第113話 ケッパ村の秘祭
深夜である。
俺のベッドにはいつの間にかオリナの姿をしたままセシリーナが潜り込んで寝ている。アリスは窓際のベッド、その隣にはリサのベッドがある。少し離れてリィルのベッドが見える。
寝る前にガーロンドに茶を飲まされ過ぎたせいか、トイレが近い。俺は、みんなを起こさないようそっとベッドを出ると部屋の扉を開けた。
1階に下り、沼牛が眠る家畜部屋の奥にあるトイレに入った。
んももうっ……と牛の鳴く声。
壁一枚隔てたところで沼牛が動く気配がするが、それだけではない何か妙な気配が格子窓の外から感じられる。
「ふわああ……」と俺は解放感を感じながら、ふと外を見た。
正面にご神木の立つあの広場が見えている。
なんだろう、何かが蠢いている。ご神木が動いているわけではない、木の周りだ。俺は目をこすった。
「!」
月明かりの下で数匹の大蛇がうねうねと絡み合っている。
この世の物とは思えない光景だ。さらに蠢く蛇身の前には大きな狼が2匹。まさに蛇と狼の饗宴である。
「生贄を!」
蛇たちが一斉に叫ぶと、狼が兎を咥えて現れた。
「もっと大きな生贄を!」
数匹の蛇が兎を引き裂き、飲み込んだ。
「あわわわわ……」
俺は愕然となった。もしかしてこの村の住人の正体があれなのでは? と思い至ったのだ。そういえば、この村は妙な雰囲気だった。そう考えると怖くなる。
もし俺が見ていることに気づかれたら? ヤバイ……、明日早々にこの村を出立しなければ。
そう思い、そおっと階段を登る。
ギィーギィーとやけに軋む。
「静かに……音を立てるな……」
だが、古い階段は軋むうえにメキッとかピキッとか余計な音を出す。下りる時は全然平気だったのに、今はその音が心臓に悪い。
もう少しで二階だ。
「何をそんなにビクビクしていらっしゃるの?」
不意に背後から声!
「ひゃう!」
俺は跳びあがった。驚きのあまり心臓が口から出そうになる。
見ると、闇の中に赤い瞳が浮かんでいる。
ガーマインだ。
青白い肌に赤い唇が微笑む。
汗ばんだ肩も露わに体には薄い布を巻いただけの姿である。
「カインさん、あなた……」
上がってきたガーマインが俺の頬に片手で触れた。
「……さては、あれを見ましたね?」
ガーマインの唇から長い犬歯が覗く。
「!」
「いけないお方ですわね」
逃げなくては、あれ? 体が動かない。
助けを、あれ? 声も出ない。
「目が覚めないように薬を入れたのに、あなたには効かなかったみたいで残念ね。血が他の人とは異なるのかしら?」
そう言うと、彼女は艶めかしく唇を舐めて俺の首筋を撫でる。
俺の血管に触れているようだ。
ガーマインが口を開いて近づく。その鋭利な犬歯が光る。
まさか、吸血鬼か?
ガーマインの瞳が闇の中で妖しく光る。
「全て、忘れなさい」
その妖艶な笑みに立ちくらみがしてきた。鼓動だけがやけに早くなった。
ーーーーーーーーー
天窓が音もなく開き、カインのいない部屋に闇が固まって人の形を成すように男の姿が現れた。
部屋の端でリサとリィルが呑気に高イビキだ。おそらく眠り薬が効いているのだろう。
男は上半身裸で汗ばみ下半身には腰布だけを巻いている。その視線の下にアリスが眠っていた。
美しい少女である。
荒い息の男の口には大きな犬歯がむき出しになっている。
長く尖った爪を持つ大きな手がアリスの白いうなじに伸びる。
その髪を掻きあげ、開いた口を近づけた。
牙がその柔肌に突き立つかに見えた時、男の表情に怪訝な色が浮かんだ。
「がっ! こ、これは処女では無い!」
「そうですよ」
その時、ベッドの中でアリスが目を開いた。
「そこを動かないでください!」
まったく同じ声が背後から聞こえ、男の首に銀剣の刃が光った。男は驚愕の目を背後に向けた。
「ガーロンドさん、ご説明願えるでしょうか?」
背後で銀剣を手にしたアリスが言った。
「え? あれ?」
アリスが二人?
