第310話 ゲ・ボンダの専横

 黒く輝く玉座がある。

 ゲ・ボンダはニタニタと笑みを浮かべ、その感触を確かめながらそこから見下ろす景色を見回した。天井から降り注ぐ煌びやかな光に照らされて豪華絢爛な謁見の間を一望にする、これぞまさに王だけの眺めであろう。


 「なかなか気分が良い眺めであるな」

 ゲ・ボンダは顎を撫でた。

 今は生真面目な顔をした執事が一人そこにいるだけだが、やがてここには招集をかけた貴族たちが集まり、この新魔王の即位を祝うだろう。


 「即位式の準備は進んでおるか?」

 「はい。大急ぎで支度を進めております。ただ、いつもと違い南からの物流が止まっておりますので、手に入りにくい物もございまして」

 

 「貴天め、出自の卑しい者のくせに思い上がりおって。王族でもない者が帝国軍を名乗るなど、言語道断である。ただでは済まさんぞ」

 ゲ・ボンダは乱暴に玉座のひじ掛けを拳で叩いた。


 囚人都市で失った記憶は戻っていないが、王族にありがちな生来の傲慢な性格と貪欲な欲望が戻ってきた。


  あのギラギラした目つき、あれが意気盛んな表れであれば良いのですが……。親の代からゲ家に仕えて来た初老の執事ゲジャンは玉座を見上げる。


 「ところで魔王様、拘束した美天ナダはいかが処分いたしましょうか?」


 「うむ、一天衆の連中は皆殺しにしなければ気が収まらんが、美天だけはしばらく生かしておいてもよかろう。なにしろわしを回復させたのだ。その褒美としてな。ふふふふっ」

 ゲ・ボンダは口を歪めて笑った。



 ーーーーーーーーーー


 あれは貴天たちが第二次新王国討伐軍を率い、華々しく帝都を発った日だった。


 勇壮な軍隊が堂々と行進していくのを王族の一人として苦々しくテラスから見送り、嫌気がさして少し疲れたと王宮内の回廊に入った時だった。


 「お待ちを……」とゲ・ボンダの前に美天ナダが現れたのだった。


 美天は野心家である。

 貴天に代わって自分が一天衆のナンバーワンになりたいと思っていることは既にゲ・ボンダの耳に入っていた。そんな男が何の用か、と思っていると。


 「貴方様にお聞きしたいことがあります」

 美天は女のような顔で微笑んだ。


 「貴様に話すことなどない、そこをどいてくれ」

 「ふふふ……、一天衆嫌いの貴方が私の頼みを聞くとは元から思っておりません。ですので少々痛い目にあっていただきます!」


 「貴様! 何をする!」

 美天がその両手に術を発動させながらゲ・ボンダに駆け寄ってそのこめかみに人差し指を突き立てた。


 「吸魔の鏡、それさえあれば貴天の力を弱めることもできるのです! その在処を教えてもらいましょう!」

 美天が貴天が不在になったのをチャンスと見て動き出したのだ。美天は王家の宝物庫に封印されている邪悪な魔法具を手に入れるため、ゲ・ボンダの知識を欲していた。


 「ぐおっ! おのれ!」

 美天は、ゲ・ボンダの記憶を掘り起こし、自分の物にする特殊な術をかけてきた。脳みそがひっくり返されるような激痛にゲ・ボンダは悶えたが、同時に美天も「ぐはっ!」と白目を剥いた。


 ゲ・ボンダが記憶喪失になっていたことは美天ナダにとって予想外だった。彼は長い間北方の反乱を鎮圧に出ていたのでゲ・ボンダが囚人都市で大怪我を負ったことを知らなかった。そのため術を仕掛けた美天自身に脳震盪を起こすほどの衝撃が襲ったのだ。


 そして、美天の記憶操作術はゲ・ボンダ本来の性格と気性を呼び覚まし、同時に生来の野心的な性格を大きく肥大化させたのだった。


 ゲ・ボンダの目が血走った。

 囚人都市での大怪我で失っていた破壊衝動が一気に爆発し、その剛腕は美天を軽々と弾き飛ばして壁に叩きつけていた。


 ついに覚醒したゲ・ボンダは本能の赴くままに美天を滅多打ちにして拘束し、一天衆の言い成りになっている魔王を殺す決意を固めたのである。



 ーーーーーーーーーー


 「魔王様、黒鉄関門より定時報告でございます。今朝方、獣天に続き、敵軍の将の一人である鳥天ダンダの戦死が確認されました。敵軍に撤退の動きはありませんが、その数は減じております。敵は未だに第一城壁すら突破しておりません」

 黒鉄関門所属の兵士が報告した。


 「うむ、そのまま敵を消耗させ、退却に移ったところを追撃して撃滅せよ」

 ゲ・ボンダは鷹揚に告げた。

 「はっ!」

 兵は敬礼して立ち去っていく。


 「さて、国賊、一天衆の軍はじきに壊滅するであろう。敵を討ち滅ぼした後、我に反旗を翻したシズル大原の愚かな街々にも相応の処罰を与えねばな。そうであろう?」


 「はっ。そうでございますな」


 「さて、ゲジャン、先の愚王の後宮だが、先々王の崩御以来未使用だったというだけあってキレイなものであった。細部にわたり王の寝室にふさわしい造りであったぞ。そこで我が妾たちをさっそく後宮に住まわせたいと思うがどうだ? それに後宮は広い。魔王となったわしにはもっと多くの美女が必要ではないか? そうであるな?」

 ゲ・ボンダはそう言って好色そうに唇を舐めた。


 「はっ。世継ぎは必要でございます。そのことでございますが既にクリスタル階級以上の貴族に娘を差し出すように命じております。おそらく今日、明日中には百人程の娘が王宮に参集するかと思われます」

