第33話 赤い月夜

 囚人の街が月明かりに沈んでいた。


 二人は瓦礫や廃屋の影から影へと移動している。素早く走り、影でひそむ、この繰り返しは正直キツい。スクワットの連続みたいなもんだ。しかも、走るには相性最悪の長靴が重い。


 「まもなく広場が見えてくるわ。これから、どこに行くの? 兵に見つかるとまずいわよ」


 「ナーヴォザスという元神官の隠れ家に向かう。リサの救出を依頼した爺いだよ。はぁ、はぁ……」


 あいつのせいでひどい目に……、いやそうでもないか。セシリーナに出会えたしな。それに、早くこの手の平の蜘蛛の呪いを消してもらわねば。


 「この先は巡回兵も多いよな。気をつけて行こう。はぁはぁ……」

 息が上がっている。背中が重い。そこにはまた眠ってしまったリサがいる。落とさないように、起こさないように、と気を使うので、変に体力を消耗する。


 「ええ、特にこの時間帯は、囚人は行動禁止よ、通りをうろうろしていたら何もしていなくても捕まる可能性があるわ」


 そうだった。深夜に囚人が街中をうろつくことは好ましくないらしい。そのためこの時間は巡回兵やモドキくらいしか街を歩いていない。見つかったら色々と厄介だ。


 それにしても今夜は月が妙に赤い。街は異常に蒸し暑く、どこか暗い雰囲気が漂う。そしてなぜか胸がざわつく。


 「なぁ、街の様子が何か変だと思わないか? どう思う? 俺の気のせいか?」


 リサ王女を救出してここまで戻って来れたという高揚感か、それとも、睡眠不足のせいなのか、感覚がおかしい。でもやはり何か街の気配が違う。異質な気配に触れて心臓が早くなる。ざわついて嫌な感じだ。


 「ええ、確かに妙だわ。いつもと雰囲気が違う。大気に殺気が混じっているというか、おかしな気配がするわ」

 セシリーナも同じだったらしい。くんくんと鼻を鳴らしている。


 「ほら、風に混じって嫌な臭いがしない? 青臭いみたいな」

 「そうだな、そういえば何か変に生臭いような気もするな。この臭い、ついこの間までよく嗅いだような……」

 そこまで言って、気づいた。


 「これは魔物の匂いじゃないか?」


 そう、この獣のような臭い、これは重犯罪人地区に流れていた臭いだ! 腐臭漂う幽鬼や魔獣の体臭が入り混じった、嘔吐を誘うような強烈な生臭さである。


 その時、遠くの市街地跡で複数の灯りが揺らめいた。


 「何だ? 何かが起きているぞ」

 同時に怒鳴るような人の声が聞こえてくる。既に深夜である。この時間に人が叫んでいるとはやはりおかしい。


 リサは俺の背中で寝息を立てている。

 段々と喧噪は大きくなっているようだ。


 「あっ、軍笛が鳴った! 今聞こえたでしょ? あの鳴り方、あれは緊急を知らせる合図よ」

 セシリーナが壊れた壁の隙間から様子を伺う。


 「俺たちを探しているのか?」


 「それだけじゃないと思うわ。足音が多いし、かなりの兵が出ているみたいね。反乱でも起きたのかしら? 通りの向こう側の方よ」

 街角の壁から騒々しい音の方を覗いたが、こう暗くては何が起きているか良く分からない。身を乗り出して目を細める。


 その時、闇の中に赤い光が生じた。街の一角から不意に火の手が上がったのだ。


 「何だ? 火事? 暴動か?」

 火に照らされ、槍を手にした帝国兵が駆けまわっているのが見えた。


 瓦礫が崩れ、火だるまになった帝国兵が転がり出てくる。その後に幽鬼のような人の影がわらわらと出てきた。それと共に魔獣の群れが路上に飛び出し、逃げまどう帝国兵を後ろから襲った。

