第296話 恐ろしい先制攻撃

 黒鉄関門から悪臭と共に、何とも不快で恐ろしい物がどろどろと流れて来た。


 いざ、開戦! と意気が上がっていた討伐軍の出鼻を挫くようにそれはゆっくりと近づいて来る。


 「うおっ! 何だこれは!」

 猛烈な異臭を放ちながら、その液体はじわじわと不気味に迫ってくる。


 「おのれ! 先制攻撃がこれか!」

 「くそっ! クソだ! 糞尿の濁流だ!」

 兵が鼻を摘まんで叫ぶ。


 ざわざわと隊列が乱れ始めた。

 なまじ鼻が利く獣人部隊が主力なだけにその影響は大きい。臭い! 臭過ぎる! 風下の討伐軍に悪臭が襲いかかる。


 「貴様ら! 持ち場を離れるな! 誰が隊列を崩して良いと言ったか!」

 獣天ズモ―が顔をしかめ、馬上から叫んだ。


 だが、誰もあれには触りたくないという気持ちが先立っている。混乱はかえって広がっていく。勇猛な兵とは言え、吐き気をもよおす汚物の臭いにはとても耐えられない。


 「ええい、先鋒を入れ替えろ! 獣化部隊を前に出せ! 傭兵部隊に大至急溝を掘らせろ! 汚物をこれ以上本陣に近づけさせるな!」


 「うわっ! こっちに流れて来た!」

 「おええええ、臭い!」

 「高台だ、高台に逃げろ!」

 獣人は綺麗好きである。

 それが災いした。戦う前から士気が低下し、陣容は大いに乱れた。



 ーーーーーーーーーーー


 「ちっ、またか。結局は俺達、傭兵は汚れ役なんだぜ」

 命令を受け、ジャシアが装甲馬車からトンと地面に降り立った。


 「隊長、他の傭兵部隊もしぶしぶこちらに集まってきていますぜ」


 「よし、みんな、ここで傭兵の仕事っぷりを見せつけてやるぜ! 汚物が来る前に溝を掘ってしまうんだぜ!」


 今はまだ獣天に大人しく付き従うそぶりをしていた方がいい。


 ジャシアは背後の装甲馬車を見つめた。

 厳重に鍵をかけて閉じた扉を内側から掻きむしる音がしている。手負いのエチアは獣化による生命力で生きているが、大怪我を負ったせいで変身能力が暴走して苦しんでいる。


 できるだけ早く帝都にあるという研究所の治療部屋に連れて行かねばならない。その場所は色気でたらし込んだ大貴族のバカ息子から既に聞き出している。しかし、まさか黒鉄関門が閉じているとは……。


 「行くぜ!」

 「おう!」

 傭兵たちはジャシアたちの周囲に展開し、汚物の流れを迂回させるための溝を掘り始めた。


 「それにしても、獣化部隊の残存兵と言ってもエチアが統率していた部隊に比べるとどいつもこいつもクズ揃いなんだぜ」


 ジャシアは獣人兵と入れ替わりに前線に出て来た異形の兵たちを見た。その有様はエチアが率いていた獣化部隊とは雲泥の差だ。


 オミュズイの街に残されていた未訓練の獣化人間を連れ出し、獣化部隊の生き残りと統合した混成部隊である。

 しかし、エチアというリーダーを失ってからは、食料を貰うため命令に従うだけの卑しい魔獣に成り下がっている。


 「見て下さい。一応あの先頭の熊人間が獣化部隊のリーダーのようです」

 「そうか、あれが新しいボスってわけか。でもあの熊は洗脳されているか、薬で支配されているか、って表情だな?」


 「隊長にはわかりますか?」

 「おいおい、こっちは正真正銘、生粋の獣人なんだぜ? 鼻が利くんだよ、そりゃあわかるぜ」

 ジャシアは面白くない顔つきで群れの先頭にいる熊男を見ると、ケッと唾を吐いた。



 ーーーーーーーーーーー

 

 一方、黒鉄関門の中も阿鼻叫喚の地獄と化していた。


 「早く、汚物を外に流し出せ! もう臭くてたまらん!」

 「元を封じないと! 誰かあのトイレに突入する勇者はいないのか!」

 通路はゴボゴボと噴き出した汚物で恐ろしい川になっている。


 集められていた人々はわずかばかりの壁際の段と出口を閉ざされた階段によじ登って避難している。


 「ここを開けろ! 俺たちを外に出せ!」

 「階段の扉を開けろ!」

 「殺す気か!」

 人々が階段の扉を叩く。


 追い詰められた民衆の力は強い。しかも魔族である。魔力を持つ者が多いのだ。その力が合わさって堅牢な扉が歪んでいく。


 「バカ者め、何をしているか! 扉を壊す気か!」

 兵が叫ぶが、叫んだ兵はあっと言う間に階段から下に突き落された。


 ぎゃー-!

