第220話 <<バーバラッサの街 ー東の大陸 サティナ姫ー>>
「良くいらっしゃいました。サティナ姫様」
「お久しぶりです。バドンズさん。ノスブラッドでの晩餐会以来ですね。それに皆さま方もお変わりないようで何よりです」
サティナは馬をマルガに預け、集まっている顔ぶれを見渡した。バドンズを先頭にバーバラッサ商人組合の主要な顔ぶれが門の前に勢ぞろいしている。
「姫様もお変わりないようですな。ドメナス王国の特任使としてリナルマンド国で戦後処理にまで関わられたとお聞きしております。お忙しくあられたようですがお元気そうで良かった」
「ええ、やっと自由になれましたよ」
サティナは微笑んだ。
「立ち話もなんですから、わが屋敷にどうぞ、お入りください。お供の近衛の方々もどうぞ。ホールで食事を準備しております」
そう言うと、屋敷の前に揃っていた商人組合の重鎮達が道を開けた。
「姫は私がご案内いたします。近衛兵の皆さまはこちらのメセバがご案内いたします」
そう言うと、側に控えていた小太りの男を見た。
メセバはバドンズに頭を下げるとマルガ達の方に進み出る。
「さあ、どうぞ姫こちらへ。と言っても、既に我が家の応接間がどこにあるかは良くご存じでしょうが」
そう言ってバドンズは笑う。
「ありがとう。ではルミカーナ、あなたは私に付いてきてください」
姫と似た黒髪が美しい騎士がうなづいた。
二人はバドンズの後ろをついていく。
「ミラティリアはどちらにおります? 姿が見えなかったようですが」
「あれは、手紙を受け取ってからというもの姫と一緒に旅ができると舞い上がってしまい。嬉しくて夜も寝れないという感じでしてな。今頃になって慌てて準備し出したのですが、多分自分の荷造りがまだ終わらないのでしょう。でも本当によろしいのですか? 世間知らずの娘が姫の足を引っ張ることにならなければよろしいのですが」
バドンズは肩をすくめながら振り返る。
「ミラティリアさんのことは、前の一件で十分理解しています。だからこそ無理を承知で暗黒大陸への旅への同行をお願いしたのです。むしろお父さんの許可を得るのが一番難しいと思っていたくらいです」
「何をおっしゃいますか、娘が姫に見こまれたというだけで十分でございます。
もちろん親として心配な事は否定しませんよ。ですが、ここにいても日ごろから様々な危険はあるのですからな。
特にあれ以来、治癒術を習ったり、前にも増して武芸に打ち込むようになったりして、事があれば自警団の連中に混じって抜けだす始末でございます。つまらない揉め事で怪我をするよりも姫のお供の一人として後々の世にも語られるような旅を経験した方がずっとマシです」
「ありがとう、バドンズさん」
バドンズが懐かしい応接間の扉を開く。
「サティナ様!」
そこに一輪の可憐な花が咲いた。
既に旅支度を整えたミラティリアが窓辺に立っていた。
「ほう」
サティナに続いて部屋に入ったルミカーナも思わず感嘆の声を漏らすほどの美少女である。
色白で大き目の瞳がルミカーナを見た。その瞬間、ウエーブのかかった金髪がなびいた。その美少女はサティナに駆けよるとその両手を取った。
「お会いできて感激です! これからご一緒に旅が出来るなんて夢のようです!」
「無理を言ってごめんね。私の個人的な旅に付き合わせてしまうのは心苦しいのですが」
「何をおっしゃいます。私は姫と一緒に居られるだけで幸せなのです」
「ミラティリア、姫は長旅でお疲れだろう。座ってお話しなさい」
バドンズが苦笑した。
長イスの正面にバドンズとミラティリアが座った。
既に顔なじみになっている給仕が冷たい飲み物を準備する。
「そちらの方はどなたでございます?」
ミラティリアはサティナの隣に座る美女を見た。
サティナに似た滑らかな黒髪が美しく、容姿はどこかクールな感じがする。非常に端正な顔立ちをした美女だが、男を寄せ付けないバリアのようなオーラを発している。
「紹介するわ。今回の旅で私達とパーティを組むルミカーナよ。元東マンド国の准将で、見かけによらず物凄く強い女騎士ですよ」
「はじめまして、ミラティリアさん、よろしく頼みます」
ルミカーナは手を差し出した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
