第126話 来襲、魔獣ヤンナルナ

 ヨーナ村の宿屋は一階が食堂になっている二階建ての建物で、村にしてはそこそこ立派だった。

 宿は意外に繁盛していた。

 何とか借りられたのは二部屋だ。俺とセシリーナで一部屋、アリス、リィル、リサで一部屋である。


 宿屋の親父によれば、この混雑の原因は旧ネメ国の有名な祭りが近いせいで、特に今年は数年に一度大陸一の美女を決めるという伝統行事の開催年にあたっているため、いつもより人が多いのだという。


 祭りの開催はまだ数か月先なのだが、早めにその街に入って祭り用の洒落た衣装を新調するのがこの地方の人々の習わしになっているそうだ。そのために移動を始めた裕福な人々が大勢宿泊していたのである。


 「おお、あの指輪、見ましたか? でかい宝石がついていたのです。おっ、あっちの御婦人のネックレス、あの装飾工芸は人気デザイナーの……」

 リィルの目が爛々と光っている。


 「おいおい、きょろきょろ物色しているんじゃない、リィル。悪いくせだぞ。挙動不審になっていないで、さあ食べろ、食べろ」

 俺は貴族のように気取って、フォークで皿に盛られたホカホカの芋をぶすりと刺した。


 「何を気取って……ほら、むこうのテーブルは豪勢なお肉なのですよ。こっちはせいぜいソーセージなのです」

 リィルはぷうと頬を膨らませた。残念だが懐事情というものがある。無職かつ逃亡中の身でそうそう贅沢はできないのだ。


 「リィル、食べ物に文句は言わないの」

 「そーそー、久しぶりに一杯食べられるしーー」

 

 「カイン様がごちそうしてくださっているのです」 

 アリスがにっこり微笑んだ。

 誰がおごるって言った? と思ったがその笑顔を見ると否定できなくなる。多分、アリスは俺の背後霊から俺が何かおごるという話を聞き出していたのだろう。


 「デザートになります」

 食事の最後にテーブルに赤い実の乗った焼き菓子が出てきた。これだ。これが密かに俺が追加注文していたものなのだ。

 たまにはデザートくらいおごってやるか、と思っていたのだが、今日の夕食代は全部俺が払うことになったらしい。


 「わーー!」

 今度はリサの目が光った。

 デザートに出てきたのは、湿地特産の例の草原コケモモを使ったお菓子だ。俺としては草原コケモモの利用方法を調査していずれ何か儲け話に……と商人根性で頼んだものだ。

 しかし、これは思いがけず大好評で、特にセシリーナはかなり気にいったらしく、俺の評価が一気に上がった。

 


 ーーーーーーーーーー


 カンカンカンカン…………!

 翌日の朝、それは鐘が打ち鳴らされる大きな音で始まった。


 「ふわぁああああ……一体何だよ?」

 俺が遠くから響く鐘の音に目を開けると、全裸のセシリーナが布団もかけずに俺の体にぴったりとくっついて、幸せそうに眠っていた。


 ごくり……思わず生唾を飲み込む。

 あまりにも素晴らしい眺め。あの鐘の乱打が聞こえてなかったら朝から魔王覚醒だっただろう。


 昨晩は久しぶりだったのでかなり激しかった。セシリーナも俺にしか見せないはしゃぎっぷりで、言葉にならないくらい神がかった可愛いらしさだった。つられて俺もはりきったので寝不足気味だが、体の方は部分的に朝からとても元気なのだ。

 

