウソクを灯した丸テーブルの椅子にクリスを案内する。


 「ええーー! せっかくこれからイイとこなのに! もぅ!」

 リサはむくれたが、その言い方だと既にこの先の話を知っているような?


 もしかしてこれは既に読んでいて、俺に読んでもらいたいだけか? この先にはかなり濃密なベッドシーンもあるんだぞ? いくら本当はまもなく成人という歳だとしても大丈夫か?


 「じゃあ、続きは私が読んであげる」

 「いいのかセシリーナ?」

 「任せてよ」とセシリーナが本を手に取る。


 だが、何も知らないセシリーナが読み始めたらすぐにピンチを迎えそう。セシリーナがあの声で濡れ場なんか朗読し始めたら色々ヤバい。ヤバすぎる。


 一応注意しておいた方が良いよな、と思った矢先にクリスがぐいっと俺をテーブルに引き寄せ、強引に隣に座らせる。


 「カイン、例の情報、調べた」

 とクリスはセシリーナとの間に割って入って俺の目を覗き込む。


 「そうか。エチアの行方や獣化の病のことは何か分かったか?」

 「うん、それだけど……」

 クリスは急に真面目な表情になり、机の上で指を組む。


 「何かあったのか? 悪い知らせ?」

 急に不安になってくる。

 「まさかエチアの身に何かあった?」

 ごくりと息を飲む。最悪の事態が頭をよぎる。


 「違う。……だけど危ない話、もっと顔を近くに寄せる、そうでないと話せない」


 「極秘ってことか? ここにはリサとセシリーナしかいないんだから大丈夫だぞ?」

 「でも、壁に耳あり、とも言う」


 「わかったよ。こうすればばいいんだな」

 俺は椅子を移動させる。クリスの横に並んで肩が触れ合う。ムムッとセシリーナが睨んでいるが気にしないでおこう。


 「よし!」

突然、パチンとクリスが指を鳴らすと、一瞬、セシリーナの姿が陽炎のように揺らめいた。クリスが遮蔽術を使ったのだ。


 「さあ、これで邪魔者はいない。安心、もっと近くに寄る」

 イスをくっつけ、クリスが腕を絡ませてくる。


 「ち、近づきすぎないっ?」

 「恥ずかしくない、外からは、普通に話している二人に、見える。さあ、耳を、貸す」

ぐいっと俺の頬……、いや、耳に唇を寄せてくる。ほのかな温もりを感じる至近距離。凄くいい匂いがして頭がくらくらする。


 「カイン、実は私が欲しい、妄想、エロい」

 心を読んでクリスがニヤリと笑う。


 「ば、ばかを言え。そんなことないぞ」

 「嘘は、ばれる」


 「!」

 ハッと気が付くと、いつの間にかクリスは大胆にも俺の左足にまたがって座り、俺の首に両腕を絡めて抱きついている。これは俺を誘惑しようとするこいつの得意攻撃だ!


 その潤んだ瞳は情熱に溢れ、耳元での色っぽい息遣いが凶悪に刺激的だ。


 どんな術を使ったのか分からないが、これはかなり不味い体勢だ!

 太ももを挟み込んでいるクリスの生足! そのなんとも言えない柔らかさと熱っぽさがヤバい!


 しかも、クリス最大の武器であるたわわな美乳が目の前に!


 俺の視線はその起伏する双丘の悪魔に魅入られる。その豊かな胸の谷間に目が吸い寄せられ、動けない。

 そんな俺を見てクリスは嬉しそうにますますぴったりと体をくっつける。


 「エチア……、行方は、掴んだ。彼女、帝国に捕まって、海路で、大平原の帝国軍基地に、連れていかれた」

 俺の耳元で愛をささやくように、ぞくぞくする声を出す。ただでさえ恐ろしくかわいいのだ、こいつは! こんなにくっつかれては理性が持たない!