二人は握手を交わす。
「さて、姫からご要望のありました船の手配でございますが」
バドンズはそう言って眉間に皺を寄せ、両手を組んだ。
「やはり数年はかかりそうですか?」
「ええ……と言いたいところですがね。港湾都市の知人から今朝方に連絡がありましてな。何でも不法入国した国籍不明の外洋船が停泊しているらしいのですよ。それが利用できそうなのです」
「姫を国籍不明船に乗せるのですか?」
交渉事は、主人である姫の代理を務めるのが側仕えの役目である。そのことを十分認識しているのだろう、ルミカーナはサティナが口を開くより早く尋ねた。
本来の貴族はこれが普通だ。主人は座ってお茶を飲むだけ、話をするのは側使えである。だが、サティナはあまり体裁にこだわらないらしい。
「入港したという事は乗組員がいるはずですね。国籍はその水夫達を尋問すればわかるのではないのですか?」
「その水夫達ですが、当然、港湾監察員が40名全員を取り調べしたらしいです。ですが、全員記憶が失われており、覚えているのは入港した際の記憶だけで、どこから来たのかはおろか、自分の出身地や家の場所まで記憶が無いのだそうです」
「不思議なことがあるものですね」
ルミカーナは腕組みする。
「記憶を探る術者を呼んで調べさせたところ、どうも彼らは暗黒大陸から来たらしいのです」
「ほう」
「その船が利用できそうなのですね?」
「ええ、記憶喪失の水夫達と暗黒大陸から密入国した船と怪しいことこの上無いのですが、暗黒大陸から渡ってきた水夫達とその船があるという事は事実です。今考えうる手段で暗黒大陸に渡る最短の方法は、彼らを強制送還する際にその船に同行するというものです。ただし、向こうについてから、こちらに戻ってこれるかどうかは保証できません」
バドンズの顔が晴れないのはそういった事情によるものだったらしい。
「私としては数年待っても正規の船と水夫で渡るべきと思いますが」
とバドンズは付けくわえた。
確かに危険を考えれば数年待つべきであろう。
ルミカーナはサティナを見て話し出した。
「お話はわかりました。バドンズ氏の言う通り本来ここは数年待つべきでしょう。
ですが、サティナ姫が海を渡ろうとしていることが本国に知れれば、間違いなく渡航禁止です。
数年という期間は、本国に知られる可能性が高くなることを意味します。姫の身柄が拘束され本国に戻されてしまったのでは何の意味もありません。姫が自由に動くことを許されている今がチャンスなのです。それには危険を承知で受け入れる覚悟がいりますが……」
その言葉を聞いて、サティナは強い力を秘めた瞳でうなずいた。
「今、ルミカーナが申した通りです。その船への乗船を手配してください」
バドンズは一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに納得したようだ。彼もまたサティナ姫の性格はわかっている。当然そう決断するだろうと思っていたのだ。
「向こうには姫の近衛兵は連れて行かないということですが、乗船は3人と言うことでよろしいですかな?」
「お願いします。戦争を吹っ掛けに行く訳ではありませんから騎士団は連れていけません」
「わかりました。ご準備いたします。強制送還は今から概ね3カ月後の予定だそうです。我が家にしばらく滞在してから、ゆっくり西方諸国の港町に向かえば1カ月半くらいで港に着くでしょう。そこでも少しお待ち頂く必要がございますが、幸いあそこには顔の聞く商会もありますので、宿はこちらでご準備させていただきます」
「何から何までありがとう。バドンズさん」
「そうと決まれば、マルガ達にも話をしておく必要がありますよ」
隣でルミカーナが耳打ちした。
「そうね。バドンズさん、マルガ達はどこにいますか? この話を伝えなければなりません」
「近衛騎士団の皆さまは食堂でお食事中です。食堂は……ご存知でしたな。ミラティリア、姫を一緒に食堂へご案内しなさい」
「はい、お父様」
ミラティリアは明るく立ちあがった。
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