第31話 神殿からの脱出

 神殿の地下水路の水は俺の膝くらいまでの深さがあってかなり冷たい。俺やセシリーナはともかく子どもにこれは厳しいな。


 「リサ、大丈夫かい? 足先が濡れない?」

 「大丈夫だよーー」

 リサが口を動かすと俺のうなじがこそばゆい。


 井戸の横穴に続いている石積みの水路は立って歩けるほどの高さがある。いざという時の脱出路を兼ねていたのかもしれない。

 このまま囚人都市の外までつながっていれば嬉しいけど、そううまくはいかないだろう。


 「それにしても、井戸からちょっと離れただけでも何も見えなくなるな」

 真っ暗なのでこのまま手探りで進んだら、穴があっても気づかずにジャボンと落ちそうだ。急いで井戸から離れる必要があるのだが、足で床を確かめながら歩くのも厳しいものがある。


 「待って、危ないから動かないで。今、灯りをつけます」


 カチカチとセシリーナが魔道具を使うと、頭の上にポウッと黄色い温かみのある光が出現した。おお、さすがに帝国軍弓兵隊の隊長、魔道具も軍用のもので市販品より明るい。光は進行方向の足元を照らし、自分たちの方はあまり明るくならないところが軍用らしい。


 「これで行けるな。右と左、どっちに進む?」

 水路はすぐ先で左右に別れている。幸い水は澄んでいて底が見える。これなら穴に気づかず落ちたりはしない。


 「付いてきて、方角からすると左が外よ」

 「行くよ、リサ。落ちないように俺にしっかり掴まっているんだよ」

 「うん」

 ぐぇええーーーー、力入れすぎだ。


 ジャポ、ジャポ……

 二人が歩き出すと、光は歩く速度に合わせて浮遊し、水面をゆらゆらと照らし出した。松明やランプと違って両手が空くのでこれは便利だ。


 魔法や魔道具は便利なのだが、使用者の魔力が必要なので、俺には使えない。魔力石が入っていて魔力がない者でも使える便利な魔道具もあるが、その値段ときたら、貧乏貴族にとっては目玉が飛び出るほど高い。


 「おーにー、どこに行くのーー?」

 背中で足をぶらぶらさせながら、楽しそうにリサがつぶやいた。


 「あそこにいると危ないから、俺と一緒に逃げるんだよ」


 「やったー、かけおちだーー!」

 リサが背中で足をバタつかせた。


 なんて言葉を知ってるんだ。このおませさんは……。しかし、尻を蹴るのはやめてほしい。ーーーー結構痛い。


 「かっけおち、かっけおち!」

 「リサ、あんまり足を振ると危ないよ」

 「うん、わかった」


 リサは目を輝かせている。やけに嬉しそうだ。


 実はリサは、毎晩メイドたちから恋愛小説を読んでもらっていたので、こんな風に王子さまが救いに来るのを夢見ていたのだ。

 あまりにお子様向けの本には飽きてきて、最近のお気に入りは、『熱愛ロマンス、駆け落ち恋の行方』という、内容もかなり大人向けの本である。

 幼女にそんな物語をチョイスするメイドもメイドなのだが。リサはこっそり見た挿絵を思い出し、思いっきり王子の首に抱きついて、その耳に息を吹きかけてみた。


 「ぐえーーっ、そ、それは苦しい!」

 見た目以上に力があるのは、本来14歳の少女だからだろうか。

耳に熱い息がかかっていることにも気づかず、俺は目を白黒させ、今にも窒息しそうだ。


 「何を遊んでるんです。静かにして。……奥へ進むわよ」

 

 ジャポ、ジャポ……

 水路は長い間手入れされていないのだろう。所々崩れ、行き止まりになったりする。そのたびに、引き返したり、新たな道を探したりしなくてはならない。まるでダンジョンのような迷路だ。


