第356話 サティナからの便り
「セシリーナ! サティナさんから手紙が参りましたよ」
向い側の回廊をパタパタとスカートを握って走ってくるのはリサ女王である。行き交う女官や衛兵たちがその様子に目を丸くして立ち止まった。
「リサったらもう」
女王らしくもないその姿にセシリーナも思わず苦笑した。
「ほら、ほら、見てよ!」
リサが頭上で手紙を振るとセシリーナはニコっと笑って片手を上げた。
べランダのテーブルに座り、庭園で遊ぶ男の子を見ていたセシリーナの姿は神話を描いた絵画のように美しい。
「サティナ姫からですか?」
「ええ。ねえ、一緒に読みましょうよ!」
リサがセシリーナの隣にイスを持ってきた。
その時、泥まみれの手をズボンで拭きながら、男の子が立ち上がった。
「母上、セ・リリーナが来た! 一緒に遊んでくる!」
男の子は庭の向こうの通路を歩く3人を目ざとく見つけたようだ。
見ると、リィル夫妻が娘の手を引いてこっちにやってくる所だ。
「クリスティア! 遠くに行っちゃだめよ」
「わかった!」
クリスティアはわずか3歳の子どもとは思えぬ身軽さで駆けていく。もしかすると本当に勇者の素質があるのかもしれない。
「早く開けましょう」
リサがわくわくしながら、テーブルの上に手紙を載せた。
表面に光が塗されているのではないかと思えるほど美しい書面が花開くように開くと、サティナの像が浮かび上がった。
相変わらずというか、近頃はますます美しい大人の女性になられている。その女神のような美しい顔を見ただけでも幸せになれそうだ。
「お久しぶりです。リサ女王、みんなお元気でしょうか? このたび、ルミカーナからの手紙を受け、急ぎ筆を取りました」
ルミカーナはルップルップと共に今もカイン捜索隊を率いて各地を歩き回って情報を集めている。今頃はアパカ山脈のダブライドの街あたりで新たに見つかった“泣き叫ぶ洞窟”とやらを調査しているはずだが、サティナとは手紙でこまめに連絡を取っているようだ。
真魔王国が開発を進めている転移門もだいぶ実用性が高くなってきたが一度の使用で消費する魔力量が半端ないため未だに気軽には使えないのである。
「3年前に宣言したリサの婚約者について、そちらのリ・ゴイ国議会で、再度選び直すべきだという声が上がっているとお聞きしました……」
手紙の中のサティナは話し始めた。
あれから3年、美しい大人の女性に成長したリサは18歳になっている。
有能な人材が集まったリ・ゴイ国は今やかつての王国以上の繁栄を見せていたが、国が大きくなって政情が安定してくると、今度は王家存続に関する議論が高まってきたのである。
先の大戦で元王国の王族はリサを除いて根絶やしにされたため、現在王家には女王リサがただ一人である。
王家の存続のためにも、成人になったリサ女王には早く世継ぎを産んで欲しい、というのが議員たちの一致した願いとなっていた。
そのため、いつまでたっても姿を見せない婚約者に苛立ちを訴え始める者が多くなってきたのである。
しかも、婚約者がいると知って諦めていた者たちもこの情勢の変化に勢いづいてきた。
リサ女王の美しさも相まって、求婚する貴族や他国の王族の男たちが日々王宮の門を叩くのである。
それに、ドメナス王国と違い、リ・ゴイ国では女王は一夫制であると宣言していない事も影響が大きい。婚約者のカインが現れないなら、第二夫、第三夫を選び、世継ぎを産んでもらえば良いのではないかという議論まで出る始末なのである。
サティナはその情勢を憂い、手紙の最後で、リサたちをドメナス王国に招待することを提案してくれた。
「一旦、国を離れて時間を稼ぐということですね」
セシリーナがリサを見た。
「それも一つの案かもしれないけれど。女王が逃げ出すみたいで、どうなのかしら」
リサが良く手入れされた庭園を眺めた。そこには何か思い入れがあるのか、薬草が多いのが特徴だ。
「どうしたんです、お二人とも? 少し空気が重いですよ」
そこに微笑みを浮かべたリィル夫妻が現れた。
「女王陛下、お久しぶりです」
クリウスが拝礼した。
「ここでは畏まらなくていいわ。堅苦しい挨拶はなしでいいのよ」
