第295話 鉄の大門前の石像2

 暗い森の奥でセシリーナとリィルは獲物を追っていた。


 「あの獣は足が早いから良く狙うのです」

 「わかってる。これが最後のチャンス。あれを捕まえないと冒険者として依頼が達成できない」

 キリキリと引き絞った矢が放たれ、空気を裂いた。


 こちらの気配に気づいて顔を上げた魔獣ブウタの額に矢が突き刺さった。前足が折れ、魔獣が地面に倒れるのが見えた。


 「やった! やりましたよ!」

 「これで賞金は頂きね!」


 「まき餌でおびき寄せる作戦を立てたのは私ですから、賞金は私が6割で良いですね?」

 リィルがブウタに突き刺さった矢を回収しながら言った。


 「えっ? リィル、作戦を考えたのは私じゃなかった?」

 「何を言うのです? ほら、あの魔獣の足を見てください。私が仕掛けた罠が絡まっていますよ」


 「罠? 罠なんていつの間に仕掛けたの?」

 「いやだなあ、さっき仕掛けたじゃないですか? バチンと挟む奴を。宿屋の親父から今朝購入した罠ですよ? 忘れたのですか?」

 セシリーナは魔獣をもう一度見る。


 魔獣の首に紐がひっかかっているが、足には何も見えない。


 「やっぱり足に罠なんて無いわよ」

 「何を言うんです? ほら。あれ? あれれ?」

 リィルがきょとんとする。


 「まあ、良いわ。仕留めたことには違いないんだから」

 「そうです、そうです」

 二人はにこやかに見つめあう。


 「あれ? リィルがあれを解体するんじゃなかった?」

 「何を言うんです。私は狩人スキルなんて持っていないですから、解体はお任せしますよ」

 「おかしいわね。シーフのリィルが解体するものだとばかり思っていたわ。それに私は狩人じゃなく弓使いですよ」

 セシリーナは自分の弓を見たが、なんだか違和感がある。いつもの弓じゃない。


 「まぁ、何てことを言うんです? 私はシーフなんて闇の職業じゃないですよ。健全に発育中の森の妖精なんですから、これでも麗しの森の乙女見習いですよ」

 えへんとリィルは無い胸を張って得意気な顔をした。


 「森の乙女? それって高貴で美人な大人のイメージがある森の管理人というあれですか?」

 森の乙女というのは妖精族の上位種族と言われる清楚可憐で高貴な美女である。


 「もちろんです! 今日はおかしいですよ、フローリア。いずれ森の乙女になる予定のこの私を、よりによって盗賊職だなんて……」


 「おかしいわね……」

 セシリーナが何かを思い出そうとしている。それに今、リィルは私のことを何と呼んだか……。フローリア?


 「それよりも、その靴、穴が開いてますよ」

 ぷっとリィルが笑った。

 「靴に穴が? あら本当だわ」

 あれ? おかしい? 


 そうだ……こんな靴に見覚えがある……。

 ボロボロの長靴を履いた……。セシリーナは目を閉じ、深呼吸すると突然全てを思い出した。


 「リィル! これはきっと幻術だわ! 目を覚ますのよ!」


 カインの名を思い出した瞬間、周囲の黒い霧が引き潮のように引いて行く。

 隣に眠るように倒れているリィルを抱き起こしながら、セシリーナはそのどす黒い霧から距離を置いて身構えた。




ーーーーーーーーーーー


 湖の上の小船の上でリサが目覚めた。


 「やっと目が覚めたか?」

 ミズハが水面に手を触れたまま微笑んだ。


 「寝ちゃってた?」

 「そうだな。いくらここが気持ち良い場所だとしても寝過ぎだな、まぁ連日の激務で疲れているのはわかるけど」

 そこは魔王国の帝都北西にある市民憩いの公園である。


 その大きな池には多くの小船が浮かんで楽しそうな声が響いてくる。


 穏やかな日々、まもなく戦が始まるのが嘘のようだ。


 「やはり、お前は申し出を受けるのか? 軍を率いることになるぞ?」


 「ええ、そうね。でもみんなが期待しているわ。性格的に戦いに向いていないとか何とか言われても、白魔術師としてやれることはやっぱりやりたいのよ」


 「お前は、いつもクールベの後を追うんだな。彼が軍役に就かねばならないからといって、同じ道に進まなくても良いだろうに……。戦争は綺麗事では済まないんだぞ」


 「でも、私の治癒魔法で少しでも助かる命が増えるのなら、ね」

 