 「待って!」

 またも引き返して、違う分かれ道に入った時、ふいにセシリーナが手を横に伸ばし、足を止めた。


 「奥に何かいるわ! 襲撃に備えて! カイン」

 その声色に少し緊迫感がある。


 すぐにセシリーナが短剣を抜いて身がまえた。闇の中で刀身が青白く光っている。

 彼女の短剣は魔剣らしい。魔剣は東の大陸ではかなり珍しく、大貴族くらいにならないと所有できない超高級品である。実用品として使われることはあまりない。


 「リサはここにいるんだ。動かないで」

 俺は濡れないようにリサを崩れた壁の瓦礫の上に下ろし、リサを背に片手で骨棍棒を構えた。リサは俺が守る。


 俺の骨棍棒も薄っすらと白く光っているように見えるのは、ただの錯覚だろうか。


 「!」

 前方の水面が、ザザッと波を立て何かが接近してきた。横幅は溝幅一杯で結構に大きい! ぬめぬめと濁った緑色をした怪物だ。その黒い小さな眼に光が反射した。


 「来るっ!」

 セシリーナが短剣を振るった。


 水しぶきが上がって何かが飛びかかってきた瞬間、短剣の刃が凶暴な無数の牙とかち合う。


 大きな山椒魚のような怪物だ。巨大な口で獲物を食いちぎるのがこいつらの捕食方法か。

 大顎がバクンバクンと開閉した。

 手足が短く、攻撃に使わないのは幸運だ。そいつは全身をくねらせてセシリーナを押した。大きな尾びれがバシャバシャと水面を叩く。


 「セシリーナ!」

 「大丈夫、離れていて、カイン!」

 俺が近づこうとした瞬間、強い力でセシリーナがそいつを押し返し、怪物が腹を見せてひっくり返って、派手に水しぶきが上がった。


 流石は魔族だ。美しい見た目と裏腹に、俺よりもずっと力があるという事だけははっきりしている。

 バシャバシャと音を立て起き上がろうともがく怪物に、素早くセシリーナが剣を突き立て、トドメを刺した。

 

 「もう大丈夫ですよ、安心してくだ……」

 「セシリーナっ!」

 刹那、俺は真横に骨棍棒を振っていた。

 天井から垂れさがり、彼女の頭を包み込もうとしていた赤い粘液がぶるんと弾けて、壁にびしゃっと当たって蠢いた。

 

 「スライムだ。見ろ、今の騒ぎで集まってきた」

 「あ、ありがとう、カイン」

 セシリーナは大きく目を開いたまま俺を見上げた。


 水路の前後の天井を伸び縮みしながら接近するいくつもの粘液体が見えた。


 「しまった、前からも後ろからも来てるぞ!」

 「こいつの死骸が目的ね。数が多すぎるわ、どうする? 剣や棍棒じゃあいつらには不利よ」

 「見ろ、こっちに縦長の狭い横道がある。ここを抜けよう!」


 ちょうど水路の壁に人が体を横にしてやっと通れるくらいの縦溝がある。水は流れていない。何か管理用の溝だろうか。


 「急いで! リサを真ん中に、私が最後尾を守るわ」

 「いくよ、リサ」

 「うん、ついてく」

 

 俺たちは細い溝を進んだ。リサの手を引いて俺が先頭だ。

 途中の仕切り板は完全に腐り落ちていた。残っていた木枠を足で踏み倒し、どうにかそこを通り抜ける事ができた。


 とにかく狭い。

 後ろを見ると胸とお尻がつかえるセシリーナが一番四苦八苦している感じだ。


 「カイン、だいじょうぶーーぅ?」

 「心配するな、リサ、俺とセシリーナが一緒だろ?」

 「うん」


 あまりにも狭く、果てが見えない。このまま行き止まりになったらどうしようかと俺も不安になってきたころ、不意に目の前が開けた。そこは広い排水路だ。


 幅広い分だけさっきより水嵩みずかさは少ない。

 俺が先に降り立って、手を伸ばしリサを抱きかかえて岩の上に降ろす。次はセシリーナの番だ。

 

