第34話 リサの呪い

 「なんだかとても静かね、本当にその元神官がこんな所にいるの?」

 「外よりも暗いねーーっ」

 「手を離しちゃだめよ」

 リサの手をひいてセシリーナが後に続く。


 周囲の壁には所々に光コケが生えているので真っ暗というわけではなく、さすがに足元は見えないが、落ちて来た石などはきれいに片付けられているのでひっかかって転ぶこともない。


 「今は夜中だからな。たぶんもう寝ているんだろ」

 俺は首や肩を回してゴキゴキ音を立てた。頭のタンコブがじんじんと痛い。


 「本当にここが家なの? こんな下水に住んでる人がいるの?」


 「もちろんだ、穴熊族だからな」

 確かに静まり返っている。まさか既に帝国に見つかって捕らえられたとか、殺されたというわけではないだろう。空気は淀んでいるが、血の匂いはしない。


 やがて正面にうっすらと人工の光が灯っているのが見えてきた。


 その光の向こうに熊が座っていた。


 違う、穴熊族の神官ナーヴォザスが何かを飲みながら俺を待っていた。流石は元神官だ、こんな時間なのに俺が戻ってくるのをお見通しだったのだろうか?


 「おおう?」と、ナーヴォザスは俺の顔を見るなりかなり驚いて目を剥いた。


 「お、お主、生きておったのか?」


 ……どうやらお見通しではなかったようだな。その言葉からすると奴の頭の中では既に俺は死んでいたらしい。


 ふと見るとナーヴォザスのベッドから足が出ている。

 生っちょろい素足……女だ。

 女が寝がえりをうつと、こぶりな丸い裸の尻が見えた。


 「こ、これは何でもない。別に気にするな」

 ナーヴォザスは慌てて、布で尻を覆い隠す。


 「人が苦労していた時に! このじじい! 神官のくせにさてはお楽しみだったのか! それに、地上では人間くずれが出て大変なことになっているんだぞ」


 「元じゃ、元神官じゃ! わしだってまだまだ、穴熊族の血筋を絶やすまいとな」


 「んーうるさいわねぇ」と熊が起きた。

 いや、失礼、穴熊族の女だった。その女は布を胸に巻きつけると目をぱちぱちさせた。


 「リ、リサ王女様!」

 その目が大きくなる。

 まるで好物の蜂の巣を見つけた雌熊のようだ。


 「なんじゃと、おおう! そのお方は確かにリサ王女様じゃ!」


 ナーヴォザスが木霊のように繰り返した。今まで全然気づかなかったらしい。やはりこいつの目は節穴だ。


 「!」

 だが、次の瞬間、二人の穴熊族は凍りついた。


 「な、なぜ、ここに魔族が……」

 「カイン、貴様、まさか裏切りおったのか!?」

 ナーヴォザスの手が机の下にあった戦斧に伸びた。


 「ま…」

 待て! と俺が叫ぶ前に、セシリーナが素早く片膝をついて頭を下げていた。


 「これは驚かせてしまいました。私はセシリーナ、マスターのカイン様に身も心も捧げる愛人眷属です。これをご覧ください」


 そう言って額の髪を上げた。

 そこにはあの紋が浮かんでいる。青い線、半分青で半分赤い線、そして赤い線である。何となく前に見た時より青の割合が多いような気がする。


 「なんじゃと、こいつの愛人眷属じゃと?」

 ぽかんと口を開けたままのナーヴォザスのまぬけ面。


 「へぇ、あなた凄いじゃない?」

 ナーヴォザスの彼女が口を開いた。


 「リサ王女を救い出し、しかも敵の魔族まで従者にしてしまうなんて。信じられない!」

 「お、おう、そうか、そうじゃったのか。ふむふむ」

 ナーヴォザスが彼女の前でカッコつけてうなづく。


 「本当に驚くべきことじゃな。その面で、これほどの魔族の美女をものにするとはな。その顔でだぞ? よくもまあその顔で、こんな物凄い美女を……」


 「おい、突っ込むところがちょっと違うんじゃないか、ナーヴォザス? 俺は依頼どおり、こうして王女を救出したんだぞ?」

 俺は手を開いて蜘蛛の印を見せた。

 


