18.異変、王朝崩壊への扉

第292話 帝都の異変

 帝都ダ・アウロゼの上空は鉛色の厚い雲に覆われていた。


 黒水晶の塔の庭園の中を美しい女官たちをぞろぞろと引き連れ、魔王ゲ・ロンパが散策している。

 彼女たちは女官とは言っても実質は愛人の地位にある者たちだ。魔王はまだ正王妃を娶っていないため、王妃の座を巡って女たちのいさかいも多いらしい。


 魔王は赤い花を手折り、その匂いを嗅いだ。


 その整った顔には喜びも悲しみもない。その感情の無い表情は、先帝から大戦を引き継いで多くの国々を滅ぼした冷血帝と呼ばれるにふさわしいものである。


 「魔王様、ゲ・ボンダ殿がこれから増援部隊を率いて反乱軍討伐に出陣するとのことで、挨拶に見えられました」

 近衛兵の一人がかしづいた。


 ゲ・ボンダが率いるのは帝都方面に残っていた十万近い軍勢である。彼らが出陣すると魔王国のほぼ九割の兵力が黒鉄関門以南に出ることになる。このような事態は先の大戦以来初めてである。


 「うむ、ここへ呼べ」

 魔王は無表情で横柄にうなずいた。


 すぐに庭園内に壇と王座が設置された。本来なら将軍の出陣は謁見の間で大々的に儀式が行われるのが普通だが、今は戦時中であるため儀式は省略され、急な出陣であるため招集が間に合わず貴族たちの参列すらもない。


 「魔王ゲ・ロンパ様、ゲ・ボンダ殿が参られました」

 壇の下に近衛兵が立ち並ぶ中、ゲ・ロンパの執事が告げた。


 庭園の花に囲まれた通路の向こうから鎧を身にまとったゲ・ボンダが配下の兵の一団を引き連れて近づいてくるのが見えた。


 魔王は静かに王座に座った。


 「お前たちは下がっておれ」

 その言葉にゲ・ボンダが到着するまでその左右に侍って美しい肢体をくねらせていた美女たちがしぶしぶ壇を下りていった。


 臣下の礼をとったままゲ・ボンダは無言で壇の下から魔王を見上げた。彼らはすぐに戦地に赴くという理由で全員武装したままでの謁見を許されている。これは大将に任じられたゲ・ボンダが魔王に非常に近しい王族であるという理由も大きい。


 「ゲ・ボンダ、大義である」

 魔王は冷たい眼でゲ・ボンダを見下ろした。


 今度はゲ・ボンダが拝礼する番である。だが、身体が強張っているのか、ゲ・ボンダは動かない。


 「どうなされた?」

 まさか今さら緊張しているわけでもあるまいに。ゲ・ボンダがいつまでも動かないのを不審思った魔王の執事が声をかける。


 その時だ、銀色の光が一閃した。

 執事の穏やかな顔が胴体から離れて地面に転がると、血が噴水のように噴き出した。


 「!」

 近衛兵が剣に手をかけるより早く、ゲ・ボンダが壇上に跳躍した。


 「貴様っ……」それが魔王の最後の言葉だった。


 刹那、魔王の首は空中を飛んでいた。

 ゲ・ボンダが一撃で魔王の首をはねた、と近衛兵達が気づくまで一瞬の間があった。


 「む、謀反だ!」

 「おのれっ、ぐあっ!」


 近衛兵が叫ぶのを、ゲ・ボンダの兵が切り伏せる。多勢に無勢である。近衛兵がいくら優れた騎士であっても一対十では敵わない。しかも守るべき主人は既に殺されている。

 まさか王に最も近しいゲ・ボンダが謀反を起こすなど誰も想像もしていなかった。


 「きゃー---!」

 その光景に呆然としていた美しい女官たちが不意に我に返って一斉に悲鳴を上げた。


 「殺せ! ゲ・ロンパの近衛兵は一人として逃がすな! 女どもは殺すな、捕らえておけ!」

 ゲ・ボンダが叫んだ。


 庭園のあちこちで剣撃が起こるが、数で圧倒するゲ・ボンダの敵ではない。魔王近衛の中でも特に名の知られていた美しい女騎士が一人で十人を相手に最後まで抵抗していたが、それもやがて数の暴力に飲み込まれていった。


