第127話 臭い仲のあいつと儲け話
俺は一人で酒場の前に立ち、その両開きの扉を押し開いた。
ギイッと乾いた金属の音がして『魔族の店ゲルチョ』という看板が揺れる。
「大丈夫、追手はいませんでしたよーー」
人々の視線が集まる前に、そう言ってたまりんがすうっと姿を消した。
一瞬遅れて店内から俺を
幸い、お菓子屋にいるアリスたちを放ってまで、俺を付けてくるような酔狂な者はいないようだった。
普段は姿を見せない仲間であるたまりんたちだが、「その力は侮れません、もっと有効に使った方が良いですよ」というアリスの一言を受け、この村に着く少し前頃から訓練を開始したばかりである。
たまりんによる周囲の警戒、あおりんによる戦闘時の幻影防御、リンリンの悪口による攪乱と戦意喪失、今回の監視もその訓練の一環だが、まだまだ課題は多い。
例えば、”たまりん警戒網” だが、ふわふわ浮かぶ光玉を連れて歩くのは目立ちすぎた。
敵にここに俺がいるぞ、と知らせているのに等しい。そのため、たまりんには高度を取ってもらい、離れたところから監視してもらうことにしたが、そうすると今度は何かあった場合にたまりんが降下してくるまでのタイムラグが課題になった。
俺は念のため後ろを確認し、そのまま店に入った。
何人かがテーブルで昼間から酒を
カウンターには大柄な男が背を向けて座っており、そいつのせいで店主の姿が隠れて見えない。
「いらっしゃい。空いている席にどうぞ!」
店主の声だけが聞こえた。
テーブル席にはどのテーブルにも先客がいるが、頬に傷があるような男ばかりだ。同席は遠慮しておくことにして、俺は真っすぐカウンター席に向かった。
「わっ!」
大きな男の脇に座ろうとして、俺は思わず飛びのいた。
そこにはカウンターにうつ伏せて寝入っている女がいたのだ。
俺は男の反対側に回ってイス一つ空けて座った。
店主はいかにも魔族らしい顔立ちの男で、俺の顔をじろりと見るなり不機嫌な顔付きになった。店名に「魔族の」とあることからして期待はしていなかったが、やはり人族はあまり歓迎はされない店のようだ。
「お茶セットを一つ」
俺が壁のメニューの隅っこに書いてある文字を指差すと、店主は大きなため息をついた。
「ここは、魔族のための酒場なんだがな。酒も飲めない人族が来る所じゃないんだ」
そうボヤキながらも一応客は客だ、金を払ってもらえるならと割り切ったのか、店主はお茶の準備を始めた。
一体、この薄汚い酒場に誰がいるというのだろう? 俺はこっそりとテーブル席の連中を見回した。
やがて、お茶の良い香りが漂った。
「はい、どうぞ」
俺の前にカップと焼き菓子が置かれた。
「ふむ、良い香りだな。おやじ、俺もお茶をもらおうか」
隣の男が空になったグラスを突き出した。
「はいはい、確かにあんたはそろそろ切り替えた方が良いな。ここでこのお嬢さんと一緒に寝落ちされたら面倒そうだからな」
店主はじろりをそいつを見て言った。
俺と同じ物を注文するとは面白い奴がいたものだ。
俺は何気なくそいつを見た。
そいつも俺を見た。
「…………」
「…………」
くわっとそいつの目が見開かれた。
逃げる間もない。大きな腕が俺の肩を掴んでいた。
「お、お前、カインじゃねえか!」
「お、お前は、ネルドル? ネルドルなのか?」
アッケーユ村で一緒に肥溜めに落ちたあいつである。臭い仲という奴だ。
「お前、よく無事だったな。あれっきり顔を見かけなかったので、どうなったのか、ちょっと心配していたんだぞ。はっはっはっはっ……」
大きく口を開けて笑うが、前歯が欠けているのはなぜだろう。この前は気付かなかったが、せっかくのイケメンがやんちゃ坊主のように見えてしまう。
「そうか、心配してくれたのか? 俺はあの日の夜中に連れ出されてしまったからな」
「夜中? そうだな、朝にはいなかったな、確かに」
急に声のトーンが落ちた。
「どうかしたか?」
「どうかしたか、だと?」
ぐわっと目を開いて、ネルドルが俺の両肩を掴んだ。
痛い、痛い、馬鹿力だ。
俺は声も出せずに目を白黒させる。
「お前か、お前だな? ゴルパーネを俺の部屋のベッドに寝せた奴は?」
「お、おう、それがどうかしたか?」
「お前は、翌朝の惨劇を知らんから、そんな平気な顔をしていられるのだ」
ネルドルは急に力を無くした。
ああ、そう言えば……、俺の脳裏であの日の事が走馬灯のように蘇る。たしか、ゴルパーネをベッドに寝かせて。ネルドルは重くて運べないからそのままにしてきたはずだ。
「何かあったのか?」
「何かあったかだと? 見ろよこの前歯、ゴルパーネの蹴りで折られた」
「な、なぜ、そんな事に? 喧嘩したのか?」
「お前が言うか? ゴルパーネが目覚めたら、何故か俺のベッドにいて、そばには下半身丸出しで俺が寝ていたんだぞ! ゴルパーネがどんな誤解をしたか想像できるだろ!」
おお、それは悪い事をした。
だが、そうなるのでは? と密かに思っていたのは事実だ。
その惨劇を回避するには俺の腕力が足りなかったのだ。許せネルドル。
俺は眼をそらした。
「さては、わかっていて? それともわざとか?」
俺は目を合わせない。
「お前な!」
ネルドルが大きな声を上げた。
「うっさいわねー。ネルドル、ちょっと静かにしてよ」
カウンターに寝ていた女が起きた。
ゴルバーネ嬢、その人だ。
「ひゃっ!」
俺は思わず妙な声を上げてしまった。
ネルドルの向こうから顔を出したゴルパーネが俺の顔をじっと見るが、焦点が定まらない。
「ネルドル! 酔ったわ。そこに変態カインの顔が見える! 亡霊かしら? 化けて出たのかしら? ほら、ますます変態さが顔に沁みついてるわ」
そう言って指差して、脈絡なくけらけら笑う。そして突然寝る。
いかん、酒乱気が出ている。
流石にネルドルも察したらしい。
「カイン、手伝ってくれ。こいつを二階の部屋に運ぶ。俺一人だとまた何をされるかわからん」
そう言ってネルドルはゴルパーネを軽々とお姫様だっこする。
イケメンの癖に力もあるとは、不公平にも程がある。そう思いつつ、俺はよろけるネルドルを誘導し、部屋のドアを開けてやる。
「これでよしと……」
ゴルパーネを二段ベッドの上段に転がし、ネルドルは部屋のテーブルに俺を座らせた。さらに換気のために窓を開け放つと、午後の日差しが差し込んできた。
「明るいうちから泥酔とはゴルパーネもやるもんだな」
「彼女の仕事がうまくいったんでな。お祝いだったのさ」
「へえ……」
しかし、いつの間に俺たちに追い付いたのだろう?
