第28話 <災いの影とミズハの庭園>

 「それでは話が違う! いいか、絶対に後悔させてやるぞ!」   

 「行きましょう、師匠!」


 捨て台詞を吐いた男たちが部屋の扉を乱暴に閉じた。

 宮殿の回廊に気色ばんだ衛兵が駆けつけるくらいの大きな音が響いたが、予想に反して周りは静かだった。


 肩で風を切るように歩き出した男を先頭に全部で3人、真ん中の背の高い男が師匠と呼ばれた者だろう。


 3人とも黒いローブで身を隠しているが、その周囲に立ち上る魔力の気配からすると、後ろの2人は魔法使いだ。乱暴に扉を閉じた男は弓を背負っている。ボディガードにしては少し小柄な男で、おそらく妖精族の男だ。


 黒水晶の塔と称えられる美しい宮殿にはふさわしくない3人の邪悪なその雰囲気に、ミズハは愛らしいその眉をひそめた。


 特に床を擦るような足取りで中央を歩く男、あれはどう見てもまともな魔法使いではない。その手を多くの血で染めた者特有の荒んだ黄色い虹彩の邪眼の持ち主である。誰かの手引きでもなければ、本来、宮殿には立ち入ることもできない人種だ。


 男らはブツブツ文句を言いながらミズハとすれ違った。


 奴らが廊下の角を曲がったところで、ミズハは深くかぶっていた魔女帽のつばを上げて振り返った。


 廊下ですれ違ったミズハに男たちが目もくれなかったのは、ミズハが完全に気配を消していたからだ。尊大な態度をしていたが、それに気づけぬ程度の者ということだ。


 「あいつらよりも脅威なのは、本来、あの部屋にいる奴なんだけどな」

 このフロア全体に遮蔽術を展開している奴がいる。そいつの方が奴らよりよっぽど恐ろしい。


 あいつらが部屋で誰と話をしていたのか気になるところだが、その部屋の主はミズハにすら探知させない。遮蔽術もそいつだろう。ミズハなら問題なく入って来れるが、生半可な魔法使いではこのフロアに入る前に意識が飛ぶだろう。そんな術を宮殿の高レベルの防御網の目をかいくぐって難なく展開している。

 しかし、逆を言えば、それだけの術を行使できる者など限られている。それが分かっただけで十分とも言えるが。使い魔を放ってずっと監視して、やっと尻尾を掴めそうだったのだが……


 「今は、奴らを追うしかないか」

 ミズハはちょっと悔しそうに唇を噛んで、黒い男たちを追った。


 すれ違いざまに気になる言葉を言っていたのだ。奴が漏らした言葉が真実なら今まさに王都に危機が迫っている。奴らは中央階段には向かわず、屋外式典の際に使われるテラスに入っていく。


 そこには何もないはずだ。

 あんな所に何の用なのか。

 ミズハは、そっと扉を開けて潜り込んだ。


 「!」

 奴らは円陣を作って、何かを呼び出していた。


 師匠と呼ばれた男ともう一人が両手を前に出して魔法陣を次々と変化させている。闇の光がほとばしって、大きな影が現れた。


 「まずは、一匹めだ!」

 男が叫ぶと、魔法陣が妖しく明滅し、その中央にうずくまる飛竜が現れた。


 しかし、それはまともな飛竜ではない。肉は腐り、骨が露出している。かなり大きい死竜だ。かつて制御不能になった死竜が一つの街を壊滅させて以来、あれを呼び出すこと自体が禁忌なのだ。


 死竜が目覚め、翼を広げて羽ばたいた。しかし、まだ完全に召喚しきれていないので、死竜の足はまだこの世界に現出していない。


 暴れて、飛び立とうとしている?

 この都会であんなのが飛び回れば、恐ろしい疫病が蔓延するかもしれない。


 「衛兵は何をしている? 黒水晶の塔で、邪悪な魔法が行使されるなど本来あってはならないのだぞ」


 そう言って、ミズハは杖を手に前に飛び出していた。

 邪悪な魔法に反応して警報が鳴ったはずだが、衛兵が集まってくるのを待っている余裕はない。


 奴らが言っていたのは本当だった。あれは、まずい、疫病や災いを振り撒く。それを何体も召喚する気だ。


 「今すぐ、そいつの召還を止めろ!!」

 ミズハが両手で構えた杖を、男たちに向けた。


 「何しに来た? 魔法使いなのか? だが、おまえのようなちびっ子に何ができる!」


 取り巻きの魔法使いの男は、召喚術を展開しながらミズハを見て嘲笑った。もう一人の男は無言で弓に手をかけた。

 奴らの目には、子どものような魔女に見えている。それすら既にミズハの術中だと言うことにすら気づいていない。


 だが、真ん中に尊大な雰囲気で立っている男だけが眉をよせた。そいつは、片手で召喚の魔法陣を構築しながら、もう片手に握った杖をミズハに向けた。


 「侮るな、ダナカマ、ダボホゼ、そいつは姿を変えているようだ。見た目に騙されるな! 見よ、召喚術が邪魔されている。ダナカマ、お前は集中を切らすな!」

 魔法陣が歪み、二体目が姿を見せない。


 「はっ」

 「こいつを射殺して、いいですかい?」

 ダボホゼが矢をつがえた。


 「すぐに衛兵が駆け付けるぞ! 今すぐ止めないと攻撃する!」

 ミズハは叫んだ。

 

 「そうかい?」

 そう言うが早いか、「死の魔弾!」と杖が振り降ろされた。


 ミズハが黒い弾に吹き飛ばされる。


 「流石はダブラグル師匠!」

 二人の弟子が色めきたった。弾は心臓を貫いた。即死だろう。


 「ーーさあ、召喚を完成させ、我らを裏切ったことを奴に後悔させてやろうではないか。私の力とお前たちに預けたそのカード、秘められし魂を贄に力を使えば、この怪物を何体も召喚することができるのだ! それなのに奴め、今さらその程度の力は不要だと? 我らを舐めおって! 同じ闇の力を持つ者ゆえ、今まで色々と目をかけてやったものを。恩を忘れた報い、身をもって知るが良い!!」


 男は術の完成を祝うように両手を高々と天に向けた。二体目の頭が具現化し始めている。最初に召喚された死竜は、翼をはためかせ、今まさに解き放たれようとしていた。


 「ぐははは…………」

 男の笑い声が響く。弟子の二人が見つめ合ってニヤッと笑った。


 その時だった。

 「ブフォ!」、と突然、ダブラグルの胸から大量の血が噴水のように噴き出した。


 「ダブラグル様!」

 「師匠!」

 

 ダブラグルの胸から魔獣の角のようなものが生えていた。その角の先端に脈動する心臓が突き刺さっている。ダブラグルは口から血を溢れさせ、信じられない物を見るような目で呻いた。


 ーーーー角のように見えたものが、うねうねと気持ち悪く蠢いた。それは肉食の大きな蟲だ。その先端がヒトデのように開いて、断末魔の痙攣に襲われたダブラグルの心臓をぐしゃりと握りつぶした。


 「愚かな、自分が闇術の寄生虫に憑りつかれていたことすら、気づかなかったのか?」

 

 「!」

 目の前で声もなく師匠が血の海に沈んでいくのを呆然と見下ろす二人の背後で声がした。


 振り返ると、目の前に輝くような銀髪の美少女が立っている。さっきまでの幼い魔女はどこにもいない。


 そしてその髪の色こそが、その魔女が誰かを物語っていた。

 

 「そ、その銀髪…………、ま、まさか!」

 「お、お前! だ、だ、大魔女、ミズハ!」


 ミズハは、落ちていた魔女帽を拾ってパンパンと埃を払った。ダブラブルが魔弾で空けたはずの風穴はどこにもない。

 

 「お前たちの師匠は、どこかで闇術の行使に反応してふ化する寄生虫をうえ付けられていたんだな。まあ、自業自得ってところだ。お前たちも観念したほうが良い。誰の手引きでここに入ったか、誰と悪巧みをしていたか、じっくり聞かせてもらおうか」

 そのぱっちりとした目に二人が映る。

 

 「馬鹿め、死竜はもう動けるのだ! 行けっ、あいつを殺してしまえ!」 

 ダナカマが叫び、同時にダボホゼが矢を放った。


 「愚かなことを!」

 ため息まじりにつぶやいただけで、ミズハに迫った矢が空中で停止する。


 死竜が上昇し、羽ばたくと、無数の毒の体液が飛び散った。

 一滴でも肌に付けばそこから腐り落ちてしまう恐ろしい毒だ。


 だが、ミズハはその毒雨の中を何事も無いように二人に近づいてくる。透明な膜が毒を弾いている。詠唱も何もしていない。魔法を使ったとは思えないのにである。


 「どうした、ダナマカ、早く魔法攻撃をしやがれ! いつも得意がっているだろうが!」

 ダボホゼが無駄と知りつつ、次々と矢を射る。


 「化け物……」


 ダナマカがつぶやいた。さっきから魔弾や火球を撃とうとするが、杖を振っても何も発動しない。魔法が使えない、膨大な魔力を前に、自分の魔力が抑え込まれているのである。

 

 ボアアアーーーー!

 上空から死竜が口から何かを吐こうとする。だが、ミズハがちらりと睨んだだけで死竜の口が硬直した。

 

 「ど、どうする? ダナカマ、こいつ、化け物だ」

 「ま、待て、何か方法が……」


 うろたえていたダナカマが、ふいに不気味な笑みを浮かべた。

 どやどやと扉の向こうから衛兵が乱入してきたのが見えたのである。


 「おい、……あいつらを利用して、その隙に逃げる。師匠が死んだ今、我らにあの術は使えん。もはやこのカードに意味はない、これは売って逃亡資金に変える、俺とお前一枚づつだ。いいな?」

 「わかったぜ」

 「やるぞ! ーー死竜よ、敵を薙ぎ払え!」


 「!」

 死竜が高く飛翔した。上昇から転じて、衛兵めがけて急降下する。その大顎が開く。


 「魔光弾! 空間断裂!」 

 あれはまずい、衛兵には毒への抵抗力は無い。


 ミズハが放った光の弾が下から上へシャワーのように死竜の胴体に命中して、死竜を押し戻した。

 痛みに震えた竜が翼を丸めて体を隠す。その瞬間、死竜の周囲に丸い歪みが生じた。


 一瞬だった。


 衛兵たちは目を疑った。

 今まで、目の前に迫っていた恐ろしい死竜の姿が跡形もなく消えていた。


 ミズハは振り返って肩をすくめた。


 そこにはあの二人の姿はない。

 あるのは血の海に沈んだ奴らの師匠の死体だけである。

 

 「逃げ足だけは一流か……、でも、簡単には逃げられないよ。行け」

 ミズハが命じると、上空を飛翔していたカラスの群れが二手に分かれて飛んで行った。

 

 「ミズハ様、これは一体?」

 「邪悪な魔法使いが宮殿に侵入していたらしい。これを手引きした者が誰なのか調査が必要だ」


 「はっ、それでこの者は?」

 衛兵は気持ち悪い虫がたかっている死骸を見下ろした。


 「こいつが侵入者のボスだ。おそらく身元がわかるような物はもう残っていないだろうが、念のため調べてくれ」


 「承知しました」

 

 それにしても……こんな得体のしれない奴らとも手を結んでいる者が宮殿内にいるのだ。そしてそれはおそらく……。


 端正な容姿とは裏腹の性格破綻者、一天衆最強の武力を持ちながら、じつは凄まじい魔力をその身に宿す者、奴だろう。ミズハにすら、闇の深淵に潜む者は簡単には正体を現さない。


 「奴のテリトリーと化した王宮に滞在するのは危険かもしれないな」

 ミズハは魔女帽を深く被ってつぶやいた。

 



 ◇◆◇


 ミズハの銀髪が風に踊った。


 赤い花と白い花が交互にアーチを彩っている。黒水晶の塔の中にある空中庭園の手入れはよく行き届いていた。


 咲き終りの花を剪定している老夫の姿を見つけ、ようやくミズハの表情が緩んだ。


 「レイバルト!」

 声をかけると驚いたように彼が振り返った。


 その皺だらけの顔に笑顔が満ちる。


 「これはこれは、ミズハお嬢様。いつ都に戻られていたのです?」

 レイバルトはハサミを腰の皮袋に戻しながら走り寄る。


 「危ないぞ。老体なのだから、そんなに走るな」

 差し出した手をレイバルトは掴む。

 老人とは思えない力強さがある。引退してだいぶ経つが昔の戦士長の筋力は健在らしい。


 「お嬢様にお会いできて、爺はうれしくて、うれしくて」

 「なかなか顔を出せなくて済まなかったな。私もうれしいぞ。爺も元気そうでなによりだ」

 彼はミズハの故郷である湿地の魔女の巣出身で、若い頃はミズハの屋敷に勤めていた。


 「この、ミズハお嬢様の庭園管理で毎日身体を動かしておりますからな。元気一杯です。お嬢様、どうぞこちらのベンチにお座りください」

 そう言って噴水の前の木製のベンチに向かう。


 「お前も隣に座りなさい」

 「いえ、ですが、そんな失礼な」

 「今はもう、お嬢様でも何でもない。ただの魔王軍の一員だ、気にすることはない」


 ぽんぽんと座板を叩いて促すとレイバルトはやっと腰を下ろした。


 「こちらの様子はどうだ? あちこち見て回っているが、何だか宮廷の雰囲気があまり良くない気がする、気のせいか?」


 「魔王様にはお会いしたのですか?」

 レイバルトは脱いだ帽子を握った。


 「先日お会いしたよ。何だか妙だった」

 「お会いできただけでも珍しい。魔王二天の顔を立てたということでしょう」


 「というと?」

 「最近、魔王様は顔をお見せにならない事が多いらしいです。いつも代理だとか」


 「何か、思惑があるのかな?」

 「そこまでは爺にはわかりません。それでお嬢様、今回も求愛されたのですか?」


 「いつもと同じで直接はやはり無理だったよ。面会後に書面を馴染みの女官から渡してもらえるように手配した」


 レイバルトは少し難しい顔をした。


 「宮廷の事はよくは知りませんが、女官たちが庭園で話をしているのを偶々聞く機会があります。魔王様はまた新しい妾を押しつけられたらしいですが、今は正妻を持つ気はないようです」


 「今は? というと例のあれか? 以前、成人前の貴族の娘に求婚したという事件が関係しているのか? 彼女が成人して適齢期になるのを待っているとか?」

 ミズハは何となくむっとしたようだ。


 「そうかもしれません、その娘が成人するまで待っておられるというのが以前の噂でしたが、最近はちょっと違うようです」


 「違う? 何か変わったのか?」


 「何か、人に興味が無いというのか、人と会う事を避けているようだとの噂です。女官たちの立ち話では、増えた妾も数合わせ的なもので、実際に魔王様が女性の元を訪ねられることはないと聞いています」


 「そうなのか?」



 ーーーーレイバルトは考え込んだミズハの横顔を眺めた。


 ミズハは色とりどりの花に視線を向けているが、花を見ているわけではない。何か深く考え込んでいるのだ。それはミズハが里を離れた時からずっと側に控えてきた者だけがわかる機微だ。


 噴水の水音だけが響く中、背後で木の葉が動いた。

 ミズハが指を動かしたように見えたが、幻だったのか、レイバルトは目を擦った。


 「爺、ありがとう。私はしばらく都を離れていた方が良さそうだ。この庭園の花々は美しいな。この次帰ってきた時もここでくつろがせてくれ」


 「当たり前です。お嬢様」

 レオバルトはうなづくと、美しく咲いた一輪の花をミズハに手渡す。


 立ち去るミズハの目には木陰で黒こげになった小さな寄生虫が映っている。精神支配を行うための符虫だ。符虫の標的は私かレオバルトかは不明だが、先日の邪悪な魔法使いの一件といい、危険な匂いが宮廷に満ちているようだ。


 ミズハは誰にも見られないように使い魔を宮廷の各所に配置した。ここにいては危ないようだ。今は外から監視するべきだろう。


 それは当然レオバルトの安全のためでもある。

 自分に親しくしていると目を付けられるかもしれない。今はただの庭園管理の爺と思われていた方が良いのだ。


 「まずは都を離れて身を隠しながら、各地の仲間を訪ねて回るとするか」


 長い戦いになるかも知れない。だがたとえ敵がチート級の奴だったとしても、彼が住む宮殿に蠢く闇を放置しておけるはずがない。ミズハは腰に下がる壊れた腕輪の片割れを掴み、レオバルトからもらった可憐な花の匂いを嗅いだ。


 それは深く優しく甘い匂いがした。



―――――――――――――

 お読みくださり、ありがとうございます!


 大魔女ミズハは、今後しばらく姿を潜めます。次に登場する時は、カインの旅路で直接遭遇になるでしょう。代わって徐々にサティナ姫の話が同時進行状態に入りますよ。


 『続きが気になる!』『おもしろいかも?』と、ちょっとでも思って下さった方、フォローや☆での評価よろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る