第302話 高等精霊使い

 ルミカーナはぐったりとして気を失っている。さらりとした前髪が左右に分かれ、ほっそりとした眉が露わになる。こうして改めて見ると凄い美人! でも今は見蕩れている暇はない。


 「たまりん! 凄いぞ! 今のは効いた! ここぞという時にまた目くらましをたのむ!」と俺は絶賛する。


 「この私にーー、おまかせあれー---!」

 石獣をからかうように褒められて調子に乗った金玉が派手に明滅する。石狼はうっとしく纏わりつくたまりんを爪で斬り裂こうと攻撃するが、実体がないのでスカスカだ。


 「次、リンリン。奴を混乱させるか動きを止めてくれないか? 奴の気を反らして俺が攻撃できるチャンスを作って欲しいんだ」

 ふわふわと俺の隣に来た紫色の玉に向かって俺は小声でつぶやいた。


 「そんなの造作もない。まかせなさーい。私の実力を思い知らせてあげるわよ」

 そう言ってぽわーんと全裸のリサに……やめろ!

 それはやめろ!

 「腰に手を当てて勝ち誇ったようにこっちを見下ろすんじゃない! とんでもない恰好だぞ!」


 「なかなか呼んでくれないから嫌がらせですわ!」

 「こんな時にっ!」


 俺の声に反応して石狼がこっちに気づいた!


 「ほらっ! 来たぞ!」

 「まったくもう、こんな低級な石っくれに後れを取るようなリンリン様ではありませんわよ!」

 と女に化けたリンリンが石狼の前に堂々と姿を見せ、何かささやいた。

 「グバァオオオオーーーーッ!!」

 突然、奴は狂ったように暴れ出したかと思うと、憤怒の眼をギラつかせ、執拗にリンリンを追いかけ始めた。


 「今だ、あおりん! まずはルミカーナの手当、そのあと俺に何か支援術を頼む! できるか?」

 俺は気絶しているルミカーナの頭の下にマントを丸めてそっと置き、骨棍棒を握り直した。


 あおりんはぴかぴか嬉しそうに光って答える。


 よし、いくぞ! 俺はこそこそと石狼とリンリンがじゃれ合っている所に近づく。


 くらえっつ! 俺の骨棍棒は痛いのだ!

 俺はリンリンを狙う奴の後ろから近づいて、思いっきり石狼のケツをぶっつ叩いた。


 ポカ! 意外に間抜けな音がした。はっきり言って思ってたのと違う。クリスに強化してもらったんだからもっと強い、「これはすげぇぞ」と言う打撃音が轟くものだと思ってた。


 しかし意外にも効果は抜群だった!

 あの凶悪な面構えの石狼が突然目を丸くして「キャン!」と子犬のように飛び跳ねた!


 どうやら俺が思っていたよりもびっくりしたらしい。

 ダメージはさほどでもない。正直、蚊に喰われたようなものだ。しかし何だがとても大きなダメージを受けたような気がして石狼は少しふらついた。


 さすがはクリスが仕上げた ”勘違い棍棒” ! 人間以外の敵にも有効だ!


 石狼はよろけながらも意地を見せて、俺がさっきまで居た床を尻尾で払った。しかし、残念だったな! そこに立っている俺はあおりんが作った幻影だ!

 空振りに終わった尻尾攻撃に戸惑う石狼に、容赦なくたまりんの連続目くらましが炸裂する!


 爆発する光で眼を焼かれ錯乱する石狼。その歪んだ視界を人の姿をしたリンリンがよぎる。その瞬間、石狼は怒りに吠えた! そしてリンリンを攻撃した爪は天井を支える石柱を打ち壊した。


 ドドドドド! と崩れ落ちる巨大な天井石の破片が石狼を打ちのめし、かなりのダメージを奴に与える。


 土埃の中、奴は俺に気づいて振り返ったが、俺は既にそこにはいない。俺の姿はあおりんの力で周囲に溶け込んでいる。俺は死角になっている柱の陰で荒い息を吐いて、獲物を狙う肉食獣のように次のチャンスを伺った。


 来た! 光るたまりんを追って石狼が柱の横を通り過ぎる。その瞬間にまたもケツをポカンと叩き、幻影を残して次の柱に隠れる。うん、我ながら見事なほど姑息だ。


 「カインさまーーーー、どうでもいいですけどぉーーーー、遊び時間は残り半分ですからーーー!」


 そうだった! たまりんたちがこの世界に姿を現していられる時間には限りがあるんだった! 残り時間があるうちになんとかせねば!


