第112話 大湿地帯のケッパ村

 遠くから見た時は気づかなかったが一面に畑が広がっていた。湿地の中にあるわずかに高い土地に多くの溝を切り、その土をかさ上げして畑にしている。

 掘った溝は排水路になっていて、広い所だと両岸に土留めの丸太を打ち込んで小舟が通れるくらいの運河になっている溝もある。


 それだけやっても採れる穀物の量は多くはないのだろう。アッケーユ村付近の畑に比べるといかにもみすぼらしい。


 夕暮れが迫る中、道は畑の中をまっすぐ村に向かって続いている。ここまで来ると、わずかな林に囲まれた村があることが俺にもわかる。


 「それにしても、この数日誰とも出会わなかったわね。畑仕事をしている人もいないし」

 セシリーナが周りを見渡した。

 「もうじき日暮れですから、皆さん家に帰ったのでしょうか」

 アリスはリサの手を引いている。 


 「ほら、村はまもなくですよ。でも、泊まるところはあるのでしょうか?」

 リィルの声は不安そうだ。


 「まあ、こんな所だから、快適な宿屋とかは期待できないだろうな、最悪、納屋でも俺は構わない」


 「嫌ですよ、納屋なんて。ねえアリス様?」

 「どんな所でも私は大丈夫ですよ」


 「ええーー? リサ様、セシリーナ様」

 リィルは援軍を求めて二人を見た。


 「リサもへいきーー」

 「私も構いませんよ、野営に比べたらね」


 「ええーーーー」

 リィルの肩が下がった。盗賊職なら寝る場所なんかどこでも構わないというイメージがあるのだが、こいつは違うらしい。


 俺は次第に見えてきた村の家並みを見た。

 村はわずかに周囲より高い丘の上にあって家々の煙突から煙が立ち上っている。


 村の入り口まで来ると、胡散臭い目で俺たちを見る男の姿がある。一見すると人族のようだがどうなのか。年は俺よりもずっと上だろう。

 仕事帰りだったのだろうか、入り口の所にある運河に小舟を寄せて縄を杭にかけていた。


 「ここはケッパ村だ、旅人か? 珍しいな。迷ったのか?」

 男はそう言って農具を担いだ。


 「アッケーユ村の方から来た。アパカ山脈の方に用事があってね。初めて通る道だったんで、何度も迷ってやっとここへたどり着いたんだ」


 「だろうな、そうでもなければ、わざわざこの村を通る旅人なんていないだろうよ」

 男は俺たちを一瞥いちべつした。


 その目がアリスを見て驚いたようだ。

 まあ、男なら誰でもそうなる。当然の反応だろう。セシリーナはついさっきオリナに化けたから、アリスの美少女ぶりは頭一つ抜けている。


 「男一人に女、子どもか……。普通じゃないな、そんなので良く旅が出来るな? しかも、いくらアパカ山脈への近道だからと言って、この湿地を通るルートを選ぶとはな。よっぽど素人なのか。それとも……」

 男は何か調べるような目つきで俺たちの装備を見た。俺がぶら下げている骨棍棒に少しぎょっとしたようだ。馬鹿かこいつは……みたいな表情に見えたのは気のせいだろう。


 「まあいい、村に入れ。ケッパ村には宿屋なんてないから、泊まるなら、うちの家の納屋くらいしかないぞ。それでも良いか?」

 そう言いつつ、相変わらずちらちらとアリスを見る。


 「助かる。一晩泊めてくれれば良い」

 俺の背後で「納屋ですか、はぁーー」とため息をついた者が一人。


 「俺はケッパ村の村長をしているガーロンド。宿泊料は飯代込みで一人あたり千ルシドをもらうことにしている。料金は前払いだ」

 少々高い気がするが、この湿原で野宿することを考えれば仕方がない。オリナの姿をしたセシリーナもうなずいている。


 「わかった。今払う」

 俺は皮袋から硬貨を取り出すとガーロンドに渡した。


 「家はこっちだ。ついてこい」

 広場を円形に取り囲むように家が8戸建っている。意外に大きな屋敷ばかりで、最初は何か副業があって意外に裕福な村なのか? と思ったが、一階に沼牛を飼っている家が多いのだ。家畜小屋や納屋と母屋が一体になっているので大きな家に見えるらしい。


 その広場の中央には大きな二股の大木が建っている。白木の大木には蔦か脈打つ血管のような文様が彫られている。二股の先は三角に削られている。木は祀られているようなので、村のシンボルか何かなのだろう。


 ガーロンドは広場の一番奥の屋敷に向かっていく。

 周囲に人の姿はない。妙な感じの村だ。

 屋敷の窓からこちらを伺う視線のようなものは感じるので、家の中には人がいるのだろう。


 「さて、ここが我が家だ。二階が宿泊可能になっている」

 他の家と違って、ガーロンドの家では母屋の隣に別棟の納屋がある。納屋とは言っても2階建てで一階は沼牛が家畜として飼われていた。


 俺たちは外階段を上って2階に案内された。

 