 主人の性格は熟知している。ゲジャンは頭を垂れた。


 「ふむ、その中から選別するのだな?」

 「はい。なるべく早く正王妃となる者も見つける必要がございます」


 「むふふふ…………それは楽しみであるな」

 ゲ・ボンダはニタニタと笑った。



 ーーーーーーーーーー 


 黒水晶の塔の後宮フロアにある広いダンスホールに多くの若い娘が集められていた。


 誰もが急な召集に不安を隠しきれない表情をして戸惑っている。集められているのが若い娘ばかりで、しかも有無を言わさず連れてこられたのがこの後宮フロアである。誰も口に出さないがその意味するところは明らかだろう。


 「ゲ・アリナ様!」

 不意に声をかけてくる者がいた。

 親しい貴族家の娘に囲まれていたゲ・アリナの元にクサナベーラ嬢が駆けて来る。


 「まぁ、クサナベーラではありませんか? いつ帝都に戻って来たのかしら?」

 「はい、先週、向こうでの後片付けを済まして屋敷に戻ったのでございます。でも、今回の急な召集、しかも若い女性ばかり、これは一体どういう事なのでしょうか?」

 クサナベーラは不安そうに周囲を見渡した。


 「ここだけの話ですが、新魔王様がこの後宮に入れる女を募集しているのだそうです」

 ゲ・アリナが小声で言った。


 「後宮にですか?」

 娘が魔王の妻や妾に選ばれることは貴族家にとっては最大の名誉であり、娘たちも後宮に入ることは一種の憧れでもある。

 だが、それは通常の場合だ。

 今の王は正常な方法で王位についた者では無い。世間の評判は最悪であり、在任期間は短いだろう等という不穏な噂話が流れるほどだ。そんな先の無い王の後宮に好き好んで入る者がいるとは思えない。


 しかもあの新魔王は、顔もスタイルも性格も最悪だ。あんな太った泥豚族みたいな容姿が好みだという女性は少ないだろう。


 「困りましたわ。正直、あの人だけは夫にしようという気が起きませんの。以前から横柄で女癖が悪いという評判でしたし、お金にも貪欲ですごいケチだとか」

 ゲ・アリナが表情を曇らせた。

 以前から会うたびにゲ・ボンダが嫌らしい目つきで自分を見ている事に気づいていた。ここにいれば間違いなく後宮入りを告げられるだろう。


 「だとすれば、一刻も早くここを逃げ出した方が良いですわ。さあ、お早く」

 「そうですわね、でも逃げられますかしら?」


 「何もしなければ、あの泥豚男の餌食ですわ。行きましょうゲ・アリナ様、さあ逃げたい人はついてきて」

 星姫様コンテストに出ただけのことはあって武芸にも多少自信があるクサナベーラである。ただの令嬢とは違う行動力がある。


 「お待ちください!」

 ゲ・アリナを連れて、出口に向かおうとしたクサナベーラの前に衛兵が立ちふさがった。


 「何です? 無礼ですよ」

 「申し訳ありませんが、ここを出ることはできません」


 「どういう事です? この方は王族、しかも王位継承権がある魔王五家のゲ・アリナ令嬢ですよ」

 「なおさらダメです、ここはお通しできません」

 魔王五家と聞き、衛兵は多少引きつった顔で言った。


 「魔王五家のゲ・アリサ様であれば、ここをお出しする訳には参りませんな……」

 その衛兵の背後から兵士を引きつれ、初老の男がゆっくりと姿を見せた。


 「お前は! ゲ・ボンダの腰銀着こしぎんちゃく、ゲジャン!」

 「腰銀着とは人聞きの悪いことを申しますな、ゲ・アリナ様」


 「どうして出られないの? 後宮に入るかどうかは自分たちの意思だったはずですわ。ましてゲ・アリナ様は王族ですのよ」

 「おっと、動くな!」

 クサナベーラが一歩前に出ると、ゲジャンが連れて来た兵がぐいっと槍を突き出した。


 「お前たち、この塔の中で貴族たるこの私に武器を向けるとは無礼ですわ……」

 「たとえどなたであっても、これは魔王様のご命令です」

 「そうだぜ、大人しくしているんだな」

 クサナベーラの喉元でガラの悪い兵の槍先が光った。


 「ゲ・アリナ様も動かないでくだされ、この者たちは少々気が荒い者たちですからな」

 そう言えば、ゲジャンが新たに連れて来た兵たちの立ち振る舞いには気品が無い。本来衛兵は貴族の子弟から選ばれるのだが、こいつらはもしかして……。


 「ふふふ……ゲジャンの旦那、褒美として金も良いがな。こいつらの中から一人づつ頂くというのも俺たちとしては有りだぜ」

 ガラの悪い兵たちは欲望に満ちた目をぎらつかせてクサナベーラを見た。

 

 「馬鹿を申せ。いくら魔王様が気前が良くても傭兵ごときお前たちに貴族家の淑女をくれてやるわけには行かぬ」

 「ちっ!」


 「さて、このたび偉大なる魔王様は、魔王五家を一つにというお考えを示されました。魔王五家の頭首も魔王様以外で男で残っているのは老いたゲロロンダのみ、他3家はゲ・アリナ様をはじめとして長女が家を継いでおります。つまり、どういうことか、意味はおわかりですな?」


 「まさか、魔王五家の頭首である我々を後宮に入れると?」

 ゲ・アリナは青ざめた。


 「魔王五家の後宮入りは、魔王の権力を高める力になりましょう。おわかりですな。もはやゲ・アリナ様に選択の権利はございません。今宵、大人しく魔王様の女になられませ」

 ゲジョンはそう言って恭しく頭を下げた。

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