 「わかった。今日は少しでも楽しもう。そして、こんな穏やかな日々がまた訪れることを祈ろう」

 「ええ、ミズハ、今日は誘ってくれてありがとう」

 その満面の笑顔はどこまでも清らかだ。


 その愛らしい笑顔がわずか1年後に闇に染まるとは……その時は思いもしなかった。ふいに脳裏に真っ赤に染まったドレスをまとって狂気に笑う彼女の姿が浮かぶ。


 「ニロネリア! やはりよせ! その道はダメだ!」

 ミズハは不意にリサの腕を掴んだ。


 「えっ? 私だよ、リサだよ?」

 「リサだって……。そうだ、この思い出は違う。これはニロネリアとの思い出だ」

 何かがおかしい、ミズハは頭を振った。


 「リサ! これは幻術だ! 目を覚ませ、夢から出るぞ!」

 「えっ! そう言えば、なんか違うかも!」

 ミズハが円を描くように周囲に魔法陣を描くと、黒い霧がその光に怯えるようにひいて行った。


 

 ーーーーーーーーーー


 燃えさかる炎の丘の上、台状の硬い岩の上でクリスとアリスは同時に目覚めた。


 「ふう……ここですか……」

 アリスがため息をついた。

 「まったく、もう」

 クリスがうんざりした顔をした。


 「これは試練の山の風景ですね、お姉様」

 「そう、これは試練の山、間違いない」

 二人は見つめあって苦笑した。


 「とんだ茶番です」

 「うん、茶番だ、私たち、これを見たら、すぐ気づく」

 この風景は蛇人族の国に古くからある儀式の一つである。

 暗黒術を習得した者が受ける試練の場で、いわば卒業試験会場のようなものなのである。


 ふと気付くと二人とも懐かしい見習い術師の衣装を着ている。


 魔術学院で生徒に配布される実習用戦闘服である。デザインが変わっていて、スカートの裾はギザギザのノコギリの歯のよう。状況から見て、今からこの最終試験に挑むという場面だろう。


 「まあまあ凝っていますね、意識の底にある思い出を巧みになぞってます。普通の人なら永遠に出られないかもしれません」


 「どうせなら、カインと、一緒の夢が良かった」

 「それは……素敵ですね」

 クリスのつぶやきにアリスが少し頬を染めて同意した。


 「カインがいない夢、いらない」

 クリスが地面に弧を描く。

 「カイン様が出てこない夢なら不要です! もっと調べてから術をかけなさい!」

 アリスが手を空に向け正三角形を描いた。

 

 光が二人を包み込むと、姿の見えない敵が悲鳴を上げた。


 ぎゅあああああーー!


 悲鳴と共に不意に周囲が現実の世界に戻った。


 石像は両目を押さえて悶えている。

 幻影術が返されたのだ。

 その指の間からドロドロと緑の粘液が流れ出した。


 「愚か者、死になさい!」

 クリスが容赦なく光の輪を広げた。


 ぎゅあああああーーーー!


 光に包まれ、再び石像が叫び声を上げると苦し紛れに右手を振り上げた。


 クリスを目がけて振り下ろされたその凶暴な一撃は当たる直前に粉々に砕け散る。


 石像の右手を吹き飛ばしたアリスが可愛い指鉄砲を構えたまま微笑んだ。

 石像は光に全身を包まれて砕け散って行く。


 「終わり、みんな、無事?」

 振り返ったクリスの目に立ち上がったみんなの姿が飛びこむ。


 「みんな、目覚めたな?」

 ミズハはリサを抱き起こす。

 かなり厄介な精神攻撃だったが、どうやら夢に囚われたまま戻れない者はいないようだった。

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