第297話 忌まわしき備品
黒鉄関門の戦闘指揮場の窓は爆風で粉々に砕け散っていた。
ゲホッ、ゲホッ!
煙にむせながら、真っ黒に煤けて髪の毛がモコモコのパーマ状態になった司令官ガルダドナが無言で振り返った。
同じくチリチリパーマになって頭髪が爆発している副官セ・カムが無言で見つめ返す。セ・カムは元々がイケメンだっただけにその煤けた顔とのギャップが酷い。
「大変です、司令! 城壁が一部崩れております……ぷっ!」
慌てて飛び込んできた兵が二人を見るや、一瞬の間を置いてから思わず噴き出した。
「ゲハハハハ……!」
「バカ者、笑うな! お前、不敬罪になりたいか!」
「はっ、これは失礼しました!」
と言いつつ兵士は必死に笑いをこらえる。
「さて、今の爆発で前面城壁の一部が崩れたようですな」
兵士から被害の報告を受けたセ・カムは壊れた窓に手をついて真面目な顔で眼下を見下ろす。
「うむ、戦さの前にまさかこんな大事故が起きるとはな」
司令官ガルダドナがあご髭を撫でながら真面目に答えるが、その真面目さが妙におかしい。
司令官ガルダドナですら、思わず噴き出しそうになっている。見るとセ・カムも口元を押さえてカタカタと肩を小刻みに揺らしている。
いかんいかん! こんな時に!
二人は同時に深呼吸を繰り返した。
「司令! 被害は第一壁の排水口付近であります。人の背丈ほどの穴が開いた模様でありますが既に工兵が修理を始めております!」
「敵軍には目立った動きはありませんが、やや後退したようです! ぶはっ!」
「司令! ぷぷっ!」
次々と状況を知らせる兵が姿を見せては、一様にギョっと目を丸くし、次の瞬間にはぷっと吹き出す。
「皆に慌てるな、と伝えよ! 前面の城壁程度が一部崩れた所でこの多重防壁の黒鉄関門は難攻不落、けして奴らがこの関門を通ることはない!」
司令官ガルダドナの顔はいつもながら凛々しい。だが、頭がパーマなのが間抜けすぎる。
「司令、せめてこれを被ってください。少しは威厳が保てましょう」
司令台の下の扉を開けてガサガサ音をさせていたセ・カムが、ガルダドナに鉄兜を引っ張り出し、自らも装着した。
「うむ、ありがとう。敵軍はやや後退したと言ったか?」
司令官ガルダドナは兜を装着し、あご紐を結びながら確認した。
「はっ。敵軍もさきほどの爆発の影響か、やや後退し始めたようです。先頭で我が軍を挑発していた獣天の姿もないようであります!」
こちらも爆発の被害が出たが、向こうもその影響が出たとすれば痛み分けと言ったところか。
「よし、引き続き監視を続けよ。やはり偵察用の魔鳥を飛ばすことは無理そうか?」
「はい。敵軍の魔法防御による見えない壁の影響が強く、魔鳥は恐れて飛び立たないようであります」
魔鳥はその目で見たものを遠くの魔鏡に映し出すことができる。通常魔法による魔境よりも精度が高く、指令室にいても各地の状況を詳細に把握するのに使われるのだが、当然、それを妨害する方法も研究されている。
今回の相手は同じ帝国軍、その術の利点も欠点も互いに知り尽くしているということだ。
「情報不足なのは向こうも同じか。敵将の動向、そして本隊から離れて行動する部隊の動きに気を配るのだ! 向こうも関門の構造は知り尽くしている。死角から壁をよじ登って来る特殊工作員がいるかもしれないぞ」
「はっ! セ・カム様の指示により、既に死角になりそうな地点には臨時の監視所を設置して警戒に当たっております」
「よろしい」
司令官ガルダドナはセ・カムを見てうなずいた。
「司令、この予想外の爆発で、魔獣部隊や厄兎による敵の本格攻勢も遅れそうです。おそらく後方に控えている鳥天部隊も魔獣攻撃との同時攻撃を考えていたでしょうから数日は動きはないかもしれません」
