第336話 暗殺者1

 きっかけは俺が基地のトイレに行こうとしたことだ。


 俺の胸の中で顔を赤らめ、息も絶え絶えの全裸のミラティリアがようやく生まれて初めての幸せな夢から覚めた。


 「素敵でした……カイン様、初めてでも私の魔王様はやっぱり最高でした」


 ミラティリアがうっとりと俺の背にその腕を回した。


 うおおっ、素敵だ! 美しい!

 バオーー! 再び股間の狂戦士が吠えた!


 「今晩はもう寝かせないぞ! ミラティリア! 覚悟するんだ」

 「うれしいですわ、カイン様!」

 ミラティリアが蕩けるような表情でキスをせがんだ。


 もう、素晴らしすぎる!

 俺は夢中でミラティリアを抱きしめ、共にベッドを軋ませ続ける。


 でも、どうしてこうなったんだっけ?




 数時間前、俺は真魔王国砦群の末端に位置する前線基地の廊下を一人歩いていた。


 ここは黒鉄関門からは一番遠くにあり、今回の作戦では戦場になることはないから安心しろ、と太鼓判を押された安全地帯なのである。不本意ながら、実戦ではあまり役に立たない要人だけがここに集められたらしい。


 少しは軍隊は率いてきたが、どうみても戦えそうにない太った元貴族とか、非戦闘民族のウサギ耳の獣人族の代表、華麗に舞い踊るだけが取り柄の唄う妖精族のリーダーなんかが一緒だ。


 中央大陸の二大国家というべき新王国の次期国王が、役立たず認定されて、ただぼけーっとしているのは不味い気がする。

 それに、要人だけといってもそれぞれに屈強な護衛部隊がついており、基地には大勢の人間が出入りしているのである。


 かく言う俺の護衛部隊は、老騎士スザをリーダーとする新王国の騎士団が中心で、カインパーティーのみんなは同盟軍として作戦遂行のために各所に出撃しており、今、ここに残っているのは俺とミラティリア、ルップルップの三人だけなのである。


 作戦が始まって数刻、帝国軍は次第に接近してくる。報告が流れる度にドキリとし、じりじりとした緊張感に耐えられなくなった俺はこっそりと要人が集まる作戦室から抜け出した。


 基地の廊下を行き交う兵士の姿も多く、深夜にも関わらず活気があるのは今夜が黒鉄関門を抜くための重要な作戦日であることを誰もが自覚しているからだ。


 俺は「ごくろうさん」とか「お疲れ」とか愛想を振りまきながらトイレを探した。基地の中は殺風景で同じような廊下と部屋が並んでいるので、なんだか迷いやすい。


 たしか、こっちの方にトイレがあったはずだ。そんな謎の確信をもって廊下を歩いていると。


 「動くな!」

 ふいに背後から口を塞がれ、喉元にナイフが光った!


 「!」

 叫ぶ暇もなく、おれは使われていない部屋に連れ込まれ、力づくで床に押し倒された。


 真っ黒なレザーアーマーがこいつの職業を暗示している。

 奇妙な鬼の面をしているところを見ると、例の鬼天衆とかいう暗殺者だろうか?


 しまった、暗殺だ! 殺される!

 たまりんたちを呼ぶにしても首を押さえられている。


 微塵も隙が無く、殺気すらも感じさせない。

 剛腕でねじ伏せているのではない、大した力も入れていないのに、身動きをとれなくするその技量が恐ろしい!


 と思ったが、よく見るとぴっちりと体の線を露わにするレザーアーマーの胸がボインで、腰が細く、俺の腹にまたがって広げている生足も妙に色っぽい。


 これは女? 女暗殺者だ。

 力では男に負けるからこそ技量スキルがずば抜けて高いのだ。


 「貴様、幹部なのか?」

 その声、やはり若い女だろう。

 ナイフの背に片手を添えて、このまま俺の首を切断する構えだ。


 これは不味い。

 黒いレザーのミニスカートとか、エロすぎる。しかも、そんな恰好でまたがっているから卑猥によれたパンツが丸見えだ。


 「白か……最後に良い物を見れた」

 「ば、バカか! 貴様! こんな時に!」

 察しの良い暗殺者である。

 しかもそいつのお尻を後ろからツンツンし始めたのが何だか分かったようだ。


 「この変態め! 一息に殺したいところだが、お前は利用しなくてはならないのだ」 

 そう言うと、そいつは仮面を外した。

 仮面の下から出て来たのは。


 俺だ!

