第27話 カミア


 「うわわわわーーーーーー!」

 悲鳴と同時に大きな水柱が上がった。


 地下の巨大な空間に、とんでもなく大きい水音が反響した。

 俺は飛び込みに失敗した蛙のように腹を打って水面にぷかぷかと浮かび上がる。


 「なんてドジな人なの! マスターに死なれると愛人紋の解呪もできなくなるのよ!」

 セシリーナは続けて水に飛び込む。風魔法の応用なのか、それとも何か魔道具を使ったのか、穏やかに着水して水柱は上がらない。水はセシリーナの胸元くらいの深さだ。


 「誰か来るわ。こっちへ、隠れて」

 のびている俺を引き寄せて、氷を模したような大きな柱の陰にセシリーナは身をひそめた。


 すぐに、どやどやと足音がした。

 セシリーナは柱の影から様子を伺っている。


 「セ……」

 話しかけようとした俺の唇をセシリーナの指が制止した。


 集まってきたのは、てらてらと光る黒いローブをまとった不気味な男たちである。どうみてもまともな連中じゃないのは明らかだ。邪悪な神に仕えるという闇の使徒だろうか。


 男たちはドーム天井を見上げて、指差した。

 水面に埃と汚物が浮かび、大量の管の残骸が沈んでいる。


 「今度はこっちが崩れたぞ。修理させねば!」

 「配管の老朽化だ。急いで直さなければ、半月後には魔王様が視察に来られるのだぞ」


 「見よ、神聖な水が漏れた汚水で汚れておる。天井を直しても、清浄な状態に回復するまで1週間はかかるぞ。あの娘もまもなく計画の年齢になるというのに! 儀式にここの水は不可欠、なんとしても魔王様が来るまでに間に合わせるのだ」


 「やはり、こっちを先に直すべきだったのだ」


 「何をいう、祭壇が先じゃろう」


 「馬鹿め、魔術台の設営に影響がでるぞ」


 不吉な影を背負った黒い男たちは互いに非難しあいながら遠ざかって行った。


 「大丈夫? カイン」

 セシリーナが顔を覗き込んだ。

 俺は真っ赤になった腹を上にして未だに水に浮かんでいる。


 「し、死ぬかと思った。あんなに高い所から落ちたんだな」

 かなり高いドーム天井にぽっかりと穴が開いている。汚水が雫になって降り、さらにパラパラとレンガの破片が落ちてくる。


 「意外と丈夫なのには驚いたわ。普通の人間なら死んでいてもおかしくないわよ」

 確かに俺は身体だけは無意味に強靭なのだ。セシリーナは水の中から俺を床に引き上げた。だが、俺はまだ動けない。


 セシリーナは肩をすくめ、俺の頭を自分の膝の上に乗せた。これは膝枕! セシリーナも胸まで濡れ、スカートも湿っているが、これはちょっと嬉しい体勢である。彼女に膝枕してもらった男などいないだろう。