ベッドを見ると、アリスに化けていたオリナが起き上がった。高度な多重幻覚術である。あおりんはこういう術に関しては才能が秀でている。
「げ、幻覚? いや……、でもな」
ガーランドは首を振った。
「この子に手をつけて、君には手を付けていない。あのカインって奴はそういう性癖が! ロリコ……」
「違うわよ!」
オリナとアリスが同時に叫んだ。
「訳があって私のこの姿も幻覚なの、私は本当は大人で正真正銘カインの妻よ。それよりもこの状況は、どういう事です?」
オリナはいつの間にか手に弓を持ち、銀の矢をつがえている。
「最初から、私たちを襲うつもりでしたの? 夕食にも眠り薬を混ぜていたようですし。貴方がたは吸血の一族ですか?」
アリスの目は厳しいが、口元は微笑んでいるようにも見える。
何故か怖い。
美少女で可愛いのに奥底にとんでもない闇がありそうだ。
アリスの剣の刃がガーロンドの首筋に触れ、血が滲んだ。
こんな剣を一体どこに隠していたのか、対吸血鬼用の武器まで用意周到に準備していたとは……。
この連中は、見かけと違って恐ろしい一行なのかもしれない。もしかすると魔獣ハンターや吸血鬼ハンターということもありえそうだ。
いや、むしろ、そうなのかもしれない。
そう考えた方が納得が行く。
ガーロンドはぶるっと震えた。
そうでなければ、こんな一見馬鹿みたいな構成メンバーでこの大湿地を通る訳がない。彼女らの見た目は吸血鬼などをおびき寄せるための策略なのかもしれない。
見るからに弱そうで頼りない男に連れられた美少女と幼女など、普通の街道ですらカモがネギどころか、既に焼きあがった焼き肉がタレを付けて歩いているようなものである。
ガーロンドは一歩対応を間違えれば危ない、ということに気づいた。美少女たちが笑いながら村を壊滅させていく光景なぞ見たくもない。
「ち、違うんだ! せ、説明するから首をはねないでくれ!」
ガーロンドは懇願した。
アリスは腕組みして、どうしようかしらと見下ろしている。
「俺たちは吸血鬼じゃない。今は聖なる木の祭りの時期なんだ。特に今宵は年1度の明け待ちの夜、村の衆総出で秘密の儀式を奉納する日で、よそ者にこの儀式を知られる訳にはいかなかったんだ!」
「じゃあ、なぜ、朝まで私たちを放っておかなかったの? それに血を吸うために夜這いをかけてきたんじゃないの? 処女の血を好むというのも吸血鬼らしいし」
オリナがにらむ。
「違う、それは処女だと思っていた娘が違っていたからびっくりしただけだ! みんな大人しく朝まで爆睡していてくれればこんな事はしなかったんだ! それがそうじゃなかったから」
「そうじゃなかった?」
「見られてはいけない儀式を見た者がいるんだ。見られた以上、どんな手を使ってでもその記憶を消さなければならない。当然、その仲間で爆睡していない者も儀式を見た可能性があるから吸血スキルによる催眠効果で記憶を消す、昔からそういう決まりなのだ」
「見た者がいる? そう言えばカイン様がいないですね?」
アリスが部屋を見回す。
「ああ……そう、そのようね」
オリナは額に手を当てた。
また、やらかしたのはカインだろうな、と分かったのだ。
その時だ、ギィイと軋んだ音がして、部屋の扉が開いた。みんなの視線が集まった。
月明かりに浮かんだ影がゆらりと動く。
「セシリーナぁ……」と弱々しい声。
どこかやつれた顔に見えるカインが、死肉食らいのようなふらふらした足取りで一歩進むと、ばったりと床に倒れ込んだ。
「カイン! どうしたの!」
「カイン様!」
倒れたカインの背に意識のないガーマインの姿があった。
「だ、誰か手伝ってくれ~」
カインは救いを求めて手を上げた。その姿はまるで生きた死人だ。
「ガーマイン!」
「カイン!」
気を失っている妻をガーロンドが抱きかかえた。俺に駆けよったのはオリナとアリスだ。
すぐにアリスが両手をかざし、治癒魔法をかけると同時に俺の状態を把握した。
「このダメージは吸血によるものではありません。原因は全身打撲と腹部への殴打ですね、大丈夫軽傷です」
「じゃあ、これを」とオリナが俺に水薬を飲ませた。
この味……例の精力増強剤を溶いたやつじゃないのか? でも、聞いてもたぶん気力の回復効果は同じよ、とか言われてしまうのだろう。
「大丈夫、すぐにいつものようにビンビンになるわよ」
「早くビンビンになってくださいね、カイン様」
アリスが真面目な顔で言ってから、その意味に気づいて少し頬を染めた。
「だ、大丈夫だ、心配するな……」
俺はガーマインに血を吸われてやつれている訳ではない。少し元気が戻った俺は状況をアリスとオリナに説明した。
ガーマインが俺に噛みつこうとした時、ナーナリアの聖紋の力が発動した。聖なる加護の力で吹き飛んだガーマインが咄嗟に俺を掴んだので、巻き添えを食って俺は階段を踏み外したのだ。
ごろんごろんと派手に階段を転がり落ち、やっと地面に着いたと思ったら、その上に気絶したガーマインが落ちてきた。
そのお尻が俺の顔面に直撃、さらに少し遅れて俺の腹部にかかと落としを食らわせたのだった。
七転八倒、胃の内容物を辺りに撒き散らした後、何とか持ち直した俺は、助けを呼ぶべく気絶した彼女をおぶって2階まで這いあがってきたという訳だ。
しかし、なぜガーロンドがここにいる?
しかも上半身裸で腰布一枚とか、かなり危険な姿だぞ、こいつ。
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