第298話 城壁の中3

 サティナ姫は俺の腕をずっと離さそうとしない。俺だって離れる気にはならない。


 「うーむ。あの頃からすると色々と大きくなったよな、サティナ、惚れ惚れするよ」

 俺は隣を歩くサティナを温かいまなざしで見下ろした。


 ずっと小さな頃から見てきたので妹のような感じすらしていたものだが、今や背が伸びて俺の肩よりも頭が出ているし、特に成長著しい胸の谷間が俺の目を奪う。


 「何か言った? カイン?」

 にこにことサティナが微笑んだ。


 「いや、君の美しさに惚れ惚れするって言ったんだよ。王宮で訓練を受けていた頃から好きだったけど、18歳になる前に間違って手を出さないように王宮を逃げだしたんだ」


 「あと2年ちょっとの我慢。そうしたら堂々と結婚できる」

 サティナはそう言って「公式にはね」と小声でつぶやいて何かたくらんでいるような懐かしい目をした。


 サティナはスタイル抜群。発育も良く既に大人顔負け。二十歳の美女ルミカーナと比べても遜色がない。


 「こっちが通れます! カムカム様!」

 「安全そうです!」

 出口を探すべくカムカムの部下たちが先回りして分岐路や部屋を一つ一つ調べている。


 俺たちはどこに向かっているのかもわからぬまま、彼らの後を付いて行くしかない。


 俺はサティナを見降ろした。

 そのちょっと開けた胸元が魅力的で、くびれた腰からお尻のラインも美しい。その白いうなじから感じる色気も凄い。男を魅了する圧倒的に美しい体を俺にだけ見せつけている感じがする。しかも笑顔で豊かなぽわぽわの胸を腕に押し付けてくる。


 いかん、見ていると股間が元気になってきた。


 じーーーーっ。

 俺は後ろから睨んでいる二人の視線を感じた。さすがにクリスたちのような物理攻撃に変じる視線ではないが、これはこれでかなり気になる。


 「サティナさまは、あんな頼りなさそうな男のどこに魅力を感じたのでしょうか? わかります?」


 「いいえ、理解できませんね。男を好きになった経験はないけれど、流石にあれは無いでしょう。顔はともかく、さっきからずっとデレデレと鼻の下を伸ばして、あの下品な目つき、それにあのボロい長靴を見て下さいよ」


 ひそひそ……


 いや、君たち、もうしっかり聞こえているんですけど!


 二人の美女はサティナから護衛だと紹介されたが、その二人がどうして自分たちも俺の婚約者だ、とカムカムに言ったのかは謎のままである。


 まさか一目ぼれか?

 いやいや、会話を聞いてもそれは無いだろう。もしかして、他人の物は欲しくなるという、心理的なアレだろうか?


 それにしてもこの二人も美女だ。


 ルミカーナは大人の美女。鋭利な宝剣を思わせる研ぎ澄まされた美しさがある。見た目は冷たい氷の美女だが、抱かれると豹変しそうで、非常に男心をそそる。クールさが蕩けていく所を見たいと思わせる。


 ミラティリアはまもなく18歳になる美少女だ。一見すると深窓の令嬢のような気品を感じさせるが、剣を握ると性格が変わる。実はかなり快活で大胆な性格らしい。


 それともう一人、妖艶な大人の美女が後ろから付いてくる。


 騎士に左右を守られ、腰を魅惑的に振りながら歩いているのはカムカムの妻スケルオーナ夫人である。


 何でもセシリーナの姉、カミーユの母だそうだ。一言で言うとボボン・キュッ・ボン! 胸が特大に大きくて、いかにもカムカム好みな感じがする。


 彼女は俺がちらちら見ているのに気づくと大人の余裕で微笑み返してきた。


 ドゴーーン!