 「ちょっとは、褒めて。ご褒美、欲しい」

 うれしそうな笑みを湛え、濡れた赤い唇が俺を誘う。


 「クリス……」

 俺はいつの間にかその細くくびれた腰に両手を回して抱き寄せる。そしてその首筋に唇を沿わせると魅惑的な若々しい香りが鼻腔一杯に満ちて頭がクラクラする。


 胸の鼓動が早くなり一気に欲情する。クリスは確信犯だ。俺を滾らせて悦んでいる。このままクリスを奪ってしまいたい! そんな欲望がムラムラと突き上げる。


 しかし、一方で遮蔽術がかかっているにも関わらずセシリーナが睨んでいる、そんな気配を感じる……。


 クリスが可愛すぎてムラムラが厳しい! 

 セシリーナの気配が怖い!


 これではまるで何かの罰ゲームじゃない?

 俺はごくりと生唾を飲み込んで耐えた。


 「やはり、エチアは捕まっていたのか。でも、死んでいなかった。それだけでも朗報だな」

 と俺は冷静を装うが、右手は無意識にクリスのお尻を撫でている。この丸み、最高だ。


 「……若草のようなうなじの毛を……」セシリーナの棒読みの声が遮蔽術の外から聞こえてくる。感情移入ゼロ、そろそろ愛を深める場面のはずなのに哲学書でも読んで聞かせているかのよう。


 「それで、今エチアはどこに捕まっている?」

 「詳細は不明。でも大平原の、帝国軍基地で最大のものは、オミュズイに、ある。おそらくそこ。あそこ、デカい」

 そう言って、机の影に隠すように片手を俺の股間にのせてきた。その繊細な指の動きにごくりと喉が鳴る。


 「あそこ、デカい?」

 潤んだ瞳で俺を見つめ、変なセリフを繰り返す。 

 「ほら欲しがってる。硬い、デカい」

 ヤバい! 俺は何か怪しい動きをし始めたクリスの手を払いのけ「余計なことはするな」とささやく。


遮蔽術を使っているのかもしれないが、俺のセシリーナを舐めてもらっては困る。勘も鋭いし、術を破る魔法も持っているかもしれない。


 「ちぇっ、カインのケチ」

 ちょっと拗ねた表情も愛らしい。

 こんなに見た目はかわいいのに、相変わらず積極的に誘惑してくる乙女だ。


 「でも、カインが、好き……、本気で好き、これはホント」

 キラキラの純真無垢な目は正面から俺を射抜く! 


 ああ、ダメだ。これはやられる。まともに顔を見ると本当に絶句するほど美少女なんだ。しかし、俺は狡い。返事はせずに「わかった」という意味でただ無言でクリスをそっと抱きしめてやる。


 しかし、脳内ではあらぬ妄想が咲き乱れて「今すぐ押し倒したい!」とか、つい口走ってしまいそう。


 「クリス、調査を続行してエチアの居場所を特定してくれ、できるだけ詳しく頼む。……それと獣化の病を治す方法について何か手がかりはあったか?」

 俺は必死に欲望に飲まれつつある理性を引き戻す。


 「手がかり、あった。でも、まだ調査中」

 懲りもせずクリスの手が俺を撫でまわす。

 さらに魅力的に微笑んで腰を動かす。


 まずい、セシリーナの前なのに! 

 だめだ、やはりムラムラが止まらない。俺もいつの間にかクリスを撫でている。


 「そうか、治療法はあるんだな?」

 理性、理性、俺は紳士、と言い聞かせ、妖しい動きをするクリスの手を払い除ける。


 「ある……でもまだ、詳細、把握してない。でも、早く調べること、できる。私の能力、もっと開花できれば」と俺の顔を覗き込む。


 だからその蕩けるような表情はやめろ!

 その唇が近い!

 こっちはがんばって出来るだけクリスの顔を見ないようにしているのに、余りにも魅力的!


 俺は無意識でクリスの腰を引き寄せて抱きしめていた。もはやこれは正座位に近い。

 美しい双丘が俺の胸で弾ける。キスしたい! めちゃくちゃ抱きたいっ!!


