第192話 <<ガゼブ国への侵攻2 ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 ラマンド国と東マンド国の国境地帯。


 陽炎の中に乾燥レンガの楼閣が浮かんでいる。朝方から強い日差しが照りつけ、空には雲一つない。


 「交代の時間だぞ。今日もヒマだったな」

 「ふああああ……、北では第1軍の連中が手柄を立てているというのに、俺たちはこんな所でヒマ番だもんな」

 男は呑気に大欠伸あくびを繰り返した。


 「ぼやくな、ぼやくな、今週末には当番も終わるし、そうしたらノスブラッドの例の店に行こうぜ。若い子も入ったって話だし、今回の給金で飲み比べしようじゃないか」

 「おう、そうだな。それじゃあ俺は下で寝てくるとするか……ん?」

 階段を降りようとしていた男の足が止まった。


 「どうした?」

 目の前で男がしきりに目を擦る。


 「おい、あれを……」

 「何だよ、良い女でも通りかかったか?」

 振り返った男の目に、遠くで煙が一筋立ち昇るのが見えた。

 煙は黒から灰色へ変わったかと思うと急に途切れた。


 「あ、あれは!」

 「ヤバイ! あれは狼煙のろしだぞ! 敵襲だ! 下のみんなを起こせ、大至急狼煙を上げろ!」

 男たちは大慌てで階段をくだろうとして、その音に気付いた。

 地平線が黒い、その影はどんどん広がって行く。


 「ラ、ラマンド軍が動いた…………」

 「は、早く、狼煙を上げろ!」

 震える声で男が叫んだ。



 ーーーーーーーーーー 


 ラマンド軍の襲来はすぐに東マンド国第2軍の駐留する砦に伝わった。


 街一つに相当する規模の要塞群である。中央要塞の周囲には幾つかの中規模の砦があり、砦同士が連携することで王都に通じるこの一帯を封鎖するのである。幾たびもラマンド国との攻防の舞台となったこの地が再び戦場になるのは明らかだった。


 「襲来してきた方位と敵の数は分かったか?」

 第2軍を預かる大貴族ゴーマ・ベロモットは地図を広げた。


 「はっ。敵は東南部の国境地点から侵入、一帯の物見台はほぼ一斉に連絡を絶ちました。敵の数は恐らく数万以上、ラマンド国の全軍が動いている可能性があります」


 ゴーマ将軍はぎゅっと仗を握りしめた。


 「全軍だと? 敵は食糧が欠乏しているという情報がある。さては全軍で短期決戦に出てきたか、愚か者め。全守備隊に告げよ、篭城して時間を稼ぐのだ。大軍だけに1週間もすれば、奴らは自滅するはずだ。夕暮れになる前に敵軍の部隊構成の把握を急がせろ!」

 「はっ」

 伝令が各方面の砦に飛んだ。



 ーーーーーーーーーー


 「やはり、思ったとおり東マンド国は篭城を選択したようですな」

 斥候からの報告を受けてバチュア公はにやりと笑った。


 「篭城では活躍を見せられないではないか、バチュア。せっかくラメラ嬢に貰った槍の威力を皆に見せる機会だと言うのに」

 バルア王子は金ぴかの槍を構えてポーズを決める。


 「王子、これは遊びではござらん。王子はラマンド国の代表として戦場に来ているのですから、兵の士気が上がるように振る舞っていただければ十分なのです。実際の戦闘は我ら貴族にお任せあれ」


 「むむむ……。そうか。そうなのか? パルケッタ」

 バルアは後ろに控えていた美少女を見た。


 「そうですよ。バチュア様のおっしゃるとおりでございます。王子は王子らしく、堂々としておられれば良いのですよ」

 そう言って微笑む。


 王子の婚約者となったパルケッタは女物の軽装鎧に身を包み、髪を後ろで束ねている。その姿は新鮮だ。その微笑みにバルアは思わず見惚れてしまう。


 「パ、パルケッタも格好良いな、すごくかわいい」

 「お褒めに預かり光栄です。こんな格好ですけど、身の回りのお世話は今までと変わらずしっかり努めますのでご心配なく」

 「うむ、パルケッタがいると安心なのだ」

 バルア王子はニコニコと微笑んだ。


 「それでは王子、私は作戦通りに別行動に移ります。あとの指示はモーケン公に託しておりますので、バルア王子はけして無茶な行動に出ませぬように。パルケッタ殿、王子が暴走しないよう十分監視しておいてください」

 「わかっておりますわ」

 「では失礼いたします」

 バチュアは王子とその婚約者に一礼するとテントを出て行った。


 ラマンド軍は砦正面の砂丘上に布陣し、周囲に柵を構え、無数の旗をなびかせている。バチュアはその大きな砂丘に登ると自軍の陣の背後に広がった夕暮れの平原を見下ろした。


 そこには整然と一軍が整列しているが、砂丘の陰になっており東マンド国の砦からは死角になっている。ラマンド国の全軍から選抜された騎馬部隊の精兵二万騎が準備を整え命令を待っていた。彼らこそが今回の作戦の主力である。

 大軍でここに陣を張り、攻めるとみせかけながら東マンド国の第2軍を足止めする。その間に足の速い騎馬部隊が西から回り込んでサンドラット軍と合流し、リナル国の西方、そして東マンド国の王都方面を突くのだ。敵はラマンド軍がまさか未知の土地を通って攻めてくるとは思いもしないだろう。


 騎士の一人が息を切らせてバチュアの元に駆け寄ってきた。


 「将軍、準備はできております。いつでも出発可能です。予定通り敵側から見えないルートで西へ進みます」

 「よし、砂煙を巻き上げないように、砦から遠ざかるまではゆっくり進むぞ。その後はサティナ殿と約束した期日に間に合わせるように全力で駆けることになるぞ」


 「はっ!」

 騎士は敬礼した。


 「どれ行くとするか、この年では戦などもう経験することはないだろうと思っていたが、最後にこんな機会がくるとはな、久しぶりに腕が鳴るわい!」

 バチュアはそう言って愛馬に跨った。



 ◇◆◇



 東マンド国第1軍によるマーカス攻防戦は転機を迎えていた。


 「一気に攻めよ! 敵の矢は尽きかけておる!」


 うおおお! と兵が突き進む。

 マーカスの街の外周に配置されていた逆茂木はほぼ取り除かれ、ガゼブ国軍の抵抗は徐々に弱まっている。


 多くの犠牲を出したが、街に手を加えた程度の砦である。こうなれば東マンド国一の精兵揃いの第1軍の兵は強い。

 兵が次々と障害を乗り越えて前進していった。


 次々と駆け込んでくる戦況報告を黙って聞いていた第1軍のコドメラッザ老将軍が指揮棒でポンポンと手のひらを叩き、目を見開いた。


 「そろそろ、頃合いじゃな。やってくれるか?」

 「わかっていますわ」

 隣に立つ妖艶な美女が赤い唇を舐めた。ぞっとするような美しい笑みを浮かべ、彼女は野営テントを出た。


 戦場を見渡す岩の上に立った美女に周りの目が集まった。


 「我が召喚に応えよ! 我が命じる。闇から出て我が敵を打ち払え! 敵はあそこぞ!」

 三叉槍を片手に持ちニロネリアが敵の砦を指差した。


 その瞬間、冷たい風が周囲に巻き起こり、晴天だった空がにわかに翳った。


 ぼこ、ぼこっとあちこちで土が盛り上がり、ミイラの手が現れる。戦場で斃れた兵たちがむくりむくりと起き上がり、辺り一面に腐臭が漂った。


 「ふははは……これがカミネロア殿の闇術か。凄いものじゃな!」

 カミネロアはニロネリアが東マンド国で活動する際の偽名である。その隣に姿を見せたコドメラッザ将軍は満足そうに髭を撫でた。


 リナル国侵攻作戦後にルグ将軍から第1軍を引き継いだコドメラッザ将軍はニロネリアの術を見るのはこれが初めてだ。


 「何とも凄いものじゃ。矢を物ともせず突撃していくとは。おお、あっと言う間にあの柵を突破したか! 中の敵は殲滅じゃな!」


 「将軍、お静かに、これには集中力がいるのです」

 ニロネリアは珍しく少し苦しそうに息を吐いた。


 西砂漠の拠点に置いていた魔力連携の法具が失われた影響が大きい。貯めていた魔鉱石からの魔力補給が断たれ、自分の体内にある魔力だけに頼らざるを得なくなったのだ。

 以前のように無尽蔵に魔力を消費できないのである。


 それに攻城兵器を準備してこなかった第一軍がこのまま敵領深く侵攻しようとしているのも気がかりだ。

 ガゼブ国を占領する必要はないのだ。圧力をかけさえすれば状況はこちらに有利に動く。その点では宰相ラダとニロネリアは同意見だった。


 だが、本営から届く命令は敵王都を攻めよの一点張りだ。愚かな王め、引き際を知らず戦線を拡大させ滅んで行った者が多いことを知らないのか? 術を行使しながらニロネリアは汗を拭った。