 

 「あれは人間くずれと魔獣よ! 人間くずれが東から侵入したんだわ! 見て、しかも一匹や二匹じゃないわ」


 「人間くずれだって? あいつらかよ」

 あれは幽鬼型の奴だ。特殊能力で影に潜むが、動きは遅い方なので獣化型よりはましだ。獣化した奴だったら一匹でも出くわすのはまずい。


 「これまで1年以上も人間くずれの侵入は無かったのよ。なぜ今日、このタイミングなのかしら」

 セシリーナは辺りを見回している。

 本当に、何でこうも次から次へと問題が発生するんだ? 心が落ち着く暇もない、と思ったものの、脱獄を考えているような囚人が落ちつけるわけなどないのだ。


 「まずいな、この辺りにはかなりの数のモドキがいたぞ。あれも魔物化するぞ」

 「頭を引っ込めて! 隠れて、軍の増援部隊が来たわ」

 セシリーナがぐいっと俺を物陰に引き入れた。


 廃屋の影に俺が隠れた直後、目の前を帝国兵の一団が隊列を組んで走って行った。危なかった、気づいていなかった。

 

 「魔族は闇の中でも目が効く方だけど、幽鬼は視覚に頼らない奴が多いから夜は不利よ。いくら武器や防具で勝っていても鎮圧するにはそれなりの被害が出るわ」

 「ここにいてもしょうがない、危険だが少しずつ進むぞ」

 俺はナーヴォザスの家の方角を確認した。


 「隠れ家はあっちだ」

 「向こうなの? ちょうど人間くずれが発生している場所を横切ることになるわよ、ちょっと危険じゃない?」

 「と言っても、他の道なんか知らないし、仕方がないだろ?」


 そう言って振り返った俺は硬直した。

 俺の目に、セシリーナの背後に忍び寄る不気味な影が映る。骨の露出した手がセシリーナに伸びている。


 「!」

 ただれた皮膚に溶け落ちて穴になった眼孔、肉を引きずって歩くその姿。重犯罪人区画でよく見かけた姿である。


 歩く死人型の人間くずれ! 獣化した奴に比べると動きが遅いので俺の中での危険度は少し低いが、その力の強さは馬鹿にできない。

 

 「危ない!」

 俺はリサを背中から滑りおろし、そいつに全力で体当たりしていた。


 「カイン!」

 振り返ったセシリーナの目に腐った肉体と一緒に瓦礫の上を転がる俺の姿が映る。

 瞬時に何がおきたか理解したセシリーナの手に矢が光った。


 俺は骨棍棒を手に立ち上がって、二人を守る。


 シュッ! 風を切る音がした。

 開いた俺のガニ股の間から放たれた矢が、そいつの脳天に突き立つ。同時に、パン! と乾いた音がしてそいつの頭が爆散した。


 「聖なる矢の威力よ!」

 セシリーナは弓を手にしている。帝国軍仕様の魔法収納でとっさに弓を出せるのは便利だ。


 「逃げるぞ、リサを背中に乗せてくれ」


 「どーしたのーー?」

 セシリーナに手伝ってもらい、寝ぼけているリサを再度おんぶする。


 「カイン、さっきはありがとう」

 セシリーナが隣で微笑んだ。月明りに浮かぶその柔和な笑みが俺の心を鷲掴みにして離さない。本当に彼女はきれいだ。


 炎が燃え広がり、建物がガラガラと音を立てて崩れ、魔獣が近くで吠えた。


 「ここも危ない。走ろう」

 「ええ」

 二人は目を見つめあってうなずく。


 大通りを横切ると、白亜の大オベリスクが炎に照らされて燃えるように闇夜に浮かんでいた。

 砦の前では次々と出撃する兵士たちの動きが慌ただしい。その中には今まで見たことがない姿の者もいる。魔法を使う部隊や屈強な亜人種の部隊だろう。サンドラットの話では、めったに囚人の前には姿を見せない帝国軍の切り札とも呼べる連中らしい。