 「こっちだ、セシリーナ。俺の手に掴まれ! 気を付けて」

 「ありがとう。あっ!」


 言ってるそばから足元の石が不意に崩れた。態勢を崩したセシリーナをとっさに受け止める。

 顔が急接近した。驚いてぱっちりと見開かれた瞳が美しい。

 魅力的な唇が近づく。

 しなやかで柔らかい体を全身で受け止めた、あまりにその感触が生々しい。蕩けるように弾ける美乳が俺の胸に当たっている。


 思いがけず、二人は互いを思いっきり抱きしめあって、おでこがくっつく。深く見つめあった美しく澄んだ瞳、彼女の吐息、ああ、これは甘美すぎる。


 ……舞うようにして俺は彼女を床に降ろした。俺は彼女の背に回した手を離したが、セシリーナはまだ抱きしめたまま俺を見上げた。初めてのカインの腕の中、強く異性を感じて胸がきゅんと切ない音を立てていた。


 「セシリーナ?」

 「あっ、だ、大丈夫だから……」

 セシリーナは急に我に返ったようだ。


 「あ、ありがとう」

 彼女は何か意識したらしく、少し慌てた感じで俺から離れた。照れ臭さそうなその仕草が愛らしい。

 

 「ごほん、さっきのスライムにはびっくりしたな。あんなのが巣くっているとは思わなかった」

 何となく気恥しい雰囲気。ここで話題を変えるのはずるいだろうか。


 「スライムを水路の掃除屋として使っていたのでしょうね。だからあれほど水が奇麗だったのよ」

 「なるほど。それにしてもこっちの水路はさっきまでのに比べると大分広いな、それにちょっと臭い」


 「ええ、ここは飲料用の水路じゃなくて排水路だからよ。この水の流れに沿って歩けばきっと外に出られるわ」


 「よし行こう、リサおんぶしな」


 「わーーい」

 「ぐえっ」

 俺は飛び乗ったリサを背負って再び歩き出した。


 今度の排水路はさっきの水路のような迷路状ではないが、どこまで続くのかというくらいの直線で長い。既に俺の背中でリサは熟睡中だ。がんばってしがみついていたので疲れたのだろう。


 前方に膝一つほど低くなっている段差があって、セシリーナが先に降りた。俺もすぐについていく。その先で排水路はようやく曲がっていた。角を曲がると排水路に外の光が差し込んできて少し明るい。


 「おや?」


 カポーン、ジャアーー、と水音がランダムに響いてくる。


 その光は人工的なものだ。排水溝の壁に作られたいくつもの細いスリットから、光と共に生ぬるい水が流れ込んでくる。

 

 「ここはどの辺なんだろう?」

 「わっ!」

 俺がスリットの外を確かめようとすると、先に見たセシリーナが慌てて振り返った。


 「カイン、これは決してカインが見ちゃダメなものよ!」

 そう言って突然セシリーナが俺の目をふさいだ。


 水しぶきの音、魔族の言葉……女の声が飛び交っている。間近にいくつもの気配と良い匂いがする。


 「こ、これは……もしかして」

 俺は薄眼を開けて、セシリーナの指の隙間から見た。


 「ぶっ!!」

 見た! 見てしまった!


 俺は思わずセシリーナの手のひらに鼻血を噴きだしそうになる。これはセシリーナと俺が運命の出会いをしたあの浴場だ!

 

 しかも、そこは浴場の洗い場だ。

 全裸の女たちが目の前に一列に並んで……。

 皆こっちを向いて座り、その手足を丹念に洗っている……。

 

 「お、おおっ!」

 鼻息が荒くなる。

 何ということだ!

