第309話 貴天、鬼天の襲撃2
「ちっ!」
貴天は上空で唇を噛んだ。
さすがの貴天も、時折3姉妹が攻撃してくるのを回避するだけ手一杯になってきた。
「手強い! 注意すべきはミズハと3姉妹だけだと思っていたが。何だあの人間たちは……。あれは本当に人間か?」
その目にサティナたちの動きが映っている。
大剣の少女が一番凄い。しかし氷のような冷気を感じる黒髪の美女の剣も、一見清楚な少女の刺突剣も恐ろしい威力を放って戦場を縦横に疾駆している。
「特にあの大剣……あれは厄介だ」
貴天ですら未知の魔剣。
撃ち込む魔法攻撃はおろか、斬り結んだ近衛兵の魔力が急激に失われていく。
しかもそれだけではない。持ち主のあの少女だ。
その圧倒的な剣技は芸術的ですらある。美麗な技の駆け引きの前に深紅の幻影と謳われた近衛騎士団の猛者たちが次々と倒されている。
試しに大量殺戮用に生み出した超一級変異体の魔獣をけしかけたが、事もなげに斬り伏せられた。見た目は美少女のくせに大災級の魔獣との戦いにも慣れているようだ。
「あれほど強大な力を持つ者が3姉妹の他にもいるとはな。知らなかったぞ、誤算だった。あいつらが近衛騎士団を足止めしたせいで3姉妹が俺と鬼天だけを狙える状況になったか」
貴天はアリスの指鉄砲の光を危うく避けてつぶやいた。
わずか30人前後の敵に手駒の精兵が次々と倒れている。死人の巨人兵に押し返されて魔獣も鬼天の兵も既に壊滅に近い。
しかも、何らかの精神攻撃を受けたのか、何故か膝を抱えてオイオイと泣いて戦闘不能になっている兵があちこちにいる。
「さてどうするべきか? あれもまだ本気ではないか……。俺の能力を見極める魂胆なのだろうが」
貴天がさらに飛翔しながら地上にいるアリスをにらんだ。その時、カムカムの兵たちが大きな歓声を上げるのが聞こえた。
ぐぶお! 鬼天が血を吐いた!
その体にはイリスの黒々しい鞭が絡みついている。状況はすぐに分かった。鞭の猛毒がまわった鬼天の心臓をクリスの槍が貫いたのだ。
「あの鬼天を討ったぞ!」
「おおっ!」
「やってくれたな! まさか鬼天の毒耐性を上回る猛毒で動けなくしたというのか!」
何という猛毒の使い手か!
だが、それだけではこうはならない。鬼天も自分の毒耐性に絶対の自信があった。慢心が敗北を招いたにすぎぬ。
「愚か者めが……」貴天は唇を噛んだ。
「恐るべし三姉妹! あれを呪殺できなかったのが悔やまれる!」
そう言って貴天は身をひるがえした。
鬼天ダニキアの死に驚いている場合ではない。アリスの攻撃も侮ることはできない。貴天オズルを追ったアリスの指鉄砲の光線が背後の城壁を斜めにすっぱりと切り落としていく。
こいつも恐ろしい相手だ。その凄まじい切れ味は舐めてかかったらまずい。もしかすると二人の姉より強敵かもしれない。
「鬼天様が討たれたぞ!」
「まさか、信じられん!」
石畳みに倒れ伏した男。
血の海に沈んだ鬼天を中心に、水面に輪を描くように兵たちに大きな動揺が走る。
「こんなバカな! ありえぬ!」
「に、逃げろ!」
戦意を失い鬼天の兵たちが逃げ始める。闇に潜むのが得意な奴らだ。不利になればすぐに撤退し保身を図る連中だけあって逃げ足は速い。
しかし今回はいつもの撤退とは違う。鬼天部隊にとって絶対の存在だった鬼天が倒れたのだ。もはや潰走といっていい。
貴天配下の深紅の騎士団もあの黒い大剣の少女たちに討たれて既にまともに立っている者はいない。
「ちっ、役に立たぬ者どもめ! 仕方が無い、実験場を放棄するのはもったいないが……。ゲ・ロンパ、ミズハ、この旧王都がお前たちの墓場だ! 全てを灰燼に帰す!」
貴天オズルは懐から黒い珠を取り出した。
「ダニキア! このまま死ぬことは許さん! これを受け取り役目を全うせよ!」
オズルが投げた黒い珠は鬼天に吸い寄せられる。
そして倒れた鬼天の背中に張り付くと、気持ちの悪い寄生虫のように蠢き、肉を抉り血飛沫を上げながらその体に潜りこむ。
「これはっ! お姉さま!」
「みなさん退避です! クリス! みんなを安全な場所へ!」
イリスがとっさに叫んだ。
鬼天の死骸から黒い闇と光が生じた……。
「あれ? ここはどこだ?」
「暗黒術か?」
俺たちはいつの間にか全員王宮の瓦礫の陰に集められていた。一瞬の出来事にカムカムたちも目を丸くしている。
「カイン、大丈夫ですか? 怪我はしていないですか?」
サティナ姫が俺の腕をつかんだ。
「ああ、大丈夫だ。それよりもみんな無事だな?」
見回すとリサと目が合った。そこは私の居場所ですぅ! とサティナをにらんで頬を膨らませている。
一瞬で3姉妹が全員をここに運んだのか?
