第32話 神殿からの脱出2

 こんな所に対侵入者用の罠が! まずい、刺される!

 鋭い槍のような鉄杭が左右の壁から突き出してクロスする。痛みや衝撃を覚悟した。

 ガッ! と一つ目の杭がぎりぎり俺を掠め、俺はセシリーナの頭を庇った。その頭上の床に杭が突き刺さった。ギリギリだ、危なかった!


 もう1つは、ーーーーリサの脇腹だ!

 「しまった!」

 血の気がひいた。リサが刺された? 下手に俺がセシリーナに覆い被さったせいで無防備になったリサが!


 「リサ!」


 「わたしは、大丈夫だよーー」

 むしろ俺の大声にびっくりした様子で、目をパチクリとして俺を見る。


 だが、間違いなくリサの腹部付近に杭が突き刺さっている。

 「大丈夫よ、ギリギリで止めたわ」

 焦る俺にセシリーナが言った。

 リサの脇腹にセシリーナが右腕を突き出し、その手首のところで杭の鋭い先端を受け止めていた。


 「大変だ! セシリーナ、腕が! 怪我を?」

 「大丈夫よ。カイン」

 そう言うとリサを庇いながら、杭からゆっくりと腕をそらす。抵抗が無くなった杭先が底石にガッと突き立って止まった。


 「ね?」

 セシリーナの手首の銀鱗がきらりと光った。彼女は両手首にだけ美しく輝く鱗がある。ちょっと見には神秘的な装飾の腕輪と見間違うほどだ。


 「ほら、鱗の表面が削れた程度よ。私たちの鱗はとても強靭なんだから、心配しないで」

 「本当か? 怪我していない?」

 俺はセシリーナの腕をそっと掴んで見た。どうやらどこにも傷はない。


 「そうか、ああ、びっくりした……。でも無事でよかったよ。心臓が止まるかと思った。リサを守ってくれてありがとう、感謝するよ、セシリーナ、君も無事でよかった……」


 押し倒したままの姿勢で彼女の頬を撫で思わず見惚れてしまう。やはり彼女は神レベルの美しさだ。

 セシリーナもなぜか俺を押しのけようともしないで、俺の瞳を見つめ、息を飲んでいる。


 「カイン……」


 俺の焼き印の呪いの効果、恋愛期間の短縮が発動してしまったのか、瞳の奥の奥まで見つめあっていると、互いに不思議な感情が湧き上がってくる。懐かしいような切ないような。深い霧の彼方、遥かな昔に出った二人が再び巡り合ったかのような、そのせいか二人は動けない。

 何かを言いかけて、セシリーナの唇が動いたような気がしたのは目の錯覚か。


 「カイン? どうしたのーー?」

 不思議そうなリサの声が聞こえた。


 だが、それでも二人は動こうとしない。


 「驚いたわ。下手をしたら自分が刺されていたかもしれないのに、私を庇ってくれたのね」

 何気なく横顔を見せて髪に振れる仕草に色気が漂う。その白い首筋に思わず吸いよせられそうになった。


 「確かに言われてみれば危なかったかな。でも仕方ない、そういう性分なんだ」

 目の前に彼女の艶やかな唇がある。


 「でもそれなら、リサを危険な目に遭わせないで、もっと上手にやってよね」

 「ごめん、とっさに守らなきゃって。あの瞬間は、君しか目に映っていなかった」


 「な、急になにを言うの?」

 その言葉にセシリーナの頬が薄桃色に染まった。


 「でもまあねそうね、身を挺して守ろうだなんて、人間にしては意外にやるじゃないの」

 俺を見つめる澄んだ瞳が震えるほど美しい。


 「惚れた女性は二度と失わない、そう誓ったんだ」

 思わず心の声が漏れた。言ってしまった俺も相当に恥ずかしい。睡眠不足のせいなのか、思考がどうもおかしい。

 照れ隠しにセシリーナの瞳を見つめ、ちょっと恰好をつけてみたが、目は血走っているかもしれない。


 「ほ、惚れたですって……」


 セシリーナが何か言いたげに口を開きかけたが、その言葉を飲み込むと、ようやく今の状況に気づいて、俺を押しのけた。


 「さあ、行きましょう。リサ、立てる?」

 「うん」

 リサは元気一杯だ。見ているだけで優しくなれる。

 セシリーナは何事もなかったかのように俺に背を向けたが、両手で頬を撫でる顔はどことなく嬉しそうだ。


 「リサ、俺の背に乗れ」

 「うん!」

 リサが元気よく飛び乗った。その様子を見てセシリーナが微笑む。


 二人とも昨晩から寝ていない。

 それが二人の胸を熱くする妙な雰囲気の原因なのかもしれない。セシリーナが俺を見る優しい視線に、思わず彼女が俺を意識している? と本気で勘違いしてしまいそうだ。


 「ーーーーところで、さっきのヤバイ感じのメイドは倒したのか?」


 話題を変えようとして、なぜかふいに脳裏に浮かんだのは、あの美少女だ。セシリーナ級の美しさでメイド服は破壊力が抜群だった。


 「神殿のメイドのこと? なんとかぎりぎりで勝てたって感じかしら。でも気絶させただけで殺してはいないわよ。殺すと姉妹のメイドたちが復讐に燃えて厄介な事になるかもしれないしね」


