第30.5話 <<東の大陸に蠢く闇>>

◇◆◇


 東の大陸、大砂漠の北の大地に夕日が沈もうとしていた。


 真っ赤に染まった空を背景に幾つもの砂丘の影に傾いだ石塔が砂に埋もれている。

 精緻に石を組んで作られた塔の外壁には、未だに見る者に驚きと称賛を覚えさせる美しい浮彫が残るが、その堅牢な塔も長い年月で徐々に崩壊が進んでいるのだろう。

 砂に埋もれる壁には大きな亀裂が入っていた。


 今、長く伸びたその塔の影の中に一台の豪奢な馬車が止まった。馬車の扉が開き、外に出た女は砂埃に目を閉じ、顔を手で庇いながら、その亀裂をくぐって中に入っていった。

 


 ーーーーーーーーーー


 乾いた岩の洞窟の奥に籠って何日が経ったのか、日付の感覚すら失った男は、何もない広い部屋の中央の床にぽつりと座っていた。


 「どうだい? 首尾は?」


 木製の扉を軋ませて現れたのは、血のように真っ赤なハイスリットドレスをまとった妖艶な美女である。

 男の目を釘付けにする胸元が大きく開いた艶めかしい姿だが、彼女こそ赤い魔女と呼ばれる魔王国屈指の魔女、魔王二天の一人だ。


 外はいつもの砂嵐なのか、彼女は肩の砂を払った。


 「首尾だと? 俺が約束の期日を違えると思うか? むろん上々だ。覗いてみろ、まもなくかえるところだぜ。こいつが群れのリーダーになる」

 頭に汚い布を巻き、上半身裸の男が狂気に取りつかれた目を向け、黄ばんだ前歯を露わにして笑みを浮かべた。


 男の前の床には大きな穴が開いており、鉄格子がはまっている。その暗闇の中で何かが蠢いていた。男の灯した魔道具の灯りに照らされ、時折ぬらぬらと光る。どうやら光沢のある外皮を持った生物か、粘液で身体を保護している生物のようだ。


 「こっちは準備万端だ、ご希望通り数十年ぶりの厄災がまもなく始まるぜ。ーーところで俺が渡したアレはどうした? 大仕事の前にもう一度アレをこの手で撫でておきたいんだが?」


 「あれかい? あれは既に我が主人の元に送ったよ、ここにはないね。それにしてもまだアレに魅入られているのかい?」

 女は燭台しょくだいの灯りを男に向けた。


 「アレの呪縛から逃げたいのに、触れていたい。ーーこの煮えたぎるような感覚は他人には分からんさ。だが、そうか、アレはまたも海を渡ったのか」

 眩しそうに眼を細め、男は口元を歪めた。


 「お前から遠ざけるためだ。私に感謝するんだね。狂い死にするまでの時間が少しは伸びただろう?」


 「あんたのご主人様こそ大丈夫なのか? あの漆黒の壺の魅力は凶悪だ。計り知れない力を持つがゆえに、手にした者を虜にして狂い死にさせようとするのだぞ」


 「ははははは…………、我が主人があの程度の魔具に取り込まれるとお思いかい? 私にすら効かなかったのよ」


 「化け物め」


 「よく言うわ、あなたこそ、そんな化け物たちの親じゃない?」


 「こいつらは可愛い俺の子どもみたいなものだ。ふざけたことを言うんじゃねえ! 全て俺に任せておけば良いのだ」

 男は一瞬激高したように見えたがすぐにくらい目に戻った。


 「それで? 例の物は手に入ったか? ドメナス王都の封印庫にある奴だ、そう簡単に手に入るとは思えんのだが」


 「ふん、どこの国にもバカな大貴族はいるものさ。女一人を手に入れるのと引き換えに、という条件で考えもなしに差し出してきたわ。ほらっ、やるよ」

 女が無造作に丸い珠を投げた。


 「うおっ、バカめ、気を付けろ。これが最後の種なんだぞ、正しい場所で割らねば何にもならんのだ」

 男は慌ててそれを両手で抱えた。


 「渡したからね。お前、うまくやらないと、ーーーー殺すよ」

 女は妖艶に笑う。だが、その目は異常に冷たい。


 その目に男はぞっとした。あの日、一族の至宝だったあの壺を手に入れるため、仲間を裏切り、王を殺した。その日、壺を初めて抱いて以来、感情などとっくに失ったと思っていたというのに背筋が凍る。


 「しくじるかよ。この種子に含まれる成長因子をこいつらが吸引すれば俺の仕事は完遂する。後はこいつらを解き放つだけだ」

 「もう与えるのかい?」

 「ああ、繁殖期に入る直前の今がちょうど良い時期だ」

 男は鉄格子を上げると、封印の札が貼られた珠をその中に投げおろした。


 珠が床に当たってあっけなく砕けた。

 その瞬間、どす黒い霧が周囲に広がって、蠢いていた影がむくむくと巨大化していった。


 「こいつらはもう止まらねえ、これで東の大陸中に災いが満ちて、あんたの主人が望む通りに世界に混沌が広がる。これで俺もいよいよ幹部の仲間入りだ。魔王国で大出世して俺を馬鹿にした奴らを見返してやる。あんたには礼を言うぜ、カミネロア!」

 男は狂った笑いを浮かべた。


 「まあ、せいぜいうまくやるんだね」

 赤い服のは微笑を残し、部屋を後にした。


 ーーーーーーーーーー


 「どうでした? あの人間の男の様子は?」

 「所詮は人間、使えるのですか?」

 廊下で待っていた二人の男がすぐにニロネリアに近づいてきた。


 「大言壮語な男よ。技術は認めるが、果たして実戦はどうかしら? まあ、せっかくここまで準備したのです。うまくいくことを期待しましょう」

 ニロネリアは腕組みして、今閉めたばかりの扉を見つめた。


 「あんな小者に頼らずとも、私が黒霊鬼で政府要人をみな狩りつくしてやりますが?」

 「いや、いや、我が合成獣を解き放てば……」

 そう言って男たちはニロネリアの前で互いに睨みあった。


 「二人とも静かにしなさい。魔族がいないこの大陸で、我々魔族が騒げば目立つ。今は、我々が背後にいることをこの大陸の連中に気づかせないように動くのが肝要なのよ」


 「はっ。思慮が足りず申し訳ございません」

 二人の男は深々と頭を下げた。


 「これから私はあの国の首都、ノスブラッドに潜入する。しばらくここには戻らないからそのつもりで、いいわね?」

 「はっ!」

 「成功をお祈りいたします!」

 

 砂漠の夜に馬車のランプが灯り、やがて静かに東へ向かって動き始めた。


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