 ニロネリアの不安をよそに、隣でその圧倒的力を目の当たりにしているコドメラッザ将軍はこの戦いの勝利を確信していた。


 既に死人の兵が開けた防御柵のほころびから多くの死人兵が街に突入し、第1軍の騎士もそれに続いて突入を開始している。


 「抵抗する者は容赦するでない! 歯向かう敵兵は殺せ! ただし逃げだす者は無理をして追うことはないぞ!」

  この調子ならば数刻も立たずあの忌々しい砦を落とせるだろう。コドメラッザは興奮気味に叫んだ。



 「ーーーー将軍!」

 その時、高揚するコドメラッザの背後に魔馬が荒々しく駆け込んできた。


 「コドメラッザ将軍! 急報でございます!」

 伝令の男が血相を変えて叫んだ。


 「なんじゃ? 今は戦の最中であるぞ」

 勝利を目前にきょうを削がれ、コドメラッザの顔が少し不機嫌になった。


 「申し訳ございません、本国から急報でございます」

 「本国からだと?」


 「はっ。先ごろ、ラマンド国軍が国境を越え、第2軍の守る砦と交戦状態に入ったとのことであります!」


 「なんじゃ、なにかと思えば、それは想定の範囲ではないか?」

 コドメラッザは肩を揺らすと鼻先で笑った。


 だが、伝令は真剣な表情を崩さない。


 「まだ何かあるのか?」

 「はっ、このラマンド国の宣戦に呼応し、西のサンドラットが挙兵! メルスランド王子を奉戴した軍が西から王都を目指して進軍を開始したとのことであります!」


 「なんだと、王子が生きていたというのか? むむむ……だが、たかが盗賊風情に王都が落せる訳が無い。王都には守備隊もおるのだぞ」


 しかし、伝令の表情はまだ暗い。


 「さらにであります。ーーーーサンドラットの挙兵と同時に、リナル国王女フォロンシアがターマケ将軍と共に挙兵! 旧リナル国の残党を吸収しつつ、旧リナル領へ向けて西から進軍を開始したようであります!」

 伝令の男はあまりの重大事に、やっとのことで言葉を吐き出したという感じだ。


 「な、なんだと…………同時に三方から? 信じられん!」

 ようやく容易ならざる事態であることに気づき、コドメラッザは硬直した。


 旧リナル領には守備兵は殆ど残していないのだ。リナル国王女の軍が旧リナル領に入り、さらにこちらへ攻め上がってくれば、我が第1軍は東西両面から敵に挟まれることになる。


 しかし、今さら反転して引き返すには、ガゼブ領内に深く入りすぎている。大森林の軍道は狭く、大軍が短時間で抜けるのは不可能だ。間違いなくガゼブ国軍の追撃を受けるだろう。


 旧リナル領に迫る王女の軍は無視できないが、ガゼブ国の主力は現在第3軍と戦っており、王都周辺を守る兵数は少ない。今が王都を攻める最大のチャンスである事も事実だ。犠牲覚悟で一旦引くか、ごり押しで攻めるべきか。


 目の前の砦を陥落させつつある今、最善の選択は何か。


 「コドメラッザ将軍、リナル国王女の軍の方は私が片づけましょう。足が遅いとの理由で大獣部隊も残して来ておりますわね? 我が術と厄兎ヤクト大獣で敵を殲滅いたしましょう」

 術を閉じ、ニロネリアが振り返った。


 厄兎は巨大な四足歩行の軍用魔獣である。

 その角から打ち出す滑空魔弾は分厚い城壁をも貫き、握り拳三つ分もの厚さの鉄板を容易く射抜く。その皮膚は分厚く、特に真正面からこの魔獣を倒せる兵器は無い。


 その言葉にコドメラッザは一点の光を見た。


 「そうか、カミネロア殿が王女の軍を蹴散らしてくれるのならば、我々は前面の敵だけに集中できる。ありがたい、恩に着るぞ、厄兎は好きなように使えば良い」


 カミネロアが敵を打ち負かさずとも足止めしてくれれば時間が稼げる。ガゼブ国さえ黙らせれば、西から迫った烏合の衆など殲滅するのは容易たやすい。


 「ふふふ……全てはコドマンド王のためですわ」

 カミネロアは胸に下げた宝珠を撫でながら笑った。


 「よし、全軍に命令じゃ! 今日中に砦を落とし、ただちにガゼブ国王都方面に向けて進軍を開始するのだ! 敵の首元に我らが剣を突きつけよ!」

 「オオオオッ!」

 その声で全軍が動いた。


 方針は決定した。撤退はない。

 王都方面に攻め込み、ガゼブ国を降伏させれば勝ちである。ガゼブ国の王宮内にもこちらの息のかかった貴族がいるのだ。彼らがこちらに有利な和平案を飲むように宮廷の雰囲気を誘導するだけの条件を作り出せば良い。


 「では、将軍、ご武運を」

 「カミネロア殿も、頼んだぞ」


 将軍のテントを出てきたニロネリアはキッと唇を噛んだ。


 「このタイミングで攻めてきたか、あの小娘。邪魔ばかりしてくれる! 必ずこの手で仕留めてやる」 

 そう言うと、その姿が風のように消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る