 顔がみるみる俺そっくりに変わっていくのだ。体は女で顔だけが俺? 人に化ける魔法だろうか?


 「貴様はここで大人しくしていろ、この変態!」

 その声と共に俺の首筋に手刀が叩きこまれる。その激しい衝撃で俺の目の前は真っ暗になった。


 「この変身の術は本物が生きていないと効果が出ないのが難点だ。だが、これで堂々と基地内を歩ける。怪しまれず要人たちに近づき、数人は片付けられるだろう。さて、そのためにさっそく着替えねばな」

 女暗殺者は安らかな顔をして気絶しているカインを見下ろした。


 「うっ、こいつのズボンを脱がすのは嫌だな」

 気絶しているくせに股間が巨大火山のようだ。中がどうなっているか見るのも怖い。さすがに乙女としては気が引けたようである。


 ならば、ここは最小限の装備をいただこう。こいつに似せるにはマントと靴で十分だ。


 女暗殺者はマントを外して首に回した。よし、これで衣服を隠せば簡単には気づかれないだろう。


 こいつに化けるために必要な情報が書かれた認識票も欲しいが、ざっと見たところ、おそらくズボンのポケットの中だ。

 ズボンが恐ろしく突っ張って何かが内部でピクピクしている。乙女としては、あれに手を突っ込むことなんか到底できない。


 「うん、あとは靴だな……」

 そう気を取り直し、ボロ長靴に伸ばした手が止まった。


 ひどいボロ長靴である。破れた指先から既に耐えがたい異臭が立ち上っている。


 「こ、これを脱がせて履くのか? いや私もプロだ。やり遂げねば……うぐっ!」

 ちょっと脱がせてみたが、その臭いに鼻をつまんで後ずさりしてしまう。


 「私はプロ……、……いや、プロだって、無理なものは無理だっ! これはもうムリっ!」

 全身ぞわぞわさせて女暗殺者は思わず涙した。鼻につーーんときたのである。


 「どうやら誰もいないな」

 女暗殺者は冷たく光るナイフをしまって、そっと廊下に出た。

 あのボロ長靴はあきらめた。

 標準仕様の革ブーツだが、こんな些細な違いに気づく者もあるまい。と思ったのである。


 暗殺任務をこなす銀髪の傭兵マグリア、それが彼女の名だ。鬼天暗殺衆のリーダーで帝国随一の暗殺者と言われた父を幼い頃より見て育った。


 残念なことに能力が母に似て魔女適性に大きく傾いていたため、不本意ながら鬼天衆の一員に加わることはできなかったが、暗殺対象以外は殺さない、そんな美学で行動する一流の暗殺者を目指して傭兵になった美女である。


 やはり誰も怪しまない。

 通り過ぎる者たちが軽く会釈していく所をみると、あの変態は意外に身分の高い男だったのかもしれない。

 戻ったら即殺そう。

 そう決心して要人の居場所を探した。


 「おや、こんなところにカイン様、トイレには間に合いましたか? 替えのパンツを抱えたミラティリア様がお探しになってうろうろしてましたよ」

 扉の前に立っていた兵士が声をかけてきた。


 「ああ、もちろん大丈夫だ」

 この顔の男はカインと言う名前のようだ。


 マグリアは頭の中で要人リストを思い描くが、該当者は無い。カリンと言う新王国の次期国王の名前に似ている気がするが、あんなボロい長靴を履いているような変態だし、お供の者にトイレに間に合わなかったに違いないと思われている。間違いなく別人だろうとマグリアは確信した。


 「今日はやけに、外が静かですねぇ、野獣どもも騒いでいません。何か起きそうで嫌な感じです」と兵士。


 それは恐らく帝国軍が遮蔽術を使って近づいているからだ。明け方には砦は総攻撃を受けるはずだが、ここは離れているので味方の攻撃でやられる心配はない。


 暗殺を生業とする傭兵たちは、何人かに分かれて真魔王国の補給基地や幹部のいる後方基地に潜りこんでいる。


 マグリアの任務は真魔王国と同盟を結んだ国々の要人を暗殺することである。相手が誰であっても良い、別に対象が決まっているわけではない。何名かの命を奪い、同盟国に真魔王国への不信感を募らせるのが目的なのである。


 「野獣か。野獣の群れも狩りをするため移動したんじゃないか?」

 「なるほど! さすがはカイン様です」

 兵士は感心したようだ。


 うまく誤魔化せたようだ。

 兵士が守っているということはこの中に要人がいる可能性が高い。


 「しっかり見張っているんだぞ」

 マグリアはそう言うと扉を開けた。

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