第299話 優良物件

 ズズーーン!

 遠くから重々しい音が響いて床が振動した。

 ミラティリアは目を開けた。


 上層で誰かが何かを破壊したのだろうか。天井が揺れ、扉の隙間からわずかに見えていた緑色の粘体が引っ込んでいくのが見えた。


 「うーん……」

 まだ頭がズキズキする。


 幻惑術をかけられていたのだろうか? 幼い頃の記憶がフラッシュバックした。ふと、記憶の中では逆光でよく見えなかった顔が次第にはっきりしてくる。


 何故だろう?

 そんなの簡単なことだ、あの時の王子様が今、目の前にいるからだ。


 「カ、カイン様?」

 気がつくと部屋の中でミラティリアがカインを床の上に押し倒している状況だ。


 何があったのか、剣をカインの喉元に突きつけている所をみると錯乱してカインに襲いかかったのだろうか。床に骨棍棒が転がって、カインはもはや観念してトドメを刺されるのを待っているような状況だ。



 「?」


 カランと音がして、片目を開くと俺の腹の上に跨ったミラティリアが口元を押さえていた。彼女が手にしていた短剣が床に転がって揺れている。


 「どうした? やっと正気に戻ったのか?」

 俺はふぅーーと息を吐いた。

 どうやら助かったらしい。


 半狂乱になって剣を振りまわす彼女には手も足も出なかった。力はさほどではなかったが動きの素早さと剣技の多彩さで鬼のように強かった。

 

 「あなた……、カイン様? まさか!」


 ほっと一息ついた時、ミラティリアがバッ! と突然俺の腹をめくった。一体なんだ? まだ何か魔獣の術の影響が残っていたのか?


 だが、ミラティリアの表情は、一瞬の驚愕から一転した。

 まるで長い間会えなかった恋人に再会したかのようだ。

 うれしさに満ちあふれた乙女の表情で、その白いしなやかな指が俺のわき腹にある火傷のような傷に触れた。


 「あ、それは昔の呪いの傷で、婚姻紋とかじゃないぞ、サティナとの婚姻紋はこっち……」


 うわっ!

 目頭を熱くさせたミラティリアがふいに抱きついてきた。


 「カイン様! カイン様だったのですね! 私を助けてくれた、私の王子さま! ずっと想って! 探して! お慕いしておりました!」


 「えっ? ええっ!」

 不意打ちだ。


 ミラティリアが俺の唇に唇を重ねてきた。

 なんという情熱的な乙女なんだ。あんなに清楚で深窓の令嬢という雰囲気だったのに一旦燃え上がると猪突猛進、これが情熱的と言われる砂漠の民の本性か。


 い、息ができない!

 俺は目を白黒させた。どうしてこうなったのか、行動の意味がわからない。もしかしてまだ何者かに操られているのではあるまいか? と思ってしまうが、通路にはまだ粘体が居座っているらしく誰もここには近づいて来れないはずだ。


 「ぷはぁ……おい! ミラティリア、どうしたんだ……、うわっ、んっ!」

 頬染めたミラティリアが再びキスをくり返した。俺の背に手を回して、こんどは大人の濃厚なキスだ。


 「カイン様、カイン様!」

 しかも一度や二度ではない。

 俺がたじろぐほど何度も何度も確かめるようにキスを繰り返し、そのたびに次第に大胆になってくる。衣服が乱れて胸の谷間が目に飛び込んでくる。いろんなところが柔らかくてヤバい。おかげで俺の股間もギンギンになってきた。


 「うおーっ! もう我慢ならん!」

 俺は逆にミラティリアを押し倒した。


 「カイン様……」

 彼女は抵抗するどころか、うっとりと微笑すると優しく受け入れ、俺の背中に腕を回した。


 うわあっ、もう我慢できない! どうにでもなれっ!

 二人して夢中になってキスしながら大胆にお互いの素肌を求めあっていると、やがて俺の腹にミラティリアの婚約紋がくっきりと浮き出る。


 トントン……、いつの間にか開かれた扉を内側からノックする音が響いた。


 「ちょっと! こんな所で二人で一体、何をしているのかしら?」


 ミラティリアを押し倒してその素肌に指を這わせ、濃厚なキスを交わしてイチャついていた俺の背後に、ちょっと怖い顔のサティナが立っていた。いつの間にか通路を塞いでいた粘体がいなくなっていたらしい。


 「サティナパーンチ!」

 怒涛の突きが俺の腹を抉る。


 ぐぇえええええええーーーーーー!