 その時、遠くで何かが壊れる音がした。


 「カムカム様! 前方より魔物が接近!」

 「ダンジョンの掃除屋、腐肉喰らいの変異体のようです!」


 「あれは危険だ! 各自、左右の部屋に隠れてドアを閉めろ! 奴は進路上にあるものを喰らい尽くす掃除屋だ!」

 カムカムたちが叫びながらこっちに逃げてくるのが見えた。


 その背後に見覚えのある緑色の粘体が見える。以前見たものよりは小さいがこの狭い廊下ならば粘体から逃れる隙間はない、奴は目一杯広がって迫ってきている。


 「うわあ!」

 「いそげ! 逃げろ!」


 「あっ!」

 逃げまどう兵たちに押され、サティナの手が離れた。


 「あっ! カイン!」


 「どこでもいい、今はとにかく隠れろ!」

 俺は慌てふためく兵たちに押され、そのまま通路脇の部屋に転がり込んだが、硬い床で足が滑って頭を打った。


 いててて……と頭を撫でてうめいていると、バン! と誰かが部屋の扉を閉めた音がした。


 「あれは部屋の中には入って来ないものなのでしょうか? ねえ、ルミカーナ、あれっ? 違う? そこにいるのはカイン様ですか?」


 「え?」

 よく見ると、サティナと一緒に海を渡ってきた美少女ミラティリアだ。


 少し不安そうな表情になっているが、彼女がかなり腕のたつ少女だということは既に分かっている。


 ガタガタと音がして扉が激しく揺れ始めた。奴が部屋の前に来たのだ。閉じた扉の隙間から緑の粘体がムニュっと入り込んでくるのが見えた。


 「こっちへ! 奥へ逃げるんだ」

 俺はミラティリアの細い手首をつかむと部屋の奥の備え付けの棚のような石造の張り出しの上に登った。


 どろどろとした粘体は獲物を探して石床の上を這いまわっている。


 「部屋に入ってきましたわ。大丈夫でしょうか?」

 俺の腕の中でミラティリアが小声でつぶやいた。


 「大丈夫、奴は目が見えない。手探りで床の上を探っているだけだ。こっちには気づいていない」

 やがて緑色の粘体の触手が徐々に退いていった。


 「粘体は諦めたようだな」

 「行きましたか……、あら?」

 その時、ミラティリアがふと自分の腰に下げた丸い魔道具を見て怪訝な顔をした。


 「どうかしたか?」

 「魔道具が反応しています。大変! 近くに魔獣がいるのですわ!」


 「なんだって!」

 その時、ふいに二人の周囲の世界が歪んだ。不味い、これは精神系の攻撃だ……。俺とミラティリアは抱き合ったまま意識を失った。


 

 ーーーーーーーーーーー


 アジョーー! アジョーー!

 頭の上を海鳥が鳴きながら飛んで行った。


 ここはミミッカの港町。

 俺は旅商人として独り立ちしたばかりの美少年だった。赤銅色に焼けた筋肉質の肌がこれまでの苦労を滲ませているが、やっと自由に生きる自信がついてきた。


 多くの蔵が立ち並んでいる北の埠頭ふとうからは、今まさに西の大陸との大型交易船が出港していくのが見える。


 俺が立っているのは南の埠頭だ。こっちは近海で取れた魚介類を水揚げする漁港である。


 「カイン! いいか、昼までにこの長滑魚ちょうかつぎょを10匹づつ小樽に移し替えておけ! さぼるんじゃねえぞ! 一匹でも逃がしたらお前の給料がらその分を差っ引くからな!」


 怒ると怖いが、支払いだけは気前の良い親方の声が市場の隅に響き渡った。


 「はい! 了解しました!」

 そう大声で返事をして、俺は親方が酒場の方に消えていくのを見送った。


 「はあ……人使いが荒いんだよなあの人。今まで俺一人で貝殻処理をしていたんだぞ」

 俺は擦り傷だらけの指を見た。


 商品価値を上げるために貝殻に付着した余計な細貝や凹凸を削ぎ取っていたのだ。これが硬くて硬くて、工具を持つ指が痛くなるほどだ。


 そしてこんどは取り扱いが難しいとして有名な長滑魚である。


 「これかよ。うひゃあ、これは手強そうだ!」

 俺は海水を張った大きな木箱の中をのぞきこんだ。


 船から水揚げされたばかりの箱の中にはにょろにょろとした細くて蛇のように長い魚が蠢いている。長滑魚という名の通り、粘液がてらてらと光って、その滑りで水面が泡立っている。