 「一気にたたみかけるぞ! お前らっ!」

 俺はガラにもなく声を上げた。


―——————————


 「一体何がおきてるの!」

 カインの戦いぶりを息を飲んで見つめる目。その瞳に幾つもの光の玉が映える。


 「あれは何……ってまさか!」

 意識を回復したルミカーナはその光景に目を丸くしていた。

 ルミカーナを驚かせているのはカインの姑息で卑怯なその戦いぶりではない。


 まさか、カインが精霊を使役している?

 しかも、3柱も!


 神官でもない人間が精霊を自在に操る姿はあまりにも衝撃的だ。東マンド国の常識からすれば、あり得ない光景と言って良い。


 「はっ! ま、まさか、神官で無いとすれば彼は精霊使い? しかも、3柱もの精霊を同時に使役するほどの? し、信じられません!」

 ルミカーナは口をぽかんと開け、飛び回る精霊を見つめた。

 東マンド国では精霊は神の使いであり、精霊を操る精霊使いは神の使徒とも言われる。ルミカーナは両手を組んで精霊に祈りを捧げた。


 東マンド国随一と言われた大神官ですら召喚できるのは2柱だった。それなのにカインという男は3柱の精霊をあれほど自在に使役している。


 そもそも精霊を呼ぶ事ができるのは選ばれた人間だけ。神官以外では厳しい修行の果てに聖人か賢者と呼ばれるようになった英雄だけがようやく精霊と契約を結ぶことができる、というのが常識だ。


 歴史上の人物を見回しても、3柱もの精霊を使役できたのは南マンド王国建国の英雄、伝説上の高等精霊使いくらい。

 それがどうだろう。

 今、彼は3柱の精霊を自在に使役している。

 つまりそれは、一見すると何の取り柄もなさそうな彼が実は伝説上の英雄に匹敵する人物と言うことを示す。


 「今だ! リンリン、錯乱させろ! たまりん、奴を崩落しそうな天井の下へ誘導しろ!」

 しかも、彼は自分を庇って戦っている。

 ルミカーナが意識を取り戻したことに気づいていない彼は石狼を巧みに誘導して、こっちに来ないようにしている。

 その後ろ姿に凛々しさを感じる。まるで乙女を守るため英雄が戦っているかのような錯覚を覚えてしまう。


 精霊にヘイトを集めさせ、ポカリと叩いて一目散に逃げる姿は確かに滑稽だ。しかし、よくよく考えれば自分より強大な敵の力を徐々に削ぐには有効な手段とも言える。


 しかも彼は奴の強力な跳躍力の元になっている後ろ足の付け根を集中して攻撃している。

 奴の身体は硬い石で出来ている。同じところを何度も叩けば柔軟性がないだけにその微細な破壊は徐々に蓄積していく。その限界は突然、そして破滅的に訪れるはず。


 それに……、そもそも奴に知覚されないように移動しながら有効打を放つ、それ自体が普通の人には困難だ。

 よっぽど存在感が薄いのか、何か敵から姿を見えにくくする幻術を使っているのか。


 「カイン様……」

 彼は伝説級の高等精霊使いであることを完璧に隠し、冴えないボンクラ男を装っていた。やはりサティナ姫が伴侶に選ぶ男だけのことはある。


 「今だ! たまりん!」

 全裸の少女を追った石狼の前でたまりんがピカッと光り、足が止まったところを背後からカインが叩く。

 危ない!

 近づいたカインを振り向きざまの爪が無残に引き裂く! しかし、引き裂かれたカインの姿が霞のように消失する。それは幻影だったのだ。


 「おっと、手が滑った」

 そして後ろからこっそり近づいていたカインが石狼の股間を大胆に殴打した。


 「へグオっ!」

 どうっと床に石狼が倒れ、後ろ足を前後にばたつかせて苦しんでいる。どうやら奴は雄だった。今の股間への一撃はかなり痛かったらしい。

 

 「今だ!」

 弱っている獲物に遠慮なんかしない。

 カインがチャンスとばかりに飛び出した。骨棍棒を両手で振り上げ、背後から後ろ脚を二度、三度とこれでもかと叩く。


 ギャン、ギャン! と鳴いて石狼はたまらず飛び起き、距離を取るが、着地した瞬間、ボキリと妙な音が響く。足に蓄積したダメージがついに限界を超えて来た。それでも奴は片足を引きずりながら反撃するためカインを探す。


 しかし既にカインは全然別の方向の柱の影に隠れている。

 ふとルミカーナの視線に気づき、「どうだ!」とばかりにニヤリと笑って親指を立てた。その姿が男前! どきっとした。

 

