第311話 後宮からの脱出1

 「どうしましょう?」

 「このままではあのゲ・ボンダの妻か妾にされてしまいますわ」

 ゲ・アリナを中心にクサナベーラや取り巻きの娘たちが集まって話をしていた。


 「ゲ・アリナ様以外の魔王五家のお嬢様はもう来ていらっしゃるのですか?」

 「いいえ、まだ到着していないようです。召集がかかっても遠くにいる者はすぐにはこられませんからね。ここに居るのは運悪く帝都にいた娘たちでしょうし。一刻も早くここを逃げ出して、帝都には来るな、とみんなに伝えなくてはなりませんわ」

 ゲ・アリナが眉をひそめた。


 「中には嬉々として後宮入りを望む者もいるでしょうけどね」

 クサナベーラがつぶやいた。


 「それはそれですわ。問題は望んでいない者たちです。こんな強権的な集め方をした王などこれまで聞いたことありませんわ」


 そうだそうだ、とみんながうなずき合った。


 「どうやって逃げますか? 見張りがいますし」

 「そうですわねぇ……」


 「良い事を思いつきましたわ!」

 クサナベーラがぽんと手のひらを叩いた。


 「この階のお化粧室のお向かいにはちょっとした庭園があります。お化粧室に行くと行って、その窓から庭園に逃げたらどうでしょう? 庭園の下の階には通信用の飛竜が飼われています。 飛竜程度を乗りこなせない貴族はここにはおりませんわ」


 「いいわね! それでいきましょう」

 微笑んだゲ・アリナがクサナベーラの手を握った。


 「私は飛竜が苦手ですので、残りますわ。ゲ・ボンダは私を嫌っておりましたし、私の父とも不仲ですから、きっと後宮入りには選ばれません。衛兵の気を反らして時間を稼ぎますわ」

 「それならば私も時間稼ぎにまわります。ゲ・アリナ様お気をつけてくださいませ」

 不安そうな顔をした令嬢と一緒にいた少女が頭を下げた。彼女は小貴族だ。ここに残ると言った盟主家の令嬢の身を案じたのだろう。


 「私はゲ・アリナ様について行きますわ」

 「私もです」

 取り巻きのお嬢様たちは、残るか逃げるか、それぞれ覚悟を決めたようだ。


 「それではゲ・アリナ様について行くのは私を含めて6人ね。行動を起こすわよ」

 クサナベーラはみんなを集めて小声で言った。



 ーーーーーーーーーー


 「あの、衛兵さん」

 「ん?」

 大きなあくびをしていた入口の兵士が面倒くさそうに振り返って、目を大きくした。


 そこには帝都でもめったに見かけることがないほどの美少女がいた。しかも、少し顔を赤くして上目遣いに覗きこんでいるのだ。


 「な、なんだ?」

 無精ひげの兵は少しドギマギしたようだ。

 そのくりくり目の愛らしさに、声をかけられた男が魅了されるのがわかる。これが彼女のスキルだと気づくことはないだろう。


 「あのね、ちょっとお手洗いに行きたいのです……もう、我慢の限界なの……」

 そう言って腰を振ってもじもじする仕草がかわいい。


 「あーー」

 男は言葉に詰まった。娘を部屋の外に出すのは厳禁と言われている。だが、美少女が潤んだ瞳で見つめては堪らない。


 これほどの美少女に好ましい目で見られた経験が男にはなかった。


 「そこで、ま、待っていろ! 今、上司に確認する!」

 兵士は慌てて駆けだした。


 「あっ、待ってよ!」


 「しまったわね。上司に聞きに行くなんて想定はなかったわよ。どうするんです? クサナベーラ」

 「仕方が無いですわ。こうなったら」

 クサナベーラは意を決して息を大きく吸い込んだ。


 「ああ、もうだめ! お手洗いに行かせてもらいますわ!」

 男の背中に向かってクサナベーラは叫んだ。


 「えっ!」と振り返った兵士の目にぞろぞろと女たちが勝手に部屋を出ていくのが見える。


 「あ! ばか! 待てと言っただろ! 早く戻れ!」

 あの先はお手洗いしかない行き止まりなのだが、それでも命令違反は非常にる。しかもあれは何だ。ひとりだと思ったら数人が出て行った。


 「女はすぐ群れたがる、これだから困るのだ!」

 兵士は慌てて後を追ったのだった。




 ーーーーーーーーーーー


 ジャシアは仲間と別れ、渓谷から一人洞窟に入っていた。


 「エチア、大丈夫か?」

 呼びかけると背負った皮袋の中から低い唸り声が聞こえてくる。袋に入れてある癒し袋の効果で痛みは抑えられているはずだが時間が経てば経つほど傷は悪化する。彼女の獣化の力でも回復できないほどの重傷なのだ。


