第92話 さらわれたリサ
ああ、リサも上手になったものだ。
俺は微笑みながら目に涙を滲ませた。
リサがナイフを置くと小さな指を必死に動かして玉ねぎの皮を剥く。ぺりぺりぺり……ぺりぺりぺり……
その傍らに立って、その危なっかしい様子をずっと微笑ましく見ていた俺の目に、大粒の涙がぼろぼろと浮かんだ。
「目がぁああ…………しみるーーぅ!」
リサが目いっぱい涙を浮かべて、はい、と白くなった玉ねぎを俺に差し出して叫んだ。
「ぐおおお……俺もやられた! うおおお……!」
俺も目がしみる! これは痛すぎる、この玉ねぎは強烈だ。強烈すぎる!
「おやおや、新鮮な地物ですからな。あまり無理をなさらずともよろしいのですよ」
村長のデ・スクロアが台の上に山に置かれた玉ねぎを一つ手に取った。
「ここは村を代表して、この私がお手本をお見せしましょう! なに、地元愛があれば、こんな玉ねぎの一つや二つ……」
そういって表皮を剥く。
内側を少し剥く。さらに剥く。なぜか、しだいに村長の腰がもぞもぞと左右に振れて来た。
「うおおお、沁みますなーーーー! こ、これは強烈! め、め、目がっ! 目がっ!」
ついにもう我慢ならないという感じで全身をくねらせる。
結局あんたもかよ!
俺は赤く腫れた目で村長が悶える様を見た。
「うおおおおっ!」
台所で3人が体をくねらせ、妙な踊りを踊った。
鍋を掻きまわしていたオリナが小さなスプーンでスープを一口すくって味見をしている。
「さて、サンドラットたちが戻ってくる前に料理を完成させるわよ。剥いた玉ねぎをこっちにもらうわ。野獣の燻製肉と炒めて、チーズをぱっぱっとのせて……」
オリナは腕まくりして、手際良く料理を進める。
「ほう、オリナさんはそんなに若いのに、どこでこんな料理を? これは伝統的な魔族の北方料理ですな?」
村長は濡れタオルで顔を拭いている。
「やっぱりだめーーだーーーー! しみるーーーーぅ!」
リサは顔を洗うため外の井戸に走って行った。
「ええと、小さな頃からあちこちに行って苦労したんだよ。な?」
俺は、オリナに話を会わせろ、というつもりで彼女の横顔を覗き込みながら、パチパチとウインクをする。
「あらあら、カインったら、まだ目が変なの? ほらほら、私が拭いてあげるから、こっちを向いて」
オリナは俺の頬に優しく手を添え、ハンカチで顔を拭き始めた。
「おやおや、かわいいお嫁さんみたいですな? お二人はどんな関係ですか? オリナさんはリサお嬢様のお世話をする方とお聞きしていたのですが、そのご様子はまるで恋人同士。いやいや、もしや? なるほど、お二人はそういう間柄でしたか」
「……」
カインが若旦那、サンドラットは用心棒、リサは先代の隠し子で、オリナはそのお世話係、3姉妹は若旦那付きのメイド。そういう打ち合わせだったのだが。
「はははは…………若旦那も男、という事ですかな!」
村長は気まずい雰囲気を吹き飛ばす勢いで豪快に笑った。
「だが、そんなに若い子にまで手を出しているとなれば、あの綺麗なメイド方も既に……? いやいや当たり前でしょうな? おっと。これは立ち行ってはいかんですな。田舎にいるとどうしてもこういう話には目がなくて。いやいや羨ましい限りですな、ですが、この私も外に妾の一人や二人ならば…………」
と言って、村長が固まった。
いつの間にか村長の背後に車イスの奥様の姿が……。
奥方は若い、おそらく20代後半だろう。村長は40代か。一夫多妻は当たり前だが、なかにはそれに反対する者もいる。特に旦那が通い婚でなく同居している場合だ。