アッケーユ村で別れてからだいぶ経つ。彼らは仕事を終えてから村を離れたはずなので、こんなに早く追いつけるとは信じがたい。実はこう見えて何かの術使いなのだろうか?
テーブルの上にはネックレス状の金属の銘板が無造作に置かれていた。それは帝国が発行した工人の身分証明である。何気なく手に取って見たが、そこには術使いとしての登録はない。
「しかし、ネルドル、よく俺たちに追い付けたよな? 何か移動系の魔法でも使ったのか?」
「魔法ねえ……」
にやっとネルドルは微笑んだ。
笑っただけなのにクールでカッコいい。だからイケメンは嫌いだ。俺なんかどんなに頑張ってもそんなに爽やかな笑顔にはならない。
「俺たちはモノづくりのプロだ、魔法じゃない」
「何か道具なのか?」
「ここいらは大湿地だからな、湿地の上を走る舟みたいな乗り物があるんだ。丘舟という風で動く陸上の帆船みたいな奴だ。道を通らず湿地を直接渡るから移動が速いのさ」
「なんだと、そんな乗り物の話は全然聞かなかったし、一度も目にしたことがないぞ」
「大昔は、大型の丘舟が行き交って、交易も盛んに行っていたらしいが、戦が続いた時代にどこかの馬鹿が湿地を防御に利用することを思いついて、丘舟の建造が禁止されたらしい。
そのせいで丘舟の造船技術は失われていたんだ。
俺たちは以前、旧ネメ国の王立図書館の奥でその建造法を書いた古い本を見つけてな、ヒマな時間に研究して小型の丘舟を造ってみたんだ。それに乗って仕事の依頼があったこの村まで来たという訳さ。どうだ凄いだろ?」
確かに凄い。
ネルドルたちの腕も凄いが、その丘舟の復活は湿地帯の経済に大変革をもたらすだろう。
ネルドルたちはそのことに気づいているのか? いや、ネルドルの顔を見る限り、自分たちが復活させた技術がいかに凄いものかを理解しているようには思えない。
彼は純粋な工人なのだ。うーーむ、何か金儲けの匂いがする。
「なあ、その丘舟は誰でも造れるようになるのか?」
「コツはあるが、一定の腕前の工人なら造作もないだろうな。ただ、核となる軽浮き石という特殊な鉱石が必要なんだ。昔は採掘場もあったらしいが、今では貴重品だ」
「なんだ軽浮き石って?」
「水を弾いて水面に浮かぶ鉱石さ。それさえあれば造るのはそう難しい事じゃない。小型舟なら拳大の軽浮き石があれば十分なんだ」
「そうか、その鉱石がないとダメか……」
俺は見た事もない鉱石を思ってため息がでてしまう。
「少しは手持ちがあるから、小型舟なら数隻は造れるけどな」
ピカッと俺の目が光る。
「ネルドル! 俺と付き合ってくれ!」
俺はネルドルの太い腕を掴んでその顔を見つめた。
「俺は男に興味はないぞ」
やっぱり変態だったかと嫌そうな顔をするネルドル。
「違う! 妙な誤解するんじゃない。俺と一緒に来てくれ。もしかすると金が儲かって、村も救えるかもしれん」
村長のところだ。
今の村の危機を救うには丘舟は切り札になる。
丘舟は魔獣ヤンナルネの速度に対抗できる唯一の手段だ。その造船方法を教える条件として1隻造る毎に何割かの権利料をもらう契約にすれば、この先もずっと儲けが出るんじゃないか?
丘舟の価値が分かれば、軽浮き石の鉱脈を見つける奴が出てくるかもしれない。そうなって丘舟が普及していけば、かなりの儲けになるはずである。
ネルドルは、交渉事は全くのド素人だから、俺が仲介人で入って、手数料をもらうことにすれば。
うひひひひ……である。
ネルドルは俺が何か企んでいるようだと察して顔を歪めた。
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