 「一体何がおきてる?」

 俺はセシリーナを起こさぬようにそっとベッドから出た。


 窓を開けると村は騒然としていた。

 通りを慌てて行き交う人々、武器を手にした男たちが集団を作って、鐘の鳴った方へ走って行く。


 「これはただ事じゃないな」

 俺は身を乗り出して周囲の様子をうかがった。


 ドンドン! とドアを叩く音がした。


 「どうした?」

 俺は取りあえず上着だけを来て、顔を出した。


 血相を変えた宿屋のおやじがそこに立っている。ただ事ではない雰囲気だ。


 「お客さん、大変です! 魔獣ヤンナルナが出ました! こちらに向かってくる可能性があります。急いで、地下室に逃げてください!」


 「魔獣ヤンナルナ? なんだ、そいつは?」

 「ヤンナルナを知らない? 巨大な沼ミミズですよ、大変危険な肉食モンスターです!」


 「ああ、そういえば聞いたことがあったな……」


 「ヤンナルナが出たの!」

 背後でセシリーナの声がした。声に緊迫感がある。


 「あ、ちょ、ちょっと待て!」


 俺は慌ててドアの隙間を狭め、「分かった。すぐに行くよ」と言って、宿屋の親父が覗きこむ前にドアを閉めた。


 「カイン! 今の話、詳しく聞かなくちゃ」


 「ちょっと待て、セシリーナ! その姿、その格好で宿屋の親父の前に出るつもりか?」

 いきなり全裸のクリスティリーナが姿を現わしたりすれば、魔獣どころではない大騒動になるだろう。


 「わっ!」

 そう言ってセシリーナはタオルで体を隠したが、朝日を浴びて輝く全裸姿はかなり目の保養になった。


 「セシリーナは着替えろ! 俺はリサたちの部屋に行ってくる。それから情報を集めよう!」

 服を着て廊下に出ると宿泊客たちが大慌てで階段を下りていくのが見えた。


 コンコンと隣の部屋のドアを叩くと、すぐにアリスが顔を出した。

 「大丈夫かアリス、リサは不安がっていないか?」

 「ええカイン様。避難準備はもうできていますわ」

 さすがにアリスの行動は早い。リサは準備万端でベッドに座って俺に笑顔で手を振っている。

 「通りも騒然としているのです」

 リィルは自分の荷物を背負って窓の外を眺めていた。




 ーーーーーーーーーー


 その地下室は頑丈な石壁で造られていた。

 始めから緊急時の避難場所として造られているらしく、俺たちが階段を下りると宿屋の主人が厚い鉄の扉を閉めた。


 中には数十人の人影がある。

 壁に埋められた魔道具が光りを放ち、明け方くらいの明るさで部屋を照らしている。

 

 「皆さん、ここは安全です! 周囲の壁は厚い岩で、魔獣に悩まされ続けたご先祖から我々が受け継いだ避難場所になっています。万が一、村に魔獣が侵入してもここを破壊することはできません。警戒が解かれるのをここで待ちましょう!」

 宿屋の主人が漬物樽の上に登って叫んだ。


 「おい、魔獣は討伐されたはずじゃなかったのか?」

 奥で震えていた浅黒い肌の男が叫んだ。神経質そうな眼をした奴だ。


 「ええ、数年前に帝国軍が駆除を行いましたが、半年ほど前に狩人の一人が大湿地の奥の湖沼原でヤンナルナの生き残りを目撃したのです。ですが、村の備えは十分ですからご心配なく」


 「数年前に魔獣が暴れた時は、何人もの旅人が行方不明になって村も一つ滅んだのよね? 道は安全なのかしら? 私たちは一週間後にはトアルネ村まで着いていないと大損するのよ」

 旅商人風の夫婦である、その妻が立ちあがって不安そうに言った。


 しかし、宿屋の親父は首を振った。


 「残念ですが魔獣が村から目視出来る距離まで近づいたようですから、安全が確認されるまで街道は閉鎖されると思われます」


 その言葉を聞いて青い顔をして崩れる妻を夫らしき男が支えた。


 部屋を見回してみると、目立ったのはさっきの神経質そうな男と旅商人の夫婦くらいで、後の数組の宿泊客はただ単に怯えている。

 急に一つの部屋に閉じ込められた見知らぬ人の集まりである。誰もが、互いにその服装や人物を探っている感じがする。


 その中でも俺たちは特に異質かもしれない。他の客たちの視線が集まってくる。俺に突き刺さる男性客の視線が痛い。


 俺の右側にオリナがもたれかかり、左側にアリスがもたれかかっている。膝枕しているのはリサだ。リィルは後ろを向いて俺に背もたれしている。狭いので場所を取らないようにこのように座らざるを得なかっただけなのだが、アリスが俺に甘えているように見えて、男共の敵意のある視線が俺に向けられるのだ。


 「アリス、少し離れて座った方がいいんじゃないか?」

 俺はそっと耳元でつぶやく。


 「そんな風にささやかれるとまるで恋人みたいですね。私は全然構いませんよ。せっかくお姉様たちがいないんですから、カイン様を独占できる機会ですよ」

 そう言って益々俺にくっつき、俺の腕をとる。

 肘が胸にあたっているのはわざとなのか?