「それにしてもクリスティア様は手が早いですね。まさにカインの子ですよ。あの歳でセ・リリーナが早くも恋人にされてしまいそうなのです」
無邪気に遊んでいる二人を眺めながらリィルが笑った。
もちろん冗談なのだろうが、カインのやらかし遺伝子を濃厚に引き継いでいるとしたら、ありえなくもない。
「それで? どうなさったのですか?」
リィルは相変わらず鋭い。
リサの微妙な不安に気づいているようだ。
「ええ、今回の議会での例の提案の件です。サティナが心配して、自分の国に遊びに来たらどうかという提案をしてくれたのです」
セシリーナがリィルを見上げた。
「はあ、やっぱり、そんな事ですか。議会でそういう話になったというのは単なる噂ではなかったのですね?」
リィルは肩をすくめた。
「候補者選びを1カ月後に行うそうです」
リサがうつむいた。
「望んでいない相手を夫になんて、止めた方が良いですよ。絶対に!」
クリウスは語気を強めた。
「だけど、議会の意向を無下にも出来ないでしょう」
考え込むセシリーナの肩をリィルがポンと叩いた。
「そんなお二人に今日は少し明るい話を持ってきましたよ」
「?」
リィルが目配せするとクリウス将軍がテーブルに地図を広げた。リ・ゴイ国の北東、森の妖精族のカサット村にほど近い湖沼地帯の地図だ。
「この湖沼地帯の真ん中に妖精の島と呼ばれる小さな島がありまして、そこに貧相な木が1本あるんです。誰も気にとめないような木なのですが、実は聖なる木でして、子宝や幸福をもたらすという伝承が妖精族の村には伝わっているんです。細くて今にも折れそうな木なので期待せずに私たちはそこに上陸したのです」
「そうなんですよ。とても暖かで清浄な雰囲気の島でした。そしてその島を覆っている苔がふかふかでこれが気持ち良くって……」
「ええ、つい寝転んでそこで愛し……痛い!」
ぽろりとクリウスが言いかけた時、リィルが急に彼の足を踏んだ。
のろけ話を聞かせにきたのだろうか?
「ごほん、まあ、それは別としまして……」
「クリウス、変なことを言わないでくださいね」
「じゃあ、リィルが説明してくれよ」
赤い顔をして視線を泳がせていたリィルを、クリウスが肘で小突いた。
「仕方がないですねぇ。実はその島は幸福の島と言うだけあって、すぐに二人は……。ゴホン、二人で寝転んでいたら、急にその木が語りかけてきたのです。いや、言葉ではなくイメージだから、語りかけて来たと言うのとはちょっと違うかもしれませんが。風景の中に素敵な舟で湖を渡ってくるカインとリサ女王が映ったのです」
「そんな場所に行った事はないですけれど」
リサは首を傾げた。
「ええ、脳裏に浮かんだリサ様は成長なさったお姿、つまり聖都に戻る前にカインと湖沼地帯を渡っていた頃のリサ様ではなく、現在のお姿だったのです。つまりこれからお二人が行くってことですよ」
「そうなんですよ。リィルは未来を視たんです。何でもカイン様とリサ様はその島に上陸するや、カイン様がリサ様をいきなり押し倒して、なんとも大胆に……」
「そ、そこまで言わなくていいんです!」
リィルが慌ててクリウスの口を塞いだ。
リサとリィルがその場所で同じ格好で天国を漂って、二人が幸せの頂点で美しく仰け反った瞬間、未来のリサと精神がリンクしあったのだ、なんてことまで赤裸々に言い出しかねない。
「……という訳です。あれはきっと未来です」
「それが本当だとすれば、カインはもうすぐ戻ってくる?」
「もちろん、私はそう信じますよ。しかもごく近いうちにです。間違いありませんよ」
リィルはイタズラっぽく微笑んだ。
「うわぁ!」
リサはうれしそうに両手で頬を抑えた。
リィルのその表情は、みんなで旅をしていた頃を思い出させる。リィルがこんな風にどこかイタズラっぽい顔をしたときは、かえって本当のことを言っているのだ。
つまり……
「「カインがもうじき帰ってくるんだ!」」
リサとセシリーナは頬を染め、互いに見つめあった。
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