「お料理のお手伝いをと思いまして。ねえ、あなた」
その手にやけに鋭利な包丁が光る。
「お、お前いつの間にそこに?」
青くなった村長が後退りした。
「おほほほほ……」
「は、はははっは……」
二人とも妙に乾いた笑いだ。
俺たちはリサの手を引いて、オリナと一緒にそっと台所を出る。
「外のお妾のお話、もう少し詳しくお聞きしましょうかしら? ねえ、あ、な、た?」
「ま、ま、まて! 早まるな、その包丁を下ろせ」
俺とオリナはリサの手を引いてその場を離れる。
夕食の手伝いをしたばかりに…………。
「ぎゃあああーーーー!」
背後から村長の悲鳴が聞こえる。
俺は村長の身を案じながらも、さっさと屋敷の外に逃げたのだった。
ーーーーーーーーーー
「どこに行くの?」とリサが聞く。
俺はリサにフードを被せた。リサは目立ちすぎる美幼女なのだ。噂になるのもまずい。
「ええと、買いもの! そう、買いものだよ!」
とは言ったものの、村には大した店も無いようだ。
せっかく道中集めた薬草を買い取るような店も見当たらない。
村では定期的に市が開かれ、必要な品は市で揃えるのだそうだ。葡萄酒の店がいくつかあるが、俺は酒に弱い。お呼びでないのだ。
ちょっと遠出して村はずれまでくると、大きな風車のある建物が増えてくる。
「うわーーーー、すごーーい!」
リサが珍しそうに風車を見上げた。そう言えば風車を見るのは始めてか。
「これは風車と言ってね、風で羽が回って、中で穀物をすりつぶしたりするものだよ」
3人で風車を見上げる。東の大陸の風車とは羽の形がちょっと違う。この村では穀物と言うより、葡萄を絞る小屋なのかもしれない。建物は石造りだが、板壁の廊下がその背後の土蔵まで続いている。
風車は止まっており、今は調整中という感じだ。本格的にブドウの収穫が始まる前に修理や調整を済ませるのだろう。
ぎいっと風車小屋の方から音が聞こえた。
「あんた! た、助けてくれ……!」
不意に建物のドアが開いて、男が転がり出てきた。
「どうした? 何かあったのか?」
「く、蜘蛛だ、蜘蛛がでたんだ! 俺は蜘蛛が苦手なんだ! あの腹の気持ち悪い文様ときたら、ううっ、ぞっとする」
「蜘蛛だってさ、カイン」
リサが俺の袖をひく。
「蜘蛛だって」とオリナを見るが、へぇ、珍しく嫌そうな顔だ。
「もしかして、蜘蛛は苦手か?」
「に、苦手なわけないわ、ただ、ちょっとあの姿が嫌いなだけよ」
おお、セシリーナにも苦手なものがあったとは。
「ふふふ……大丈夫、俺に任せろ。その代わり駆除料はだな……」
「カイン、みみっちい男は嫌われるわよ」
「俺は、駆除料などとは言わない。すぐ退治してやる。それで蜘蛛はどこに出たんだ?」
「風車小屋の二階の、休憩室だ!」
「二階だな。みんなはここで待ってろ」
俺は道端の木切れを拾うと風車小屋に向かい、そのドアを開けた。
風車小屋の中は予想以上に暗い、窓が無いためドアからの光だけが床に伸びている。2階の方は真っ暗だ。稼働していない小屋の中は不気味に静まりかえり、歩くたびに床が軋む。蜘蛛というより幽霊でも出そうな雰囲気だ。
こ、怖くなんかないぞ。
俺は、床に転がっていたランプを拾った。たぶん、さっきの男が落したものだろう。ランプには魔力が込められており、回転摘まみをまわすとほんのりと光り始めた。
ランプをかざし片手に木切れを構えて、階段を上る。
ミシミシ……ミシミシ……
2階の部屋だ。木の扉が閉じている。
鉄製の握りを掴んで扉を開く。
何もいない。
