第198話 <<攻守1 ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 マーカスの街は炎に包まれていた。

 

 脱出を図るガゼブ国の歩兵たちが次々と最後の吊り橋を渡って行った。市街戦はまだ時折散発的な矢の応酬があるものの、既に終息しつつある。

 もはやガゼブ国の守備兵には侵入してきた東マンド国第1軍の兵を押し戻す力はなく撤退戦が始まっていた。


 勢いに乗って追撃を開始した東マンド国軍であったが、街の外周を廻る堀に架けられていた橋はガゼブ国の兵によって破壊されており、今や唯一残っている吊り橋の手前で身動きが取れないほどの大渋滞が起きていた。


 そしてその主な原因があれである。


 「ガハハハハ……! 弱い、弱いぞ! これが東マンドの精兵かよ!」


 巨漢の兵が吊り橋の上で攻めかかる兵を次々となぎ飛ばしている。その大槍の前にマーカスの街から敗走するガゼブ軍への追撃が阻まれているのだ。


 「くそう、なんであんな男一人突破できんのだ、おい、弓兵はまだ到着しないのか! 誰かあいつを排除できんのか!」

 「部隊長、無理です。狭い橋の上ですし、五人がかりで突撃してあれですよ、あれを見てしまっては……」

 橋の上で呻いている者、堀に落ちて溺れそうになっている者、みんなあいつ一人にやられたのだ。 


 「そこをどいて、さあおどきなさい」

 その時だ。背後に冷ややかで美しい女性の声が近づいてきた。


 「ん?」

 振り返った部隊長の目が渋滞中の門の奥からさらりと現れた者の姿を見て丸くなった。


 絵画から抜け出たような長い黒髪をなびかせた美しい女騎士がそこに立っていた。その氷の彫像のような美貌は、戦場を駆ける戦女神と称賛されて止まない氷の美女、東マンド国第1軍の先鋒を預かるルミカーナ・セグリアその人であった。


 「ルミカーナ准将、どうしてここに?」

 「何を言っているの? 先鋒の役は、私の部隊なのですよ。抜け駆けしようとして、なんだか手こずっているらしいじゃないですか?」

 そう言って軽く同僚の肩を叩くと、彼女は橋の上に進み出た。


 「ほう、こんどはヨダレが出そうな別嬪さんの登場だな。腰抜けの野郎どもには飽き飽きしていたんだ。ちょっとは張り合いがあるんだろうな? お嬢ちゃん?」

 「張り合い? 張り合いってどういうものなのかしらねッ!」

 

 突然、凄まじい金属音が轟いた。

 瞬きする間もなく、ルミカーナが男の間合いに踏み込んでいた。パッカリと男の兜が左右に割れ、橋の下へと落ちていった。

 だが、その剣は男の胸の前で槍で防がれている。


 「ひゃあ、こいつは驚いた。やるじゃねえか姉ちゃん!」

 そう言ってニヤリと笑った男の蹴りがルミカーナの腹を強襲する。


 だが、ルミカーナは蹴りが当たるより早く、一瞬で後退し距離を取っていた。


 「あなたこそ、大口を叩くわりにその程度なの?」

 「ほざけ、ガゼブ国の兵の意地ってもんだ。故郷を蹂躙されて黙って逃げられるかってんだ」


 「誇りにかけてってやつね、いい心がけだわ」

 「そうかい!」 

 男はドン! と足で床を踏みつけた。

 

 「!」

 刹那、橋の床板がルミカーナの前で跳ね上がった。下から上へ、ルミカーナのスカートがふわっとめくれた。

 