 俺はさっそく手をつっこみ、水を入れた小桶に一匹目を移そうとした。


 「ああっ! こいつ!」

 にょろにょろと手の中で逃げる。

 俺は掴む、逃げる、掴む……。危うい所で桶に魚を投げ込んだ。


 「あ、危ねえ、逃げられる所だった。これを何十匹もやるのかよ……、はぁ……面倒だな」

 俺は晴天の空を見上げてため息をついた。


 

 ーーーーーーーーーーー


 磯の香りが漂う暗い路地裏に二人の男が駆けこんできた。


 「どうだ? 追ってくるか? あの爺い」

 「けへへへ……、まいたようだぜ。うまくいったな」


 男が小脇に抱えた袋から二本の足が出ている。袋の中で激しく暴れているようだが所詮は子どもだ。


 「逃げられねえよう、早いとこ服従の術をかけてしまおうぜ」

 「そうだな。ここなら誰も来ないだろうぜ、ここでやっちまおう」

 そう言って二人の男は袋から猿轡を噛ませた少女を出した。


 「…………」

 少女は逃げようと暴れたが、すぐに後ろから男に押さえられた。


 父たちは商談のため宿を出た。子ども一人になった直後に、二階の部屋の窓から忍び込んできた二人の男に誘拐されたのは幼いミラティリアである。


 恐らく数日前から目を付け、誘拐する機会を伺っていたのだろう。一階には留守番の爺やがいたのだが、隣の建物の窓から板を渡して直接二階に侵入してきた賊には気づかなかったのだ。


 男は見るからに呪いの魔術具と分かる禍々しい道具をポケットから取り出した。


 「へへへ……、こいつは奴隷にするための服従紋を女に符す呪具なのさ、観念するんだな、お前は高く売れそうだからな」

 男はにやにやと笑みを浮かべた。


 「ん! んんっ!」

 激しく抵抗するが、後ろの男がミラティリアの生っちょろい白い腹を露わにした。そのまま呪具を腹に押し当てられたら終わりだ! 奴隷になって売られてしまう!


 「!」

 しかしミラティリアは男に押さえつけられ、どうにも逃げられない。水路沿いの路地裏で男がニヤニヤしながら魔術具片手に迫った。


 その時だった。


 「待てっ!」と大きな叫び声がした。

 振り返った男とミラティリアの目に半裸の男が猛獣のように飛びかかってくるのが見えた。



 ーーーーーーーーーー

 

 

 「しまった! また逃げた!」

 俺の手から、つるっと長滑魚が逃げた!


 「これを逃がしたら5匹目だ。いくら何でも誤魔化せない! 親方に殺されちまう! ヤバい!」


 俺は逃げたぬるぬるの長滑魚を追った。

 だが、長滑魚は器用に地面を蛇行しながら路地裏へと逃げ込んでいく。


 俺は四足獣のような体勢で跳びかかって、上から魚を押さえつけたが、長滑魚は反動で俺の手からにゅるっと逃げた。

 しまった!

 その魚はにゅるにゅると木箱の裏側に逃げた。


 「おいっ、待てっ!」

 俺は手前にあった木箱を踏み台にして、勢いよく跳んだ。今度こそ逃がさない! 猛獣のように襲い掛かる!


 「!」

 箱を飛び越えた瞬間、俺の目の前には男がいた。


 しまった! ぶつかる!