だが、そんな事を考えている場合ではなかった。
ダニキアに集まった黒い力が急速に拡大し、禍々しい闇の中で、何かが蠢いた。その黒いオーラに触れた死人兵や敵の兵たちが一瞬で吸収されて消滅していく。
俺たちを守っているのはルップルップの防殻でもない。同じように黒々としたドーム状の何かである。これは3姉妹の暗黒術だ。闇の攻撃を闇の力で防いでいるという感じか。その闇の力を察したのか、サティナの背中の大剣が淡く光って力を増しているように見える。
「業火の
貴天オズルの声が響き渡り、闇の中から巨大な影が姿を見せた。城壁の外に出現したそいつの背丈は王城の高い城壁の倍はあるだろうか。二足歩行の巨大な蜥蜴のような奴である。その口元からは炎が漏れている。
「あれは何なの?」
弓を手にしたままセシリーナも驚いている。
「あれは、古代の、卑神獣」
クリスがつぶやいた。
「古代の神獣? まさか、その生き残りなの?」
セシリーナが目を見張る。
「くそっ! 撃て、矢を放て!」
バルトンが叫ぶ。
一斉に騎士が矢を引き絞って放つが、その堅い鱗に弾かれ、まったく効いていない。
「まずいぞ。あんなのどうやって倒せばよいのか。できるか? ミズハ?」
初めて少し不安な表情を見せ、ゲ・ロンパはミズハを見た。
「私にできないと思うのか?」
ミズハは不敵に微笑む。
「そうか、さすがは俺の大魔女。やってくれるか?」
「もちろんだ」
「ミズハ様、あいつは私たちが相手をしましょうか?」
イリスが言った。
「いや、待て」
動こうとした3姉妹をミズハが片手で制止した。
「お前たちは少し体力を回復するんだ。お前たちは我らにとって最大戦力にして最後の希望だ。貴天は油断がならない。ここはまずは私がやってみよう」
そう言ってミズハは瓦礫の上に立ち、その杖を構えた。
「ほほう、やる気かミズハ? そいつは神獣だぞ。お前の魔法でどうなるような存在ではないぞ?」
貴天オズルは上空で勝ち誇っている。
ミズハは貴天を無視して詠唱を始めた。
「無駄なことを……、業火の卑神獣よ、やってしまえ!」
オズルの言葉に、巨大な卑神獣が堅固な城壁を片手で崩し、巨大な口腔を開いた。真っ赤な溶岩が涎のように流れ落ち、その喉の奥が熱を強めた。
「オズル! お前は知らないだろうが、私が使えるのは通常魔法だけではないんだ!」
銀髪をなびかせたミズハの周りに生じた光が、卑神獣の足元に向かって広がる。
「くっ、それは光術か! いつの間にそんな高等な技を使えるようになったのだ!」
貴天の表情から余裕が消える。
「やはりな! まだ完全に召喚しきっていない! 召喚術の構造は把握した! このまま元の聖なる空間へ送り返してしまえば……」
とその時だ、突然聖なる光が消えた。
「!」
誰もが言葉を失った。
ミズハの胸に矢のような物が突き刺さっている。
「ぐはっ!」
血を吐いて落下するミズハの身体が幻影のように地面でバウンドする。
「ミズハ!」
ゲ・ロンパが駆け出す。
そこに狙いを定め貴天オズルが笑みを浮かべる。その指先が冷たく光る。