 「!」

 それを見た俺の足が止まる。


 「どうしたの? 立ち止まらないで! 危険よ」

 

 俺の目は、広場に待機中の帝国兵の一角に釘付けになってしまった。ーーーー鬼面の黒服の連中、あいつらだ。鬼面の奴が何人もいる。

 

 「カイン! さあ、今は走るのよ!」

 俺の手を強引に引っ張って、セシリーナが叫んだ。

 

 「ご、ごめん、ちょっと気を取られた!」

 俺は奴らを忘れない。獣化の病を治す手がかりを奴らなら知っているかもしれないのだ。


 二人は燃える街を抜けて走る。

 俺の長靴の音が妙に響く。


 旧市街地の方はと見ると、逃げ惑う囚人たちと帝国兵、それに襲いかかる人間くずれとモドキの群れで既に阿鼻叫喚だ。

 先に戦闘に参加していた帝国兵は戦意を喪失して一旦撤退するようだ。

 

 逃げる帝国兵を追って、より危険な野獣化した人間くずれが侵入してくる。


 獣型の奴が群がって一斉に帝国兵に襲い掛かり、続けて足の遅い幽鬼型の集団がさらに現れ、まだ生きている者を襲撃していく。

 獣型が突撃して敵の抵抗を排除し、幽鬼型が一帯を蹂躙する、そんな役割分担をしているようにも感じられる。


 「おかしい、この人間くずれ、凄く統制がとれている。もしかすると群れにリーダーが発生したのかもしれないわ」

 セシリーナもあれを見て同じように思ったらしい。


 「リーダーだって? 人間くずれに?」

 「そういった存在の発生はだいぶ前から予測はされていたの。でも今まで確認された実例はないわ」


 野獣化した人間くずれが逃げ遅れた囚人を食い漁っているのが見える。その血の匂いが風に乗って流れてくる。


 ふと気配を感じて、道向かいの屋根の上を見た。

 廃墟の屋根の頂きで月の光を浴びながら一匹の銀狼が周囲を見回していた。


 「あれに気付かれるとヤバそうだな」

 幸いこっちは風下だ。


 「あの建物の影に入りましょう」

 「そうだな」

 俺たちは人間くずれが反対側の帝国兵を追うのを確認し、隙を見て駆けだす。


 「ひぃーーーー! 助けてくれ!」

 角を曲がったとたん、子ども連れの男が俺の前に現れた! その後ろには歩く死人型の奴が掴みかかろうとしている。


 「逃げろっ! 早く!」

 叫んで、俺は片手で骨棍棒でそいつの頭部を横殴りした。


 ボッンと、脆い頭部が爆砕した。

 こいつらだったら何度もエチアと一緒に倒している。頭さえ破壊すれば、もう動くことはない。


 「あっ!」

 その建物の影に入った途端、今度はセシリーナが転倒した。その足首を横たわるモドキが掴んでいる。


 モドキがセシリーナの片足を掴んで這い上がってくる。そのおぞましさにセシリーナが固まった。


 「こいつ! その手を離せ!」

 俺はモドキの頭を思い切り蹴っ飛ばした。


 ぽわわんと中身の無い音がしてモドキの頭が左右に振れる。もう一度蹴っ飛ばすとモドキは手を離し、ひっくり返って手足をバタつかせた。


 「怪我は無い? 立てるかい?」

 「ありがとう。カイン」

 素直に俺の手を取ってセシリーナが立つ。


 俺が手を差し出すことを前もってわかっていたかのような自然な動き。

 二人はいつの間にか息ぴったりだ。互いに何を思っているか分かる、そんな不思議な感覚を覚える。これも俺の加護の影響だろうか。


 二人はすぐに次の瓦礫へと移動したが、数匹の野獣型の人間くずれがこっちに駆けてくるのが見えた。既に俺たちに気づいているようだ。