 反対側のオリナがじっと俺をにらむ。

 

 その時、遠くから角笛の音が一定の間隔で鳴り響いた。


 「おおう、どうやら危険は去ったようです。意外と早かったですな。みなさん! 安全が確認されました。地上にお戻りください」

 宿屋の主人が叫ぶと、従業員の男が二人がかりで入口の鉄扉を開けた。




 ーーーーーーーーーー


 しばらくして俺たちは大通りを歩いていた。

 思い切り欠伸あくびがでる。


 今まで村の中央広場で村長の説明を聞いてきたのだ。

 それによれば、魔獣がどのように縄張りを作っているかを現在調査中で、棲息範囲が分かるまではどのルートの道が安全か不明であるため、今しばらくは街道は全面通行禁止になるらしい。


 「でも、これでリィルが言ってた違和感の理由は分かったな。魔獣に備えるために柵を高くしたり、物見台を作ったり、村の周囲の草地を焼き払って監視し易くしていたんだな」


 「ほらね、やっぱり私の勘はあたっていましたね? 森の妖精族の言葉を信じる者は救われるのです」

 リィルは鼻高々だ。


 「街道の閉鎖が解かれるまで何日かかるかしら? 魔獣の討伐を試みるって村長は言っていたけど、村の自警団程度で討伐できる魔獣かしらね? 前回は帝国軍が討伐にあたったくらいなのよ」

 オリナがつぶやいた。


 「そうだな。討伐が長引いて、ここで一カ月も動けなかったら、アパカ山脈に着くころには冬に入ってしまうかもな」

 そう言って、背後をちらりと見る。


 少し離れた所から遠巻きにして、大勢の男共が後をつけてくる。もちろん目当てはアリスだ。もうアリスの人気ぶりは凄い。劣化化粧をしているとはいえ、一目見ただけで恋心を掻き立てる天然のかわいらしさがある。こんなに目立ってどうする? というレベルだ。


 俺の気苦労も知らず自然と俺の手を握ったりするから、余計に敵意の視線が痛い。



 その時、くんくん、とリサが鼻を鳴らした。


 「あっ、カイン! 良い匂いがするよ。お菓子が焼ける匂いだ! あっちからだよ」

 「うわっ、急に! 待てよ!」


 「今日は好きなお菓子を買ってくれるって約束だったよね!」

 突然、リサが俺の手をひいて走り出したので、釣られてみんな走り出す。通りを曲がると、さほど広くない路地に人だかりが出来ていた。


 ここまで来ると俺にも分かる。

 焼き菓子の甘い匂いだ。かなり繁盛しているが、これほど人だかりができるほど有名な店なのだろうか?


 俺たちが近づくと、アリスに気付いた人々が目を丸くして道を開ける。恐ろしいことだが、俺たちが進むところに道ができる。


 背後から付いてきた男共の集団が路地の人だかりに合流して、路上がなんだか物凄い過密状態になった。


 店からすれば営業妨害も良い所なのではないだろうか?