奴の身にまとう闇の気配が信じられないほど増大している。やはり奴は己の力を隠していた。あの距離から大魔女ミズハに気取られることなく狙撃した。
その身に纏わりつく冷たい闇色の力はイリアたちですらオズルに一撃を加えるのは難しいだろうと感じるほど。
オズルの指先に膨大な魔力が集中し、再び鋭利な槍状のものが生じた。
「ゲ・ロンパ、予想通り結界から出たな。これがお前の死だ!」
その時だった。
オズルの身を包んでいた闇の加護が大きく揺らぐと急速に不安定化した。
「ぐっ、帝都で何か起きた? あの封印を解いた者がいるというのか?」
オズルは顔を歪めて胸を掴んだ。
そしてそのわずかな隙を見逃さない者がいた。
「貴方は卑怯者ですっ! 許さないっ!」
オズルの目の前に漆黒の影が揺らぐ。一瞬の隙をついて斬りかかったサティナ姫の黒光り丸が煌めく。
「こんな上空にまで転移してきただと! 人間のくせに!」
驚愕したオズルの目の前、今まさに射出しようとしていた闇の魔槍が砕け散る。サティナの大剣がゲ・ロンパを狙っていた魔槍を砕いたのだ。
「!」
魔槍の内側に溜め込んだ力が制御不能になり貴天を巻き込んで爆裂する。凄まじい乾いた破裂音!
鋭利な無数の破片が退く貴天オズルの身体に次々と突き刺さっていった。
「お、おのれ! 人間風情がっ!」
胸に破片を受け、押さえた指の間から血が滲みだす。
深手を負ったのか、オズルは急激な魔力低下によるめまいを感じてふらついた。
「逃がしません!」
追撃の手を緩めないサティナの美しい瞳がその驚愕に歪んだ顔を映した。刹那、防御に回った貴天を一蹴し刃を叩きこむ。
やったか!
だが、サティナの一撃は紙一重で貴天オズルの前髪をわずかに断ち切る。
いや、違う。確かに、間違いなく、サティナの剣はオズルを袈裟懸けに斬った!
しかし、オズルは斬られた瞬間、その姿は初めからそこにいたかのようにサティナの後方にいたのである。
誰もが目を疑う。
「なんだ今のは!」
俺はサティナの大剣が奴を叩き切ったのを見たはずだ!
だが斬られたはずの貴天は生きている。間違いなく奴は何か特殊スキルか何かを使った。だがそれが何なのかがわからない。
しかし、奴も無傷ではなかった。
初撃で負わせた胸の傷口から噴き出した貴天の血が上空に飛び散った。
「ふ、不覚! これが無ければ……」
貴天が唇を噛むとその姿は徐々に透明になり、やがて消滅した。奴は……逃げたらしい。
「ミズハ! ミズハ! しっかりしろ!」
ゲ・ロンパの腕に抱かれたミズハの返事は無い。
「傷を見せなさい、私が何とかする!」
ルップルップが急いでミズハの元に駆け寄ると治癒術をかけ始めた。ふだんは間抜けだがさすがは神官といったところか。
「私も手伝います!」
ミラティリアも両手をかざして治癒力を高める術を唱え始めた。彼女にそんな才能があるとは知らなかった。
「この応急薬を! 早く飲ませるんだ!」
カムカムが騎士が持ってきた箱から薬を取り出した。あれは俺の手持ちの薬よりずっと効果が強い、高級薬だ。
グギャアアア!