 「姉妹? あいつら姉妹だったのか?」


 「どこの部隊にも所属していない有名な3姉妹よ。蛇人族のメラドーザの娘たちでしょう? 年齢は私より年下で17歳くらいかな。恐ろしい暗黒術の使い手よ」


 「メラドーザの娘? 有名なのか? 蛇人族か、蛇には見えなかったな」


 「人の領域を超えたレベルの強さ、という噂よ。魔王の結界が張られた神殿では姉妹が得意な暗黒術は禁忌で使えないし、彼女がまともな武器を持っていなかったから、何とか勝ったけど、暗黒術を使われたら勝てる見込みはゼロね。怒らく彼女らに対抗できるのは高次の光術師か大魔女様かってとこかしら。それと蛇人族は蛇神を信仰する魔族の一支族よ、別に蛇の姿をしているわけじゃないの」


 「そうか。蛇人族というから正体は蛇なのかと思ったけど違うんだな。それに暗黒術っていう魔法も初めて聞いたな。闇魔法と違うのか?」


 「聖に対する闇、光に対する暗黒よ。闇魔法の上位互換みたいな性質よ。光術の使い手がめったに生まれないように暗黒術を使える者も少ない。それだけに帝国軍の中でも一目置かれている。それに何と言ってもあの美貌とスタイルでしょう? 美しさでも伝説級の姉妹なのよ。まあ、めったに人前に姿を見せないから、実際に見たことのある者は少なくて、兵たちの間に噂が広まっているだけのようだけどね」

 美女姉妹か。セシリーナに匹敵する美少女とは何と言うハイレベルな話なのか。


 「暗黒術つて、どんな術なんだ? イメージからすると、死霊系とかなんだけど」


 「死霊系は得意でしょうね。死人召喚とか、それと属性破壊とかが良く知られているわ。闇術はそこにある死体を操作するだけだけど、暗黒術は死体がなくても深淵の縁から何人でも呼び出すことができる。へたをしたら一度に百人や千人単位でね。だから暗黒術師一人で帝国の精鋭千人にも匹敵すると言われるの。属性破壊の方は、武器等の属性を無力化する闇術と違って、本質的な人族とか魔人族としての特徴を破壊するものよ。人の思考能力とか、魔族の魔力とか。もちろん認識阻害とか、人の意識を変えるような精神操作系の高等闇術も使うわ」


 「人の意識を変える? それは怖いな」


 「そうね。だから美しいと言っても嫌われてるし、恐れられる存在なの、誰もが腫れ物を触るように扱うし、特別視している。ある意味可哀想かもね。何となくわかる気がするわ」




 ーーやがて先の方から水が落下する音が響いてきた。それが次第に大きくなる。


 「出口が近くなってきたな。そろそろ用心しよう」

 「そうね」

 薄闇の中に鉄格子が見えてきた。その先には月明かりがさしている。


 「うわあ、もう夜になっていたんだな。眠いはずだよ。ーーーーおっ、どうやらこの外も堀らしいぞ」


 「入った地点とはだいぶ場所が異なるけどね。ここは神殿敷地の南東の角付近、浴場を通り過ぎてる。カインが入ってきたという塀の亀裂はずっと北の方だから、少し隠れながら進む必要があるわね。ここから出ても大丈夫かしら?」


 「ちょっと距離があるけど行けるよ。セシリーナがいればね」


 「わかった」

 うなづいて、セシリーナが鉄格子を外し始めた。



 ーーーー俺たちは月夜の庭園に出た。いくつかの園路を横切って薬草園に足を踏み入れた。


 「ここは急いだ方がいいわ。この辺りには魔犬が多く放たれているから、どこから襲われるか分からない。気が付いたら首が宙を飛んでいたなんてことになりかねないわ」と嫌なことを言う。


 「急ぎ足で、慎重に行くぞ」


 「ええ、静かに行きましょう。やつらは音や匂いに敏感だから。そう言えば今はこっちが風上ね、臭いにも気をつけないと……」


 「そうだな。よいしょ」

 俺は眠っているリサを抱え直すため、下腹に力を入れた。



 ぷすう…………!



 やっちまった。

 周囲に猛烈な悪臭が立ち上る。力んだら思わず漏れてしまった。鼻をつまんで俺を見るセシリーナの眉間に皺が。


 ギャウワッ!!


 突然茂みを割いて魔犬が飛びかかってきた。

 銀の光が一閃し、セシリーナが叫ぶ。

 「早く走って! まだ来るわよ。魔犬に気付かれたわ! カインのが強烈すぎたのよ!」


 「す、すまんっ!」


 俺たちは一目散に逃げる。


 もはや、目立つとかうるさいとかは無視だ。とにかく息が切れても走るしかない。


 ガウッ!