 さらに動きは遅いが、その後ろからモドキまで追随してくる。そいつらにもいつもと違う敵意が目に宿っている。


 「はぁ、はぁ……、ここにいるとヤバい。さっきのモドキが人間くずれを呼び寄せたのかもしれない!」

 俺の目を見てセシリーナがうなづく。逃げ場はない。次に隠れられそうな場所に行くには道路を横切る必要がある。


 「ヤバい!」


 獣化した奴一匹でも勝ち目はなさそうなのに、あの数だ。だが、俺たちには逃げ場がない。せめて瓦礫を背にして背後から奇襲されないようにするのがせいぜいだ。


 「セシリーナ」

 「わかってるわ」

 セシリーナの目を見て、勇気を奮い起こす。

 獣型とは言え、トムほどの体格ではない。


 俺は骨棍棒を握り締め、隣でセシリーナが矢をつがえた。彼女の弓と戦闘力が頼りだ。男としては情けないがそれが現実だ。矢が間に合わなかった奴は俺が食い止める。その隙に二射、三射と射てもらうしかない。


 「くるぞ!」

 「最初の一匹は確実に仕留めるわ!」

 セシリーナがぎりぎりっと矢を引き絞った。獣型の奴が三匹、モドキが四体である。


 「撃つわ!」

 その時、どこからともなく狼の遠吠えが聞こえた。


 「!」

 その途端、俺たちに迫っていた野獣と人間モドキが急に方向を変えた。何だかよくわからないが、幸運が微笑んだようだ。


 見ると、通りの奥から帝国兵の集団が接近している。奴らはその帝国兵にターゲットを変えたのだ。

 

 「今のうちだ。また見つかる前に走るぞ」

 「ええ」

 俺たちは走り出した。遠くから俺を見るような視線を一瞬感じたが、今はそれが敵かどうか確認している暇もない。


 今度は足元や物影にも注意を払う。


 やはり死角になる瓦礫の影にモドキが潜んでいたりするが、幸い人間くずれには会わない。

 角を曲がるたびに緊張が走る。出会い頭に野獣型の人間くずれと会ったりしたらヤバいのだ。


 獲物を追って四方に散った人間くずれに対して、帝国兵は戦力を集中させ始めている。次々と部隊を繰り出し、人間くずれたちを次第に制圧しつつあるようだ。

 

 それに、やはり魔法攻撃は強力だ。一撃で数体の獣型の人間くずれを焼き殺している。亜人兵も強い、人の背丈ほどもある大剣を片手で軽々と振るって幽鬼を切り裂いていく。


 あれなら夜が明ける前までには人間くずれを一掃するかもしれない。


 鬼面の影は集団で何かを追っているような動きをしている。獰猛な野獣型の人間くずれが何匹も誰がを守ろうとしているようだ。そいつらに襲い掛かり、相討ちになったりしている。


 ーーーーーーーーーー


 「あそこだ! あの瓦礫の下に扉がある!」

 俺たちは瓦礫の陰に滑りこんだ。

 すぐに蓋を動かし、縄梯子を降ろす。


 「先に入ってくれ」

 セシリーナを守って先に行かせる。


 「リサを頼む、手がとどくか? リサ、動くなよ」

 「うん」


 「大丈夫よ! そのまま離して! リサ、怖くないからね、キャッチするわ」

 地面に這いつくばって、できるだけ手渡しになるように、まだ少し寝ぼけているリサをセシリーナに向けて降ろす。

 俺の手から離れたリサをセシリーナが受け止めた。


 「カインも早く!」

 彼女の急かせる声がした。

 「おう!」

 俺もすぐさまさっそうと縄を伝ってセシリーナの元へ、と思ったら足がもつれた。あまりのことに驚くセシリーナとリサの目の前に、尻を逆さに俺は落ちた……。

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