第199話 <<攻守2 ー東の大陸 サティナ姫ー>>


 午後の日差しで蜃気楼の浮かぶ街道を古城跡を出た東マンド国第1軍が移動していく。

 まもなくだ。じきにガゼブ国の王都が見えてくるはずだ。


 ガラガラ……と音を響かせ、コドメラッザ・ゴーナル将軍を乗せた馬車が石畳の街道を進む。


 「あの丘を越えれば、ガゼブ国の王都ガーゼラスを視認できます。やっとここまで来ましたな」

 騎馬に跨った側近のコドモスが顔を出した。

 彼は馬車に並走して馬を走らせている。


 「ふむ。やつらに敗残兵を再結集させるヒマを与えることなく、このまま王都に迫る。そこでの外交は任せたぞ、コドモス」 

 「はい、お任せください」


 陥落させた街には兵站を守らせるだけの兵力を割かねばならず、王都攻略のための軍は今や第1軍全体の7割にも満たない状況だが、王都周辺のガゼブ国の兵力はほとんど壊滅状況である。


 国境付近で第3軍と交戦中の主力は動くに動けないはずだ。


 第1軍が本気で王都に攻め込むまでもなく、武威を示し圧力をかけさえすればガゼブ王宮を二分している交戦派と和平派の趨勢は一気に和平派になびくだろう。この時のために金で抱きこんでいる大貴族も多いのだ。


 「和平の条件だが、我が国の属国化が最低条件であろうな」

 「ははは……最低で属国ですか。奴らも気の毒ですな」


 「それも身から出た錆というところだな」

 「そうですな、身の程知らず、ですか? はははは……。おや、何だ……?」

 その顔の笑いが急に消えた。


 「ん? どうした? コドモス」

 コドメラッザはコドモスの視線の先を見る。


 前方を進む先鋒の軍が横陣に展開していくのが見えた。


 「陣形を変えてる? 丘の向こうに敵がいるのだな?」

 窓から身を乗り出したコドメラッザの所に先陣から早馬が駆け寄った。


 「コドモス様! 先鋒のルカミーナ准将からです。前方に敵陣を確認! 交戦準備に入るとのことであります!」


 「将軍! 敵のようですぞ!」

 コドモスが見上げた。


 「王都周辺にはまともな軍は残っていないはずではなかったのか? 義勇兵でも募ったか?」

 まだ余裕の表情のコドメラッザ将軍を乗せた馬車が丘に登った。


 丘の頂上の前面には東マンド国第1軍が横陣を整えていた。

 それに対峙する丘の遥か向こうには、尖塔の建ち並ぶガゼブ国の王都ガーゼラスが見えた。


 だが、問題はその手前の丘にあった。

 

 「な、馬鹿な! なぜだ?」

 コドメラッザは思わず窓から身を乗り出した。


 王都手前の丘の上に数万の軍勢と様々な国旗がたなびいている。


 「将軍! あれは旧諸国連合軍のようです! ご覧ください、あちらの丘にも数万の軍が既に布陣しております!」

 コドモスが指差した方角に目をやると柵や堀で守りを固めた陣が見える。


 「くく……、そうか、そうだったのか。既にここまで用意周到に準備しているとは。ガゼブ国もやりおるわい」

 コドメラッザは急いで後部ハッチを開き、馬車の屋根に駆けあがった。そこは簡易な戦闘指揮所になっている。


 ざっと見渡しただけでも十数万の軍が王都の前に布陣しているようだ。


 その中に突き進むのは虎口に手を入れるようなものである。小国の寄せ集めの軍はコドメラッザからすれば烏合の衆とは言え、平原での戦いでは最終的には数が物を言う。このままごり押しで進めば第1軍は大きな損害を受け、有利な和平工作など望むべくもない状態に陥るだろう。


 「それにしてもルミカーナ准将は、若いくせに的確な対応だな。敵からはまだこちらの全軍は見えていない。横陣を張って、こちらの人数を多く見せている。私のために時間を稼いでくれているらしい」


 「それでいかがしますか? 将軍」


 「がはははは……! やられたな。我らの勝機は手薄な王都へ刃を突きつけることによる和平工作、それはもはや無理だということだ。

 それにここで足踏みしてはいずれにせよ時間切れだ。背後の敵を無視してきたが、おそらくリナル国側から敵軍が侵入してきた頃だろう。まさにこれでは袋の鼠じゃな?」

 そのギラギラした目は既に狂気に満ちているようだ。


 「冗談を言っている場合ではありませんぞ」

 コドモスは身振るいした。

 このような鬼気迫る将軍の表情は初めて見る。まさか自暴自棄になって無謀な全軍突撃でも命じるつもりだろうか? そんな事をするような老将軍でないことは十分知っているが、それでもそんな不安に駆られる。