 ガウッ、ガウッ!

 今は俺のケツに噛みつこうとしている魔犬から逃げるのに必死だ。幸い、屁が漏れると鼻の良いやつらは数歩下がって躊躇ちゅうちょする。


 リズムカルに屁を撒き散らしながら走る。これは、かなりカッコ悪い。彼女の前で見せていい姿じゃない。


 「ガ、ガスもれだ! 止まらない! なぜだーーーー!」


 「何やってるんですかっ! お昼に食べたあれのせいですよ! あの薬草です! あれはお腹の張りを直す作用があるんです! 外にガスを出すんです!」


 「こんな時にちょうど効き目が出てきたのかよっ!」


 ぷう~。ぶりっ!

 必死に逃げる屁男。追う魔犬。


 「カイン! 今、変な音が混ざった気がしたけど? まさか、本物が漏れたのでは?」

 セシリーナが息を弾ませて俺を横目で睨む。


 「何も言うな! ほあら、あそこだ! あの岩の後ろ、あそこに、あの隙間に裂け目があるんだ!」と俺は少し涙目で叫んだ。


 二人とも狭い岩の隙間に素早く身体を入れる。


 さらに壁に開いた亀裂だ。一旦リサをセシリーナに預け、壁の向こうに出てから引き取る。続いてセシリーナが壁の亀裂に潜り込む。


 岩の隙間の向こうでは入ってこられない魔犬が吠えている。そのせいで寝ていたリサが今頃になって目を覚した。リサを瓦礫の上に座らせて、汚れた埃を払う。


 「あ!」

 セシリーナが壁の途中で止まって、短く声を上げた。


 「どうしたんだ?」

 「お尻が、お尻がひっかかっちゃった」

 んぐ、んぐ、と力を入れるが大きなお尻が変な角度で裂け目を塞いでいる。


 「ひっぱっても痛いだけだよな」

 俺は冷静に状況を分析する。

 腰から下が目一杯穴に詰まっている。


 「ちょっと待ってな」

 俺は壁の隙間に手を入れてみる。


 もぞもぞ……もぞもぞ……


 「カイン、変な所を触ってる、あっ!」

 セシリーナが妙な声を漏らす。


 「ここの太い針金が内股に食い込んで、ひっかかってるんだな……ちょっとお尻を引いて、太ももをもっと、そうだな両足を外に開いてみてくれないか?」

 「こうですか? って、恥ずかしいわ!」

 セシリーナの顔が赤くなった。


 「あった、ここだ、奥に丸まった針金の先端がある。ここだな?」

 くいくい……と指を曲げた。


 「あっ、カイン、ダメ!」

 「変な風に股間に食い込んでいるな、ちょっと我慢するんだぞ。ここをこう捻じ曲げれば……」

 「ゆ、指、そんなところに指はダメっ! あっ、そこ、針金、あ、当たってる! ん! そこ、えぐっちゃだめぇーーッ! ひゃ…んッ!」

 セシリーナが頬を染め、色っぽい声で震えた。


 ボキッ、と針金が折れた。

 その瞬間、壁の隙間のへりにひびが走る。

 ボン! と土煙が舞い上がり、粉塵と一緒にセシリーナがどっと俺の上に倒れてきた。


 頬に柔らかい彼女の唇が触れ、俺はセシリーナを抱きかかえるように転倒した。意外に軽いが抱き心地最高の充実した体だ。

 俺の手から針金がカランと落ちた。


 「大丈夫か? どこも怪我していない?」

 「…………ええ、だ、大丈夫です」

 俺の首に腕をまわして抱きついてきたセシリーナの顔は真っ赤だ。セシリーナは俺の頭を抱きかかえるように、ちょっとだけ身を起こした。


 「……惚れたなんて言葉を面と向かって言う人、ーーーーカインって本当に変な人ですよね……」

 俺も彼女の細い腰に手をまわした。

 抱き寄せて離さない。


 見つめあう二人。

 セシリーナの胸がほわほわで、なんとも言えない温かさが伝わってくる。その紅色の唇が近づいてきた……。


 「おーにい、わたしもーあそぶー」

 リサがそんな二人を覗きこんだ。


 「あっ!」

 二人は飛びのいた。


 急に冷静になったセシリーナは土埃をはらう。


 「リサの教育に悪いわ……今日はここまでです!」

 「そ、そうだな……ん? ーーーー今日はここまでって、どういう意味だ?」

 「…………」

 セシリーナは何も言わず後ろを向いてリサを片手で抱き上げた。


 「さあ、どこへ行けばいいのかしら?」

 そして、振り返ったのはまるで月の女神だ。


 微笑みながら差し出された白い手、青い髪が月に照らされ微笑むその姿……俺はこの瞬間本当に理解した。


 愛人眷属なんて束縛の仕方は嫌だ。俺は対等な存在として本当に彼女のことが好きになっていたのだ。

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