 「ぐはっ、危ない!」今のはギリギリだった。クリスからの誘惑はかなり強烈だ。

 しかし、今度も耐えた、俺は耐えた。

 セシリーナの鋭い視線を感じなければ、このまま一線を越えていたところだ。


 「能力を開花すれば、できるのか? でもどうやって?」


 「うん、カインが、私を、女にしてくれれば……」と妖艶に微笑む。


 そしてついに強引に俺の唇に唇を重ね、「泊まって、いい?」とささやかれた。

これは不味い!

 もはや理性なんか吹っ飛ぶ!


かわいい!

超かわいい!!

めっちゃかわいい!!!

 このまま奪ってしまいたい!


 俺はその甘さにうっとりする。

 クリスの火照った表情は既にやる気満々。

 このまま流されていい? 我慢しなくてもいいんじゃないか? なんて本気で思ってしまう。


考えてみれば、三姉妹の魅力に抗うだけ無駄だったかもしれない。

 全てが柔らかい〜! うおお! もう、これ以上は我慢できない! 


 俺はクリスの腰を抱き寄せたまま、キスの主導権を奪う! どうだ? これが大人のキスだぞ! セシリーナも蕩ける凄いキスだ。

 「!!」

 驚愕に見開かれた乙女の瞳がやがてうっとりろ蕩けていく。その表情が美しい! これだから三姉妹は怖いんだ。クリスがあまりに愛らしくて愛しくて! ここまで来たらクリスの誘いに乗って……。


「「カイン!!」」

二人の声が部屋中に響き渡り、パーン! と盛大なビンタの音が轟く。 

 「ぐはああっつ!」と仰け反る俺。


 「こらっ、クリス、いい加減にカインから離れなさい! 多少大目にみてたけど、もう限界! 二人とも今はまだそれくらいにしときなさいっつ! ほらっ、いつまでべったりくっついてるの」


 「ああカイン! もっと、しよ!」

 「こらぁクリス、しつこい!」


 セシリーナが俺とクリスのキスを力づくで引き離しにかかる。やはり彼女には遮蔽術は効いてなかったらしい。


 「そうだよ。クリス、カインは私のものなんだからね! 抜け駆けは許しません!」

 おおっと、リサまで参戦してきた。


 二人にクリスから引き剥がされた瞬間、パチン! と魅了が解け、俺はすぐに理解する。


 クリスが部屋に顔を出した瞬間、クリスはこっそり魅了の魔法を俺にかけていたのだ。


 「俺に魅了をかけたな? まったく懲りない奴だ!」

 「ばれた?」

 「お前ってやつは!」


 「さあ、もう話は終わり! ほら、クリス、さっさと帰って帰って! これからカインと熱い夜を愉しむんだから」

 「クリスは帰って、寝る!」

 

 「熱い、夜、私も……」


 「いいから、帰れーーっ!」

 「カインは私のものっ!」

 クリスはセシリーナとリサに強引に部屋を追い出された。


「まったく、カインもあんなに簡単に魅了されるなんて! 信じられない抵抗力の無さよね」

 「そうだそうだ! 反省して!」

 ぷんぷんのリサ。


「……すまない」

床に正座させられた俺はひりひりする頰を撫でる。


「カイン……さっきも言ったけど、罰として今夜は朝までじっくりと反省してもらうからね! いいわね?」

 セシリーナが頬を染め耳元で甘くささやく。



 ーーーーーーーーーー


 翌日の朝、食堂にみんなが集まっている。


 「今日は情報を集めて、明日には次の街に出発しようぜ」

 サンドラットがフォークで朝食のハムをつつきながら提案する。


 「そうね。そろそろ移動しないとね。滞在が長くなると、と危険性が高くなるしね」と俺をにらむが、セシリーナは心身ともに充実していて機嫌が良さそうだ。素肌も艶やかで腰つきにも張りがある。