 ーーーーーーーーーー


 「おっと、そうじゃったな。だがその印を消すのは後回しじゃ、それよりも王女様じゃ!」

 ナーヴォザスたちがリサ王女の前に膝をつく。


 「リサ・ルミカミアーナ様! ルミカミア・モナス・ゴイ王国の元王国神官の一人ナーヴォザスと、同じく元神官の妻のバルカでございます」

 二人は深々と頭を下げた。


 「おーにー。このひと、だーれ?」

 リサが俺の服を引っ張る。


 「!」

 二人がはっとして、その顔が暗くなった。


 「どうした? ナーヴォザス」


 「リサ様のこのお姿、そういえば5年前にお見かけした時そのままじゃ。しかも、その話しぶり、5年前の方がよっぽど大人びておられた」


 「やはり、そうですか」とセシリーナがうなずいた。


 「?」

 わからないのは俺だけらしい。


 「んー。説明してくれないか? 何がなんだかわからない」


 「この指輪じゃな」

 「この指輪ね」

 ナーヴォザスとバルカはリサ王女の指にはめられた黒い指輪を見た。


 「呪いじゃな。バルカ、何かわかるか?」

 ナーヴォザスがバルカを見てつぶやく。


 「邪悪な呪い、二つもね。おそらく、肉体の時間停止の呪いと時間とともに精神年齢を逆行させる呪いよ。この指輪の呪いは精神年齢逆行の方ね」

 バルカがいつの間にか杖を手にして魔法を使っていた。 


 指輪に触れないように、丸い拡大鏡のようなものを空中に浮かべて観察している。二人の様子を見ていると、実はバルカの方がナーヴォザスより優秀なのでは? と思えてくる。


 「どうじゃな?」

 ニタァと笑う穴熊族がいる。俺の妻がいかに優秀かわかったかという感じで鼻息が荒い。別にお前の手柄じゃないだろうに。


 「と言うことは、まもなく14歳になるはずのリサ王女は、肉体は9歳のままで、精神年齢は9歳から何歳か逆行しているということなのね?」

 セシリーナがバルカに尋ねた。


 「ひどい呪いだわ。こんなことをする目的に心当たりは?」

 バルカが指輪に刷毛で何か薬を塗り始めた。

 しゅうしゅうと煙が立ち上る。


 「ああ、嫌な話になるが、魔王が儀式の生贄にするために、時が満ちるまで生かしていたらしい」

 「おぞましいな」

 ナーヴォザスがつぶやいた。


 「解呪はできるのか? 元神官だろ」


 「今、バルカが聖水を使っているが、かなり強力な呪いのようじゃ。精神年齢逆行の指輪の効果は破壊可能じゃが、肉体時間停止の方はここでは無理だな。アーヴュス神殿か、アプディロア神殿で大規模な解呪の儀式を行わないと……、解呪した瞬間に肉体の再構成が暴走して、ボン! 肉の塊の出来上がりじゃ」


 「何と恐ろしい、下手な事をすると死んじゃうって事か」


 「ええ、そんな大規模儀式が可能な神殿なんて、今の中央大陸に残っているはずがないしねえ」

 バルカが思案顔で指を噛んだ。


 「東の大陸まで連れて行かないとならないということか?」

 「それができれば解呪は可能じゃろうが、むしろ今は海を渡ることこそ難題じゃろうな」

 ナーヴォザスが顔をしかめた。


 「アパカ山脈には神殿があるらしいわよ……」

 セシリーナがポツリと言った。


 「?」


 ふたりが振り向く。俺には何の事かさっぱりわからない。


 「アパカ山脈じゃと。あそこら一帯の神殿は一番初めに魔王に消されたはずじゃが?」

 ナーヴォザスがぶるっと身を震わせた。

 寒い、雪に覆われた高山を思い出したのだ。


 「呪いを調べていた時にね、アパカ山麓出身の囚人から噂を聞いたのよ。山奥の少数民族の国では、帝国軍も神殿を完全破壊するまでには至らなくて神殿がある街ごと強引に封印したらしいわ。そのアプデェロア大神殿でならリサの呪いも何とかなるかもしれないわ」

 

 「おお、それは希望じゃ! なあ、カインよ! これでリサ王女の呪いが解けるぞ!」

 眼を輝かせてナーヴォザスが俺を見る。その顔には期待の色が浮かんでいた。


 「カイン、頑張って頂戴ね!」

 バルカが俺の手を取った。

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