 「これを飲んでちょうだい。回復薬ですよ」


 口で薬瓶の蓋をぽん、と開けて飲ませてくれる。ふわわわ……と全身の痛みが消えていった。衝撃で動かなかった手足が動く。


 「これはかなりの上級の完全治癒薬だから、薬が完全に効くまで、まだ動いちゃダメよ」

 「すまない、ちょっと休憩だな」

 そのまま、俺はその柔らかな膝の感触を堪能する。ちょっと見上げると濡れて透けそうな愛らしい双丘がある。なんという至福のひと時だろう。ずっとこうしていたいくらいだ。


 だいぶ回復してきたので、ちょっと横を向く。その太ももに頬が乗る。その肌がすべすべでかなり気持ちが良い。

 ふわっとなんだかとても良い匂いがした。いつまでも嗅いでいたくなるような、その香りに包まれていると色々と高揚してくるようだ。


 俺がくんくん鼻をならしていると。


 「あれ、戦闘用クリームが流れちゃった?」

 セシリーナが手足を眺めてつぶやいた。


 手首だけにある銀の鱗が腕輪のように滑らかに光る。そのあたりが人族とは違うが、美しい。


 「戦闘用クリーム?」

 「匂いをごまかすクリームよ。様々な匂いを混ぜたクリームで敵の魔導犬なんかの追跡をごまかすものなの。帝国兵の標準装備品ですよ」


 「じゃあ、この素晴らしく良い香りが本来のセシリーナの匂いなのか。甘いようで、なんとも言えない。くんくん……」

 「な……」

 俺の言葉にセシリーナが赤くなって、ドスン、と床に落とされた。しまった、余計な事を言ってしまった。あ、あ、せっかくの膝枕が……。


 ーーーーーーーーー


 「服も乾いたし、体も治ったでしょ、そろそろ行きましょうか。ぐずぐずしているとまた人が来るかもしれないわ」

 セシリーナは服を乾かすアイテムをポシェットに戻した。


 「そ、そうだな。出口はここ一か所しかないようだ」

 俺は男たちが姿を見せた出口を覗いた。

 薄暗い石段がずっと上へ続いている。


 俺の後ろにセシリーナが続き、二人は警戒しながら階段を上った。そこは神殿の建物をつなぐ回廊らしい。広い神殿なのに誰もおらず静まり返っている。

 人の気配がしないのは、魔王が国中の神殿を廃止したからである。既に神殿としての機能がないのだ。

 セシリーナの話では、ここは軍の管轄ではない。今は魔王が直々に任命した者だけが住むエリアだと言う。だが、敷地の広さの割に人がいないのはむしろ好都合だ。


 ここからは私が、とセシリーナが前に出た。

 「ところで、何を盗むの? それによっては神殿のどこを探すか考えないとならないわ」


 セシリーナは廊下の角で先の様子を伺いながら言った。


 「あ、まだ話していなかったっけ?」

 「全然聞いてないわよ」

 「うん、実を言うと、旧王国最後の王位後継者とかいう、何たらリサ王女なんだ」

 「……」

 振り返ったセシリーナの目が細い、眉間に皺が……。


 「カインは本当に馬鹿ですね! 馬鹿なんですね! そんな人が生き残っているわけないじゃないですか。5年前の戦争でこの国の王族は死に絶えたのよ。だーーれも生き残っていないんです。一体だれにそんな馬鹿な事を吹きこまれたの?」


 「んぐぐぐ……」

 俺は観念して一部始終を話した。


 「まさか、そんな出鱈目でたらめな話を真に受けて、施設に忍び込んで、私をこんな目に……」

 わなわなわな……セシリーナの拳が震える。目が怖い。


 「うそじゃない、これがその呪いだ」

 俺は証拠として手のひらを見せた。


 「確かに、殺傷能力がありそうな術ね」

 俺の呪いを真剣に見たが、急にくすっと笑う。


 「まったく、カインはお人よしというか、考えなしというか……。わかりましたよ、この蜘蛛の術を解くために王女が生きているかどうか情報を探ってくるわよ」


 「俺はどこにいればいい?」


 セシリーナはさっと辺りを見渡す。

 「あそこです」

 指は廊下の壁の向こう。

 外の緑の庭園を指差していた。


 「魔族には鼻のきく者が多いから、建物の中では人間の匂いはすぐ勘づかれます。あの庭園には香草が多いから、茂みに身をひそめていてください」


 「わかった」


 「いいですか、くれぐれも、よけいな事はしないように!」


 もはやセシリーナは完全に俺のことを理解しているようだ。

 へっぽこなのに、そのくせやらかす男なのだ。


 俺は言われたとおりに窓から外へ出た。


 日差しが強い。ずっと管の中にいたので気づかなかったがいつの間にか正午を過ぎている。俺は草の中の大きな岩に背をもたれて、うとうとと……。


 ーーーーーーーーーー


 「いつの間にか寝ていただと!」


 はっとして目覚めたが、大丈夫、まだ日は高い。

 さほど時間がたったとは思われない。


 ほっとしたが、敵地のど真ん中で寝てしまうとは我ながら緊張感が皆無である。


 …………緊張感が戻ってくると同時に、股間が妙に生温かいことに気付いた。


 「しまった! いい歳をして漏らしたか?」

 ハッとして股間を確かめる。


 「は?」


 すやすや……


 見知らぬ幼女が俺の股間を枕に眠っている。


 「だ、誰なんだ。というか、いつの間に? じゃなくて、どうしてこんな事に」


 むにゃむにゃ……


 「ちょっと待て。落ちつけ」

 俺は顔に手を当てて考える。


 ーーーー深呼吸して。


 幼女は俺の……を枕に寝ている。


 淡い茶髪の艶やかなロングヘア。

 来ている服は高級そうだ。東の大陸でも貴族以上の者が身にまとうような代物である。手足は顔から思う年齢の割に長い。色白で将来はかなりの美人さんになりそうだ。


 「おい、きみ」

 俺が肩を揺すると、幼女は目を覚ました。


 「んー。なに?」

 ぱちぱちと目を開け、身を起こす。


 「うわわっ!」

 幼いのにその顔立ち、澄んだ青い瞳が美しい。


 見つめあったら俺の方がドキリとする。美少女と呼ぶには少しだけ早い、まさに美幼女だ!

 初めてサティナ姫とベッドの中で見つめあった瞬間を思い出してしまった。サティナ姫を彷彿とさせる美幼女が存在するとは世界は広い。


 俺の手に小さな手が重なった。

 「おー、じーい?」と俺の顔を見て首をかしげる。


 その言葉に多少のショックが走る。誰がジジイだと!

 幼女から見れは俺は既にジジイなのか?


 「おーじぃ?」

 俺の手をぎゅっと握って微笑む。

 その左手の薬指に漆黒の指輪が食い込んでいる。禍々しい気配を放つそれだけが異質だ。


 「俺は爺さんじゃないよ。お兄さんと呼びなさい。それに君は?」


 「お、鬼さん。魔物の鬼さん?」


 「ちがーう。俺は人間のおにいさん」


 「おにい、おにいね。わかった。私はねーー……かみあ……」

 目を擦りながら言うのでよく聞き取れなかった。


 「ん? ……カミアって言うのか?」


 変な名前だ。魔族の名だろうか。見た目は人族のようだが。どことなく違う、角は無いようだが、もしかするとハーフかもしれない。十年といわず数年後が楽しみな容姿だ。


 「そーかー。カミアか。カミアはどこからきたの?」


 「んー。あっち」

 神殿の奥の方を指差す。


 人間と変わらないな。俺はその微笑ましい様子に和んだ。

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