 俺は弧を描いてパンツ丸出しで宙に跳んだ。


 「まあ、サティナ姫、いつの間に……」

 顔を赤く染めたミラティリアは、乱れて胸のはだけた衣服とめくれ上がったスカートをそそくさと直す。


 「これは一体どういうことですの? ミラティリア!」

 サティナが腕組みして二人をにらんだ。


 「実は……」

 壁まで吹っ飛んで尻を逆さにして伸びている俺を庇って、ミラティリアが事情を説明し始めた。



 ーーーーーーーーーーー


 ふう、とルミカーナはため息をついた。


 一体何があったのか?

 さっきからサティナとミラティリアは二人してカインにべったりラブラブなのである。


 サティナ姫はともかく、あのミラティリアまで正式な婚約者になっている。


 ミラティリアの言葉によれば、かなりきわどいところまで進展して、もうちょっとでカインによって妻にされる寸前だったらしい。


 きわどい、ってどんな事? 

 ルミカーナは色気がぐっと増したミラティリアの魅惑の腰つきをながめた。何があったらあんなに女っぽくなるものなのか?


 不気味な静けさの石の地下回廊を進むカムカム一行の中で二人の笑顔だけがやたら眩しい、カインの周りにだけまるでお花畑が広がっているかのようだ。


 「何だ? この光景は……?」

 カインたちの後ろを歩きながら、ルミカーナはカインの様子を探っていた。やはりこの男、ただ者ではないかもしれない。


 粘体のせいでみんなが逃げ込んだ部屋から出られなくなっていた数刻の間に一体何があったのか、ミラティリアの太ももには婚約紋がくっきりと現れている。


 散々カインの悪口を言っていたあのミラティリアが今やカインにベタ惚れ。今やサティナ姫を押しのけそうな勢いで性的魅力を前面に押し出して、ぐいぐいカインにアピールしている。


 今はちょっと控えないさい、と言いたいところだがサティナ姫はカインの理解者が増えたことがうれしいらしい。


 元々カインが妻を何人も娶る義務のある貴族なので気にしないのかもしれないが、ルミカーナにしてみればミラティリアにはサティナ姫の従者としての節度があるはずだと思ってしまう。


 「それにしても恐るべきはカインという男」

 見た目はまあまあとは言え、多くの勇猛な騎士たちと共に幾多の死地をくぐってきたルミカーナの目には臆病で頼りないただの凡人にしか見えないのだが……。


 ルミカーナは後ろからカインの背中をじっとにらんだ。


 だが、カインはあのサティナ姫が惚れた男だ。もしかすると見た目と違って実は優良物件なのかもしれない。


 いや、見た目どおりで大したことのない男だったとしても、カインと結婚すればサティナとも家族になる。もしも子どもが生まれればサティナの子どもの兄弟姉妹になる。


 ちょっとまって……。

 カインがサティナ姫の夫と言う事は、カインがまさかドメナス王国の国王に? だとすれば、カインの妻は全員が王妃級ってことになるんじゃない? 


 もしかしてカインと結ばれて子ができれば、私の子も王子や王女と呼ばれる? それってやはりかなりの優良物件なのでは?


 思わずちらりとカインの後ろ姿を確認する。


 騎士のような強い姿は一度も見ていないが、体つきだけは男らしい。夜も凄いらしいとサティナ姫が言っていた。


 夜も凄い……ってどういうこと?

 もやもやと様々な妄想が浮かんできた。

 ばかばか、私は何を想像しているのだ。


 私は氷の狂戦士と呼ばれるクールビューティ。それにここは非常に危険な場所、油断なくサティナ姫をお守りしなくてはならない。


 「いかん、いかん! 私まで何を考えているんだ」

 ルミカーナは少し火照った頬を両手でパシパシと叩くと、腰の愛剣の感触を確かめ、平常心に戻すと深呼吸を繰り返した。

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