 兵に囲まれ、既に悲鳴を上げることもできずに震える美女たちの前でゲ・ボンダは魔王の髪をむんずと掴むとその生首を天に高々と掲げた。


 「この愚者ゲ・ロンパは一天衆の言葉に惑わされ、帝国を危うくした愚王である! 皆に告ぐ、このゲ・ボンダこそ真に魔王を継ぐ者! この国から一天衆を排除し、王族による正しい政道に戻す! 全臣民に我が宣言を伝えよ! そして一天衆の追討を命じる!」


 一天衆が帝都にいないこの機会を見逃すゲ・ボンダではない。

 魔王は誅した、あとは一天衆を皆殺しにすれば良いだけだ。


 「はっ!」

 ゲ・ボンダの兵がすぐさま計画通りの行動を開始した。


 まずは帝都にいる一天衆の美天ナダと、その他の一天衆の家族の拘束である。一天衆が新王国討伐に出払っているため、討伐軍にも伝令を走らせる。一天衆から指揮権を奪い、討伐軍に彼らを拘束させるのが目的だ。


 「家族を人質に一天衆を捕らえるのだ! 容赦はするな! たとえ王族でも我が意に従わぬ者は拘束せよ!」

 ゲ・ボンダは目に狂気を光らせた。



 ー---------


 新王国討伐軍のシンボルとも言える戦闘指揮車の前面に設営されている大テントはいつになくざわめいている。


 新王国討伐軍の幹部たちが大勢集まる広いテントの中央に一人の魔族の男が縛られ、諸将の目を集めていた。

 

 天幕が開く音がして、一堂はさっと緊張の色を深めた。


 「ごくろう」

 「こいつがそうか?」

 鎧で身を固め険しい顔をした獣天ズモーと鳥天ダンダの二人が護衛を伴って入って来る。


 「はっ、ズモー様、こいつが各貴族のところに出入りしていた者どもの生き残りでございます」

 大貴族であり勇猛で知られる老騎士が答えた。


 「他の者はどうした?」

 「捕らえられた時に全員自害しております、おそらくそう言った暗示をかけられていたのでしょう。こいつは暗示に耐性があったようです」


 「それでこいつが持っていた魔導封書がこれだと言うのだな」

 ズモーは手のひらに四角い封書を置いて爪で器用に中を開いた。即座に封書内側に特殊インクで書かれた魔法陣が発動し、空中に半透明の文字が浮かんで流れた。


 部下から既に内容を聞いていたとは言え、実際にその文面を見ると獣天の顔つきが変わった。部下がやんわりと伝えた内容とはやはり違う。そこには一天衆への憎悪があふれている。