 「部屋として使えるのはこの一部屋だけだからな。ベッドなんて無いから、勝手にそこいらの藁を丸めて、棚に置いている布で覆ってくれ。飯が出来たら声をかける」

 ガーロンドは一通り説明すると出て行った。ベッド用の布が準備されており、説明慣れしているところをみるとこの部屋を宿としての利用させることは珍しくないらしい。


 「わーい、ふかふかの藁ベッドだー」

 アリスが藁を上手にベッド風に仕上げると、さっそくリサが跳び込んだ。


 ばたばたと手足を動かす。

 ばふっと布の両端から藁が噴き出した。

 

 「ダメですよ、藁が漏れてしぼんじゃいますよ」

 アリスがリサを捕まえた。

  

 「アリス、こっちもお願い。手伝って」

 オリナが悪戦苦闘中、藁だらけになっている。俺はオリナと違って上手にベッドを作った。

 まあ経験の差だな。様々な職業経験が生きる。


 「ねえ、私のも作ってくださいよ」

 リィルが俺の袖を引いた。

 さっきからリィルも四苦八苦しているのは知っていたが。見るとまるで鳥の巣のような状態だ。ひどい、あまりにもひどい。


 「へへへ、こういうのはちょっと苦手なのです」

 「シーフなんだから、ベッドなんか作らないで藁に潜って寝るのはどうだ?」

 「疲れがとれないと、明日に響きますよ。仲間一人の不調は時に重大な……」

 「わかった、わかった。俺がするから、そっちでリサの面倒を見ていてくれ」

 俺はその散らかった藁を集めることから始めた。

 手際良くまとめて、布の端をその下に挟んでいく。


 「凄い! ベッドができてます! カインを見直しましたよ。”ただの役立たずの男”から、”少しは役立つ時がある男”にランクアップしましたよ」

 リィルが目を輝かせた。


 「まあな」

 アリスと俺の手にかかればざっとこんなもんだ。それにしてもアリスは何でも卒なくこなす。たいしたものだ。

 俺の視線に気づいてアリスが清楚な微笑みを返した。二人で行った共同作業に満足なのだ。


 「あらっ、カイン様、肩に藁クズが……」

 そう言って俺に接近し、熱い瞳で見つめる。アリスの良い匂いがふわっと鼻腔を満たした。うっとり見惚れるほどかわいい。


 その二人の様子に、むむっとオリナが俺をにらむ。

 一夫多妻は貴族の義務だ、そろそろ慣れて欲しいが、すねたり嫉妬したりする一面もセシリーナらしくてかわいい。というか、そういう姿も見たくてわざとアリスからのスキンシップを拒まなかったりする。


 「おーい! 飯だぞ!」

 その時、外から声が聞こえた。

 ガーロンドの声に反応して1階の沼牛が次々と啼いた。


 母屋に入ってみると、大きな食堂には人数分の夕食ができていた。ガーロンドが作ったのだろうか? それにしてはずいぶん手際がいいな、と思っていると奥から若い奥方を連れたガーロンドが出てきた。


 ガーロンドは一見人族に見えるが奥方は見るからに魔族だ。ちょっと不健康そうな青白い肌に赤い唇が特徴的である。


 「これは俺の妻のガーマリン、見てのとおり俺たちは魔族だ」

 「湿地を旅してお疲れでしょう、こんな寒村ですのでたいした料理もできないですが、体力回復の薬草を混ぜた料理を作ってみたので少し苦みがありますが食べてくださいね」

 ガーマリンはそう言ってスープを準備する。


 オリナはそんなガーマリンの様子をじっと見ている。何かあるのだろうか?


 リサとリィルは待ちきれないで、もう食べ始めている。

 アリスはおとなしく座っている。いつもなら自分が給仕する立場なのだが、今日は逆だ。


 今は普通の旅人風の衣装を着ているので、ガーロンドたちもアリスがメイドだと気付くわけもない。ただのお嬢さんと見ているだろう。


 俺が旅商人のリーダー、アリスがその見習い助手、オリナとリィルは小間使いでリサの世話係、リサは俺の姪と言うことにしてある。


 俺たちは夕食をあっと言う間に平らげていく。

 リサとリィルはデザートに出されたお菓子に目が無い。


 「ところで、村の広場の中央に立っている不思議な文様の大きな二股の柱はなんです? あまり見たことがないものだったので気になって」

 俺はスープのお代わりをもらいながら尋ねた。


 「ご存知ありませんか? てっきり、わざわざこの大湿地を通る方々なので、巡礼に来たのかと思っていましたわ」

 ガーマリンが意外そうな顔をした。

 「巡礼?」

 オリナが顔を上げた。


 「古くからある信仰なんですよ。大湿地の村々では神の依り代として村の中央に様々な聖なる柱を建てるのです。邪悪な者から村を守り子孫繁栄を祈るためにね」

 ガーロンドが暖炉に苔玉をくべる。


 苔玉は苔と家畜のフンを乾燥させて固めたものでこの地域のごく普通の燃料だ。外からきた俺たちからすれば苔玉も珍しいが、さらに奥地では湿地の底から可燃性の粘土を掘りだして乾燥させてから使うと言う。