 そう思っているうちに村のお店にしては洒落た造りの菓子店の前に来た。喫茶店を兼ねているらしく、花々を飾ったテーブルが路地に出ており、席は既に客で満杯だ。


 「あ!」

 俺は思わず声を漏らした。


 「あ!」

 そいつも俺に気付いた。

 お菓子をぱりぱりと食べたところだ。


 店の一番の特等席で優雅なひとときを楽しんで、男どもの目を釘付けにしている美少女は、クリスだった。


 「もげもげ……」

 お菓子で一杯の口を動かして手招きする。


 「お前! どうしてここに?」

 俺は思わず叫ぶ。


 「お姉様! いつこちらにいらしたんです? イリスお姉様はどちらに?」

 アリスが眉をよせた。

 邪魔者が来た、と思っている表情だ。


 「カイン、ここへ」

 ごくんと飲み込んでからクリスは俺に隣の席を勧めた。


 「カイン、私に気付いた? 嬉しい」

 クリスはそう言っていきなり俺の頬にキスしようとした。


 周囲の男共の殺気が束になって俺を襲い、俺はぎりぎりでそのキス攻撃をかわした。


 「ちぇ、カインのけち」

 周りの殺気が凄い。

 一つのテーブルに絶世の美少女が二人も座っている。その他の少女も何気に可愛い。その中央に男一人である。

 あの男、許すまじ! そんな圧力をひしひしと感じる。


 「ここに居るということは、何かあるんだろう?」

 俺はひそひそ声で話す。オリナも身を乗り出す。


 「魔獣のこと、もう知ってる?」


 「ああ、知ってる」

 「あの魔獣は厄介、村人では手に余る、ここで足止めはまずい」


 「まずいって、何か起きましたか?」

 アリスが尋ねた。


 「囚獄都市からの、脱獄者の噂とリサ王女の行方。帝国の情報網甘くない、追っ手が来た。しかも、闇術師と鬼天の配下の両方。イリス姉様、その排除と、撹乱に行った」

 顔が青ざめる話だ。ついに本格的に追っ手がかかったのだ。


 「そうなのね」

 オリナがつぶやく。


 「覚悟はしていました。予想よりも遅いくらいです。来るなら来いです」

 アリスが気を引き締めた。おお、アリスがさらに心強く見える。


 「それで、私が来た。サポートする、カイン、魔獣狩りに加わって、アレ退治する」

 「俺たちが村人に加勢するなら、アリス一人でも十分じゃないのか?」

 「アリスが術を使うところ、人に見せたくない、私がカムフラージュ、する」

 なるほど、アリスが暗黒術で攻撃するところをクリスがうまく隠すということか。


 道が閉鎖されて追っ手に追い付かれる時間を作るのは確かにまずい。村長の話だと自警団への協力者を募集したいと言っていたしな。


 「オリナとリィルはどう思う?」

 「魔獣ヤンナルナにはちょっと因縁があるの。昔、叔母が襲撃されて足が不自由になったのよ。奴らは見境なく生き物を襲うから、奴らの駆除に参加することは賛成よ」

 オリナは俺の手を掴んだ。


 「私は反対です。あんな大きくて素早い大ミミズを倒そうだなんて、そのへんの剣や槍程度では歯が立ちませんよ。帝国軍は雷砲まで使ったそうですから。それに湿原では、あの移動速度に対抗する方法もありませんよ。全速で逃げる沼牛ですら逃げ切れないのですから。なので私は参加しません」


 それもありだろう。今回の相手は盗賊職の小柄なリィルには不向きだ。無理して危険に飛び込ませる必要もない。それに俺たちが魔獣狩りに出ている間にリサを守ってくれる人も必要だ。


 「わかった。リィルはリサを守って、宿屋で待っていてくれ。俺とオリナで自警団に協力しよう。アリスとクリスは得意な方法で頼む」


 クリスの目が輝いた。

 「へたれでない、カイン、凄くカッコいい」


 「まあ、たまには俺にだってそういう時があっても良いよな」

 ……追っ手がかかったと言う事で、尻に火がついたというのが本音なのだが。


 「それと、通り向こうの酒場、面白い奴、いた。後で行ってみる、おすすめ」

 クリスはそう言って微笑んだ。

 その表情に周囲の男共のため息が漏れる。俺たちがどんなヤバい話をしているか知らないだけに、クリスやアリスの表情で一喜一憂しているようだ。


 「面白い奴? 誰だ?」


 「行けば、わかる。ふふふふ……」

 かわいらしさに怪しさを含んだ笑いだ。何か企んでいるような気配がするぞ、こいつ。

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