セ・カムは机上に展開してある敵の布陣を眺めながら言った。
厄兎は神経質な魔獣だ。あの臭いや大爆発で混乱したはずだ。一度落ちつきを無くした厄兎を平常に戻すには1日、2日かかるはずだ。
「うむ、その間にこちらも下水が漏れ出す問題を何とかしなければならんな。こう臭くては士気にも影響がでるぞ」
「そうですな」
その時、また別の兵が慌てた様子で指令室の入口に現れた。
「司令! 例のトイレですが、志願した勇者たちが胸まで汚水に漬かりながらも工具を手に果敢に立ち向かっております。まもなく汚物の噴出は止むものと思われます!」
「ふむ、修理を急がせよ」
「はっ! それで先ほどの爆発の被害でありますが、城壁の一部崩落以外に、もう一つ大きな問題が生じました!」
「大きな問題だと? 今度はなんだ?」
セ・カムが訊ねた。
「はっ、現在黒鉄関門内のほとんど全てのトイレが使用不能になっております! 間違って使用すれば第二、第三の悪夢が起きるおそれがございます……」
報告しながら兵士の顔は青ざめていく。
あんな悪夢はもう見たくはないらしい。
「トイレは重要な問題です、どうしましょうか、司令?」
「まずいな……」
司令官ガルダドナはしばし考え込んでいたが、やがて重い口を開いた。
「”おまる”だな……。これは”おまる”を使うしかないだろう」
「ま、まさかあれでございますか?」
兵士は見るからに嫌そうな顔をした。
「司令、まさかあれを出すおつもりですか!」
セ・カムも思いは同じである。
「止むを得ん! ついにあの忌まわしい封印を解く時がきたのだ! セ・カム、倉庫の鍵を開いて準備せよ! そして”おまる”の使用を全軍に伝えるのだ!」
「うぬぬ……あれをでございますか、ですが、しかし……」
よほど嫌なのか、セ・カムは繰り返した。
何となく暗に発言の撤回を求めているようだが、司令官ガルダドナの決断は覆らないようだ。
もはやここに至っては止む無しである。
封印された黒歴史が今開かれる。
それは、いざという時のために備蓄してある物資の一つ。“白鳥のおまる”である。名前が気に入ったとか言って、よく現物も確認せずに大量に購入した前指令の無責任な置き土産である。
そのろくでもない商品を売り付けたのはデッケ・サーカから来たビヅド商会とかいう胡散臭い雑貨屋の親父だ。
本当はもっとマシな商品があったにも関わらず “格安でございますし、これがお勧めの一品でございます” とか何とか言って、前指令をうまく騙したのだ。
今思えば、どうせ不良在庫処分品だったに違いない。
自分がもっと早く気づいておれば……! 思い出しても悔しい。セ・カムはぎりぎりと歯ぎしりした。
ふと納品された品を検分した時の衝撃が脳裏をよぎる。
これですか! と言ったきりその場で固まってしまった自分を思いだす。
この帝国の威信がかかる大戦で、司令官が愛くるしい”白鳥のおまる”に座っている所など見たくもない。
兵士たちだって何が悲しくてあんな人をバカにしたような”白鳥のおまる”に座らねばならないのか、まさに全軍の士気に関わる大問題だろう。
まさに忌まわしき備品、それが”白鳥のおまる”なのである。
「何と言うことだ。あの”おまる”をまさか使う日が来ようとは……。果たしてこの戦いはどうなることやら……」
はぁ、とため息をついたセ・カムだったが、翌日、セ・カムの不安は的中し、愛らしい”白鳥のおまる”を配布された兵たちの士気は大いに盛り下がったのである。
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