 さっき初めて聞いたばかりの話で、いずれ何か商売に結び付かないだろうかと考えてしまう。


 「村々にある聖なる柱を5つ以上廻った者は願いがかなうという信仰があるんですよ。ね、あなた」

 ガーマリンがお茶を注ぎ、ガーロンドを見た。


 「そうだな。せっかく来たのですからお参りしていくことを進めしますよ。お布施も受け付けています」

 ガーロンドはちょっと俺を見た。


 「お布施は、玄関に備えてある賽銭箱にお願いします。それはもう、ご利益があること間違いありませんよ」

 再度俺を見た。


 「わざわざ都から巡礼に来る人もいます。お布施は多額でなくても、ほんの気持ちで良いです。間違いなく、ご利益がありますからね」

 ちらちらと俺を見た。


 わかった。わかった。お布施をしろという無言の圧力だ。


 「ありがたいご利益があるならお布施も考えよう」と俺はお茶を飲む。


 「ところで、ここの神木はどんなご利益があるの?」

 オリナがガーマインを見た。


 「それは、女性には大事なことですよ。ちょっとお耳を」

 不思議そうなオリナとアリスを見て、ガーマリンが二人の間に入って何かつぶやいた。

 「!」

 二人が少し顔を染めた。


 なんなのだろう?


 「どうかしたのか?」

 聞いても教えてくれない。

 ガーロンドが俺に耳打ちする。


 「一番のご利益はな、男女の想いが叶って結ばれるというものさ。お前、あの娘とはまだ結ばれていないんだろ?」

 そう言ってアリスを指差す。


 「まあ、そうだな」

 俺はちょっと複雑な顔をした。


 アリスは俺の守護者だ。

 その守護者紋は普通の俗紋や眷属紋よりも上位の紋である。ほぼ婚姻紋に近い性質で、守護者のままで主人と結ばれる者もいれば、妻に昇格する者もおり、眷属紋以上に婚姻紋に類似する性質の紋である。


 そもそも肉体的に結ばれることをお互い合意していることが大前提の紋なのだ、という話も最近聞いた。

 だから、クリスが事あるごとに俺に迫ってくるのはごく当たり前のことで、神官や聖紋学者に言わせれば、それに応じない俺の方が悪いと責められるだろう。俺は三姉妹を早々に娶る義務があるのだそうだ。


 もちろんガーロンドは俺たちがそんな関係だとはまったく知らない。


 「お参りすれば、この湿原を抜けるころには、間違いなくあの娘はお前のモノになるぞ」


 うーーん、俺は無精ひげを掻いた。


 「それとも……」

 ガーロンドが反対側の耳に耳打ちする。

 「ちょっと早いが、あっちの娘狙いか?」とオリナを指差す。


 「まさかとは思うが、3人全員が狙いか? それは男冥利に尽きる話だな」

 アリス、オリナ、リィルを見渡す。

 「まさか!」

 俺は思わず大声を出した。


 みんなが俺を不審な目で見た。


 でも、そのくらいの話であれば、彼女らが顔を赤くした原因にはならないだろう。

 「ご利益は、もっと他にもあるんだろう?」

 俺は小声で尋ねる。


 「子宝に恵まれるぞ。あの木は二つの先端が蛇の頭、つまり男を模しているし、股の所は女を模している。今は独立して村に居ないが俺たちも子宝にも恵まれた。そして何よりも一番肝心なご利益は子宝に恵まれるために必要な “技術の向上” だろうな」


 「貴方、技術だなんて味気ない言い方ですわ。男女の営みのテクニック向上ですよ。男性だけじゃありませんよ。女性の方にとってもね」

 いや、そこは旦那のように少しぼかした方が良い気がする。この人の言い方があまりにも生々しすぎるので彼女らは赤面したのだろう。


 「伝説もありますよ。日没の時に聖なる木の前でキスした二人は必ず結ばれるとか、聖なる木の前でヤレば永遠の愛に包まれるとかね。聖なる木の前で私たちもいろいろ試しましたわね」


 「そ、そうだったか?」

 ガーマインはにこにこしているが、ガーロンドはとぼけている。


 オリナがちらりと俺を見てニヤリと微笑んだ。

 まさか今夜は聖なる木の前で試そうということじゃないだろうな? 聖なる木は周りの家々から丸見えだぞ。


 俺は引きつった笑みを返した。

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