 汚物に溺れる兵が哀れである。


 やがて凄まじい音がして扉が破壊された。


 「開いたぞ!」

 「逃げろ!」

 人々が巣穴から這い出る蟻のように一斉に飛び出した。

 その勢いと共にその穴から異臭が噴水のように噴き上がって、あっという間に黒鉄関門の楼閣にまで腐った卵のような臭いが漂い始めた。


 「くそっ、歴史に残るであろうこの戦いが、こんな糞尿の匂いで始まるとはな!」

 司令官ガルダドナは歯ぎしりした。


 「まさに、糞っ! であります」

 「ですがご覧ください、敵もかなり混乱しているようです」


 「獣天の配下の獣人兵はとくに綺麗好きだからな。それにウ〇コの臭いを胸一杯に吸って、全身糞尿まみれで戦ったなど言われたら末代までの恥と思うだろうしな」

 「それは我々も同じですがね」

 副官セ・カムは鼻を摘まんだ。


 敵軍の前方で炎が上がった。

 どうやら自軍の内部に汚物が入ってくる前に溝で流れを変えて、一気にそこで乾燥させて焼き払おうというつもりのようだ。


 「溝を掘っているのは傭兵部隊か。さすが場慣れしている。仕事が早いですな」

 上から見下ろしながらセ・カムが感心した。


 「こっちは城内だから燃やす訳にはいかないからな」


 「扉穴から逃げ出した民衆はあれで最後のようです。兵が予備の扉を閉めておりますので、もうじき臭いはここまでは来なくなるでしょう」


 広場に出て来た若い男と娘がどっちに行ったものか、という感じでネズミのように右往左往している。どうやらこの関門に初めて来た田舎者の二人らしい。


 ようやく通路に気づいたのか、先に逃げた者たちの方に向かったようだ。



 ーーーーーーーーーーー


 「一気に燃やせ! さっさと燃やしつくしてしまえ!」

 獣天が叫んだ。


 本来なら戦闘に使う予定の火炎放射の魔道具だがこうなれば仕方がない。

 何より、獣天部隊の主力をなす魔獣たちが臭い負けしている。厄兎をはじめとする魔獣は繊細な生き物だ。清潔にしておかないとすぐ病気になる。


 「ズモー様!糞尿水はだいぶ減ってきましたが、その分、妙な臭いが強くなってきた気がするのですが……」

 糞尿が滝のように吹き出ていた穴の水量が減っているのが見える。


 その時だった。

 水に塞がれて溜まっていたガスが一気に外に吹きだし、火に触れた。


 「!」

 「!!」

 「!!!」

 予想外の凄まじい爆発が両軍を襲う!


 吹っ飛ぶ魔獣、崩れ落ちる黒鉄関門の城壁! 爆散するウ〇コ!


 まさに阿鼻叫喚の地獄図だ。


 獣天の軍は飛び散った糞尿にまみれ、凄まじい爆風で先陣として集まった精鋭があちこちに白目を剥いて倒れている。


 臭い! 飛び散ったウ○コも臭過ぎる!


 さっきの爆発であの強固な黒鉄関門の城壁が一部崩れているのが見えるが、誰も今がチャンスだと攻撃を叫ぶ者はいない。


 「ズモー様! ズモー様がやられた! おおい、救護兵!」

 獣天の側近が、吹き飛ばされて糞だまりに顔を突っ込んでいるズモーを見つけて引きづり出した。失神しているズモーの顔面は糞まみれで最悪だ。


 「く、くっさあーーー!」

 思わず顔を背けるが、獣天は意識が無いようだ。その鼻の穴には大量のウ〇コが詰まっている。


 「ズモー様がやられた! 全軍、この恐ろしい汚水が届かぬ位置まで後退だ! 早くしろ!」

 誰かが叫んだ。

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