 ずっと眺めていたい。


 「み、見るんじゃないわよ。この変態」

 小さな声でセシリーナが怒る。


 何という大胆な姿、しかし、それは顔が見えないゆえの天国だ。実は女兵士の中には蜥蜴人など人の基準で見てはいけない種族も混じっているのだ。

 

 「さては、隙間から見てるわね。」

 「ああっ、せっかくの……」

 「何がせっかくですか!」


 ぎしっ! 俺はがっしりと後ろからセシリーナに目をふさがれ、前を歩かされるハメになった。

 俺は妙に腰を引いた前かがみで歩く。


 「その変な格好はやめてほしいわ」

 後ろから声がささやく。


 「気にするな」

 突っ張りすぎて、ここで万が一ズボンを突き破ったら、替えのズボンはない。

 そういえばあの黒服の男の衣服をはぎ取ってくればよかったか。いやいや、そんな時間は無かったか。

 それにあのタイミングでセシリーナが駆け付けた時、黒服男のズボンを下げている途中だったりしたら、変態認定間違いなしだっただろう。


 カポーン、ジャバジャバ……

 魅惑の女湯の声

 

 「今のところ井戸に逃げたのは気付かれていないようだな」

 「そうね、これは平常の風景ね」


 神殿や基地はハチの巣をつついたような騒ぎになっているかと思っていたのだが、浴場の様子を見る限り、駐留軍の兵士たちには神殿での事件はまだ伝達されていないらしい。


 俺が覗いているのは、別に大胆にこっちを向いている裸を見たいわけじゃなくて、情報収集の一環なのだ。と内心自分を正当化する。


 神殿の奴らは、自分たちの不始末を他の部隊に知られたくないのだろう。だから兵士たちにはリサ王女がさらわれたことをまだ伝達していないのだ。そうでなければこんなにリラックスした光景は見られないはずだ。


 「だめ、まだ見ちゃだめよ。」

 柔らかなセシリーナの指先。


 相変わらず、すぐ横のスリットの方からは魅惑的な女の声が伝わってくる。


 「んーーーー」

 背中でリサが動いた。

 俺が変な格好をしているのでずり落ちそうになった。


 すぐにおんぶし直す。

 「!」

 その動きでセシリーナの指に隙間ができた。セシリーナは気づいていないようだ。俺はできるだけ頭を動かさず、視線だけをスリットに向けて歩く。


 ふふふふ……眼福、眼福。

 おおっ、なんと大胆な……


 でもこうして見てみると、どうやら魔族だから美女レベルが高い、スタイルが抜群だと言うわけではなさそうだ。裸になってみると顔も体も人族とさほど変わらない。やはりセシリーナが空前絶後の美女なのだ。


 俺は運が良い。つくづくそう思った。

 彼女がいなければ、こんなにスムーズに王女をさらうことはできなかっただろう。


 「もう大丈夫よ。」

 セシリーナの指がすっと離れた。


 「ああ、せっかくのお楽しみゾーンは終わった。終わってしまったのだよ」

 「何をあからさまにガッカリしているの?」

 「いや、別に……」

 引き返すわけにもいかないので俺は悶々としながら暗がりを進んだ。



 ーーーーーーーーーー


 リサは俺の背中ですーすーと寝ている。

 「なあ、リサは今年14歳と言っていたが、やっぱり何かの間違いじゃないか?」

 俺は前を行くセシリーナに言った。


 「神殿の管理情報を見たのよ。彼女が14歳というのは間違いないわ」

 「でもどう見ても14歳には見えない。こんなに小さくて軽いんだ。15歳で成人、結婚もできるんだぞ。いくら少女でももっと大人に近いはずだろ。それに精神年齢なんかずっと幼い気がするんだが?」


 「もしかするとそれも呪いかもしれないわよ。王女は……」


 そう言ってセシリーナが俺の方を振り返った瞬間、彼女の斜め上の壁で何かが光った。


 「危ない! セシリーナ!」

 俺はとっさに彼女を押し倒し、床に転がる。


 刹那、壁穴から凄まじい勢いで鋭い鉄杭が突き出した。

 トラップだ!

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