 「無能な王族のくせに……威張りおって」

 「しかしながらズモー殿、これは由々しき事態ですな。すぐにオズル様に知らせねばなりますまい」

 鳥天ダンダが横から覗きながら言った。


 「うむ。連絡はお主に任せる。さて、諸将よ! この中にはこの檄文を受けた者も多いことであろう!」

 獣天ズモーは大きな目をぎょろりと動かした。その視線の先でそっと人の影に隠れた大貴族たちが何人かいる。


 その封書は、帝国を弱体化させた魔王ゲ・ロンパを誅殺し、一天衆の家族を人質にとったことを伝えている。

 さらに貴族たちに「帝国を私物化する一天衆を討ち、新たな魔王である我に馳せ参じよ」と勅命を下すゲ・ボンダからの密書であった。 


 正規の即位を経ない偽魔王の勅とは言え、使われているのはまさに玉璽。その重みを知る古株の貴族ほど動揺が大きい。


 獣天ズモーはゆっくりと壇上に立って一堂を見下ろした。


 「諸君! ここに集まっているのは誇り高き魔王国の騎士である! 強制はせぬ! 各自、自らの心の声に応じて態度を決めるが良いぞ!」

 その言葉にテントの中は静まり返った。

 どちらに付くべきか、大貴族たちの表情に戸惑いの色が見える。


 「我は止めぬ! この檄文に応じて反逆者ゲ・ボンダに付く者は剣を取れ! 我らに付き従う者は今ここで我に忠誠を誓え! 日和見は許さぬ!」

 獣天ズモーは吠えた。

 びりびりと天幕を震わす声に集まっていた貴族たちは一斉にひれ伏す。


 ただ一人驚愕のあまりひれ伏さず、動転して腰の剣に手をかけたデブの大貴族が即座に周囲の貴族から斬り伏せられたのが見えたが、もはや誰も気にも留めない。


 「獣天ズモー様、鳥天ダンダ様! ゲ・ボンダこそ魔王様を弑した謀反人! ここに集いし我らは共に立ち上がり、必ずや謀反人を打ち倒しましょうぞ!」

 中貴族の一人が声を上げると、もはや流れは決まった。その雰囲気で嫌だなどと誰が言えようか。


 「よくぞ申したスバラデオ! ただちに新王国に休戦の使者を送れ! 陣を引き払って帝都に向かうぞ! 逆賊をのさばらせる時間など与えん!」

 獣天ズモーは声を張り上げた。


 「はっ!」

 「急げ! 馬車を準備しろ!」


 来るべき時がきたのだ。

 慌ただしくテントを出ていく諸将を見ながら、獣天ズモーは一人犬歯を剥き出しにして歪めた唇を舐めた。



 ー---------


 暗雲の空の下、固く閉ざされた黒鉄関門に向け、閉鎖された街道を埋め尽くし帝国軍が大挙して北上していく。


 一天衆の更迭はゲ・ボンダの意図した結果にならなかった。

 討伐軍にゲ・ボンダの命に従う者が皆無だったとは言わないが、一天衆の拘束や誅殺は悉く失敗し、一天衆から討伐軍の指揮権を剥奪することは出来なかったのである。


 獣天と鳥天は素早く新王国と休戦協定を結び、討伐軍を反転させると帝都ダ・アウロゼに逆に攻め入る気配を見せていた。


 その迅速な行動は帝都に篭るゲ・ボンダ軍の予想を超えていた。 


 獣天が先鋒を務める討伐軍はまるでゲ・ボンダの謀反を予測していたかのように各地の補給拠点を事前に接収していたのだ。

 スーゴ高原の陣地に蓄えた物資の移送は後回しにして、補給拠点の物資や食料を元に、わずか数日で主力部隊が黒鉄関門まで攻め上ってきたのである。


 軍の移動には大量の物資が必要だ。その移送には大軍であればあるほど充分な日数と計画性が求められる。

 大軍である討伐軍がスーゴ高原でもたもたしているうちにシズル大原の要所を押さえ、オミュズイの帝国軍基地を支配下におき、スーゴ高原で討伐軍を孤立させるというゲ・ボンダ軍の計画は破綻した。逆にゲ・ボンダ軍は黒鉄関門以南への影響力を失ったのである。


 そして今や、黒鉄関門を挟んで同じ帝国軍同士が睨みあっている。


 帝都に残る貴族や国民は今のところゲ・ボンダへの恭順を示しているが、討伐軍がゲ・ボンダを謀反人として喧伝したため、シズル大原一帯の街や村は討伐軍を支援する考えを表明した。


 こうなればもはや新王国どころではない、魔王国を二分する戦いが始まろうとしているのだ。


 黒鉄関門の堅牢さを知る獣天軍は長期戦に備えて陣城を築き、厄兎大獣隊の生き残りが到着するのを待った。

 陣城が完成する頃になってようやく厄兎が戦場に到着し、ただちに獣天ズモーの陣の前に配置された。対する黒鉄関門の重砲は、討伐軍主力部隊が展開する陣地の方向に向けられている。


 「王族を蔑ろにし、国政を専横する一天衆を許すな!」


 黒鉄関門の城壁の上で王族派の貴族が剣を抜いて叫ぶと「何を言うか! 魔王様を殺した謀反人に裁きを!」と獣天ズモーが討伐軍の前に姿を現して声を張り上げた。

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