 「こっちか……」

 くんくんと鼻を鳴らして暗い洞窟の道をたどる。


 ここは密輸組織が使っているという抜け道である。

 帝都からシズル大原の街へ荷物への関税を避けたり、ご禁制の物品を運ぶ時に使われるルートで、昔からあったらしいが、人一人が通るのがやっとという狭さなので、大軍が移動したりすることはできない。


 それに内部は迷路だ。地図を作った密輸組織の一味でもない限り、通常の者なら洞窟で迷ってしまうだろう。


 しかし、ジャシアには獣人特有の武器がある。つまり嗅覚だ。

 ジャシアは密輸団の者が残した人間の臭いをたどって闇の中を松明も使わずに進んでいるのである。ただ、たまに小便の跡に行きついたりして閉口するのだが……


 「着いたぜ。ここが絶壁って呼ばれている所か……。地下にこんな場所があるなんて思わないんだぜ」

 ジャシアは光苔が発光する壁にぶち当たった。微かに明るいので見上げることができるが、上は真っ暗闇で何も見えない。


 だが、ここが洞窟最大の難所である。人を寄せ付けないという地下の断崖絶壁なのだ。


 くんくん……

 ジャシアは臭いを嗅いで人の気配の強い岩陰を見つけた。


 「あった。これが魔道具か。スイッチになっているんだぜ」


 そもそも真っ暗でわずかに光苔が光る程度で、何かを隠してもそう易々とは見つからないだろうに、ご丁寧にもその六角形のスイッチは石に見えるように偽造され、岩陰に隠されていた。


 「これをこうするんだな?」

 ジャシアがスイッチに手の平を押し付け、ぐいっと押し込むと周囲の気配が変わった。


 「!」

 どこかで魔法が発動した気配がする。背中のエチアが魔法に反応してもぞもぞと動くのがわかる。


 「大丈夫、心配するなエチア。これの仕掛けは大体わかっているんだぜ」

 ジャシアは袋を撫でた。ジャシアの声を聞いて安心したのかエチアは大人しくなった。


 しばらくすると、目の前に四角い昇降床が降りて来た。

 これが密輸団が設置したという魔道具だ。この昇降床が無ければこの絶壁を越えて行き来することなど到底不可能なのだ。


 「うん、丈夫そうな床なんだぜ。これなら大丈夫だ」

 ジャシアはポンと昇降床に乗ると上昇のためのレバーを引いた。すううっと浮遊感があって二人を乗せた昇降板が浮上していく。


 「待ってろよエチア。この洞窟を抜ければ目の前はセラ盆地なんだぜ。帝都はすぐだ。かならずその傷を治してやるんだぜ。約束したんだ。一緒にカインに死ぬほど抱かれるんだぜ。カインの胸の中で一緒に天国を見る日まで絶対に死なせないんだぜ」

 エチアとはオミュズイの基地で一緒に厳しい訓練の日々を過ごした。毎晩、飯をもってエチアの牢を訪問し、カイン談義に花を咲かせてきたのだ。


 今やエチアは彼女にとっても大事な友だ。獣人は一度友や夫と決めたら絶対に見捨てない。


 ジャシアは闇に包まれた洞窟の天井が近づいて来るのを見上げた。


 この洞窟を抜ければ一日で帝都に入れる。

 あとはいかにその王宮の地下にあるという古代遺跡、そこに作られた研究エリアに潜りこむかだ。


 多くの異形の魔獣を生み出し、邪神竜の復活や不老不死に関する極秘の研究がおこなわれているという帝国の暗部が煌びやかな帝都の地下深くにあるのだ。


 真っ当な生き方をしている大部分の人々は知らないだろう。しかし、ジャシアは汚い裏路地で体を売って生き延び、傭兵稼業に身投じて生きて来たのだ。

 暗部組織に属していた逃亡者、実験体にされた者、様々な男に会った。中には顔を隠して傭兵団に加わる者もいた。

 そんな男と交わりながら生き、男を寝殺す暗殺者と言われるほどの技を得たジャシアである。彼女は帝国の暗部を少なからず知っているのだ。


 まもなく昇降床は横穴に接岸するらしい。あの先がセラ大盆地に通じているのだろう。

 ほっとしたのも束の間、ジャシアはその横穴からこちらを見ている人影があるのに気づいた。


 「!」

 ジャシアはとっさに腰の剣に手をかけた。

 「誰だ!」

 「侵入者か!」

 野太い男たちの声がしたかと思うと闇の中に松明の灯りが揺れ、ジャシアの周囲に矢が突き立った。

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