 「将軍はおられるか?」

 その背に涼やかな声がかけられた。

 若い女性の声である。


 「ここにおるぞ」

 コドメラッザは馬車の屋根の上から振り返った。


 彼女は馬上で兜を脱ぐと一礼した。

 艶やかな黒髪が肩に流れる。


 敵からは氷の狂戦士と恐れられる若い女騎士だが、その精悍な美貌には息を飲むものがある。舞踏会にでも出れば会場の羨望を一身に集めるのは間違いない美しさだ。


 「ルミカーナ准将か、どうしたのだ? 何か意見がありそうだな」

 美しい見た目と違い、コドメラッザが先陣を任せているだけあって彼女は勇将と称されるタイプの騎士である。


 「はい、この状況では、当初の作戦は失敗に終わったと見るべきであります。ただちに撤退に移るべきと献言いたします」


 「撤退などと臆病風に吹かれたのですか、ここまで向かう所敵なしの我が軍が一戦も交えず逃げろと?」

 コドモスは見栄を張った。

 本当はここで戦うのは無謀だと分かっているが将軍の前でそんな事は言えないのだ。


 「コドモス殿、貴方だって、ここで攻め込むのは何の意味もない、無駄死にだと言う事は分かっておられるはずです。それにこうして敵の布陣を見ると、我々は快進撃をしてきたのではなく、誘い込まれたのです」


 「無礼な! まんまと謀られたと申すか!」


 「待て待て、二人とも、まったく若いのう」

 コドメラッザは屋根の上に胡坐をかくと空を見上げた。


 「将軍?」

 コドモスが屋根を見上げる。


 「我らの進退は極まった。さてどうしたものか? ルミカーナ准将、お主ほどの勇将が撤退と言うからには何か策があるのか? 言っておくが我々が通過してきたルートはおそらくもはや敵の手に落ちているだろう。2、3日もすれば背後にも敵影が見えるだろうな」


 「一つだけ策があります。大きな賭けでもありますが」

 「ふむ、述べてみよ」


 「この地より南の地は平原で道も整備されており、南下は容易です。我が軍は丘上に陣を張る部隊を残して密かに丘に隠れて南に移動、西方の街に残してきた兵にも連絡を送り、至急撤退させ、途中で彼らを吸収しつつ南へ、最短経路で我らが祖国へと向かいます。当然神速が求められますので荷物は最低限とし、輜重隊の物資はここに置いていきます」


 「馬鹿か! 南には第3軍と交戦中のガゼブ国主力の立てこもる要塞群があるのだぞ!」

 コドモズが顔をひきつらせて叫んだ。


 「そうじゃぞ? 要塞や砦が待ち構えておろう?」


 「はい、確かに砦があります。しかし、その砦は主に南から攻められることを想定した造りで、北から攻められることは考えていません。また、まさか主力が集まる所へ敵軍が撤退してくるとは考えにくいでしょう。むしろ旧諸国連合のどこかの国が援軍を送ってきたと思うかもしれません。その油断を付き、我々は砦守備隊とは戦わず、そのまま突き抜け、我が第3軍と合流いたしましょう」


 「ぷっ、わはははは……! 何とも愉快な戦略を立てるものよ。面白い、面白いぞ! コモドス、旧諸国連合の国旗の中に我が軍の軍旗に似ているものがあったな?」


 「はい、色違いで我が軍の赤い所が黒いような感じの旗ですが、エイ国の国旗の事かと」


 「それじゃ。ルミカーナ准将、コモドス、大至急、我が軍旗をそれに似せるのだ。ルミカーナ准将の策に乗るぞ。そうなれば撤退は早いほど良い! 撤退開始時刻は今夜とする、良いな!」

 「はい!」


 ルミカーナが命令を伝えると、予想外の敵を前に不安に包まれていた全軍がにわかに活気づいた。


 「コドモス、先陣はルミカーナに指揮をお前には中軍の指揮を任せる。各街に残してきた我が兵を救い出し何としても無事に祖国に帰してやれ」


 「帰してやれ? どういう意味でしょう? 将軍は何をお考えです?」


 「わしか、わしはお前たちが安全な場所に移動するまで、ここで奴らを睨んでおく」


 「将軍! それでは御身が危険に晒されますぞ」


 「ふふふ……この戦は我らの負けじゃ。おそらく国王も廃位させられるだろう。国に戻れたとして王の一族として私も恐らく無事ではいられまい。

 お前は一族とは言え、傍系の出じゃ、大人しくしていれば処分は無いだろう。わしはどうせこの歳まで長生きしたのだ。最後くらい若者の背を見送らせてもらおう。よいな、これはわしからの最後の命令なのじゃ」

 コドモスを見てコドメラッザは爽やかな笑顔を浮かべた。

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