 その瞬間、男は身をよじると驚愕した表情を見せ、とっさに何かを俺に向かって突きだしてきた。


 丸い金型のような物である。それが俺の脇腹にあたった瞬間、 じゅう! という音とともに肉に焼ける臭いがした。


 「あ、熱っち!」

 叫ぶ俺の目の前で、ズボンの裾から男の足にぬるぬると長滑魚が入っていくのが見えた。


 「うひぇああああ……!」

 男は股間に手をやって踊り狂うように悶えた。


 「待て! 逃げるな!」

 俺は手を差し出したが、男はうひゃあああ! と叫びつつ足を滑らせて運河にドボンと落ちた。


 ああああ……魚が逃げていく。

 男も溺れながら流されて行く。


 はっ、となって見ると、女の子を羽交い絞めにしていたもう一人の男が俺を恐怖の目で見ている。


 俺の脇腹の紋が光った。

 奴隷にするための女用の呪いの紋である。


 その男の顔が恐怖に歪んだ。


 これを焼き付けられた女は副次効果で男に惚れやすくなるのだが、それを男に使用したらどうなるのか……。


 もしかして、やはり男に惚れるのでは……そう思うとなんだかゾッとする事態だ。


 「おい!」

 どうした? と言うつもりだったのだが、差し出した俺の両手のぬるぬるが異様に光る。


 男を好きになる呪いの紋を受けた上半身裸の男が、怪しい笑みを浮かべて、ぬるぬると光る手で迫ってきた。


 男は「お、俺はそんな趣味はねええ!」とか意味不明のことを口走った。


 「おい!」

 俺が一歩前に出ると、男は青い顔をして、女の子を放り出して逃げだした。


 「大丈夫か? 怪我はないか?」

 優しい声だった。


 猿轡が外され、手を縛っていた縄が解かれたが、その人の顔は逆光で良く見えない。


 この状況!

 お気に入りの恋愛小説の一ページのような場面じゃないかしら! 美しい少女は勇敢な王子に救われるのだ。


 幼いミラティリアはドキンと胸が高鳴った。


 「あ、あの……助けていただきありがとうございます」

 「どこにも怪我は無いようだな」

 「はい」

 少し顔を赤くしてミラティリアはうなずき、上半身裸の腹に浮かんだ赤い傷を気づかうように見る。


 「それ、痛く無いの? 私のためにこんな怪我まで……」

 ミラティリアの小さな手が男の脇腹の火傷のような紋を撫でた。


 「あ、触らないほうがいいぞ、呪いらしい。俺は大丈夫だ。熱かったのは最初だけで今は何でもない」

 本当は強烈な呪いのせいでズキズキ痛むのだが、俺は見栄を張って微笑んだ。


 それが、男にとっては異性との接触率上昇、女運上昇という効果を発揮する強力な呪いの紋であることを俺はまだ知らない。


 「あ、あの、ありがとう!」

 そう言うと少女は大胆に感謝のキスをした。

 突然の頬へのキスに男はびっくりしたようだが、ミラティリアももう恥ずかしくてまともに男の顔が見れない。


 「お名前をお聞かせくださいませ? ぜひお礼とか、いずれはお付き合いとか……」

 幼いミラティリアはもじもじしながら言った。


 「ん?」

 その時、彼はふいに背を向けて立ち上がった。


 遠くで何か喧騒の音がした。


 「魚を逃がしただと? 弁償だ! あいつは、どこに行ったんだ? 逃げやがったか!」という荒っぽい声が聞こえている。


 「やばい! これで顔を拭けよ。それじゃあな!」

 そう言ってミラティリアにハンカチを渡すと、彼は颯爽と去って行った。


 「まあ、本当にまるで王子様みたいだわ」

 ミラティリアは小説で読んだシーンを思い出した。

 そのハンカチには彼のイニシャルが刺繍してあった。


 「きっとあれが私の王子様です……、忘れません。いつか必ずどこかで出会って二人は結ばれるのです……」

 幼いミラティリアはハンカチをぎゅっと抱きしめたのだった。

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