 「そうだな、準備もだいぶ整ったからな」

 俺は目の周りになぜかクマをつくっている。夢のような素晴らしい一夜だったけど、ああ、太陽が黄色い。


 「それで、帝国の動向なんだが、どうも駐留基地に兵を集めているらしい。目的は俺たちの捜索じゃない。どうも囚人都市がヤバいらしい」


 「ヤバいと言うと?」

 「ああ、俺たちが脱出する時に現れた死肉食らいの群れだが、あれを未だに掃討できないでいるらしい、この街に周辺の兵を集めて囚人都市に向わせるって噂だ」


 「一般人はどうなった? メロイアさんたちは無事なんだろうか?」

 脳裏に囚人都市で別れたメロイアや貧民街の子どもたちの姿が浮かぶ。


 「囚人は王城区画に避難しているらしいぜ。あそこは堀と城壁で簡単には侵入できないからな、帝国軍は砦を最終防衛ラインにして掃討戦を行っているそうだ」


 「なるほど、三姉妹が意図してこの状況を作り出したのかはわからないけど、俺たちが逃げやすい状況になっているってことか」


 「ああ、だが、こうしていつも一緒に行動していると目立つ。今日は手分けして情報収集とまだ不足している物資の調達といこうぜ」

 サンドラットはパンをかじってもぐもぐと口を動かす。

 確かにいつまでも同じ場所に居つくのはまずいかもしれない。


 向こう側のテーブルでコップに水を注いていた男の子がリサに見惚れ、客の頭に水をかけて叱られている。

 リサは顔を見せないようにと気をつけていたのだが、既に美少女がいるらしいという噂が立ち始めている。ましてオリナの正体がばれたらとんでもない事になる。


 「リサの警護が一番重要だ。リサはセシリーナが守ってくれ、二人で市場に出向いて携帯食の買い出しを頼む。さて、カイン、お前はこれだ」

 サンドラットは紙切れを手渡した。

  

 「これは? 薬の材料か?」

 「ああ、薬の知識を生かして、薬草を頼む。それが今不足している材料のリストになる」


 薬類のほとんどはセシリーナの魔法のポシェットで管理してもらっている。ポシェットの中は恒温で時間が経過しないので薬の品質を一定に保てるからだ。

 その他にすぐに使えるように必要最低限の数だけを背負い袋に入れて持ち歩いている。


 そのメモには必要な素材が書かれており、さっと見ただけで何を作りたいか分かる。もちろん薬草の効能も把握できてる。


 「了解した。それでサンドラットは? お前は何をする気だ?」


 「俺はもちろん酒場での情報収集だ。俺が一番最適だろ? それにバゼッタの奴とも会う予定なんだ」

 ふーむ。

 なんだか、街を出る前に一杯飲んでおきたいというだけのような気もするが……。まあ、サンドラットの情報収集とその分析能力は信頼できるから、良しとしよう。


 「それで? 夕方にまたここに集合で良いのか?」


 「全員集まっての食事も少し目立ち始めた。今日は各自どこかで食べてきてくれ。合流せずに自分の部屋に直接戻るってことにしよう」

 サンドラットが周囲の目を気にしながら言った。


 少女姉妹とそれを囲っているとおぼしきボロ長靴男の噂がちらほら聞こえてくる。

 あんな男がいたいけな少女を毒牙にかけて弄んでいるといった噂話である。

 男たちが非難めいた視線を、女たちが変態を見るような視線を俺に向けてくる。


 なんで俺だけなんだ。このグループにはサンドラットもいるのにと思ったが、多少さわやかな笑顔が決まるサンドラットである。


 何だか納得がいかないので一度その笑顔を真似てみた。

 ひーっひっひっひ……まるで悪だくみをしている魔女である。


 「カイン、その不気味な笑いは止めてよ」と呆れ顔のセシリーナに叱られた。



 ◆◇◆


 ーーーー俺たちが街に散ってからしばらくして『右曲がり亭』と描かれた看板が揺れる。


 椅子をテーブルに上げ、夜の開店に向けて掃除をしていた亭主のゴッパデルトがそれに気づいて顔を上げる。


 どうやらドアを開けて入ってきたのは黒づくめの男。


 「営業は夕方からだぜ、外の看板を見なかったのか?」

 ゴッパデルトは箒を止めて男を見る。


 男は黙って天井を見上げた。

 「?」

 何をしているのかまったくわからない。


 「あやつは不在か。……奴を追わねば」

 男は入ってきた時と同じく、影のように外に出て行った。

 「何だ? ありゃあ」

 ゴッパデルトは首を傾げた。

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