その時、雄叫びとともに城壁が崩れる音が響いた。
統制を失った卑神獣が狂ったように暴れ始める。貴天オズルの支配が急に失われ錯乱状態に陥ったのだ。
「まずい。奴が退却したせいで卑神獣が暴走を始めたんだわ」
セシリーナが見上げる。
「どうするんだ! あんなの手に負えないぞ」
「カイン様、あれを止めます。クリス、アリスここは頼みます。今から少々荒っぽいことをしますから、二人はみんなを守りなさい。私は彼を呼びます!」
イリスは立ち上がると両手を空に向ける。その仕草を見たクリスとアリスの表情が変わった。その真剣な顔つきにただならぬ気配を感じて背筋が凍る。何が起きるのかと誰もが息を潜める。
「さあ、目覚めよ厄災の灼熱八頭龍! 我が命に従い今生に転生し、その姿を見せるのです!」
その声は吸い上げられるように天空に向かって響いていく。
直後、遥かな上空に歪んだ空間が生まれ、ぽこりと丸い窪みが生じた。
突如、黒い霧と共に凄まじい稲光が走り大地を貫く。
天空の澱みの中の染みのような巨大な影が次第にはっきりしてくる。曇天を斬り裂き現れたのは、うねうねと蠢く八つの頭。その16もの無機質な眼が卑神獣を見下ろす。その頭部は遥か上空に渦巻く雲にかかりそうなほどだ。とてつもなく大きい。
「な、なんという巨大な龍だ……!」
カムカムの言葉通りだ。
俺たちは絶句するしかない。
「あれが、イリス姉様の、かわいい、
クリスが見上げた。
「あれがペットだと……?」
「そうです。だからイリス姉様を怒らせたり、悲しませたりしては駄目ですよ。あれにぷちっとされますから」
アリスがにっこりと微笑む。
こ、怖い……怖すぎるのだが……。
だが、クリスとアリスも似たような邪神竜をペットにしているらしい。話には聞いていたが、実物を見ると本当に世界を滅ぼしそうだ。将来、三姉妹と夫婦喧嘩するのだけは止めた方が良さそうだ。
卑神獣が炎を吐いて八頭龍の前足に体当たりしたが、卑神獣の大きさは八頭竜の前足の膝関節くらいまでしかない。
地面が揺れて城壁が崩れ始めた。
俺たちは立っていられない。
八頭龍が片脚を上げただけで、卑神獣が吹き飛ばされ、倒れた巨体で街が瓦礫と化す。
「まるで大人と子どもだわ」
サティナは目を丸くした。
目の前で創世記の神話に出てくるような龍が大蜥蜴と争っているのだ。
倒れた卑神獣が全身から炎を噴き出す。しかし、それに呼応するように八頭龍が全身を青白く光らせ、周囲を灼熱色に変えた。その熱は卑神獣の熱を遥かに凌駕している。
鱗を焼かれた卑神獣が吠える。
まるで溶岩の塊が動いているようだ。
物凄い熱気がここまで伝わってくる。
「瓦礫の陰に隠れて! 火傷するわよ!」
その声に従わない者はいない。暗黒術を行使しているアリスとクリス以外、全員瓦礫の裏に身を隠した。直後、はじかれた炎の渦がその周囲を舐め尽くしていく。
「なぜだ。そうしてここだけこんなに涼しい? 空気も普通だ」
ルミカーナが地面に触れる。地面の温度も上がっていない。大気も周囲で熱風が逆巻いているとは思えない冷ややかさ。
「ここは別世界の一部です。周囲の空間を切り取って別の空間に接続しています」
「そんな事ができるのか?」
「ええ、空間や存在そのものを操る術です」
アリスはこともなげに答え、イリスが八頭龍に指示を出しているのを見上げている。やはり暗黒術師は恐ろしい。
卑神獣は分かれている尾の先端を一つにまとめ、鋭い槍のように形を変えると渾身の力で八頭龍の首の一つを突いた。その衝撃に仰け反った首以外の7つの首の眼が赤く輝いた。
「ああ、彼を怒らせてしまいましたよ。愚かですね」
「うん、愚かなトカゲ」
八頭龍は卑神獣の腹を蹴飛ばすと大きく口を開く。
立ち上がろうともがく卑神獣に向け、青色の稲光にも似た超高温の熱線が放出された。7本の光が通りすぎた跡は鋭利な刃物で斬ったように裂けていく。
ギャアアアア!
卑神獣の断末魔の声が轟く。
歪んだ上空に黒い闇が広がり、細々な肉片に切断され黒い粒に変化した卑神獣の身体が吸い込まれて行った。
「さて、終わりました」
アリスが振り返って微笑んだ。
その背後で白い光が起こり、八頭龍の姿が幻のように消えていく。
「カイン様、いかがでした? あれが私のペットです、カイン様のご命令があればいつでも召喚しますけど」
そんな恐ろしいことを言い、イリスが天使のように光に包まれながら瓦礫の上から軽やかに降りてくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます