第29話 リサ王女の奪還

 俺はセシリーナが戻って来るのを待ちながら、ずっと幼女カミアの相手をしていた。

 ニコニコしているカミアは愛らしい。あーーこんなふうに和んだのはいつ以来だろう。心の棘が無くなるようだ。


 「すごーーい、じゃあ、これも、これも、やってみてーー!」

 「よし、任せておけ、ほら、見てろよ」


 指先で葉っぱが形を変えていく。俺の緑色に染まった指から香草の独特の軽いがとげとげしい酸っぱい匂いがする。


 ふっふっふっ、実を言うと俺は草花を使った遊びが得意なのだ。これは貧乏貴族がどれだけヒマな子ども時代を過ごすかの証でもある。弟や妹を遊ばせる以外、今まで全く役に立ったことのなかった無駄スキルが本領を発揮している!


 見ろよ、カミアは楽しさと好奇心にあふれた瞳を輝かせている。俺が何かするたびにかわいい歓声を上げる。その純真な様子はまるで天使だ。


 どのくらい一緒になって遊んでいたのか、俺とカミアの周りにはたくさんの花飾りができていた。失敗作もあればうまくいったのもある。


 「はーーい、これ、あげるねーーーー」

 カミアが今までで一番上手にできた、と満足そうな顔で俺の頭に花の冠を乗せて、太陽のような笑顔を見せた。

 薄ピンク色の小さな花を俺が教えたとおり一生懸命に編んだものだ。


 「うれしいよ。ありがとうな」


 「うん、えへへへ……」


 その時、その幼女のお腹がぐーーと音を立てた。


 「お腹が減ったのかい? でもごめんな、ここには何もないんだよな。俺もお腹すいたよ」


 「これぇ、たべれるよーー」と目の前の草を指差す。


 おお、そうだったのか。そういえばここには俺の知っている薬草も多いが、この草は知らないな。カミアがわくわくして見ているので俺は試しにそれを食べてみた。

 

 「どう? たべりゃれるでしょ?」

 「うん、そうだねえ」 

 不味くは無いが、かなり青臭い。俺がもぐもぐ口を動かすのを見て、にっこりして幼女は立ちあがった。


 「ごはん、食べてくりゅーー! おーにいー。また後でねー」

 そう言うと彼女は神殿の奥へ駈け出して行った。


 見送った目に、さっきの黒いローブの男たちが慌てた様子でカミアに近づいていくのが見えた。どうもあの子を探していたらしい。




 ーーーーーーーーーー


 「じーー……」

 視線を声に出す者が岩陰にいた。


 「見てましたよ、途中から。ーーあの娘は誰なんです? ずいぶん仲がよろしい御様子でしたね」


 「セシリーナか……いつの間に帰って……」

 セシリーナはすぐに俺の隣に座った。


 「まったくカインは危機感がないというか、何というか。ここは敵の真っ只中なんですよ。少しは気をつけてください。まあ、あれは正真正銘の幼女でしたが、中には幼女に化ける魔族だって普通にいるんですからね」


 「すまん」

 「それに、何を食べてるの?」

 「あー。これだよ。食べられるそうだ」

 俺は目の前のつんつんした草を指差す。


 「あーそれは……」

 何か言いかけてやめる。言葉の続きが気になったが、セシリーナは今度は俺の頭の上の花冠に見入っている。


 「それ、あの娘からもらったんですね? へぇーー」


 「ああ、上手だろ?」


 足元にはカミアが材料にするため集めてきた花がパラパラと落ちている。


 「ああ、この花って……、もしかしてあれですね?」

 花を拾い上げたセシリーナは、俺の顔を見てどことなくイタズラっぽく微笑んだ。


 「あれって? この花がどうかしたのか?」


 「ううん、なんでもないですよ。はい、これをどうぞ、これは落としちゃだめな花なんですよ」

 セシリーナが可憐な花を見せびらかすようにくるくる回しながら、俺の鼻の前に突き出した。どう、手に取れるかしら? って顔をしているのはなぜだろう。


 「えっ、別に落としたわけじゃないんだけどな」

 俺は意味が分からず、何気なくその花を手に取った。


 良く見ると、どこかで見たことがあるような花だ。

 美しい薄ピンク色の小さな花……。不意に、その花にエチアの顔が重なった。ああ、そうか、思い出した。エチアがあの時、俺に渡した薬草だ、これ。


 「ふふふ……実はこの花は知ってるんだぜ。綺麗だけど、これも薬草なんだよな?」

 どうだ、と自慢気にセシリーナを見た。おや、おかしい。セシリーナの顔が赤くなってきた。 


 「ま、まさか、そこで本当に花を手に取るだなんて……」

 セシリーナが両手で頬を押さえた。どう見ても照れまくっている。


 「ど、どうかしたのか? 今のやり取りに何か照れる要素があったのか?」


 「カ、カインのバカっ! ほんとに、肝心なことは知らないのね、ーーーーそこは冗談、この流れなら、軽く笑って「いやいや」って断るのが普通のパターンでしょ!」


 「何がなんだか……」


 「それはね、”誓いの花” って言う特別な恋の花なのよ。女性が差し出した花を男性が受け取ったら、愛の告白を受け入れたことになるの! ーーーー冗談でも、本当に手に取るなんて、信じられない! これじゃあ、私が告白したことになるじゃない!」

 

 やっちまったらしい。

 まさか、この花がそんな特別な意味を持っていたとは……。

 あの時、俺にこの花を渡した後のうれしそうなエチアの顔はそう言う意味だったのか。急に意味がわかって、俺の胸に甘酸っぱい想いと、痛みが湧き上がった。


 「どうかしたの?」

 目の前のセシリーナは頬を染めている。

 「今のが告白だとしたら、俺はどうすれば良いんだ? 実は俺の方が百倍も好きだぜ、とか言えばいいかい?」


 「バ、バ、バカっ!! これは、まじないみたいなものですから、紋とは効果も違うでしょうし、私も男の人にこの花を差し出したのも初めてだし、どうなるかなんて知りませんよ」

 くそう、本心だったのにな、と思いつつ、セシリーナが照れている様子がかわいい。


 「ま、まあ、俺たちには既に紋が出てるし、大した影響はないんじゃないか?」

 しばし二人して見つめあう。


 ーーやがてセシリーナが諦めたように肩をすくめた。


 「まったくもう……、カインといると調子が狂っちゃうわ」

 「ははは……」

 「笑いごとじゃありませんよ。誓いの花の儀式は古くから信じられてきた魔族の大事な伝統なんですから」

 「ごめん、俺はこっちの常識を知らないからなあ」


 「まあ、仕方ないですね。いいですよ、なんだか不思議と嫌な気持ちってわけじゃありませんし」 

 セシリーナはパンパンと頬を叩いて気を引き締めた。

 

 「ーーさて、例の王女ですけど、色々調べてきましたよ。まだ、私の軍事権限が生きている暗証鍵があって、神殿の密封区画にうまく潜れましたから」


 「それで?」

 「その王女、確かにいるようですね。5年前に8歳ですから、今は13か14歳位の少女になっているはずよ」


 「幼いため殺されずに済んだのかな?」


 「もっと小さな子も含めて王族はみな殺されていますよ。その王女は、絶世の美女と称えられた魔族の姫と人族の王の間に生まれた一人娘で、王族で彼女だけが唯一生かされているのです」


 「生かされている? 何か意味ありげな言い方だな」


 「名前はリサ王女。カインの言ったとおりでしたよ。魔王の闇の儀式の生贄に利用するため、彼女が14歳になるまで生かされているらしいです」


 「恐ろしいな魔族は……」

 隣でセシリーナが膝を抱えた。


 「たしかに邪悪な儀式です。でも魔族だから邪悪というわけではないわ。人間にだってそういう悪事を企む者もいるでしょう?」


 「そうだね、人間も良い奴ばかりじゃないということは確かだ。魔族だから、と言うのは決めつけだった。すまない」

 セシリーナが俺の顔を見てほっとしたようだ。


 「でも、魔王様が行おうとしている儀式は確かに邪悪です。魔王様がそのような事を行う方だとは思いたくありませんが、私

も騙されていたのでしょうか?」


 「強大な精神支配とか? 魔族じゃない俺の従者になったことで精神支配が解けたとか?」

 「まさか?」

 セシリーナは真剣な顔つきになった。


 おお、美人だ。人と違って尖った耳先、顎のラインが細いだけに彫刻の女神のように凛々しくて美しい。俺はその横顔に見惚れてしまう。


 「ですが、今はそれを考えていても仕方がないですね。リサ王女を探さないと。その前にこれをどうぞ、何も食べていないでしょ? 小さいけど、食べるとお腹の中で膨らむ携帯食よ。昨日から寝てないし、睡眠不足をごまかす作用もあるわ」

 セシリーナが硬く焼き締めた棒みたいな甘い香りの保存食を俺に手渡した。さっきちょっと昼寝していた俺としては少し気まずい。


 「リサ王女の他にも、カミアみたいな子どもが生贄として閉じ込められているのかな?」

 俺は携帯食をボリボリとかじった。


 「リサ王女が特別であって、あの娘は生贄じゃないんじゃないかな。もしかするとリサ王女の遊び相手とかね。ーーーーあと、神殿にいる事がわかったのは、闇術の使い手よ。さっきの黒ローブの連中ね。あとは辺境魔族出身の女官が数名、これは暗殺術を使う暗黒術使いのメイドよ。まさか彼女たちがここにいるとは思わなかったわ」


 「有名人なのか?」

 「ええ、いろんな意味でね。でも危険よ」


 「そうか、そんなのには出会いたくないな。ーーそう言えば、カミアの指に禍々しい黒い指輪がはめられていたんだけど、それが何かわかるか?」

 「黒い指輪ですか? 黒い指輪……記憶にないけど、それも呪いの指輪かもしれないわね」


 「王女を助けるついでにカミアも救えるかな?」

 「気持ちは分かるけど、また、そうやって事を面倒にする」


 「すまん、まずは王女の居場所が先だな。できたらカミアはその後に」

 「ええ、あなたの呪いを解くためにも優先すべきです。カミアは生贄リストには名前がなかったですし」


 「わかった」


 「それで、調べたところ、この神殿は四つの区画に分かれているようですね。四区画がそれぞれ対角線上にあって……」


 「ああ、そうか、ここは元々アーヴュス神殿なんだな。東西南北の4つのエリア。ここは南、春を表す場所」

 アーヴュスは四季や天候、自然を司る神だ。自然の恵みをもたらす神として良く知られている。


 「よくわかりましたね? 意外に物知りなんですね」

 セシリーナが驚いている。


 「ふふふ……貧乏貴族様をなめるなよ。あらゆる神殿で便所掃除を請け負った経験があるんだぞ、俺は」


 「それって自慢になることなの?」


 「まあね、この大神殿が元アーヴェス神殿だとすれば、さっきの水場は夏を表す聖なる泉、儀式を行うのは秋、眠るのは冬だからな」


 「生活空間は冬ということね。つまり北のエリアにいる可能性が高いのね?」


 「ああ、北エリアは、本来は神官が住まう個室エリアだし、王女を幽閉しておくにはうってつけだろ? 潜入できるか?」


 「多少、力づくになるかもしれませんけどね」

 セシリーナが短剣と共に腰に下げているポシェットを叩いた。


 一瞬でその背に弓矢が現れた。もう一度叩くと消える。流石は魔法の装備。

 俺は骨棍棒の感触を確かめた。


 いよいよこいつが威力を発揮しそうだ。ふふふふ……。


 「カインはあてにしないから。私の後ろに付いてきてね」 

 何と言う美しさ。しかもカッコいい、惚れるぜ。俺も彼女にいい所を見せなくては。


 「それじゃあ、まずはこれを手足に塗ってちょうだい。人間の匂いを消すことができるものよ」

 葉っぱで包んでいた何か黒い物を棒きれでつまんで、俺の手の平に置いた。


 「これは?」

 「魔犬の一種、豚犬の糞よ。さっき拾ってきたの」


 「置いてからいうなよ、これウンコかよ!」


 うわーー、むにゅうと気持ち悪い感触が手のひらの中に広がった。これはまじまじと見てはいけないもののような気がする。


 「死にたくなければ、早く塗ってくださいよ。大丈夫、まだ臭いはそれほどじゃないから」

 そう言って、セシリーナは鼻栓をし始めた。


 「お、おう」

 感触は気持ち悪いことこの上ないが、確かに臭いは思ったほど強くない。周りの香草の方がずっと臭気が強いくらいだ。


 俺は我慢して糞を手足に塗る。

 ゾワゾワと鳥肌! 全身ウンコまみれなんて、そうそう経験できるものではないが、俺はここ最近で2回目である。


 ぬるぬるの物体が乾き始めた。その途端、物凄い悪臭が立ち上り始めた。


 やはり糞は糞だった。


 「げ! うぎゅあ! く、くっせー!」


 「うすゅく、にゅると、におうのよ。とくに乾くしゆんかんが」

 「そう言うことは始めに言ってくれ」

 セシリーナは知っていたらしい。鼻栓をしているので声が変だ。


 「すこしのがまんよ」

 糞の匂いは徐々に薄まっていく。

 こうなってくると、もはや土の匂いみたいなもんだ。


 「ほら、もう慣れたでしょう」

 セシリーナが笑顔で鼻栓をポシェットに戻す。

 「ですが、汗をかいたりして湿るとまた強烈に匂うから気を付けてね。行きますよ」


 なんだか不安な事を言ってセシリーナは神殿の壁沿いに身を低くしながら進み始めた。


 侵入は夜の方が良いのではと思ったが、魔族は夜目が効くし、ここにいる闇術師はどちらかと言えば夜行性なのだそうだ。そうなると人間の俺には不利だ。

 今は、ほとんどの闇術師が休んでいる。起きて活動しているのはせいぜい数名、セシリーナは夕方に近いこの時間帯の方が警備は薄いはずよ、と判断したのだった。

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