多少、びくつきながら部屋の様子を伺う。
粗末なベッドが壁際に置かれている。空気がカビ臭い、長い間使われていなかったようだ。ちょっとおかしい気がする。何かひっかかる。
ミシミシ……と部屋に入った。
「うっ、ぺっ、ぺっ。蜘蛛の巣が顔に貼りついた」
俺はいきなり蜘蛛の巣に顔を突っ込んだらしい。
ねとねとする糸が顔中にくっついて気持ち悪い。
カサカサ……と何かが俺の首筋から背中に入った。
うん、これは何かじゃない、どう考えても蜘蛛だろう。
「うひっ!」
俺は慌てて上着を脱いだ。
あんな男が恐れる蜘蛛だ。毒蜘蛛だったらと考えると少しパニックだ。ばさばさ振るうが、奴はあろうことか背中からズボンに潜り込んだ。
「ひゃう!」
俺は奇妙な声を上げて今度はズボンを脱ぎ棄てる。
カサカサ……奴はパンツの中にいる。
「ここか!」尻を掴む。
パンツごと奴を捕まえたが、中でつぶすのは気色悪い。
俺はパンツを脱ぎ、思い切り床に叩きつける。
黒いのが這い出てきた。
「死ねえ!」
必殺の一撃! 木切れが床で爆裂した。
「ふふっ、ふははは!恐れ入ったか!」
その時、俺は気づいた。正面に誰かいる。
暗闇の中、腰に手を当て全裸で笑う変態がいる。
かなり曇っているが大きな立鏡。
映っていたのは全裸で高笑いする俺だ。
あれ? またもちょっとした違和感がある。
鏡は長い間使われていなかったかのように薄汚れている。
暗闇の中、ランプの灯りで周りを見ることに目が慣れてきたが、周りにはたくさんの蜘蛛の巣がある。
妙だ? さっきの男はこの部屋にいたと言ったよな?
だとしたら、こんなにすぐに入口や室内に蜘蛛の巣が張るものなのか? そもそも蜘蛛嫌いな奴がこんな部屋にいるか?
俺はドキっとした。心臓が早鐘のようになった。
「もしかして!」
俺は服を抱え、慌てて全裸のまま小屋を飛び出した。
明るさに一瞬目がくらむが、次の瞬間には路上に倒れているオリナの姿が飛び込む。
「セシリーナ!」
俺は服を放り投げ、慌ててセシリーナを抱きあげた。
大丈夫、息はある。気を失っているだけのようだ。
辺りを見回すが、リサの姿がない。
「しまった。リサが! リサーーーー!」
大声で呼ぶが返事がない。さらわれた? あの男だ!
鼓動が速まって苦しくなってくる。
「リサ! どこだ! リサーーーー!」
俺の悲痛な叫び声に、何かあったのか? と周辺の村人が出てきた。そして、村人たちは目撃してしまった。
倒れた少女の前で仁王立ちしている全裸男!
真昼間に大胆に揺れるナニと、路上に倒れているかわいい少女。まさにあれは変態だ。
「大変だ! 変態に少女が襲われているぞ!」
「助けろ!」
通りすがりの屈強な若者や村人、若い女たちが手に手に棒や農具を持って、俺を取り囲む。
「いや、いや、これは違う!」
「何を言うか、この変質者め! お前はそっちにまわりこめ!」
「この変態を逃がすな! 君は右だ!」
駆けつけて来たのは二人の若者だ。拾った木の枝を構えて、じりじりと前からにじり寄る。片方は見上げるほどの巨漢である。
「ま、待ってくれ! 俺の話を聞いてくれ!」
「えーい!」
その時、背後からこっそりと近づいていた若い女が、棒で俺の股間に! 一撃必殺だ! 下から上へ生チン直撃である。
「ぐおおおお!」
股間を押さえて崩れ落ちる俺の正面からさらにクリウスとか言う男がパコーン! と脳天に一撃。
俺の視界は完全に真っ暗になった。
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