 「まさかこの私がときめいた? いけない、彼が素敵で、カッコよく見えてしまった……!」

 ルミカーナは赤くなった頬を両手で押さえる。


 カインが颯爽と精霊を使役する姿を見れば見るほど憧れの気持ちが湧いてくる。それも当たり前だった。

 東マンド国の出身者なら、幼い頃から伝説の精霊使いの話をおとぎ話として聞かされている。うら若き乙女たちは一度は高等精霊使いの英雄が白馬に乗って目の前に現れるのを夢見るものなのである。それはルミカーナも同じだった。


 「騙しましたね。まさかこれほど見事にボンクラを装っていたとは……。やはりサティナ姫が夫と決めた方!」

 ルミカーナはその胸の高鳴りを誤魔化すようにつぶやく。


 ルミカーナを守るように石狼を誘い出し、勇敢に立ち振る舞うカインはただ者ではなかった。彼は英雄級の高等精霊使い。それなのにそれを隠してちっとも威張らなかった。まさに東マンド国の騎士が尊敬しうる高潔な人物。


 「神殿長様ですら召喚できたのは2柱。なのに、あのように3柱もの精霊を自在に。凄い、凄すぎる……」と何度も繰り返し思ってしまう。


 「これでどうだ!」

 ぱこん! こそこそ……

 カインは姑息ながら何度も石狼を叩き、その度に石狼はカインの幻影に惑わされ周囲の柱を無駄に破壊するはめになっている。


 「こうしてはいられない、カイン様の手助けを……。私だってまだ戦えるはずです」

 ルミカーナは剣を手に立ち上がったが、ズキッと足が痛んだ。 足をくじいていたことに気づかないほどカインの姿に夢中になっていたようだ。


 「出て来ちゃだめだ! まだ隠れているんだ! ルミカーナ!」

 痛みに思わず顔を歪めた時、カインの声が聞こえた。


 足を引きずって良く動けないルミカーナに石狼が気づいた。


 「あっ!」

 思わず倒れ込むルミカーナに石狼が襲い掛かる。

 避けられない!

 ルミカーナは剣を振るおうとしたが、まだ身体が思ったように動かなかった。


 その時、またも石狼の顔面でまぶしい閃光が瞬いた。


 「グォオオッ!」

 目がくらんだ石狼の前足はルミカーナの幻影を叩く。


 「大丈夫か? 無茶をするんじゃない。まだよく動けないんだろ?」

 俺はルミカーナを抱っこして飛びのいていた。運動神経は無いが女を抱く筋力だけは無駄にあるから、軽い軽い!


 それにみんな誤解しているが、俺のまわりにいる連中の戦闘力が規格外なだけで、少年の頃から貴族としてずっと地道な鍛錬を続けてきたので、体力と持久力はもちろん、騎士としての最低限の力はある。ただ運動音痴で戦闘センスというものが壊滅的なだけだ。


 「無茶をするな、ここなら大丈夫だぞ」

 俺は石獣から死角になる柱の影に滑り込んだ。


 「カイン様、すみません」

 お姫様だっこされたルミカーナはカインの横顔を見てときめいた。しかし、顔を赤くしているルミカーナにカインは全然気づいていない。


 「以外に軽いんだな、ルミカーナ」

 胸やお尻が大きいのにセシリーナよりも軽い気がするのは魔族の筋肉密度が人間と違うからだろうか。

 「!」

 カインと目と目が合った瞬間、ルミカーナは沸騰した! もはや心臓が爆発寸前だ。幼心に刷り込まれた精霊使いの物語。彼は白馬の王子様、そして運命の相手という乙女チックな感情がどうにも抑えきれない!


 「ば、ばか、降ろせ! 早く!」

 急に恥ずかしくなったルミカーナはじたばた足を動かした。なにしろ大人になってからこんな風に抱っこされるのは初めての経験である。 


 「暴れるなって! 今見つかるとそろそろ逃げ場が無いんだ」

 と俺はその口を塞ぐ。


 周囲の柱はだいぶ減っている。石狼はこっちを探してうろついている。幻影術で姿が見えにくくなっているとは言っても気配までは消せない。たまりんたちのタイムリミットも気がかりだ。


 「んん……」

 ルミカーナは唇をふさがれてさらに顔を火照らせている。柱の影から敵の様子を探るカイン。その横顔が男らしくて胸が高鳴って仕方がない。


 「あれだ。うまく誘導できれば奴を倒せるかもしれない」

 俺は息を殺したまま天井を見上げた。

 天井では柱の支えを失った巨大な石がぎしぎしと音を立て、今にも崩落しそうになっている。これを利用しない手はない。


 「ここでじっとしていてくれ、ルミカーナ。いいか絶対に動くなよ」

 「何をする気ですか?」

 「まぁ見てろ!」

 俺はルミカーナを倒れた石柱の影に隠して駆け出した。


 「リンリン! こっちだ! ここへ来い!」 

 俺はわざと目立つように両手を振って走りながら叫んだ。

 当然、即座に石獣が俺に気づいて突進してくる。


 「あおりん! 俺に”獣の声”をくれ!」

 たまりんと一緒に嫌がらせという攪乱作戦に加わって石狼の周りを飛び回っていたあおりんが、すぐさま俺のところに飛んできた。


 奴が崩れかけた天井の真下に来た、今だ!