 「やはり白だったな! しかもレースでちょっとエロい。俺好みだぜ」

 一瞬、スカートに気を取られたルミカーナ目がけ、無数の槍先が生えたかのような鋭い連撃が襲い掛かった。


 「スケベな男は嫌いです!」

 ルミカーナはその槍先を弾く。弾かれた槍が弧を描いてその脇腹を強襲した。


 やられた! 見ていた兵士たちは固唾を飲んだ。

 しかし、吹っ飛んだのは槍の男だ。

 ルミカーナは素早くしゃがんで槍先をかわし、男の腹にタックルを食らわせたのだ。硬い鎧に身を包むルミカーナの渾身の一撃にさすがの男も床に倒れた。


 「ぺっ、なんて捨て身の攻撃を、思い出したぞ。お前、東マンドの氷の狂戦士だな?」

 男は滲んだ血を吐き捨て立ち上がった。


 「だったら、どうします?」

 ルミカーナは冷徹な目で男を睨む。珍しい黒髪と相まってまさに伝説に登場する絶世の美女、身震いするほど美しい。彼女が戦女神と言われるのも当然だ。


 「ふっ、やはりそうか。そうと分かれば、あんたとこんな所で命のやり取りをするのは愚かと言うべきだな」

 男はルミカーナを油断なく睨みながら徐々に後退した。


 「ここを通していただければ、これ以上手荒なことはしませんよ? どうします」


 「逃がしてくれるのかい? そいつはうれしい申し出だぜ。それが嘘でなければな」

 男は背後の欄干につないでいた馬の手綱をとった。

 ルミカーナは橋の中央から動かない。本気で逃がすつもりらしい。面白い奴だ。


 「この次は夜にベッドの上で試合しようぜ、お嬢ちゃん!」

 男は馬にまたがると、ルミカーナを一瞥し、ニヤッと笑いを残して走り去った。


 「ルミカーナ准将、今の馬具、あれは王家の馬ではありませんか? 追わなくてもよろしいのですか? 捕まえれば交渉に役立つのでは?」


 「逃がすと言ったのです、一度言った約束は守ります。それよりも堀に落ちた者たちの救助をお願いします」

 ルミカ―ナはそう言って遠ざかる男には目もくれず、周りで負傷して呻いている兵たちの手当を始めていた。



 ーーーーーーーーー


 その日、東マンド国第1軍の精兵の前に要塞と化していたマーカスの街は陥落した。


 勢いづいた第1軍は攻撃の手を緩めることなく追撃を開始し、わずか数日で王都に至る街道沿いの街を次々と攻略し、もはやその破竹の勢いは止まることを知らなかった。


 ガゼブ国も呆然と手をこまねいていた訳ではない。地の利を生かし、大胆な奇襲攻撃を何度か仕掛けたのだが、東マンド国の精兵、特に先鋒の部隊の活躍が目覚ましく、その計略を逆手に取った動きでガゼブ国軍を潰走させていた。


 もはや王都は目前に迫っている。背後の敵が追いつく前に王都の喉元に剣を突きつけることができそうだった。



 

 ーーーーーーーーーー



 マーカスの街を出て4日、篝火が灯る東マンド国第1軍の野営地は静まり返っていた。


 既に深夜である。

 交代で警戒にあたる兵以外は爆睡している。さすがの精兵たちも連日の行軍で疲労が溜まっていたのだろう。


 まもなく王都が見える地点にその古城はあった。

 城は既に崩壊しており、外周の城壁くらいしか残っていないが、敵の強襲を受けにくいというだけで安心感が違う。

 身を隠す場所のない平原の適地のど真ん中で野営するのに比べれば天国である。その安堵感が兵を深い眠りに誘っていた。


 「ん……」

 ルミカーナはいつもと違う寝苦しさを感じて薄目を開けた。


 指揮官用の中型テントの中を魔道具の常夜灯の明かりが照らし出している。何か足元に違和感を感じ、膝まで露わにしていたらしい素足を布団に引き入れるとルミカーナは胸を隠しながら身を起こした。


 妙に甘い香りが漂っており、なぜか体が重いのだ。


 「動くな」

 不意に足元の方から男の声がした。

 「!」

 その声、聞き覚えがある。


 「探したぜ、ルミカーナ、氷の狂戦士」

 そこに巨漢の男の姿があった。


 ルミカーナは瞬時に状況を理解し、強気な目で男を睨んだ。あの時の男だ。


 「麻痺性の香を炊いた。こいつは女にしか効かねえ、どうだ? 体が思うように動かないだろ?」

 男はルミカーナのベッドの上に四つん這いになった。


 「あなたは何者です? 何が目的なのです?」

 ルミカーナは布団を引き上げて身を隠す。

 布団の下は全裸なのだ。今の状態でこの男に気づかせるわけにはいかない。


 「俺はガゼブ国の第3王子ゴリオン、知っているかい?」

 「第3王子? 素行不良で王家の鼻つまみ者という話でしたが、……それは本当のようですね?」

 最近、第1王子の婚約者だった女を奪ったのがバレて王家を追い出されたとか……


 ここは城跡、王家の者であれば秘密の抜け穴を通って誰にも見つからずに野営地のど真ん中に来ることも可能だったのかもしれない。うかつだった。


 「相変わらず強気だねえ、そういう女は大好きだぜ」

 ゴリオンはにやりと笑みを浮かべた。たしか第3王子は槍の名手として知られている。


 「王子がこんな時間に敵軍の女のテントに、一体、何の用ですか」

 「白々しいことを言うなよ。俺はあの時お前を見て一目惚れだ。それでわざわざ求婚に来たんだぜ。どうだい? 俺の妃の一人にならねえか? 良い目を見せてやるぞ」

 ゴリオンは動けないルミカーナの美しい顎を撫でた。その股間の凶悪なものは戦闘準備完了といった感じだ。


 「どうだ? 返事は?」

 「誰があなたなんかに、私を強引に奪おうとしても無理ですよ」


 「何だと! このままだとお前は後数日で死ぬぞ。俺は惚れた女の命を救いにだな……」

 ゴリオンはルミカーナの布団を掴んだ。


 その時だった。

 ルミカーナが忍ばせていた短剣の切っ先がゴリオンの頬をかすめ、ゴリオンは吹き飛んだ。


 「な、なんだ? そいつは? ただの剣じゃねえな」

 ゴリオンは頬の傷を親指で撫でて立ち上がった。

 凄い衝撃波だった。

 強力な魔法の込められた魔剣の一種だろう。


 「これは護身の剣、邪な気持ちで近づく者は私に触れることはできませんよ! それに私は誓いを立てています。私が抱かれるのはこの短剣より立派なモノを持っている方だけ。あなたのそんな粗末なものではもちろん不合格ですよ!」

 そう言ってルミカーナは布団を体に巻き付け、剣を振りかざした。


 「うおっ、いつの間に!」

 ベルトが切られていた。パンツまで脱げ落ちて下半身丸出しだ。これはかなり恥ずかしい。


 護身の剣は誓いを込めることでその身を守る。その誓いが魔剣より大きく立派な物を持っている男と結ばれるというものだ。そうでない者が邪な気持ちで迫れば衝撃波で吹き飛ぶのみ!


 「馬鹿かお前! それに俺はでかい方なんだぞ! その剣より大きいモノなんか持っている男がこの世にいると思うか!」


 そう言ってゴリオンは慌てて床に落ちたパンツとズボンを拾った。


 麻痺の香りはテントに満ちている。常人の女なら動けないはずだった。気を失っているうちにさくっと連れ出すつもりだったのだが。


 「ちっ! さては狂戦士化だな!」

 ルミカーナのスキル、狂戦士だ。発動すればどんな状態異常でも無効化し、致命傷を受けても平然と攻撃してくる。


 「ゴリオン王子、どうやって忍び込んだか知らないけれど、ここに来たのが間違いよ、捕まえます!」

 「ちっ、このじゃじゃ馬め!」

 ゴリオンはその魔剣の一撃を受け流した。乱暴者とは言っても一流の剣技を学んでいるらしい。その動きに隙はない。


 「ちっ、こんなことなら槍を置いてくるんじゃなかったぜ」

 「股間の汚い槍もここに置いて行きますか?」


 「うわっ、あぶねえ、どこを狙っていやがる!」

 ゴリオンは腰を引いてルミカーナの一閃を避けた。

 この女、容赦がねえ!


 「なんだなんだ!」

 「ルミカーナ様のテントだ!」

 急に外が騒がしくなった。

 深夜だけに、二人の攻防の音が響いたのだろう。


 「ちっ、失敗かよ! だが諦めねえぜ、まだ時間はある、必ずお前を妻に迎えたてやるからな! それまで死ぬんじゃねえぞ!」

 そう言って、ゴリオンはバッとテントを後にした。


 外からは、「うわあ! 変質者だ!」「取り押さえろ!」という騒がしい声がしたが、次第にその声が遠ざかる。


 「ふう、危ないところだった」

 ルミカーナは魔剣を鞘に戻しベッドに座り込んだ。

 さっきの王子の言葉が気にかかる。後数日で何が起きると言うのか。攻めているのは自分たちのはずだ。まさか……。


 「こんな時間に考えてもムダね、明日、早朝に斥候を放ちますか」


 「それにしても……。この剣に誓いを立てたけどやはり大きすぎたかしら? これのせいで結婚のチャンスを逃している?」


 それは彼女の悩みの一つだ。適齢期なのに彼氏がいない。

 せっかくデートまで約束しても、ルミカーナが氷の狂戦士という異名を持つ騎士だと分かった瞬間に青ざめて、逃げられてしまう。


 「あぁーー、どこかに良い男でも転がっていないかしら?」

 外見とは裏腹に実は悩み多き乙女なのだった。

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