 俺は一瞬立ち止まり、大声で吠えた。


 「ブギャガオオオオーーーーッツ!!」

 ぷすぅ~っ! 腹に力が入って思わず屁も出た。


 俺の声と屁に石狼が錯乱する。その声の威力はずっと向こうで戦っている大型石獣にも届いた。

 やはり効果てきめん!

 奴は俺が発した獣の声に反応し、わけもわからず周囲を手当たり次第になぎ払った。そしてついにその前足の一撃が天井を支えていた最後の一柱をへし折る!


 ド、ド、ド、ド、ドォッツツ!!

 恐ろしい音と共に地面が揺れ砂煙が巻き起こる。


 「崩れるぞ! ここから離れろっ!」

 俺は座り込んでいるルミカーナに駆け寄ると彼女を抱えて一目散に走る。


 ―———やがて一面に漂っていた煙が収まってみると、巨大な天井石に押しつぶされバラバラに砕けた石狼の破片が散らばっていた。


 「本当にあれをやっつけた……」

 ルミカーナは俺の首に両手をまわし、抱きついたまま呆けている。騎士が数人かかりでも倒すのは厳しいと思われた石狼をカインがほぼ一人で倒したのだ。


 「うん、うまくいった。やったらしいな」

 俺はルミカーナに微笑んだ。



 ———————————


 「カイン! 今の音は何っ? 二人とも大丈夫なの? 向こうのでっかい敵はみんなで倒したわ!」

 「ルミカーナ! 無事ですか!」


 サティナとミラティリアが遠くから駆けてくる。

 俺たちは石狼と戦っているうちにいつの間にかこの地下空間の一番端にまで来ていたらしい。


 「あの石狼を二人だけで倒した? すごいわねっ!」

 サティナが残骸を見て目を丸くする。

 「さすがは私のカイン様ですね!」

 ミラティリアも無傷のようだ。


 「ああ、大変だったけど、なんとかね。生き残ったよ」

 俺はルミカーナを抱いたまま苦笑する。

 あんな姑息な戦いぶり、とてもサティナには見せられない。彼女が来る前に倒せてよかった!


 「守るように言われたのに、私の方が足を引っ張ってしまった。済みません」

 早々に戦線離脱してしまったことが恥ずかしいのか、ルミカーナの耳がやけに赤い。


 「いやいや、最初に時間を稼いでくれたから、どうにか作戦を練れたんだ。すごく感謝してるよ」

 と見つめあった二人の様子が何か甘い。


 「それで? どうしてルミカーナを抱いたまま離さないのかなぁ?」

 俺とルミカーナをにらみながら、ぴくッとサティナの頬が動いたような気がした。ミラティリアも目がちょっと怖い。



 ―——————————


 「じゃあ、また呼んでよね!」

 「のぞいてますからーー、夜の帝王の活躍、期待してますねーー。みなさん、カインの暴竜は凄いですからーー、負けずに励んでくださいねーー」

 たまりんたちはピカピカ光って旋回すると、挨拶しながら消えていった。たまりんめ、サティナたちに何てことを言うんだ。


 「夜の帝王……」

 「暴竜……」

 「何を励めと?」

 サティナたちがたまりんたちを見送った後、俺をじっと見る。


 「足はもう大丈夫か? ルミカーナ」

 「ええ、治癒魔法をかけてもらいましたから、もう平気です。ご心配をかけてしまいました。カイン様に石狼から助けてもらって」俺の隣でルミカーナがじっと見つめる。なぜかその距離が近い。肩が触れ合いそうだ。


 「どうかしたのか?」

 「何でもありません」

 そう言って彼女はくるりと軽やかにサティナとミラティリアの方に振り返った。


 ふと微笑んだルミカーナの美しい唇が動いた。


 「みなさん、私もカイン様の恋人になることに決めました。サティナ様、婚約紋の絆を結ぶには、何をどうすればいいのでしょう?」


 「は?」 


 「「えええええっーーーー!」」

 サティナとミラティリアが同時に叫ぶ。


 「ルミカーナ、それってどういう意味か分かってる?」

 「そうですよ、婚約紋だなんて!」


 「ええ、もちろん分かっています。これからは誰が早く妻になれるか競争です。みんなライバルですね、サティナ様」

 ルミカーナは笑顔を浮かべ、堂々と宣言した。

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